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未完成品1:冥府を行く、騎士と淫魔と……

突発短編「神曲を読んで触発されたんですね?はい」



薄暗い、錆びた匂いの漂う迷宮。


一人の騎士が、腹を抑えて茫洋としてた。


その鎧はところどころ割れて、かつての白銀の輝きもすでにその色を留めておらず、


その傷口からはなみなみと血が吐き出されていた。


血は泉から湧き出すように地面へと漠々と流れ出でて。


欠けた剣を杖に、金の髪を朱と茶に汚した男の眼は虚ろだ。



呻く、そして歩く、傍には誰もいない。


部下も倒れた、力は尽きた。


栄華は求めなかった、多くは求めなかった、


しかしその清廉が、褒美となり、彼の死を引き延ばすことはない。


迷宮へと潜ることを仕事とした一人の騎士への当然の報酬としての、無様な死に際があるのみだ。



友人は少なかった。口から真紅の塊が滴り続けた。


家族は死んだ。押さえた手を血流は容易く越えた。


上司も同僚も彼を疎んだ。ふらふらとよろめきながら地に崩れた。



眠い、寝ては駄目だ、眠ればもう目覚めは無いと理性が訴える。


だが眠い、それでも諦めず何かをつかみ取ることを望み、腕を伸ばす。


地に伏した身体から、手だけが虚空に伸ばされるその様は幽鬼にも似て、


眼孔からは光が、顔からは生気が、身体からは力が抜けていく。


そして蝉の抜け殻のような骸から、最期に意識が脱けていく。


何もない。


何も。


走馬燈は既に尽きた。


空虚な人生だった。


男は思い、蝋燭の最期の輝きを燃やして、口辺に自嘲の笑みを作る。


伸ばした手は届かなかった。


力無く、しおれるように手は地面とぶつかる。


そして最期に意識が完全に、白へと溶けていく。


溶けて、溶けて、やがて後にはなにもない。


ただ残ったのは薄暗い迷宮。


微かな灯り。そして襤褸布にも似た見窄らしい男の骸。


迷宮では珍しくもない風景。


男の死骸は遠からず迷宮を這う無数の悪意の餌となるだろう。



この騎士以外の誰も辿り着いたことのない、深きまで進んだ一人の騎士は、


こうして死んだ。


人の業として当然のように薄汚く。


あっさりと。














意識だけの世界。


白一色とも朱一色とも、緑とも、色とも言えない無とも、


その全てとも言える混合の内で意識を滞らせて、


一人呻くのは、先ほど死んだ騎士の男。



声が聞こえた。


「……罪深き魂よ」


誰だ、と言葉を念じる。


口がない、四肢がない、感覚がない。


およそあらゆるモノがあり得る、空虚の中に己が居ると男は感じた。


「ヴァンネクス・アルフレックスと申しましたね」


そうだ、だがそう言うお前は誰なのだ。


「貴方は生前、聖騎士だったのではないのですか……?」


それで全ては悟った、一つの矮小な意識は沈黙した。


白の中、声にも触覚にも、匂いにも色彩にも似たその全てからの接触が男へと図られる。


が、それはしかし空白そのものの意識では受け取りようがない。


「……罪深き赤き魂、裁定しましょう。


貴方を、空虚な貴方の行く末を、


神にして神の一部たるこの私が裁定しましょう」


神は、神ではないのか?


「矮小な魂に合わせた意識体ということです」


死後に審判がある。本当のことだったか。


男は笑った。乾いた笑いにも似た感情が意識に浮かび上がったと言った方が正しいだろうか。


神の審判を疑ったことはない。


人は死後、生前の生の価値を計られ、その後、


地獄と天国へ振り分けられるのだ。


地獄において苦しんだ魂は、死後魔界で第二の生を送る。


地獄と魔界は重ね合わせの存在。


その世界での生き方がまた死後審査されることにより、


天への開放がなされる。


地獄を見た旅人の手記、


天の世界を垣間見た幻想家の霊感。


男は己が死後全ての生命が受ける審判の座にいることを知った。



――それで、俺はどうなる。


「価値無き生であれば、


貴方は再び貴方の居た世界。


地這う者たちの世界に送られることとなりますが……」



――記憶なき転生、聞いた通りか。



「神に仕える者で在ったはずが、


しかしまたどうしてそこまで懐疑的な嘲笑を送るのでしょうか、矛盾してますね」


――御託はいい、それで俺はどうなる。


「価値ある生……と言えましょう。


神の記憶に値する貴方の生。褒賞として貴方は天の世界か魔の世界に送られることでしょう。


天国か地獄で、浄福か苦悶を受けた末、天界か魔界の住人となって、


真の死を送ることを待ちます」


――腐ったシステムだ。


「分かりませんねその言い分が、神の下に還ることで貴方は永遠になるのですから。


むしろ、喜びなさい。人の子よ。偉大なる始原へと回帰できる栄誉を」


――居丈高な物言いだな。


「神ですので仕方在りません。


――ただまあ、還らぬ自由を選ぶこともできますがね」


―― ……で、俺はどっちなのだ・


「……そこが問題ですね」


意識に響く何かとの対話。


神がこれであるのか、あるいは神の一部たるこれだからこそ、ここまで威厳がないのか。


「違います、その者にあった存在の形をもった意識体が貴方たち死者の前に現れるのです。


竜の死には竜の形、鬼の死には鬼の、魔獣の死には魔獣、子供には子供、貴方には私です」


――有り難いことに、アフターケアは万全と言うことか。


「そうですね。神ですから」


――皮肉も通じない。


「ウフフ、貴方は文句を垂れることだけは達者。


でも私の問題は貴方に起因する。


貴方は貴方の世界において善行とされることを積んだ者。


また神の基準としての偉業もしっかりと成し遂げている。


神に従う教団の一員として、多くの魔界からの侵入者を狩りました。


影のような者ですが、見事なモノです」



――では俺は天に行く……という訳ではなさそうだな。


「貴方の特徴としてもう一つ。


感情においての罪。罪業があります」



……なんだ。



「愛の欠如。


空虚と虚無の罪」



男は得心した。


地上においては神に見られているのは人の決めた善や悪ではなく、


神の基準とする偉業、あるいは善悪をどれだけこなしたか、なのだろう。



――それで、俺のそれはそんなに重い罪なのか?


「いえ、貴方は天の世界に向かうに相応しい偉業を成し遂げています。


……但し、天においてはそぐわないほどに、


貴方は空っぽで、そして汚らしい」


――率直だな。


「神ですので」


――それで俺はどうすればいいのだ結局?


「無駄を省いて言うのなら貴方には地獄に落ちてもらいます」


――ほう。


「但し、魂を焼かれ炙られる罪人としてではなく。


貴方の生前の形。つまりは生身の人のまま降りてもらいましょうか」


―― ……それがどうした。


「そこで罪業を覆すか、あるいは生きてください。


神を喜ばせるもよし、何かでその空虚を埋めるもよし。


つまり折衷案として、


人の身のままになりますが、魂への責め苦の段階を飛ばして、


かの過酷かつ邪悪な世界で生きるということです」



――聞いた事のない。


「この審判は非常に稀ですからね。


貴方で、この世界が始まってから八人目というところでしょうか。


罪人というには相応しくないが、天に行くには余りにも歪。


そういった者への判決です。 ……さぁ」



意識が再び消えて、溶け始めるのを男は感じた。


音のない、感触のない世界における不思議な邂逅は間もなく終わる。



――しかし、死ねば終わりと思ったが。


「そんな楽なものではないのですよ、世の中」


微笑んでいるような気がする神。


男は感慨もなく、そんなものかと納得した。



――地獄に降りるのは承知したが、しかし俺はそこで何をするのだ?


「……指標を聞くのですか、しょうがない人草です。


……そうですね、……地獄を、そして魔界を深く潜ったら良いでしょう、


あるいは巡るでも良い、ともあれそこで見た、あるいは出会った者から


今度こそ何かを得なさい。


一度の現世において、貴方は多くのモノを捨て去った。


それは面白くないのですよ、神にとって。


だから世界を見て、今度こそ胸躍る生の実感を得なさい。


これは命令です」



――面白い面白くない、神の基準はそれだけか。


そして命令ときた。傲慢極まりないな。


「ええ神ですからね。……っと、貴方に伝えるべきことがあるのが忘れていました」


――なんだ。


「貴方の名前は剥奪されました。


以降貴方は、この世界を訪れた証として、

あるいはこの裁きを受けた刻印として、


自らの名を名乗ることができません。


罪深き者、天へと至る者にも課されることのない。貴方の為の特別な処方です」


――面倒な……なんと名乗ればいい。


「空虚の騎士(ニヒレース・エクエース)。とでも名乗りなさい。


……なんですか、その顔は? 神の与えた新しい名ですよ?」



―― ……生前から言いたいと思っていたので良い機会だから言おうと思う。


「何ですか?」



―― ……くたばれ……!



そして意識が完全に溶けていく。



最後に、苦笑の気配が、した。












騎士は目を覚ました。


視界には黑い太陽。


まるで黒点に覆われたような太陽が、滲むように赤い空にある。



真紅の空に灰色の雲。


虻の音が耳元でする。


大地は黒い土。茶色の土。赤い土。


色とりどりの腐った土の山は華やかに臭い。



騎士が自らの服装を確認すると、


あるのは薄い綿のクロスと、農民が履くようなブレ。



聞こえてくるのは、


血の動く音。息の音。



明確な意識がある。


己に実態はあり、手は不足無く動く。


生きた騎士は、次第に冴えていく意識で、


己を確かめ、改めて世界を見回す。


そして己が、


汚く臭い地面に倒れ伏していたらしいことを知る。



遠くには長く深い川。


恐ろしく黑い水。と腐臭。


生暖かい風が吹いている。



騎士は手を突いて、身体を起こして世界を見る。


何者かの進行が遠くに見える。


まるで蟻の行進。もやとも米粒ともつかない有象無象が蠢いているようだ。


恐らく地獄に到着した死者の行進。


本来あるべき道筋を行く囚人達の、


恐怖と憤怒の入り交じった淡い絶望の呻きが、かすかに聞こえてくる。



「数瞬前の問答……本当のことだったか」


だが己はここにいる。


こうして、言葉を紡ぐことが出来る。


匂いは鼻にあり、音も耳にある。


「面倒な……」


と呟いたが、それは惰性だ。


男が思い出すものは何もない。遙か昔にも思える記憶は既に塵の類に過ぎない。


そも、生を得て喜ぶことなどなにもないのだ。騎士の男には。彼には。


面倒なことである。と思いながらも騎士の男は。歩くことにした。


やるべきことはない、ならばやれるだけのことを淡々とこなすのみ。


男は半ば無意識に、空疎な機械の自動性をもって歩み始める。



何処からか蝉の鳴き声のような音がする。


集る虻の耳元で奏でる重低音。



騎士の行進は、ゆっくりと、そして次第に早くなる。


あてどもなく歩くその騎士の姿は、空虚そのもので、


彼はまるで彷徨っているようだった。









「どうやらここは本当に地獄なのだな」


なんとなしに呟く騎士。


彼には足がある。音が聞こえる。


死人は足音と重みを持たないと言うが、死人ではない男は重みを持っている。当然のことだ。


地獄と言えども、生きた者にとってはただの実態ある土地に過ぎない。


初めて訪れた土地と同じようなものに過ぎないのだ。


それ故、新しき旅人である騎士には、


この腐った卵と死人の腐臭が混ざったような匂いも、


暗い太陽の眩さも、常に流れる虻の羽音のような重低音も、


ただのロケーションにしか感じられない。


土地勘もなく、地図もなく、人もいない。


全く新しい土地に放り出されたと言える騎士は、


しかし無感動。



この無感動、あるいは冷淡さが、空虚と言われた彼の罪の表象であることは疑いえない。



淡々と歩く騎士は、遠く褐色の木々を見る。


地面はどこまでも赤く。死人の奏でる呻き声は絶えることがない。


鳥の鳴き声、犬の鳴き声、蝉の羽音、虻の羽音。


そして地を見据えて進む騎士の耳には翼の羽ばたきが聞こえる。




「あ~! こんな離れたところにたましい~♪」


ついで明るい女の声、どこか淫らさを含んだ若い甘さ。


騎士が振り向くと、そこには空中を泳ぐように漂う若い娘。


小さな角、赤い髪、恐ろしく美しい、艶めく顔色の少女。


ミニチュアのような羽、臀部からは矢尻が模られた黑い尾が揺れている。



歳の頃は一〇代の前半だろうか、


艶めかしい瞳の輝きと、舌なめずりに濡れるピンクの唇が眩しい。



眼光には発情期の犬が擦り寄ることを思わせる淫色。


獲物を狩猟するような、あるいは宝物を見つけた時の喜悦が、


その淫色と合わさり、想像を絶する人外の気配を漂わせている。



「地獄に入って来たばかりの弱い魂を襲ってぇ、


あんなことやこんなことをするつもりだったのにね~?


……話が違うじゃないあの子ぉ!と思ったら、噂をすれば影ぇ。うん♪ うんうん♪


いやぁ。中々ねぇ、いいからだ~♪」


色香を漂わせる若い女の媚態と美声は、朱と黒の地平を背景に、騎士の前に確かにあったが、


しかし騎士は特になんの色も瞳に浮かべていない。


無関心の沈黙。武器をもたない哀れな人草の前に現れたのは魔族。


地上における人の天敵たる者たちの一種――サキュバス。


スクブスとも言われる女性淫魔は、


申し訳程度にその幼さと濃密な女性の色香が混じる豊艶な肉体を覆う、


下着とも服とも言えぬ、衣類を脱ぎ出す。


乳首だけを隠す程度の布。


まるで場末の娼婦が身に付けるような、


股間の筋や敏感な各所を覆っていた薄い布が外され、


匂い立つような雰囲気がより淫らに花開いた気がした。



「折角こんな辺鄙なところに来たのにねぇ、


味見さえできないなんて最悪だもんね~、うん!


あの看守達、法務官に見せる前は、一切のお触り禁止とか堅いんだから~」



そして、改めて彼女は己を見つめている。


精悍な金髪の青年。


粗末なクロスの上からでも分かる鍛え上げられた筋肉。


それを組み伏せて思う存分に精を搾り取ることを思うだけで、


少女淫魔の身体が疼く。


「ふふ、怖くない怖くない~」


明るい笑みは、獲物を喰らうような残酷な感情の表れ。


獲物が静かに、こちらを見つめていることの意味を特に深く考えずに、


目を細め、その光彩に朱い色を宿す。


世界に満ちる魔力を使っての魔眼の術


対象を惑わし、拐かす淫欲の魔眼。


相手の意志を朦朧とさせ、意識を白濁とさせ、


欲望を際限なく喚起する魔の術の前に、


普通の男には立ち向かう術はない。


その赤い眼光に当てられて、まるで操り人形のように、


ただの男であるならば、ふらふらと身体を淫魔の下へと運び、


砂漠のただ中での水を求める者、


飢えた者が目前に果物を発見したかのように、欲望と欲求のまま我を失って、


手を伸ばし、押し倒さんと欲するだろう。



騎士が無表情のまま、この淫魔の下にふらふらと、


盲人のように歩き近づくのはその魔眼のためか。



「はぁ~♪、久しぶりのご飯だよぉ!」


嬉しそうに、蛇のくねるように己の腰をくねらせ、


舌なめずりをした淫魔は、両手を広げて、来るおとこに抱きついた。


そしてその胸板を感じ、首筋をなめて、男の濃厚な体臭と味を楽しむ。


哀れな死者にいつもするように抱きついて淫魔の至福は長くなかった。


「ふふ~、それじゃあさっそく……っぃ!?」



そして淫魔は吹き飛んだ、


顔を醜く歪めて、何が起こったのか分からないという顔で遠く転がっていく。


黑い土に身体が汚れ、


涙と鼻水を垂らし、


痛みと驚きに顔を歪めて、腹を押さえながら嘔吐する一〇代前半の少女の姿、


そこには先ほどまでの淫らさも影も形もなく。


口からは酸っぱい匂いを滴らせ、ヒキガエルを潰したかのような音を吐き出して、


身体を大きく揺らしていた。


「……な、あん……っ、でっ」


わけがわからないと、形の良い瞳を子供が泣き出すときのように歪めている。


「……下等な淫魔が、聖騎士パラディンを誘惑しようなどとは片腹痛い」


「げふっ、はぁはぁ……うぅ」


そして一歩また一歩と近づいていく騎士。


先ほど拳を淫魔の腹にめり込ませた時よりもなお不穏な気配を漂わせている男の姿に、


淫魔は絶句と恐怖を隠せない。


平和な日常の行為が、一転己の惨劇へと転覆する。


突然の暴力の気配はなおもにじり寄り、淫魔の顔を醜く歪めさせた。


腹を押さえながら、痛みを堪えながら、涙と鼻水と胃酸に濡れた汚い顔を上げて、


来る恐怖と目を合わせ、先ほど行ったように魔力を瞳に宿らせる。


支配の法を発動する、何度も、何度も。


しかし男は変わらず歩みを止めない。


一歩一歩、静かに淡々と、無表情ににじり寄って来る騎士。


淫魔は顔をさらに大きく歪めて、尻餅を突いた後、大きくよろめきながら、


男に尻を見せて、地を這って男から逃げだそうと懸命に身体を動かす。


しかし予想以上に身体が軋んでいるのか、痛みに動きを止め、


そして来る男の方を確認するように振り向いた。


「な、なんでっ、き、効かないの!?」


本来哀れな魂を持った罪人の拳は、その矮小な身にて罪業に伏す死者の拳は、


この地獄とも魔界とも言われる世界の住人には威力を持たない筈である。という前提。


目前の光景と、己が身で味わった暴力のその前提との矛盾。


それがこの少女淫魔の恐怖、混乱、なにより絶望に拍車をかける。


目を細めた男。


拳を引いて、流れるような無駄のない構えから、力を溜めた腕が発射された。


思わず目を瞑るのは少女。




そしてなにかが砕ける音がした。












地面には小さなクレーター。



淫魔はぴくぴくと身体を、怒られた小さな子供のように震わせている。


見れば失禁しているようで、檸檬のような濁り水が、赤い大地を濡らしていた。


「……ふん」


言って、男は拳を収める。


何が起こったのかわからないという顔で呆然としていた少女淫魔は、


しかし己の命が助かったことを悟ったか、顔をくしゃくしゃに歪めた。


「……こ、怖かったよぉ」


「正当防衛だ」


男は言い捨てるが、少女はその言い様を無性に腹立たしく思った。


男が己を害するつもりがないと踏んだのか、事態が終わったことを悟ったか、


急激に恐怖と絶望はなりを潜めたのだろう。


少女淫魔の胸中に怒りが湧いて出るのが窺えた。


「ひ、ひどい~!……こっ、ここまですることじゃないでしょ~?」


「聖騎士を淫蕩に落とそうと画策した邪悪に対してこの程度で済ませたのだ。


感謝するべきところだ、ここは」


と呟く男は変わらず無表情で、拳の調子を確かめるように己の拳を撫でている。


その姿にますます憤怒を膨らませる淫らな乙女の囀りは、雲雀のように喧しい。


「~っ、と、というかなんでぇ、なんで実体があるの~?」


「俺も納得できていないがな、罪人ではないのだ俺は」


「罪人じゃないならぁ、どうしてここにいるのぉ?」


「……少し、黙れ」


男が威嚇するように言って、淫魔は怯える。


子ウサギのように怯え、尻尾が小刻みに震えている。


殴打された腹が未だに鈍く痛みを訴えていた。


暗い重低音が響き、腐った魚の匂いが漂う地獄の一角。


怯えを再び瞳に宿した少女の顔は隠しきれない恐怖に歪んで、瞳は僅かに潤んでいる。


「……ふん、まあいい」


自らの肉体の調子を再確認したらしい男の声。


奏者が楽器の弦を整えるように、男は己の身体を整えた。


改めて淫魔の顔を見る男の顔は、相も変わらず空虚そのもの。


「細かい事を聞くな淫魔サキュバス俺はこの世界で生きていくことになった人間。

実体を持って、このクソッたれな世界を巡ることになった死者だよ」


「で、でもぉ、そんな死者聞いた事もないよぉ?」


困惑する淫魔、羽ばたく羽、魔力を使うことに長けた、狡猾な魔族の末裔とは思えないほどの無垢な表情を見せ、


幼さに滲むのは悪意でなく、無邪気。男はしかし色香に動じない、その粗末な服装をたくし上げ、厳めしい。


「俺も聞いた事はないよ。だがな上のお達しだ。間違いでもなんでもない」


「うえ~?」


「神だよ」


言って男は見渡す限りの黑い土を進み始める。


空に浮かぶのは黑い太陽。爛々と照らす光は怖気を催させ。


淫猥な匂いと、不潔な汚濁の匂いが、蠅と虻の羽音とともに絶えず男の意識に運ばれる。


「付いてこい」


「……えっ?」


「三度目はない。付いてこい」


「ひぇ、は、はいぃ……で、でもなんでぇ?」


怯えた眼、そして調子のまま、翼を生やしたほぼ全裸の女は男の隣へと移動する。


足を使い進み始めた男。見える先には嫌に黒ずんだ森。


荒野を浮遊する淫魔は、遙か遠くから聞こえる亡者の行進を聞く。


魔力を使い、男を捕らえることを試みてもよい。普通の魔族ならば、懲りもせずそう考えただろう。


しかしこの淫魔は争いを好まなかった。そして臆病であった。


なによりも危険を避けることに対しては極めて有能であり、本能がこの男に従うことを選択したのだ。


艶やかな赤い髪。揺れる豊満な胸。股間と胸部を覆うのはほんの僅かな布。


普通の男ならば、その色香に迷い、露骨に視線が寄せられるであろうその肉体。


しかし男は一顧だにせず。不機嫌そうな顔で足を動かしていた。


「道案内が必要だ」


「わ、わぁ……すんごくごもっともな理由だね~」


「ふん、いい加減、雌臭い。少し緩めろ」


「む、無理言わないでほしいよ~、天然のフェロモンなんだよ~?」


しかし男は返事をせず、ただただ足を進めるのみだった。


淫魔は逃れる隙を失い。そしてまた僅かではあるが好奇心を抱いて、男の後に付いていくことにしたのだった。







騎士の男と淫魔の女は、驚くほどに黙々と、そして当て処もなく歩き回る。


「ねぇ~、あなたの名前は~?

あたしはぁ、アル・リリー!」


騎士エクレースとでも呼べ」


「ぶぅ、それ名前じゃないよね~」


「剥奪されたのでな」


言い合う二人は、黑い幹、黑い葉の茂る森を進む。


獣も鳥も見当たらない静かな森は、硫黄の匂いが漂う地獄の周辺林。


「ここはなんだ?」


「ん~とね~、外の森かなぁ?」


「疑問系で喋るのをやめろ」


「だって~、あたしだってこの辺りそんなに来ないしぃ」


頬を膨らませながら、僅かに赤褐色の混じった肌を紅潮させる。


見る者を惑わせずにいられない淫らな艶やかさを、男は物ともせずに見上げている。


寝転ぶような姿で、空を漂う淫魔の尻や股、胸に脇の谷間が幻惑するように男の視界に入るが、


男は全く、物ともしない。


「なんか傷つくよぉ?」


「……この辺りはそもそも何だ?」


「えっ? あ、え~とね~、地獄の一番そとがわでねぇ。


地獄に落とされたばかりの魂がね~、並んでぇ、この先でねぇ、


どの地獄に行くのか決まるのぉ」


「ふむ、噂に聞いたことがある。


審判の行進路と言われているものか」


まるで誘うように空中に寝転ぶ女の苦笑が聞こえる。


「聖騎士だったんだよね~?」


「うむ、他人事に聞こえるのは俺が殆ど教会に近づかなかったからだな」


「聖騎士だったのに~?」


男は腕を組み、まるで夜の闇に居るかのような硫黄の暗黒林を睥睨する。


「それは難しい問題だな……単純に言うのなら、貴様らのような存在を狩るのが楽でな、


そればかりやっていた」


「……こ、こわっ!?」


漂う女を置いて、男は進む。


享楽的で楽天的、純粋で無垢。


悪意無く人の精を啜り、女を孕ませ、男を交わり、


人の心を操る淫魔族。


しかし、人の世に侵入することさえ不可能なほどに未熟なこの赤い髪の淫魔は、


持ち前の好奇心を満足させるだろう、騎士に追随する。


柔らかなピンクの舌が、形のよい唇を震わせた。



「どうして死んだの~?」


と淫魔の少女が訊ねたのは、森の中を進んでからだった。


これぐらいで怒ることはないだろうという、少女の分析は当たっていた。


彼は矜持を持っていない。


怒ることはなく。行うべき事を行うだけの性質を主としていた。


とはいえかつては機械そっくりだった彼の意識も、


神と邂逅し、地獄に落とされてからは幾分、緩みを得ていた。


「迷宮でな」


「ああぁ! 通り道!」


「貴様らにとって通り道で、俺たちからしてみれば、害虫の這い出る巣穴の入り口だがな」


苦笑する淫魔。


全く動じず、色香に惑わされない不思議な男。


淫魔アル・リリーの楽しんできた人間の魂には滅多にない性質。


男とみれば淫欲を心に宿しているものと信じ切っているリリーにとっては新鮮そのもので、


起伏、傾斜、視界不良、構わず進む騎士を見る瞳は興味深げだ。


「っと」


「ん? ああぁ!」


二人が止まった理由は簡単。


行き止まり。いやただしくは通せんぼ。


倒れた大木。巨大な岩肌のような表皮。


ささくれは見当たらない。男の身長の三倍もあるような高みと厚みを誇る倒木だ。


「どうするのぉ?」


「……」


男は踵を返す。リリーは騎士が引き返すのかと考える。


が、騎士は停止。


そしてまた振り向いた。


「どうしたのぉ?」


「ふんっ!」


息を込める。力がこもる。


男は射殺すような瞳で巨倒木を見つめている。


「な、なに~?」


間延びした口調には、奇怪な行動を取った男への戸惑いが滲む。


「ふぅ……すぅ……」


何もかも吐き出すような気勢。


そして身体の奥深くにため込むような吸入。


気息は深く、長かった。


眼をまんまるにしてその様子をじっと見る淫魔を尻目に、深く眼を瞑った騎士は呼吸を繰り返す。


そして一拍の間をおいて、


「はあぁッ!!」


竜の鼾かと思える程の気勢が放たれた瞬間、男は拳を構えた体制のまま淫魔の視界から消えた。


そして次の瞬間に、


鳴り響く、


轟音。


巻き起こる土煙と、粉砕される無機物の音。


積み重なるように爆音が響き、しばしの時間が過ぎ去って、煙が晴れるとそこにあるのは、


腰を少し下げて、右拳を突き出した体勢の男と、粉々に砕け散った倒木の一角。


「ひ、ひぇぇ」


思わず間抜けな驚きの声が響く。


「ふん」


事もなさげに男は構えを解いて、進み始める。


慌ててついていくのは淫魔の少女。


角が驚きに震え。尻尾が面白い物を見たと喜びに揺れる。


そして心中、金輪際この男に逆らわず、不穏な真似はしないという誓いが生まれた。


粉々になった倒木の上を進む騎士が五〇歩進み、その倒木の範囲は過ぎ去る。


如何なる厚みを貫通したのであろうか、男の拳は。


身震いしながら漂う淫魔は、そう思った。







「騎士の旦那ぁ!」


「なんだ淫魔サキュバス


「いやだな~、だんなぁ、リリーって呼んでくださいよぉ」


鼻で笑って男は進む、かつて朧気に見えた河、泡に包まれた大河が目前へと見えてきた。


地平の先まで続くように見える悪意の大川を睨むように見つめる男。


「ここがぁ、未明の河です~」


蜂蜜を思わせる甘みの滲んだ声が、男に擦り寄るように放たれる。


「流石にこれを渡ることはできないか……」


言いながら騎士は顎を撫でた。


その目は、視界に入ったアル・リリーの背中に生える小さな羽に向けられていた。


「む、むりですよ~?」


「むぅ、そうか」


舌打ちをした男を、信頼とも信用とも、尊敬とも淫欲とも、


好意とも悪意とも、好奇ともとれる無数の感情の混じった瞳で、


揶揄するように見る淫魔は冷や汗を流す。


「あ、でも~、私に乗るのなら何時でも歓迎~」


極寒を思わせる冷厳な視線が淫魔へと向けられた。


「あっ、いいその瞳、ってあ、うそ、嘘です、冗談ですよだんな!」


「つまらないことを言うな」


言われた淫魔は己の胸を強調するように腕を組みながら、ぺろっと唇に舌を載せて、目を逸らす。


見なかったことにした男は、響く大河の流れる音。


泡の弾ける音の途切れない連鎖。


黑い赤光。灰の空。黒雲。地平まで続く蠅の大群の飛ぶ様を見る。


空中には蝗の群れ、鴉の群れ。


地底から響くのは溶岩の煮立つような音。


それらに耳を澄ませながら、騎士は、黙々と大河に沿って下っていく、


「本当にこの先に」


「ありますよぉ! この先に法務官『審判者ミノス』が居ますぅ」


そこにしか船乗りは居らず。


有罪の咎人はそこで、罪に見合った地獄へと向かう船へと乗せられる。


生前行った善行に見合った硬貨。


生前行った悪行に見合った羽。


それぞれの重みを地獄の天秤で量るのだ。


「あぁ! 見えましたぁ!!」


旦那、旦那と呼びかける、淫魔の視界の先には巨大な牛頭の男が一人。


その横には多少サイズは落ちるものの、同じく巨大な黑犬顔の巨人。


「副審判のぉ、『証罪者アナ=マクシムス≒ベイス』」


噂に違わぬ異様を誇った巨人の悪魔が二柱。


役人根性をはたらかせ、粛々と仕事を進めている。


遠く騎士と淫魔は目に入ってないのか、


黄金と白銀に輝く神殿に並ぶ無数の悪の魂の重みを、ただ量っている。



罪の軽罪、本質的に罪在りとされた物がこの地に落とされるのだ。


そも罪人以外はここに訪れない。


そしてまた罪の軽き者も、この地には滅多に訪れない。


悪に善に、懸命に生きた者が神はお好みだ。


思い切りのよい悪か善、神の気に入ったものが、天に、そして地獄に送られる。


罪の軽重を量り、そしてその償いを終えた者は、何時しか悪魔へと変貌する。


これら地獄の審判は将来の同胞の位階と格を量っているに過ぎなかった。


「あ、あれぇ?」


「どうした」


「定期便来てないみたいです」


「定期便?」


「乗り合い船ですよぉ、こんな辺境でも一応観光に来る人も居ますからね~」


すぐそこの傾斜を降りれば、審判の二神が居るという地点にある、


ブリキの大看板と木の桟橋を前に困ったように淫魔は唸った。


「あとどれぐらいで来る」


「……わからないです、だんなぁ」


「……適当な仕事だな」


「悪魔ですから~♪」


笑って空中に寝転がる少女淫魔の尻肉が、突き出されるように騎士の前にある。


蕩けるような甘い匂いを前にしても、顔面の筋肉を微動だにさせず、騎士は欠伸をする。



「待てばぁ、海路のひよりありぃ、ですよぉ?」


「待つのは得意だ。好きではないがな」


木の桟橋は、腐土に比べて上等な椅子になる。


男は腰を下ろして、遠く大河の地平を眺める。



泡が無数に湧き続け、弾け、死臭を立ち上らせていた。


空は灰色、雲は黒。太陽は赤へと変わっていた。



「赤?」


「暁ですよぉ?」


「夕暮れには赤くなるのか」


「ええ~、地上は違うのですか~?」


眠たげに瞼をこする淫魔、揺れる胸、マシュマロのようなそれに赤光が投げかけられる。


神秘性を帯びた妖艶さに、似つかわない幼さを持った顔が傾げられる。


「まあな」


「不思議ですねぇ」


「……しかしどうするか」


「どうするぅ?」


「この地獄で俺が何をすればいいのか、だ」


ただ淡々と呟く騎士の声に力はない。


男はそもそも、空疎であった。


することはない、したいこともない。


なんとなく生きていた。


かつては違ったような気もしたが、失った物が多すぎた。


戦争に出た、革命にも参加した、闘奴でもあった。


騎士となった、暗殺もした、悪魔狩りが仕事となった。


戦って、殺して、失って、殺して、死んだ。


己の一生を振り返ってもそれしか浮かんでこない。


したいことはない。 なにをすればいのか。


「ええとぉ、だんなぁ、もしかしてぇ、この先ぃ、何をするのか決めてないのぉ?」


「……そうだな、……うん、その通りだ」



目をまん丸にして、首を小さく傾げる淫魔。


なめらかな肌が、誘うように汗を流している。


幼さと艶やかさ、無垢と淫欲の同居。


「旅を……」


「えぇ、なぁんですかぁ?」


「いや、……旅をして、心の虚ろを埋めろと言われたことを思いだしてな」


「じゃあ~、とりあえず次に何処に行くのかは自由ってことですかぁ?」


「ふむ、そうだな、……しかし自由か」


苦みを帯びた言葉に痙攣するように笑った淫魔は、騎士の顔が珍しく感情を映し出すのを見た。


なにをすればいいのか、わからないという赤子のような苦悶が皺となって表れた。


「女にはぁ興味ないんですかぁ?」


「ない」


「見事に言い切りましたねぇ!」


「分からないのだ。昔は抱いたような気もする。

しかし今の私には、興味がそそられない、全くな」


座る男の目前にまで移動する淫魔の羽ばたきは、どこか悩ましげで優しい。


その肉の付いた肢体、豊満だが、どこか幼さが残る肉体をこれ見よがしにくねらせる。


燃えるような赤が波立、騎士の引き締まった肉体へと絡む。


「むぅ、やっぱり反応しません~」


「無駄なことはよせ」


「まあ~、いいじゃないですかぁ。


考える必要がないことは考える必要のないことはぁ、考えなくても。


明日には明日の風が吹くっていいますよぉ?」


「気楽な淫魔サキュバスめ」


「それが淫魔というものです~♪」


その言葉に従う訳ではないが、男は思考を放棄した。


垓下、傾斜の下に並ぶ全裸の魂は足のない男女の影とも言える。


その中に、髭面に覆われた巨漢の魂が嘆くような、怒るような顔で並んでいるのが、


男には見えた。


醜い傷跡を隠すことなく、二柱の巨人的悪魔を見据えるのは山賊めいた男。


「知り合いですかぁ?」


「あの男」


言うが早いが、傾斜を駆け下りる騎士。


二柱の悪魔が座す神殿の中、並ぶ柱は古砂漠文明様式。


農民が身に付けるようなブレを着た騎士は、駆けつけた男の顔を見据える。


「そこにいるのは」


「そこにいるのは……ああ、騎士。


いや狂戦士、狂える炎のヴァンネクス!」


嘆く巨漢は振り向いて、騎士の名前を呼び捨てる。


「その名は捨てた、己は名乗らん。


今はただの騎士に過ぎない。聖騎士長アルフォンド殿。


閣下は如何なる故をもってこのような場所に?」


無表情の騎士は問いかけるが、その声音には興味が欠落している。


それを知ってか知らいでか、巨漢の聖騎士アルフォンドは嘆くの表情を浮かべて笑う。


「ああ、地獄の風景。知る者がいないことがせめてもの幸いと思ったが、しかし神は惨いことをする」


「罪を、自覚しておられるのか」


羽ばたく音が徐々に近づき、淫魔が傾斜を駆け下りた騎士の隣に漂い巨漢の顔を睥睨する。


聖騎士長アルフォンドは、確かにその時、その一瞬、小さな顔の愛らしい淫魔の芳醇な肉体に視線を送った。


そしてまた厳めしい顔を、嘆く顔を。


「ああ、罪、罪に塗れている。


俺はどうしようもない男だった。


だが、肝心の罪は。……あぁ、どうか聞かないでくれ」


騎士の隣、小さな角が花のように揺れ、花顔の淫魔が猫の如き笑みを浮かべる。


「おいしそうですねぇこの人~」


「やめろ」


静止の言葉にも従わず、発情しきった雌猫の如き眼差しを、雌犬のような淫香を、聖騎士の男に投げかける。


まるで全て分かっているとでも言うように。


「ああ、そんなそんな目で見ないでくれ、美しい少女。


あぁ美しい花、ああお前は旨そうだ。いやいや、やめろ、やめてくれ!」


その時、列が動き、まとめて聖騎士の前に並んでいた魂が動き始める。


「……俺たちの番だ」


嘆く声には応じず、列から一歩離れた騎士の男を、聖騎士は驚きの目で見つめ、転じて、恨みがましい目で睨んだ。


その眼差しには次第に怒りが募っているのが分かる。


「お前は、何時もそうだ! 貴様などいなくてもなぁ!」


「静粛にしろ、罪深き者」


「静粛に、静粛に」


牛頭巨人の厳かな声と反響する黑い犬頭の声。


「おお、判決を受けるべきものはあそこにも居るぞ!」


聖騎士アルフォンドは叫ぶが、悪魔は首を振る。


「如何な悪魔も知らぬ判決。


知らぬ評決、想定外の存在。


しかし我らは審判。


我らは神の僕なり。


かの者は神から実体を与えられし聖死者。


悪魔にも似た、特別の罪人。


死者であり死者で無きもの。


我らのみ分かる、我らが見逃すはずがない。


例え王侯貴族が見逃せど、この地獄において我らがそれを見逃すことはない」


「見逃すことはない! 見逃すことはない」


そうして騎士の方を一瞥した悪魔は嘲笑うように啼き、


天秤を用意する。


「うぅ、俺は」


「貴様の銭を寄越せ」


見よ、かつて聖騎士として地上の聖なる盾として、


迷宮から這い出る悪魔を尽く討ち滅ぼしてきた男の哀れな様を!


その巨体も既にしなびたようにさえ見える。


震える手をどうにか抑えて、聖騎士は懐を跪いて掲げる。


牛頭のミノースが顎をしゃくり、それに応じて黑犬頭のアヌが槍を掲げる。


大気に満ちる如何なる魔力の反応か、男の掲げた袋は、重力を失い、まるで海月のように浮き上がる。


自らの意思で天秤の片側に載るその袋を、一心に見つめるのは聖騎士アルフォンド。


後背に立ち並ぶ、無数の罪人の魂は、縋る聖騎士を冷笑し、そして袋の中身がより軽いことを望む。


「ほう、中々の重み。


さぞや我らの同胞を殺してきたに相違あるまい!」


「相違あるまい! 相違あるまい!」


「うぅ」


憎しみにも似た顔で、悪魔は狡猾そうに笑い出す。


その言葉に顔色を蒼白にするのは聖騎士。


相変わらずの無表情でそれを眺める騎士の男と、


興味深げにそれを眺める無垢な淫魔。


「だが、安心せよ。


我らはこの世で最も公平にして、最も忠実な罪の審判者。


さあ羽を。


羽を頂こう!」


「頂こう! 頂こう!」


聖騎士の
























ここでおしまいなんだ。ごめんなさいね。

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