血に宿る借り
「ここはノフスドーズ、地なる天の間じゃ。ここで見たことは秘密にせいよ。」
老人は一同に念を押すと『トリィ』と呼ぶ。
すると時間をおいて奥から人影が現れた。
「なんだい、爺さん。アタイは今、睡眠中だよ。」
出てきたのは異様な人間。
紫黒の肌に赤い瞳を持つ、短い白い髪の女性だった。
何よりも目を引いたのは横に長い耳だ。
シーナが呆気に取られているとメフェルが呟いた。
「影人……。」
それは絶滅したと思われていた種族だ。
影のエルフと呼ばれる耳の長い種族。
「あ?なんだ?そいつら……まさかよそ者を連れてきたのか?」
トリィと呼ばれた女性は老人を睨みつける。
しかし老人は臆せず、ラガルをそばに寄せるとその首元の輪をトリィに見せた。
「これじゃ、服従の首輪。この者の首輪を取ってやれぃ。」
「けっ、やなこった。」
彼女はラガルの首輪を見て忌々しげに唾を吐いた。
「それは大戦のときに、魔族を押さえつけるために生み出された小人の業だ。なんでアタイが尻拭いをしなければならんのさ。」
トリィは口を歪ませる。
「そいつの中で、何かが起きてるな。嫌な“音”がする。」
より一層、嫌な顔をした。
そのとき風が“ひゅう“と鳴る。
鍛冶場の火が揺れて、近くに置いてあったランプの灯火が消えた。
誰もが一瞬、風の音に耳を奪われる。
しかし静寂の中に風の音は消えていった。
(……淀む。)
ラガルだけが胸の奥に微かなざわめきを覚える。
痛みとは違う、押し込められた何かが“息を漏らした”ような感覚。
メフェルだけがほんの一瞬、ラガルの横顔を見た。
(いま……風?いいえ……気のせい。)
トリィはジロジロとラガルを見ると質問する。
「あんた、これどうして付けられたんだ?」
「知らぬ、魔術師に捕まったと……記憶している。」
「人間如きに捕まるようなやつ、魔族の端くれにも置けないね。死んじまいな、そのまま。」
その言葉にメフェルは思わず杖を構える。彼女が言葉を発するよりも早く、イーヴァが杖を手で掴んだ。
一瞬、メフェルの瞳に火花が走る。
トリィはぎょっとしたのか、少し押し黙って、再び口を開いた。
「悪いけど……アタイはよそ者を信用できない。帰ってくんな。」
彼女の赤い目が伏せられる。
「……信じられるわけない。“灰の目”が、何をしたか……!それを信仰する人間なんざ!」
トリィは睨みつけるようにシーナとメフェルを見た。
そして次にイーヴァを見る。
トリィの怒声に、ラガルの瞳孔がかすかに細くなった。
けれど彼は何も言わない。本能だけが微かに反応する。
「ど、どうして……ですか?」
シーナがトリィに尋ねた。
彼女は何かを迷うように歯を食いしばったが、言葉を溢す。
「それは……灰の目一族が私の村を……いや、待て、お前それはなんだ?」
何かを言いかけたところでトリィは、シーナのリュートに目を止める。
そしてシーナが何かを返す前に、トリィはシーナの手からリュートを奪い取った。
「あ!返して‼︎」
シーナがリュートに手を伸ばす。けれどトリィはまじまじとリュートを眺めて、眉間に険しい皺を作っていた。
彼女の顔色が“怒り”ではなく、“恐怖”に近い何かへと変わる。
「これは……なんでお前がこれを持ってる。」
トリィの声が一段低くなる。腹に響くようなその声に、シーナはぶるりと肩を振るわせた。
けれど、彼も宝物を奪われたまま黙っているような男ではない。
「か、返してください!それは祖父から貰った大切な物なんです。」
「祖父……?お前、もしかして――ジークの孫か?名前は?」
「え?シーナです。」
名を聞いた瞬間、トリィの赤い瞳がかすかに揺れた。
短い沈黙ののち、それまで強張っていた顔がゆるみ――笑みが浮かぶ。
「お前、お前かぁ!ジークの手紙のシーナは!知ってるぞ。アタイは鍛冶屋のトリィ、あんたの爺さんの昔の旅の仲間さ。」
「え、え?」
「影人にとって恩は血に宿る。一度刻まれた借りは、代が変わっても消えない。アタイはあの男の血筋にだけは刃を向けられないよ。」
トリィはラガルの首輪をチラリと見る。
そして全員の顔を見ると、少し考えて言った。
「……ふん。ジークの孫が連れてきた魔族、ね。
だったら話は別だ。首輪の件、詳しく聞かせな。」
トリィはリュートを返すと、鍛冶台へ歩き出す。
「来な。ジークの“借り”は、片目だけじゃ返せないからね。」
洞窟の奥へ続く静けさの中、
ラガルの胸の奥で、何かがふっと揺れた――。




