甘い風の中で
「あっ、あーあ……。」
シーナが落胆の声をあげる。これまで大事に履き続けてきた靴がとうとう壊れてしまったのだ。
シーナは自覚がなかったがここ一ヶ月でとんでもない距離を歩いていた。
限界が来るのは当たり前だった。
「どうしたのシーナ。」
ミムラスがシーナの様子に気づいて声をかける。
シーナは笑うと答えた。
「靴壊れちゃった。買いに行くけどミムラスも行く?」
「行くー!」
ミムラスは元気よく応じる。そして少し考えたあと、部屋を飛び出してメフェルとラガルの元へ行くのだった。
「そういえば下町では祭りが始まってるわね。」
メフェルはそう言うと、羨ましそうに目を細める。
「メフェルは行かないの?」
「ラガルを見てなくちゃ。」
寝台の上で微動だにしないラガルをメフェルは眺める。
ミムラスが残念がったのも束の間、スッとラガルは立ち上がると2人の元へ歩いてきた。
「仕立て屋に行く。」
「え?」
「仕立て屋に用がある。」
突然の宣言だった。そのままふらりと扉を抜けようとするラガルを止めて、メフェルは急いで支度をしに行く。
*
「おそーい!」
ミムラスがプンプンと抗議の声を上げる。メフェルとラガルは外出の許可を取って外に出ていた。
少し離れたところに監視役もついている。
「ごめんなさい、ちょっと手間取っちゃって。で、シーナたちはどこに行くの?」
「靴屋です。見てください、底が……。」
「あらぁ、大変ね。」
久しぶりの他愛無い会話を楽しむメフェル。
シーナも何だかこうやって話すのは久々な気がしていた。
ラガルは相変わらず、様子がおかしいままだったが、シーナはこうして集まれたのが嬉しかった。
「ねえ、デカブツ。デカブツは服屋に行くんだよね。どうして?」
ミムラスがラガルに訪ねる。しかし返事が返ってくることはなく、ラガルはただ歩き続けている。
「無視はいけないわよ、ラガル。」
メフェルがラガルに注意する。そうして注意するのは前も同じだったが、今は視線一つメフェルにくれない。
一同は上層から中層に続く昇降機に乗り、下町に続く階段を降りていく。
「おー!」
ミムラスが感嘆の声を上げた。そこにはキラキラと眩い銀の飾りで飾られた街並み。祭りの最中だからか、世界樹が描かれたタペストリーがあちこちに飾られている。
人通りは賑やかで、耳をそばだてるだけで様々な会話が聞こえてきた。
「とある学者がある論文を書いた魔術師をさがしてるんだと。」
「肉〜!肉はいらんかねー!」
「お母さん、あれ買ってー。」
ミムラスは丸い目を輝かせた。シーナも同じように興奮した様子だ。
「凄いわねぇ。」
「騒がしい、風が澱んでいる。」
「風?いつも通りだわ?」
ラガルとメフェルのやり取りを尻目に、二人は歩き出す。色々なものが置いてあった。
イェリホクで見た露店よりも種類が多く、見ていて飽きない。
「見て見て!変な人形。」
「あはは、ミムラスそっくり!」
置いてあった人形を真似てミムラスがポーズを取る。
ミムラスは目についたものを片っ端から手に取っていった。
「こんなの買う人いるの?」
ミムラスが足を止めたのは石の展示品だ。ただ磨かれただけの丸い石が並べられている。
ラガルはふと足を止めると、そのうちの一つを手に取った。
「お目が高い、それはエルフの国の石で波打つような紋様が美しいんだよ。」
店主がラガルに話しかける。
彼の目は途端生気を取り戻したようにじっと石を見つめていた。裏、表、横、くまなく眺めて財布を取り出す。
「買う人いたね。」
シーナがその様子を見てミムラスに言う。
ミムラスは信じられないものを見た顔をしていた。
(前と同じ……工芸品好きだったものね。)
メフェルがラガルを見て誰にも気づかれないまま、瞳に影を落とす。
「甘いのはいかが?甘いのはいかが?王都でしか飲めないタータックはいかが?」
売り子が側を通る、ミムラスがあれ飲みたい!と元気よく指差した。
「タータックってなんですか?」
「知らないのかい、林檎と蜂蜜を牛乳に混ぜた飲み物だよ。僕も一つどうかい?」
シーナが売り子に尋ねると、快く売り子は答える。
じゃあと、シーナは一つ買うことにした。
「そこのお兄さんとお姉さんは?」
「私はいらないわ。」
「甘味か?」
「ああ、そうだよ。」
ラガルはその言葉を聞いて、財布から金を取り出す。
シーナとミムラスは意外そうな顔をしてラガルを見ていた。
「甘いの、好きよね。」
メフェルは目の前にいるラガルが、以前とは違うことをわかっている。だが同じ所を見つけるたび、彼を見てしまってどうしようもない。
「あっま!何これ!」
ミムラスが余りの甘さに声を上げる。
その様子を見ていたシーナも一口含むと吹き出しそうになった。
不味くは無いのだが、あまりにも甘い。
「ん……。」
それをラガルはごくごくと飲み干すと、目を細めて舌舐めずりする。そしてもう一杯注文すると、それもあっという間に飲み干してしまった。
「げー。」
信じられないものを見たミムラスは下品に舌を出す。
シーナもこれには苦笑せざるを得なかった。
「大変、美味だ。」
ほんのわずか、喉が鳴る音がした。
相変わらず抑揚も表情もなかったが、その言葉が最大限の褒め言葉であることは誰もが察する。
ミムラスとシーナはラガルの意外な一面を、メフェルは彼の残り香を感じて、一同はそれぞれの目的地へと向かうのだった。




