失われゆく輪郭
メフェルは気が気じゃなかった。
自分の知っているラガルが遠くに行ってしまうような気がして。
胸の奥がそわそわと落ち着かず、寒くもないのに指先が震える。
さっきまで横にいたはずのラガルの気配が、今は別人のもののようで――その距離が、恐ろしくて仕方なかった。
だが彼女は彼女で目的を果たさなければならない。
監視役を一人つけて、メフェルは夜の街へと繰り出していった。
美しい街あかり、騒がしい大通りを抜けて彼女は路地裏へと入っていく。
何度か道を間違えて辿り着いたのは、一つの骨董店だった。
「いらっしゃい。」
中には老人が一人、魔道具を磨きながら椅子に座っている。
メフェルは挨拶をすると、目当ての品を尋ねた。
「ヘレーの鏡がここにあるって聞いたのだけど。」
「あるよ。」
老人はぶっきらぼうに言うと、一枚の鏡を差し出す。
透明なガラスで出来たそれをメフェルは受け取ると、ゆっくりと眺めた。
そして肩を落とすと主人に突き返す。
「幻影術のかかったただの鏡だわ。」
「ほう、わかるかね。」
メフェルは薄く笑う、老人は鏡をしまうとメフェルをよく見つめた。
その情熱の灯った瞳は、かつて老人が持っていたものとそっくりである。
「昔、ワシも探したよ。しかしついに見つけられなかった。」
老人は拭く手を止めてメフェルに向き合う。
そして静かに外の護衛を見やると話し始めた。
「お前さんは覚悟があるかい。」
「あるわ。聞かせて。」
老人は椅子を引く。
「氷の土地の奥地にヘレーの乙女という民族がいる、そこの巫女が代々受け継ぐものらしい。」
「ヘレーの乙女……。」
「冥府の番人だ、ワシも実際には会ったことがない。しかし彼らの住む場所は知っている。聞くか?」
メフェルは頷いた。
*
その頃、ラガルは寝台の上で横になっていた。
とはいえ眠ることなどできずに、心臓を抑えて蹲っている。
「いた……い。」
汗が止まらない、心臓の鼓動だけが大きく聞こえた。
ドクドクと血が滲むような音がする。
震える体を抑えて水を飲もうとしたが、鋭い痛みにしゃがみ込んでしまう。
ここに誰もいなくて良かったと安堵する。
誰かに見られたら、弱っている自分が暴かれてしまう。
それだけは、なぜか本能で拒絶した。
その弱さを知られるくらいなら、いっそ一人で倒れた方がいい――そんな考えだけが妙に鮮明だった。
苦しさに喘ぎながら、再び寝台に入った。
体が自由に動かない。
(命令に達してないから……。)
そう思うと惨めだった。
昼間のことを思い出す。
あのとき一緒にメフェルと逃げていれば?
どうしようもない未来が浮かんだ。
(逃げられない……。)
応えるように銀の紋様が脈を打つ。
まるで呪紋が考えることすら監視しているように。
「くそ……くそっ。」
拳を作り寝台に打ちつける。
荒い息のままラガルは考えた。
(逃げられない……もう……どこにも逃げられない。)
その閉塞感が自分の首を絞めていく。
溺れるだけを待っているかのように、息が閉まっていく。
前にも似たような感覚を覚えた気がする。
思い出せない誰かの手が、過去に自分の喉元を掴んでいたような――そんな幻覚めいた記憶が、痛みとともに蘇ろうとしていた。
そうラガルは思い、意識を手放した。
落ちていく。
深い、深い暗闇へ。
その底で――誰かが、ひどく冷たい声で囁いた気がした。




