第十話 秘めたる言葉
「おいおい、親友なんだからそういうのナシだろ? 第一お前、最近ラビにはタメ口じゃねーか」
「そ、それは…! ラビさんが年は一緒だからそれでいいって…。た、隊長命令なんです」
「へー。隊長命令ねー。ああ、そう」
騒動からはや2ヶ月が過ぎた。
ラビさんの言葉通りイジスタさんは5班の班長になり、ギムサ班長は美人な奥さんを迎えて結婚式を挙げ、サンディさんもそれを笑い飛ばせるくらいの元気が出てきた。アデルはいつしか新人と呼ばれなくなり、最初のころよりほんの少しだけ逞しくなった。
「リベル、早く行くぞ。ラビも待ってんだから」
「あ、今行きます」
一緒に海に出掛けてから、私は度々ラビさんやハンスさんとも行動を共にするようになった。たまにイジスタさんもそこに入って、ハンスさんと楽しそうに言い合いをしていた。
ハンスさんに急かされ、私は素早く着替えて自室を出た。ドアの外でハンスさんが腕組みしていた。
「女の支度って遅えよな。何してんの? いつも」
「え、すみません…別に何もしてないんですけど、なんか時間かかっちゃって」
「ふーん」
待ちかねていたハンスさんがさっさとエレベーターに乗り込み、ドアを手で押さえて手招きした。小さくお辞儀をして、私も乗り込んだ。
「最近涼しくなりましたね」
「そうか? オレまだ暑いよ。ちょっと寒いくらいが丁度いいな」
「ハンスさん、暑がりなんですか? 」
突拍子もなく、ハンスさんは口をへの字に曲げて不満げにこちらを向いた。
「な、何ですか? 」
「リベルお前、何でいつまでも敬語なんだ? 休みの日ぐらいタメ口で良いだろ。
オレ、上下とかあんま気にしないし」
意外な言葉に、私はきょとんとしてハンスさんを見上げた。
「でも、ハンスさんを呼び捨てにはできませんし…年上ですから」
「おいおい、親友なんだからそういうのナシだろ? 第一お前、最近ラビにはタメ口じゃねーか」
「そ、それは…! ラビさんが年は一緒だからそれでいいって…。た、隊長命令なんです」
「へー。隊長命令ねー。ああ、そう」
「何ですか! 」
1階に着き、扉が開いてもハンスさんの詰問は止まらなかった。広いカフェテリアの前に立ったまま、私たちは不毛な問答を続けていた。
「なーんか怪しいな? リベル? 」
「何も怪しくないですよ! 変なこと言わないで下さい! 」
「はは、いやいや良いんだって。辛い恋を忘れるためには新しい恋が一番だから」
「もう! イジスタさんの事なんてもう気にしてません! 何で笑ってるんですか! 」
「あ、ラビ」
「え?! 」
「あはははははは! リベル振り向いた! 超真顔で! 」
「ハンスさん! 怒りますよ!! 」
「可愛い。怒りますよだって。録画して見せてやりたいよ」
「…お前らうるさい」
ラビさんはすぐ真横の席で頬杖をついていた。普段訓練場で見せるよりいささか子供っぽい、膨れたような顔で二つ空いた椅子を指さし、私たちに座るように促した。
「ごめんね、ラビさん。ハンスさんが何かおかしなこと言うから」
「いつも通りだろ。何飲む? ホットココア? 」
「うん。今日は少し涼しいから、そうする。ラビさんはブレンドコーヒーなの? 」
「そう。俺も今日はアイスじゃない方がいいな。雨降ってるから。今日は」
「昨日は凄く暑かったのにね」
「そうだな。風邪引くなよ? お前が抜けると色々大変だから」
「大丈夫だよ。ちゃんと早めに寝てるから」
「またサンディ達と夜更かししてないだろうな? 」
「ふふ、実はたまに」
「やっぱり」
「おーい、お二人さん」
両手を口に当て、ハンスさんがいらついたような声で割って入った。
「お前らひでえな。何飲むか訊いてくれたっていいのに。邪魔だったら消えるぞ? オレは」
「何って、どうせコーラかメロンソーダだろ? 炭酸中毒なんだから」
「ごめんなさい! 取って来ましょうか? ハンスさんはコーラにしますか? 」
「いや、良いよ。オレ行く。お二人さんは取り込み中みたいだしな」
「そ、そんな事ありません! 私行ってきますよ!! 私いちばん後輩ですし、二人とも上司なんですから座ってて下さい! 」
ガタガタと音を立てて椅子を引き、私は駆け足で飲み物を取りに行った。残った上司二人組のヒソヒソ話など、全く気が付かずに、一目散に。
「ラビ」
「何? 」
「リベルって、可愛いな? 」
「…普通だろ」
「オレ、狙ってもいい? 」
「…………は? 」
「好きになっちゃった。リベルの事」
「…冗談なんだろ? 目が笑ってるぞ」
「本気だったらどうする? オレはイジスタみたいに紳士じゃねえぞ」
「馬鹿か。お前にそんなことが出来る訳ないだろ 」
「出来るよ。ま、オレじゃなくても今度はイジスタがリベルをもらいに来るかもな。そっちは割とガチで」
トレーに飲み物をのせて帰ってくると、何故か空気がピリピリしていた。ラビさんの表情が、戦場に居る時のそれになっている。
「どうしたんですか? ケンカですか? 」
「…いや」
10秒たっぷり目が合い、ラビさんは突然立ち上がって私の腕を掴んだ。トレーの上のカップやグラスが揺れ、トレーの中にこぼれた。
「リベル、ちょっと来い。2、3分で済むから」
「え?! 」
私の両手からトレーを乱暴に取り上げてそのままテーブルに置くと、ハンスさんを振り返りもせず私を連れて寄宿舎を出てしまった。混乱する私をよそにラビさんは急ぎ足で事務所に向かい、怒ったように勢いよく隊長室のドアを開けた。私は背中を押され、ラビさんも急いで入ると後ろ手に鍵を閉めた。意味が分からぬまま、私はしんと静まり返る部屋に立ち尽くした。
「ラビさん…一体……」
息を乱していたラビさんはひとつ大きく深呼吸して、少しだけ落ち着いたように見えた。
「突然で悪い。でもこうせずには居られなかったんだ」
「…? 何かあったの? 大きな紛争とか? 」
「いや、仕事の話じゃない。俺は至って真面目だが、今回はそういう話じゃない」
私はますます混乱した。
「でもラビさん、すごく怖い顔してる。何か嫌なことがあったの? 」
「―――リベル」
「は、はい! 」
どうしよう。何か怒られるようなことしたっけ?訓練中にハンスさんと喋りすぎたかな…
「ええと、よく聞けよ」
咳払いをひとつして、大真面目な顔でラビさんは言い放った。
「リベル。正直に言うと、俺はお前を渡したくない。イジスタさんにも、他の誰かにも」
目を見開いて絶句する私に構わず、ラビさんはあくまで冷静な声のまま続けた。
「急にこんな話をされても困るだろうが、俺はお前をずっと見ていた。お前が誰を好きであろうと、そうしているつもりだった。俺はただの上司で居ようと思っていたから」
「―――いつから…? 」
「きっとお前が想像しているより前から、だ。多分ハンスには最初からバレてた」
「そ、そんなの…全然……! 」
「気が付かなかったか?まあ、その方が良かった」
突如沈黙が降り、私は耳まで赤くなった。今はただラビさんの顔を見るのが恥ずかしくて、頑なに俯いていた。
「こんな事言ったって、お前にはどうしようもないだろう。
…すまない。でも言わずには…いられなかったんだ」
最後は震えるような声だった。ラビさんが部屋を出てからも、私は暫く俯いたままでいた。