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返事のない部屋

「ラガルさん、入りますよ。」


 コンコンと扉を叩く、しかし返事はない。

 部屋にいないのだと判断してシーナは下がった。


 (昨日から様子がおかしかった。)


 苦しそうだったラガルの様子をシーナは思い浮かべる。

 こんなときにやはり何もできない自分が嫌だった。

 すぐ後ろではミムラスが暇そうに手足をぶらつかせてる。


「ラガルいないの?」

「いないね。」


「嘘だぁ、だってさっきイーヴァが部屋にいるって言ってたじゃん。」


「駄目だよ、勝手に扉開けたら。」


 ドアノブに手を掛けようとしたミムラスをシーナが止める。

 慌てたせいで普段なら絶対にやらないような強さでミムラスの腕を掴んでしまう。


「あ、痛っ。」

「ごめん!」


 シーナは慌てて手を離す。

 そして二人で扉の前を離れた。

 そのとき一度だけ振り返る。

 ラガルが中にいる気配はない、けれど――。


 (……静かすぎる。中に“気配がない”のが逆に不自然だ。)


 ミムラスも異変を察したのか、扉の方を睨む。


「ねえ、アイツ本当に大丈夫だよね?」

「うん、大丈夫……だよ。」


 その言葉は他でもないシーナ自身に言い聞かせるようだった。

 二人は何度も扉の方を振り返る。


 ――このとき、ラガルはもう命令を待つ影になり始めていた。


 *


「戻らなくちゃ。」


 メフェルは自己嫌悪していた。

 あんなこと言うべきじゃなかった。

 部屋の中で深く後悔する。


 あんな顔をした人に投げかけてしまったこと。

 そして――ラガルにどう思われただろう。

 それが気がかりだった。


 ラガルの部屋へと向かう。

 ずっと一人にしてるのは怖かった。


 それに早くいつも通りの彼が見たい。

 一縷の望みを込めてドアを叩く。

 しかし反応がない。


 最初はいないのかと思ったが、僅かに気配がする。

 意を決してメフェルはドアを開いた。


 そこには鏡の前で深く呼吸をするラガルがいた。


「なに……してるの?」


 異様な光景にメフェルが口を開く。

 ラガルは答えない。

 ただ石のような瞳で鏡を見るばかりだ。


 その姿は“生きている人間”というより、命令を待つ機械のようで――。


「ラガル、返事をしなさい。なにをしてるの。」

「待機命令が出た。」


 低く短い言葉だった。

 ただそういう彼にメフェルは唇を震わせる。


 (奴隷紋に内面を変える力まではない。ラガル、おかしくなってる。)


 メフェルは慌てて、ラガルの手を引いた。


「ね、ねえ。少しでかけましょうよ。ね?」

「拒否する。」


「そんなこと言わないで、じゃあ命令でもなんでもいいから動いてよ!」


 メフェルは気づいたら泣いていた。

 ポロポロと大粒の涙を流している。

 ラガルはハッとした顔で横を向くと、メフェルの涙を見てギョッとした。


 (泣かせた。)


 焦りと共に不安が大きくなる。

 メフェルにそんな顔をさせるのは初めてだった。

 どうしたらいいかわからずオロオロする。


「ごめんなさい、私……私!」


 メフェルが部屋を飛び出す。

 伸ばした腕は空を掴んだ。

 紋様の痛みより遥かに大きい痛みが胸をつく。


 (なんでだ、なんでこんなに痛む……。俺は間違ってないはずなのに……。)


 自分でもわからない焦燥のままに、立ち尽くす。

 するとそこにイーヴァが入ってきた。


「入るぞ、どうした?メフェルが走ってったが。」

「……せた。」


「え?」

「怒らせて、泣かせた。」


 イーヴァはラガルの前に立つ。

 だがラガルは石像のように動かなかった。


「泣かせたのか?」

「わからない。」


 ラガルの声は低く、乾いていて感情の位置が定まらない。


「どうやって?」


「返事をしなかった。命令が出るまで……動けない。」


 イーヴァの眉が僅かだが跳ねる。


 (紋様の干渉か?いや……違う、これはもっと深いところで何かが噛んでいる。)


 彼はそっとラガルの瞳を覗き込むと尋ねた。

 ラガルの横顔は異様なまでに静かだ。

 心が膜に覆われているように、不確かである。


「ラガル、こちらを向け。」


 その声にラガルは訓練された兵士のように顔を動かす。

 まるで決まっているかのように首を動かして、一定の角度で止める。


 絶対に紋様のせいだけではなかった。

 イーヴァは確信する。


「命令があれば、動ける……。」


 ラガルは表情のない顔で告げる。

 それにイーヴァは問いかけた。


「メフェルが泣いてお前はどう思った?」

「胸が痛かった……でもどこが痛いのかわからない。どうして……いたいのかも。」


 消え入りそうな声でラガルは答える。

胸に手を当てたラガルは初めて痛みを学ぶ子どものようだった。


 イーヴァは思わず、息を呑む。


「お前……感情が消えかけてるんだ。」


 ラガルは弾かれたように顔を上げると、何も映さない瞳でイーヴァを見つめる。


「命令、命令をくれ……壊れる。」


 その言葉は懇願でありながらどこか安堵も含んでいた。


 イーヴァは目を細めた。


(これはもう……紋様だけじゃない。もっと深い場所で人格の崩落が始まってる。)


「ラガル。まず深呼吸しろ。」


 命令が出た瞬間、ラガルの体がすっと軽くなる。

 呼吸が通り、視界が戻る。


「……楽だ。」


 囁きは絶望と安堵が混じった、壊れた音だった。

 その顔にイーヴァは口を一度結び、また開く。


「ラガル、これは紋様だけの問題じゃない。引きずり出されたんだ。」

「なにがだ。」

「お前の中の別の層が。人格が変わったんじゃない。隠れていた方が出てきたんだ……そういう顔だ。」

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