剣狐諸々珍道中・2・岩斬之男、狐と狐を引き連れて山中結界を行くの話
連作短篇予定だった作品の第二話、完成済み
とっぽい剣士が狐やら変人やらと過去の日本に似た異世界を旅する話となった予定
ヴィジョン重視の文体実験作なのだが
問題点としては第一話が読みにくいということ
自慰もほどほどにしておけよという出来で
なので比較的読みやすい第二話から掲載した
別にどちらから読んでもよろしくてよ?
去年(2013)の一一月の作品
1
さて、ここいらでちょいと調子を入れ替えて、語りを始めるのはそりゃこの前の続き。
狐と要と小狐の話。
よってくだせぇ、見てくだせぇ、おっと! 話の見るに叶わず、これ物の道理でさぁ、さあさあ聞いておくんなされ!
男、要山三郎、味噌の国を一路目指して、されど迂回。
追う者なくとも関所の怖く、狐二匹を詮方なく連れて、さて味噌と葡萄の間に佇立する大山嶺に沿うて下りては、はや数日。
道の道なく、獣の歩く跡などを懸命に進むは深林の濃き緑の香。
辟易するほどに、こりゃまた空気の旨い。
忌々しげに見るは隣の振り袖狐。ともあれいつのまにやら大変身、これまた見事な市女笠なぞを被っては、単の上に垂衣に守袋なぞを胸の前にぶらさげた紅瞳狐の旅支度。
童女なぞは相も変わらず布の一枚を羽織りては、何が楽しいのか走って回り、そして木々に登っては遠くを睨む。
まあ童子の活力に余りたるなぞ、さして珍しいものでもなく、年甲斐もなくしかめた面に、ともあれ慣れなども見せる要は、今も坂を登りて、険しきは山と草の中をうちすすみてあり。
「なあ」
「なんじゃい」
「この樹さっきも見なかったか」
「……気のせいじゃ」
ふと、要が沈痛に漏らすこと、隣を歩く黒艶き女の顔を背けてあり。
少し離れたところより童子の騒ぐ声なぞがして、また烏の声、どこか遠くより。
はたまた、こりゃ気のせいか、と要の懸命に思い直して、また歩くこと一刻ほど。
「なあ」
「なんじゃい?」
「やはり、この樹、さっきも見たような気がしないか」
「…………気のせいじゃろう」
といよいよその響きの沈痛なるさまこのうえなく。
顔を背ける紅瞳も冷や汗などを首もとに浮かべて、色も蒼い。
ははぁ、こりゃまた道理で、迷ったな、などと沈痛なりに事実を認めるのもやぶさかではない要が、改めて手近な大木に一刀にて傷を付けて、三者は進む。
童女朱麻はおかっぱを振り廻して、頬を染めつつ、なにやら謡を口ずさむ。
――はぁ、迷い山あり、蟲之国
いよっ、十ばかりのおっかさん、みんな連れだち山に柴刈り
ひとりがどこぞで神隠し、のこるは九人
ひとりが足を滑らせ、のこるは八人
ひとりが茸に当たって、のこるは七人
ひとりが川に流され、のこるは六人
ひとりが鬼にさらわれ、のこるは五人
ひとりが獣におそわれ、のこるは四人
ひとりが罠にはまって、のこるは三人
ひとりが狐にだまされ、のこるは二人
ひとりが穴へと落ちて、のこるは一人
ひとりが山に迷って、そしてだれもいなくなったよ、はぁ
迷いし山の、深くには
見紛うばかりの白い骨
しんだおっかあ
おっかあたちのしゃれこうべ
などと童子、頭を振りて、にこやかに笑みて謡う。
姥捨てる山の蟲之国に名高きが、四方八方の山々にまで波及するほど。
その証たりて、謡う節の昏きにしてまた明し、糸のようなかぼそき水の流れ、せせらいで辺りに谺した。
要、歩いてしばし、ふと口の開いて足止める。
「見よ」
「なんじゃ」
「…………さきほど樹に刻んだ傷だ」
「………………よ、よく似とるなぁ!」
「現実を見つめろ狐」
「う、うぐぐぬ」
狐の、要を見て歯噛み、その眉尻をしかめつしては、ふり仰いで見上げて言葉。
「やはり山は一方ならぬところ、お主もよくぞまあ一人で行く気となったものよのう」
「誰かのせいでな」
「うぬぬ、ともあれ妾がいてこそ道の拓けるもある、それ朱麻! 狐火を」
はいはい、と童女が近づき、蒼く輝く焔の、広く高い木々の林立するなか、日差しの木漏れる昼日中に。
宙をただよう火の魂がふよふよと、そしてその笠よりのぞく黒髪の、水底の如く澄み渡った女狐、鋭い眼差しにて、炎を睨み、そして瞑る。
少しの沈黙。
紅瞳、刮目して、狐火の宙へと漂うのが突如、雲散して霧消。
と、見れば、少し先にて静止してあるのが見える。
そして鼻を鳴らした紅顔の美女、不適にほほえんで、またもや要を仰ぐ。
「見えたぞ、妾の霊視によれば、この火をたどれば、吉とある」
「……虚言くせぇ」などと要の正直な言葉。
「い、いや、これは本当じゃって、まじめな話じゃ、そりゃそなたの装束に関しては悪いことをしたと思っておるよう」と不安げに目をやや落として、蚊のないたような声。
一寸前の馬鹿めいて自信ありげな様子がどこへやら、その儚げなさまに、要も溜め息。
要、童女を見やれば、童女は頷いて、
「我からも頼む、お師匠の霊視はすごいのだ、信じて欲しいのう」と。
ここまで言われれば、もはや毒を呷る心持ちにて要もしぶしぶと、
「あいわかった、あの火の玉を追えばよいのだな」と急に気楽げに。
もとより悩むのが性に合わぬ、物事には流れがあるのだと要も腹を括って、いよいよ進む。
忘れてはならぬ、元より要も、真面目の中の真面目というわけでもなく、歴代、最も速く名誉の仕事を追われた身。
もはや風来坊の心地を性根にもって、悪童めいた笑みにて狐を見やれば、狐も頬を朱く染めて、
「お、おおぉそうじゃ! 妾は嘘なぞつかぬ、今度こそ、これは真よ!」とまるで犬の褒められたかのようなありさまで、もし尻尾なぞあればぶんぶんと左右に、その姿の想うが容易なり。
「そんなに慌てるでない、転ぶぞ」
「妾はそんな間抜けではないのう!」
「どうだかの」とは童女の小さな声のぼそりと。
ともあれ三者は進む。
2
しばし山を登り、緑の合間、その青の匂いを嗅いで。
照るは初夏の光眩しく、要の頬や額には汗の滲んでだらだらと。
狐は市女笠より垂れた白絹の幕が涼しげに頭隠す、要、それを見て己の編み笠の、どこぞで逃げる途中に取り落としたことに思い至る。
詮無きこと。要、かくのごとく切り捨てて、山中の滂沱と茂る草木の
魔力を見やる。
草いきれはもうもうと、見れば光陽の山の端に近うありたるにて、燦々と暑い。
初夏といえ、すでに先走りして鳴く蝉に童女が喜色にて鼻歌を、要の傍にて。
紅瞳は火の玉を追い、少し先んじてある。
その、ととと、ととと、とてとて、と。
まるで拍子を刻むが如く、巧みな下駄捌きで火を追って、草履や草鞋の軽さを思わせる。単のこれまた赤いひらひらが野生する山百合の白と隣合って目にも楽しい。
と道を行くと、突然、
「おぉ!」と紅瞳の歓声。
要へと振り返って、手招きをして、こちこい、こちこいと人悪い笑み。
要と朱麻、二人にて顔と目を合わせて、どちらも目の上にまず浮かぶのは疑念。
「はよ! はよするのじゃ!」と紅瞳の呼び立てる声もいよいよ大きくなって、仕様がないと足早に追いつくと、紅瞳は顎を少しあげて、まるでどうだと言わんばかりに目を瞑って胸張って、茂みの先を指し示す。
要は思わずその紅瞳の笠をぽこりと叩いたあとに、その涙目になってどうしてこんなことをするのじゃ? と言いたげな様を無視して、その指し示した先を見ればそこには、
「道だと」
「……うむ、道だな」と童女も真剣。
「……なぜ、叩くのじゃ叩くのじゃ!」と怒る紅瞳。
「細いが整備された、砂地のよく歩かれた跡とも見える」
要は捨て置いて、そして紅瞳を見る。
「よくやったではないか」
「うぬ? ……そうじゃろう、そうじゃろう! もっとほめたたえてもよいのだぞ」と現金なる狐。
「それは遠慮しておく」
と言いつつ、要は道に出る。
おそらくどこぞの尾根伝いに傾斜の柔らかなところに出たのか、人通りの決して多くはないこの山界に、かように整った道へ、奇異の念を抱かなかったわけではないが、あのまま迷うよりは良いとして、要は道の真ん中を歩むことに決めた。
「陽の方角を見れば、南はあっちだな」
「うむ、そうじゃな」と紅瞳も頷き、童女はなにやら脱げた草履を履き直して、もぞもぞと、脚のあげる様にちらりと太股の際どく覗く。
それを待ちつつ、久方の地面。
心地よく歩くことのできるその土のさらりとしたのを足裏で味わって、光に目を細めた。
して一刻ほど歩き、未の刻も二つを過ぎたころだろうか。
草庵と言うべきか、ぼろけた庵、あるいは小屋とも言うべきが見えてきた。
一同、思わず顔を見合わせる。
元より、柵の街、湖のある崇輪の街、起呑、井苗、独楽我無、善田と街道を進むに比べて、早瀬、鷹十に僅かに接近して後は山中を進む魔境道を行く要たち。
いくつかの山村もあると聞くが、元より罪人、落ち人、故あって逃げた者どもの部落が点々として、化生どもの住まうとも聞き伝わるような集落村落のみあるようなこの山間。
そこな道の妙に整ったさま、そこにある草庵の、まさか茶屋などとも思えず。
「胡散臭いのじゃ」とは狐。
「胡散臭い」とは要。
「胡散臭いな」とは小狐。
声の重なって、ともあれこうしていても始まらぬと、その草庵にじわじわと近寄ること。
無視してもよかれと思うが、傍に行くやいなや、中から声。
「あらぁ、お客さんかね?」
と煤けた灰を顔に、齢おそらく三十ばかりの妙に色っぽい稲穂色の小袖の女、姿を現して、微笑む。
要は思わず、隣の狐を見る。
見れば狐は笑み、そしてその隣の小狐を見る。
童女狐はこれまた笑み、まるで無害、まるで健全、そういった体のなんと見事か。
「アラァ、夫婦子連れの旅行きかしらん」
「うむ、このけったいな男は夫じゃ」
「誰がけったいだ」
黒い髪を後ろに丸く纏めた女の笑みに、そう答えつつ、思いの外、狐の堂々とした様子に、要は驚く。
これが雌狐か、と思わず感嘆するように、貴なる素振りで、上品な様子に、旅慣れた夫婦の如く、紅瞳が要の腰に手を伸ばす仕草など、思わず、調子に乗るなよ狐!と叱りたくなるほどに自然で馴れ馴れしい。
朱麻もおしゃまで気弱な童子たるように、そわそわと手などを弄んで顔を伏している。
「で、お姉さん、こんなところに一人で住んでいるのかい」
「あらあら、お姉さんとはまた上手、照れるねい」
とこれまたどこか艶のある微笑みで、見れば胸元が僅かに弛んで、その白い乳房の端なぞが見える。
狐が要を睨み、また小狐の睨むも感じるが、要はさして気にするでもなく、その姉さんと話の弾む。
「なるほどねえ、旅路で、茶の国か味噌の国へねぇ」
「旦那の生国でのう」と狐もいつのまにやら会話に参加して、笑いなどももれてしばらく、玉のような汗をきらりとして姉さんが、慌てる。
「アリャ、これはあたしとしたことが、とんだ不作法でねぇ、どうぞ、涼しいところにでも座って、ほれお茶でも一杯」と邪気なく笑う。
見れば暗く、底なしの沼のように闇を湛えた庵が、その口を開いて姉さんの奥に。
遠くから見たよりも広く見えて、その黒々はどことなく深としてある。
要は思わず振り返ると、紅瞳の目で語るは、その言葉に頷くような色。
されど念のため、朱麻を見れば、その瞳にはぞっとするような瞳の色にて警戒の叫び。
「……ここは礼を受けるのが人の訓とも思われますが、とはいえそちらも仕事のあるでしょうこと、こんな夫婦の益体もない話なぞお聞かせするものでもありません、日入りまでにここをもう少し下っておきたい、と」
とは要の長広舌であれば、吝ん坊と思われども姉さんの頼みを辞して進むことに。
「ぬう、なんでじゃ?」とまたまた暢気な狐に、とうとう小狐が師狐の尻を叩く。
きゃなぅっ! とはまるで獣の驚く声あげるには、姉さんも目を丸くして、
「どうしたよ、お前さん、蜂にでも刺されたかね」などと言う。
「いやぁ、妻は突如奇声をあげる癖がございやして」と要が言えば、
「へ、へぇ」と一歩退いて姉さん。
そうしているうちに、要が礼をして、紅瞳、朱麻と連れだって行こうとする際に、慌てたように姉さんの、
「あ、ありゃ、遠慮なんぞしなくてもいいんだよ?」と追う声。
「いやぁ、そのお言葉だけでも有り難く」
「ここから、先に行ってもしばらくは何もないよ、なんなら家に止まってゆくといい」
「それこそ、こんな大所帯、どうにも迷惑を重ねると見受ける」
「ありゃりゃ、こりゃまた堅苦しいネェ、奥さん、奥さんのほうはどうだい」と矛先を変えれば、そこには未だに渋い顔にて紅瞳あり。
見れば、納得いかないという素振り。
口笛なぞ吹いている朱麻と、要を見て不満のありありと。
「汝らは何をそんなに急ぐのかえ、ここは脚も疲れたしお言葉に甘えても」
「お師さん、……もっと気を張りなされ」
と朱麻の耳打ちが聞こえるか聞こえないか。
頬を膨らませるのは紅瞳で、ずいと要に近づいて、その小作りの美顔をば接吻するほどに近く。
思わず要ものけぞって、肌の朱くなるのは童貞の物悲しさか。
その隙を突いたか、姉さんもすかさず、
「せめてお茶だけでも一杯、ほれ、ここに出来たばかりのが」
「ほほう! よい香りじゃ!」と、とたんに目元を綻ばせて紅瞳狐の椀を受けて飲み下すがはやい。
額を押さえる朱麻の溜め息の音が、天に昇る。
要はわからぬが、にかりと笑って上手そうに茶を啜る狐を引っ張り、姉さんに別れを告げて強引に、道の下るが流れに戻る。
3
「お師さん、あのような者、怪しいと思わなかったのか」
「小言はもうやめい、なんじゃい、妾ばかり責めて、考え過ぎじゃないかえ?」
「いいや怪しい、……ふん、我はもう知らん!」
そして道の先へと朱麻のあかあかと衣の靡く。
唇を、こりゃまた家鴨かと思うように不満気に、狐はつーんと、その後ろ姿を見ている、これはどちらが師で弟子かと、要が近づいて、からかうように告げた。
「まったく、弟子のほうがしっかりしてるとあっては、師の名折れじゃあないか」
「ん、んん? おお……言ってなかったかえ?」
一瞬、訳の分からぬと顔を崩した紅瞳の――また麗人らしくもなく表情の豊かなこと――たちまち理解してまた笑みに。
要は思わぬ返しに、こちらが意を得ぬ。
「……何がだ」
「ありゃ朱麻は別に弟子という訳じゃない、妾にとってはな」
「は?」
「あやつは古い友よ、色々あって霊の力が消え去って、ああなっているがのう、元々は遙か天竺よりかの金面之御方の側に仕えてたこともある奴じゃ」
「…………道理で」
「何がじゃ?」
「うん、お前よりも頼りになる気がしてたが、外れてなかったな、と」
「失礼なことを言う奴じゃな、お主は本当に!」
「いやはや……それがなんで師なぞと」
「どうも尾が減ってから記憶やら何やら曖昧らしくてのう、あやつめも何処まで本気か、妾によく懐いていてな、まあ仕方なくのう師匠と呼ばれるに任せているだけのことよ」
とうそぶく声のなんと低く幽けいて響くことか、さもこれから投身して入水でもするかと、柳の下の幽霊かと思うような声をして、僅かに顔を俯かせた狐のらしくない。
要は頬などを掻いて、その絹の幕より覗く横顔をば見る。
見て、なんとすればよいのか、妙齢の女性のか弱く、手弱女ぶりに、己の初心なるを呪った。
では自分に出来ることはと、結局その笠を叩くに任せた。
ぽこりと、まるで軽い太鼓の叩かれる音がして、紅瞳之狐は目を上げて、怨ましげに男を見た。
「なんでまた叩くのじゃ!、叩くのじゃ!?」
「らしくない雰囲気だったのでな、似合わぬ気配を追い落とそうと」
「他にやりようがあるじゃろう!?」
と激昂して顔の真っ赤なる狐を見やりつつ、すると遠くから、おーい、と声のする。
見れば噂の童、朱麻之小狐が手を大きく振って、その袖が捲りあがって二の腕の柔らかそうに細く白いのが陽光を湛えて呼ぶのがある。
「はよー! はよこーい!」と笑顔を浮かべて、二人を待つ小狐を見て、さらにその背後を見れば、そこは茶色と土色。
深く焼かれた粘土の如き茶褐色の土細工の巨大なるが広がってある。
まるで一面に広がるその空間へと、道のつながって、迂回しようにもちと面倒、そばの林はやがて峪肌の切り立った崖の連なりへと。
これまた見事な土の造形の、合間に石と石。
ここに至り、紅瞳も異常を察して、朱麻へと目をやる。
「これはまさか、かの高名な石亭八陣かえ?」
「うーん、やけに広いが、そうじゃと思う、おそらく」
と童の首を傾げて、目を細める。
首もとまでで切りそろった一直線のおかっぱへと、滲む陽も気づけば傾いて、入る光のその角度、すでに宵の近いことが知れる。
要も思わず太陽を探せば、やはりその明かりも大分傾いて、もはや逢魔ヶ刻もすぐそこで。
「どうした狐ども、その石庭、とは?」
「ううむ、古くは中つ国の太古より遡る、神仙の術の一つじゃな、陰陽の気、万物に通底し天より来る神気、それを操作する術でな、土の行を変えて、その空間の理をねじ曲げるわけじゃ」
「つまりは、入れば容易に出られないのだ」
「まさか道をいくと、こんなところに八陣があるとはのう」
要にはただの石と土の柱が並ぶ、奇怪な通路に見えるが、はて、この二匹はその道の専門家、木の葉より単を紡ぐ妖の言うことなれば、かように危険なものであることに間違いはないのだろう。
「どのみち偶然ではないのかもな、道も、石庭も、先ほどの茶屋も」
と要が呟いて、狐たちを見ゆれば、はてさて悩む二匹。
しかしここにこうしていても仕方がないと考えたのは紅瞳の狐。
「ともあれ進むべきじゃ、いざとなれば妾と」
「我がどうにかするぞっ」
と腹を決めれば、話は早いと、三者は道より階段を通じて、その四方を埋め尽くす掘り立てられた土の空間の匂うが泥のもの。されど雨の溜まりなどもなく、いやにきれいな柱の並ぶなかに、古びれた着流しを捲って脚絆の見えるは要。
ついで狐も市女笠を消して、小袖を紅梅色に重ねた振り袖に変じて、その豪奢なるさまも、すでに身軽だ。
簡素に浴衣のような小袖一枚の朱麻のみそのまま、まずはどうするかと師狐と男を見て楽しげ。
「ともかく、進むことにしたのは良いが、狐、どうする」
「ふふん、こんなときこそ、妾の霊視がまた冴えるとな」
「お師さん、ほれ狐火じゃ」
空の濃紺に染まる前に外に出られればよいが、と要は思った。
4
一同が青白く光放つ火の玉に従って、刻の一つばかりたったころだろうか。
ふと要が隣の柱を見れば、そこには先頃に括った布の切れ端の赤いのが。
目印に傷をつければ、いつのまにか癒えている。奇怪なことこのうえないが、それもまた異界の道理と納得して、代わりに狐が括ったその布の切れ端が目の前にあるということは、
「なあ狐」
「なんじゃ」
「なんじゃね」
と狐たちが一斉に振り返る。
大小の動きは気にせず、要も単刀直入。
「これ、迷っているのではないか」
「ハハハ」と師狐の笑う声の大きいこと大きいこと。
耳障りな油蝉もかくやという巨大な笑いが、柱の間に広がって、やがて止んだ。
「うん、まよっているな」と冷静に辺りを見据える朱麻の声。
火の玉はこともなげに、その炎を揺らめかす。
「きつねぇ!」
「……ふ、ふはぁ!」
「お前いい加減にしろよ、とは申さない。俺なぞはおんぶに抱っこだからな、しかしさっきまでの自信満々のあとにこれか!」
「やめよやめよ、師匠に当たってもしょうがない、我が思うにこれはまた石庭の理と、我らが妖狐の理がぶつかっておるのだろう」と朱麻が淡々と解説してある。
見ればいよいよ赤染まる空の広がって、羊にも似た雲などが遠く石庭の向こうにかかっている。
橙とも紫とも、黄色から赤、紅の重なって青へと消えゆき、そして白む空の虹の如く絢なる。
見惚れる時間などなく、東の方を見れば、すでに澄み切って蒼く濃く、また群青の黒に近いのが広々と。
要は狐を見て、如何にするかもう一度訪ねようとすれば、、
「……狐?」
「……なんじゃい、そんな真剣に、妾の顔なぞをじつと見て、惚れたかのう」
「そんな馬鹿なことじゃなくてな」
「馬鹿なこと……」と少し悄げる狐に気を止めず、要の注視しはじっとそのまま。
「な、なんじゃい、照れるではないか、はよいえ」
「お前、耳は、どうした?」
と一言。
意味がわからぬ、と狐が首を傾げて、獣耳でも間違って出したかと、頭の上の辺りへと手をやって、そこにはなにもない。
しかし朱麻がその言葉に大慌てに振り返っては色の褪めた顔にて、紅瞳の人耳ある辺りを見れば、そこには何もない。
文字通り、耳の影も形もなく、ぽっかりと空洞。
「やられた! お師さん、耳がそがれとるぞ! 人の耳がじゃ!」
と言われて紅瞳も右耳と左耳に手を当ててのち、ふと顔を青くして一驚。
ない! そこにないのは耳! ときた調子で、朱麻と要を見回して、
「こりゃまたどうしたことか!」などと叫び出す。
痛みはないのか、しかし耳の空いた後にはぽっかりと、闇のような空洞が黒々と、まるで先ほどの草庵の中のように。
なにやら目を瞑って、狐の念じる様子に、そのかいもなく、耳の現れる気配はない。
「耳が出てこないではないかえ!」
「おお、怖い怖い、これが要殿であったなら、一大事だったな」と小狐が漏らす。
「妾の耳でも一大事じゃわ! 阿呆!」
と泡を吹いたように慌てに慌てるその紅瞳、黒い髪が夕宵どきの赤に塗れて輝くのとは対照、青く白く、また青くと慌てて慌てて。
要もどこか呆然と、しかし気を取り直し直後、ふと紅瞳の顔を見れば、
「き、きつね、お主、今度は鼻が」
「は、鼻じゃとぅ!?」と慌てて手をやれば鼻の消えてまた虚のぽっかりと闇色、ほのかに赤ついた肉の裏側が覗けつつも、その先が墨で書いたように真っ黒。
狐の狼狽も頂点に、どんどんと身体の消えて、まるでどこかへ連れ去られゆくようなことの次第に、混乱して呻きが漏れる。
朱麻が何やらじっと考え、そして要が呆然と紅瞳を見ている。
「師匠だけ……こりゃ茶じゃな、ほれみろやっぱりぃ、我の言うとおりであったではないか」とおかっぱの下でその愛らしい眼をくりくりとして、朱麻は舌をちろりと出した。
「茶? ああ、先ほどの」とは要。
「……茶、あの女、あの女かぁ!」とは紅瞳。
朱麻は瞳を輝かせて、いつになく饒舌に朗々(ろうろう)と言葉を紡いで、
「おそらくもっと早い段階で山中に取り込まれていたのだな、山中結界とはよく言ったものよ、我らが霊視によって出れば今度は道、あわよくばあの小屋に引きずり込むが肚だったのだろう、それが叶わなくとも茶、その効果を石庭で迷わせてからゆっくりと……よう考えたやつだ」
と、稚児めいたその顔の幼気な中にも、なにやら昂奮の色とも欲情の色ともつかぬ異様な高ぶりが満ちて舌なめずりする蛇のよう。
「何段構えかの大がかり、とうに俺たちは妖の術に取り込まれていたと?」
「そうだのう、おそらくただの人であれば、ここから出ることも叶わず、やがて……ほれ、いまの師匠のよう」と朱麻が師狐を指させば、今度は目に深淵のような虚けた暗闇をぽっかりと、片目、また片目とそこに穴が空く。
うぅ、前が、前が見えぬ、と呻く紅瞳の狐の、その紅色の眼差しにも墨のような黒と、鼻がなく黒と、耳がなく黒と、進行するはなにやら怪物めいた。
「とはいえこちらは妖狐、変身しなおせばよいだけのこと、命に別状もあるまいて」と朱麻が淡々と言い募りつつ、要を見上げる。
ちょっと前に覗いたその見目に似合わぬ危ない光は大分収まって、いまはいつものように花のような満面の笑み、向日葵が咲いたようなその顔が要に向けられてある。
「しかしまあ出口も分からぬし、この黒くなる呪いも、このまま捨て置くにはちょいとやりすぎではないか」
「何が言いたい童」
「こちらには妖狐が二匹、そして岩断つ魔剣の遣い手が一人、せめて師匠の目鼻と耳と口を取り替えし、ついでさっさと石庭の元から絶つまで」
「わかりやすいな」
「というか口はまだなくなっとらんわ! ぼけ!」
にっかりと、笑って朱麻は言い、そして腕を上下に奇怪な動きの紅瞳あり、要が柄に手をやれば鍔の触れるがひんやりと感じる。
そして鯉口を切った。
5
庵の闇を進むと、そこには姉さんのひざまづいて何かするさまが。
粗末な室に、かかる簾と巨大な竈、鍋やら包丁やらがそこに転がって、辺りは埃臭い。
要が一歩脚を踏み入れると、ぴくり、と目の前に座る影が動いている。
頭には見事な簪、見れば金箔に桜と小枝の紋、いかにもこの古くさい山中の小屋には不釣り合いで、その髪をまとめている。
はや、はや、とせき立てるような気持ちがあれども、要は、抜いた刃を手に、ただ静か。
「アララ、ここが年貢の納め時ってことかいね」と遠く壁の隅、土間より離れた数畳の上から響く音のくぐもるのは姉さんの壁を向いているからか。
ひざまづくように、その暗い室で、壁に向き合っている黒い髪の女の声は何処か鬼気迫って、声音にはこの世の物とも思えぬ何かが入り交じる。
そして風が一迅。
吹き抜けば、格子のついた窓にかかる簾がさざ波立てて、一面に遠き陽の名残りつ残照が、辺りを仄かに赤く染め上げた。
明るうなった壁の一面には、耳。
そがれた耳が、ずらりと並び、壁より生えて。
そしてまた鼻、鼻、鼻、あちこちに鼻!
あるいは目玉が何個も何個もみつちりと詰まった瓶の溢れるような透明に澄んだのがたくさん。
歯が、いくつも白い歯が、骨片のような歯が、あるいは骨片さえもが、そしてまたぬらりと露を垂らした舌の山の上に髪の毛が散らばって、室が、室じゅうが、茫々と生える雑草めいた髪の黒々としたもので海の如く埋まっていた。
その中央に、姉さんのいる。
「特段、義人であるなどと嘯くつもりは、毛頭ないが」淡々と要が、つらつら続ける。
その目は細みて鋭く、いざ射殺さんと眼孔に満ちた殺気の紛うことなくて、ほのかに人の良さそうないつもの穏やかさもは消えて精悍な。
「この狼藉は人である身としては見過ごせるはずもなく」朗々と高く。
「あららコリャ取り付く島もないねぇ」と姉さんのふと身じろぎして、残照のなかにまた風の音。
「これまた運命と思い」
そして刃握る右腕に力籠もり。
「……なんて諦めると思うかい!」
と獣じみて素早く、姉さんの振り向いたその顔の、皺だらけに歪む醜悪な鬼の如き面貌に浮かぶ笑みが、
「死ね」
と要の宣告。刃の煌めいて一刀、のち、見事に断ち切られて消えた。
6
「しかしまあ山中結界の呪い、よく練られていたのう」とは目鼻耳を取り戻した紅瞳の笑みより吐き出される言霊。
すでに夕暮は過ぎて、先ほどの石庭近くの森の側で熾した火の光に紅瞳の目が心地よさげに薄められる。
疲れたのか朱麻は木の葉を変じた筵にて横たわる。
遠く狼の遠吠え、熊か猪か、石庭近辺は、ただの窪んだ茂みとなっていた。
整った道も幻影の類だったか、外よりは少し整っている山道という態で、辺りは広葉樹の広がりと飛ぶ蟲たちの忌々しい羽音ばかり。
日中の暑気も涼らいで、こすれるような葉音のしずしずと。
そよぐ火から届くは獣肉の焼ける音。
「練られていたせいで、朝から夕までぐるぐると」
要は吐き捨て、腰の大小を撫でる。
血糊はふき取った。
石塔林立するあの幻の陣に、この辺りに一人で歩みて、果たして、今日、このように助かったであろうか、とふと思いついた。
「どうじゃ、良かったじゃろう? 妾たちと一緒でな」とは紅瞳の、深みのある甘い声。どこか大人びた表情、目元に湛えるのは神秘の色。
「……確かにな」
「ぬふふ、意固地な奴じゃのう」
くっく、と笑う狐の笑みが気に障ると、
「とはいえお前だって今日はひっかかっていたではないか」
要がちくり。蟲之国名産の雀蜂のように。
一転、余裕そうな笑みを口辺に匂わせていた紅瞳の、今度は慌てたような調子で、
「あ、あれは別に……」
「別になんだ」
「くくぅ、可愛くない男じゃのう!」
負け惜しみか、と要も思ったが、パチパチと火花立つ夜の呼気、涼しげにそよぐ音の中で、ムキになってこれまた猿のように喚く紅瞳が、さらに煩くなることが目に見えていたので黙して語らぬこととした。
ほのかに火影の揺れて狐へと投げかける黄金の色が、黒と白、そして紅瞳の色を、何処か暖かく照らして、知らず知らず要は苦笑。
どこか穏やかな、夜の一幕とともに、この日の物語はこれにて幕。