最強だと言った夜、彼は一人で戦うと決めていた
悠真の言葉を聞いた瞬間、堪えていたものが一気に溢れた。
「……っ……」
声にならないまま、涙だけが零れていく。
気づいた時には、強く抱きしめられていた。
「……泣かせたかったわけじゃない。」
低い声が、すぐ近くで震える。
「こんな顔、見たくなかった……」
腕の力が、ぎゅっと強くなる。
「でも……今さら、手を離すなんて……できるわけない。」
その声に、苦しさが混じっていて。
「……分かってるだろ。今の状況で、お前を一人にしたら……」
少しだけ、言葉を探す間。
「……捕まった女が、どうなるかなんて……嫌ってほど見てきた。」
……分かる。
でも、聞きたくなかった。
「薬漬けにされて、売られて……壊れていくの、何人も……」
悠真の声が、低く、重くなる。
「……緋依を、そんな目に合わせるくらいなら……」
そこで、言葉が詰まった。
「……三年前の選択、今でも……後悔してる。」
その一言で、胸がぎゅっと締めつけられた。
「もし、あの時……俺が消えなければ……」
「……は?」
思わず、顔を上げた。
涙で滲んだ視界の向こうで、悠真が驚いた顔をしている。
「何言ってんの。」
思ったより、強い声が出た。
「私ね、悠真が居なくなってなくても、この真実、絶対たどり着いてたから。」
悠真の目が、見開かれる。
「むしろ……」
私は、彼の胸元を掴んだ。
「悠真が消えたからこそ、私、必死で走った。
だから、こんなに早く、ここまで来れた。」
「……緋依……」
「今さら後悔しないで。」
涙を拭うこともせず、そのまま続ける。
「この三年間、後悔しない日なんて、なかったでしょ。
それでも、生きて、ここまで来たんでしょ。」
私は、彼の顔をまっすぐ見た。
「……今、二人なの。」
その言葉に、悠真の呼吸が止まる。
「一緒にいられてる。隣にいられてる。」
指先が、彼の服をぎゅっと掴む。
「二人なら、最強だよ。」
震えながらも、笑った。
「負けないし、諦めない。」
そっと、彼の胸に額を寄せる。
「だって……一番安心できる腕が、いつもここにあるんだもん。」
しばらく、何も言葉が返ってこなかった。
代わりに、もう一度、強く抱きしめられる。
「……ほんと……敵わない。」
耳元で、掠れた声。
「そんな顔で、そんなこと言われて……」
少しだけ、間があって。
「……離れる選択肢なんて、最初からなかったくせに。」
そう言って、額に、そっと口づけが落ちた。
さっきよりも、ずっと優しいキス。
「……一緒に生きる。何があっても。」
その言葉に、胸の奥が、あたたかく満たされていく。
私は、彼の背中に腕を回した。
「……うん。一緒。」
悠真がテーブルの上のノートパソコンを開いた。
起動音が、やけに大きく聞こえる。
「……兄の用意、周到すぎだろ。」
ネット回線も、生きている。
位置情報も、追跡されないよう細工されているらしい。
……本当に、全部整えられている。
「……見られてる、って感じするね。」
ぽつりと呟くと、悠真が一瞬だけ苦笑した。
「多分、実際見てる。」
「……やっぱり。」
でも、不思議と怖くはなかった。
むしろ――
「……生きてるなら、それでいい。」
私がそう言うと、悠真は何も言わずに、そっと頷いた。
画面に表示されたのは、暗号化されたフォルダ。
開くと、地図と、いくつかのファイル名。
「……全部は、まだ渡してないな。」
「うん。……段階的、って感じ。」
まるで、私たちの動きを読んでるみたいで、少しだけ背筋が寒くなる。
でも。
「……今夜は、もういい。」
私がそう言うと、悠真は少し意外そうな顔をした。
「……いいのか?」
「だって……今日は、ここまで来れただけで十分。」
そう言って、ソファに座り込む。
「……今夜は、逃げない時間がほしい。」
悠真は、少しだけ迷ってから、ノートパソコンを閉じた。
「……じゃあ、今夜は休戦だ。」
そう言って、私の隣に腰を下ろす。
……近い。
でも、さっきまでみたいに緊張してない。
ただ、静かで、あったかい。
「……ねぇ。」
「ん?」
「……数日くらい、何も起きないといいのにね。」
悠真は、少しだけ視線を逸らしてから、私の肩を引き寄せた。
「……起きないとは、言えない。」
「……だよね。」
「でも。」
私の髪に、そっと顎を乗せる。
「少なくとも、ここにいる間は……俺が全部、受け止める。」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
「……頼もしい彼氏で助かります。」
冗談めかして言ったら、鼻先に軽くキスされた。
「今さら逃げられると思うな。」
「……逃げないし。」
そう返したら、ふっと笑う気配。
外は、すっかり暗くなっていた。
山の夜は、静かで、少し怖いくらいに静かで。
それでも――
今夜だけは、世界が止まってくれている気がした。ベッドに腰を下ろした瞬間、身体の力が一気に抜けた。
「……はぁ……」
「……無理させすぎたな。」
そう言って、悠真が私を引き寄せる。
倒れるみたいに、彼の胸に顔を埋めた。
「……大丈夫……」
そう言いながら、瞼が、重い。
今日のことが、頭の中でぐるぐる回って、
それでも今は、この腕の中が、あまりにも安心で。
「……このまま、離れたくない……」
小さく呟いた私に、悠真の腕が少しだけ強くなる。
「……今日は、もう何もしなくていい。」
押し倒される形になって、ぎゅっと抱きしめられる。
それだけで、胸が満たされていく。
「……悠真……」
名前を呼んだつもりだったのに、声は途中で消えた。
次に意識が落ちる直前、
額に、やわらかい感触。
……キス、された気がする。
でも、もう、考える余裕もなくて。
そのまま、眠りに落ちた。
悠真は、しばらくそのまま動かなかった。
規則正しい寝息を立てる緋依を、静かに見下ろして。
「……ほんと、無茶しやがって……」
そう呟いて、髪をそっと撫でる。
額に、もう一度だけ、軽く口づけ。
それから、毛布を引き上げて、肩までかけた。
「……すぐ戻る。」
眠っている彼女にそう言い残して、静かに部屋を出る。
リビングに戻ると、ノートパソコンを開いた。
さっき見たデータ、もう一度。
……やっぱり、間違いない。
「……やっぱり、来てるな……」
自分の持っている情報と照らし合わせる。
警察内部の動き。
裏の連絡網。
そして、三年前の事件と、今の線。
全部、繋がっている。
「……言えるわけないだろ……」
小さく息を吐く。
今、あいつに言ったら、絶対に止まらない。
自分を危険に放り込むのが、目に見えてる。
「……そんな賭け、させられるか……」
画面を見つめたまま、拳を握る。
「……颯斗さん。」
低く、名前を呼ぶ。
「……緋依は、必ず守る。」
視線を上げて、夜の闇を見る。
「……何があっても。俺が。」
それが、自分にできる、唯一の選択だった。




