死の数だけ、鉄は応える
酒と汗の匂いが混じり合うエルドニアの冒険者ギルドは、いつもと変わらぬ活気に満ちていた。その喧騒の中心で、一つの声がひときわ高く響いていた。
「だから! あの靴とヘルメットがあったから、私は助かったの!」
リリィ・エールだった。彼女はカウンターに身を乗り出し、受付嬢や周りの冒険者たちに必死に訴えかけている。その手には、泥にまみれた俺の作った滑り止め靴が握られていた。
しかし、周囲の反応は冷ややかだった。屈強な鎧を着込んだ男が、ジョッキを片手に鼻で笑う。
「おいおい、嬢ちゃん。運が良かっただけだろう。あんな鉄屑の塊が、ゴブリン洞窟の落盤から命を守っただなんて、冗談も休み休み言え」
「そうだ。そもそも、あんな不格好なものを装備と呼べるかよ」
酒場の隅で武具の手入れをしていたベテランらしき鍛冶師も、こちらを一瞥して吐き捨てる。
「鉄屑で作った安物のまぐれだ。あんなもので命が救えるなら、俺たちの商売はあがったりだ」
嘲笑の波が、リリィに浴びせられる。彼女の顔が悔しさで歪むのが、少し離れた場所からでも分かった。それでも、リリィは怯まなかった。靴を胸に抱きしめ、真っ直ぐに彼らを睨み返す。
「笑いたい奴には笑わせておけばいい! 私の命は、アキラが作ったあのガラクタに救われたんだから!」
その言葉は、俺の心に真っ直ぐに届いた。
*
翌日の昼過ぎ、リリィは俺が働く鍛冶工房にやってきた。冒険者ギルドでアキラの居場所を尋ねてきたのだろう。親方の怒声と金槌の音が響く中、彼女は作業場の隅で雑用をこなす俺を見つけ、駆け寄ってきた。
「アキラ! 探したよ!」
眩しい笑顔だった。昨日ギルドで向けられていた侮蔑の視線など、微塵も感じさせない。
「リリィ。その腕、まだ治っていないのか」
俺の視線は、彼女の腕に残る痛々しい擦り傷に落ちた。包帯は巻かれているが、端が少し赤く滲んでいる。
「あ、これ? へーきへーき! このくらい、冒険者ならかすり傷だよ」と彼女は腕を振るが、その動きはどこかぎこちない。
「それより、改めてありがとう。本当に、アキラのおかげで生きてる」
その言葉には、一点の曇りもなかった。
「……役に立ったなら、良かった」
俺がそう答えるのが精一杯だった。彼女は少し黙り込んだ後、ギルドでの一件を気まずそうに報告してくれた。悪戯っぽく笑うと、擦り傷の残る腕を俺の目の前に突き出した。
「次は、転んだ時の打撲にも強い防具があったら嬉しいな」
無邪気な依頼。だが、俺にはその言葉が重く響いた。彼女の絶対的な信頼。それに応えきれていない、俺の装備の不完全さ。ヘルメットと靴は、落石と足滑りには対応できた。しかし、転倒した際の衝撃までは防げない。
決意するには、十分すぎる理由だった。
「…わかった。作ってみる」
*
その夜、俺は工房の屋根裏にある寝床で、親方から雑用の追加を条件に譲ってもらった羊皮紙の切れ端を広げていた。手元には、作業台の下から拾い集めた革の端切れ、寝床の藁を少しずつ抜き取って束ねたもの、それに捨てられていたボロ布。使えるのは、これらの最弱素材だけだ。
灯りは、親方の目を盗み、工房の隅から失敬した蝋燭の切れ端一本。その揺れる光の下で、俺は木炭を手に「衝撃吸収プロテクター」の設計を始めた。
問題は、どうやって衝撃を殺すか。
前世の記憶がおぼろげに蘇る。バイクのヘルメット。内側には軽くて脆い、あの白い緩衝材が詰められていた。あれは、素材自体が潰れることで衝撃エネルギーを吸収していたはずだ。要するに、硬さだけでは不十分。重要なのは「力を受け流し、分散させる」構造だ。
藁をどう編めば、潰れながら力を逃がせるか。革の端切れをどう配置すれば、衝撃を一点に集中させないか。鉄屑は、外殻としてではなく、内部の構造材として使えないか。
思考が回転する。死の記憶が、指先を動かす。
*
数日後、最初の試作品が完成した。腕に装着する、革と藁と鉄屑を組み合わせた不格好なプロテクターだ。これをテストしなければならない。だが、誰かに頼むわけにはいかない。俺の設計ミスで、誰かが死ぬことなど絶対にあってはならない。
だから、俺がやる。俺には、死に戻りがある。
完成したばかりのプロテクターを試すため、親方の目を盗んで工房を抜け出した。夜の闇に紛れて、俺は街外れの廃墟に来ていた。石造りの壁が、月明かりにぼんやりと浮かんでいる。
プロテクターを装着した右腕を構え、壁に向かって走り出す。平均以下の身体能力。速度は出ない。それでも、テストには十分なはずだ。
壁にぶつかる瞬間、腕を突き出す。
ゴッ、と鈍い音がした。プロテクターが衝撃に耐えきれず、砕ける感触が腕に伝わる。まずい、と思った時にはもう遅い。受け身を取り損ねた体が壁に叩きつけられ、側頭部に激痛が走った。
視界が、暗転した。
*
――また死んだ。
意識が戻ると同時に、脳を内側から締め付けるような激しい頭痛が襲う。骨が砕けるあの瞬間の感触が、右腕に幻痛として蘇る。吐き気をこらえ、震える手で羊皮紙に書き殴った。
「失敗原因:衝撃に対する垂直構造の脆弱性」
この痛みは、無駄じゃない。
死んだおかげで、『なぜ死んだか』が分かった。
垂直に配置した鉄屑が、衝撃を吸収する前に構造自体を破壊してしまった。次は、力を斜めに受け流すように配置を変えよう。藁の編み方も、もっと密度を上げて。
そこから、地獄のループが始まった。
テスト、死亡、分析、設計修正。
二度目の死は、プロテクターが衝撃を横に逃がした結果、バランスを崩して鉄骨に腹を貫かれた。失敗原因:衝撃分散の方向制御不備。
同じ死に方を繰り返すほど、頭痛は酷くなり、死の記憶は鮮明になる。精神が削られていくのが分かる。だが、止めるわけにはいかなかった。リリィの顔が、脳裏に焼き付いている。
そして、三度目のテスト。
改良を重ねたプロテクターは、壁との衝突に耐えた。衝撃が腕全体に分散されていく。いける、と思った。
だが、勢いを殺しきれなかった。逃がされた力のベクトルが、俺の体を予期せぬ方向へ押し流す。
足元にあった瓦礫に足を取られ、体が宙を舞う。
視界の端に、剥き出しになった鉄筋が見えた。
腹部に、熱い杭が打ち込まれる。
意識が急速に薄れていく。血の匂いと、鉄の錆びた匂い。
痛みに霞む目で、俺は自分の腕に装着されたプロテクターを見た。それは壁の衝撃で歪み、ひしゃげていた。その変形した方向を見て、俺は、死の淵で悟った。
「……なるほど。力を『逃がす』方向が、一点に集中していたのか」
分散させたつもりの力が、結局は一つの方向へ俺を突き飛ばした。これでは意味がない。多方向に、鱗のように、いなさなければ。
鮮明な気づき。これを、持ち帰らなければ。
俺は、静かに死を受け入れた。
*
その頃、エルドニアの商人ギルドの一室。
豪奢な椅子に深く腰掛けた男、ゼノス・ヴァルガスは、机に広げられた報告書に目を通していた。
「……ふむ」
彼の指が示したのは、エルドニア周辺の「鉄屑」の市場価格が、ここ数週間で僅かに上昇しているというデータ。加えて、ギルドに登録された新人冒険者の初期装備購入リストに、奇妙な傾向が見られるという付記。
「計算外の生存者を生んだ、あの鉄屑か。面白い玩具が現れたものだ」
ゼノスは、口元に冷たい笑みを浮かべた。彼の計画では、新人冒険者の死亡率は、特定の鉱物資源の価格と連動するはずだった。その些細な計算のズレが、彼の興味を引いた。
「ふむ…鉄屑が金になるか、あるいは私の計画の邪魔な石ころになるか。見極めさせてもらいましょう」
彼は静かにベルを鳴らし、影から現れた部下に短く命じた。
「あの鍛冶工房の見習いを調べろ。金の匂いがするか、潰すべき虫か、だ」
*
頭痛と吐き気の中で、俺は屋根裏の寝床に転がり込んでいた。
だが、休んでいる暇はない。
死の直前に掴んだ閃きが、消えてしまう前に。
俺は羊皮紙を掴むと、憑かれたように木炭を走らせた。
鉄屑を小さな鱗状に加工し、少しずつ重ね合わせる。その隙間を、圧縮した藁と柔らかな布で埋める。外装は、複数の革の端切れをパッチワーク状に縫い合わせ、鱗状の鉄屑が衝撃で動けるだけの遊びを持たせる。
不格好だ。だが、合理的だ。
これなら、あらゆる角度からの衝撃を、鱗を滑らせて多方向へと受け流し、減衰させられる。
数度の死を経て完成した設計図。
俺はそれを手に、静かに呟いた。
「リリィ…。君の無茶な依頼に応えるには、これしかない。…次は、絶対に死なせないための試作品だ」
羊皮紙を握る手に、力がこもっていた。




