銀の刻印
「ラガルさんたち大丈夫かな……。」
シーナがいかにも高級な革張りの椅子の上で呟く。
ミムラスはその沈み込む感触を確かめるように何度も椅子に座り直していた。
「大丈夫よ、どーせなんとかなる。」
ミムラスが出された茶菓子に手をつける。
口の中に広がる甘い食感に顔を綻ばせた。
「でも……。」
「でももだってもない! シーナもこれ食べなよ、美味しいよ。」
肝が据わってるなとシーナはミムラスを見て思う。
シーナも一枚茶菓子を手に取ると口に含んだ。
「美味しい……。」
「でしょ? この飲み物もなんか高級な味がして美味しい!」
ミムラスは茶菓子を口に含んでは飲み物を口にする。
その様子は下品であったが、その品の無さにシーナは救われた。
「ミムラス、そんなに食べたらお腹痛くなっちゃうよ。」
「大丈夫、大丈夫。」
ミムラスは大きな口を開けてパクパクと食べていく。
その様子をシーナは微笑ましく思うのだった。
しかしふと、ミムラスの手が止まる。
食べる音が途切れ、部屋の静けさが急に大きく感じられた。
シーナはその横顔を見て、同じ不安を抱えていると悟る。
「……ラガル、怒ってないといいけど。」
ミムラスがぽつりと零す。
いつもの元気さが影を潜め、シーナの胸にきゅっと痛みが走った。
*
「その者を殺せ。」
王は静かに語る。
ラガルとメフェルは息を呑んだ。
「それは誰だ。」
ラガルがウォリケ王に問う。
「お前も聞いたことくらいあるはずだ。黒き王、炎の息吹――エンルフ。災厄の予言に謳われた存在、千年の眠りから目覚めし者。」
ラガルは記憶を探る。
確かにそういう伝説はあった。
だが、伝説は伝説だろうと彼は思う。
(先の大戦、魔族を率いた王エンルフ。まさか本気で魔女の予言を信じているのか?)
ラガルはウォリケを見る。
その瞳は冗談を言っているようには思えない。
「そして念の為だ。お前には呪紋を刻む。」
メフェルが息を呑む。
止めようと口を開きかけたが、ウォリケの睨みで止められた。
ラガルはメフェルの反応で薄々良からぬものだと察する。
「それはなんだ。」
「なに、お前が命令に従えば問題はない。拒否するなら隣の娘の首が飛ぶだけだ。
そしてその後にお前の首もな。」
ウォリケは淡々と語る。
ラガルはメフェルを横目で見ると眉を顰める。
(うるさい女だが……。)
これまでの事を思い出す。
彼女はラガルに対して熱心に看病をしてくれた。
そのことについて感謝しているわけではなかったが、見捨てるほどでもない。
そしてしばし間を置いて答える。
ここで逆らえば彼女は死ぬ。
彼女を見捨てたとして自分はすぐに捕まり、殺されるだろう。
ならば……選ぶしかない。
「わかった。」
「ラガル、駄目!」
メフェルの悲痛な声が響く。
イーヴァが動揺した目でウォリケを見ていた。
ウォリケはほくそ笑む。
その笑みには、王としての冷酷と、人としての感情の欠片すらなかった。
ラガルの背筋を冷たいものが這い上がる。
「よかろう、では胸を出せ。」
ラガルは言われるがままに服の前を開けた。
そこにウォリケの杖の先が当たる。
ヒヤリとした感触が心臓をついた。
そしてウォリケが小さく何かを唱える。
銀光が杖の先から溢れ、ラガルの左胸へと吸い込まれていく。
銀の軌跡が肌に刻まれる。
それは紋様を描くと蠢いて……染み込んだ。
「終わったぞ。」
ラガルは自分の胸を見下ろす。
そこには複雑な銀の印があった。
指でなぞると仄かに熱を持って、痛い。
その痛みが徐々に全身に広がっていくのを彼は感じていた。
やがて明確な鋭さを持って、息を止める。
「どういうことだ……苦しい。」
「命令だ、跪け。」
ウォリケが短く言葉を発する。
するとラガルの意思とは裏腹に、勝手に膝が折れて、地面に跪いた。
「なっ……。」
抗おうとしても体が動かない。
ウォリケの声に反応して足は動いた。
「ふむ、効果は充分なようだ。」
「これはなんだ!」
ラガルが声を上げる。
その目には殺意が籠っていた。
「言ったろう、呪いの紋様だ。お前は我ら王家と巫女の命令に逆らえなくなる。さて、改めて命令だ。エンルフを探し出して、殺せ。」
ラガルはその言葉を聞いた瞬間に胸が熱くなる。
息ができないほどに苦しかった。
肺が押されて上手く息を吸えない。
肋骨が折れたような強烈な痛みが体を支配する。
「その痛みは命令を遂行するまで消えはしない。お前が狂うのと、命を達するのどちらが先か。期待しているぞ。」
ウォリケは銀の目でラガルを見下ろす。
ラガルは悟った。
自分はとんでもない契約を結んでしまったのだと。
「よい、もう下がれ。」
その言葉にラガルの足が動く。
勝手に動く足に怒りを感じつつもウォリケを睨みつけた。
メフェルもまたウォリケを睨みつける。
彼女は自分の無力さを痛感していた。
ラガルの胸の奥で銀の紋が脈打つ。
それは痛みではなく、これから始まる従属の鼓動だった。
そして同時に、ラガルの胸の奥底で“何か別のもの”も目覚めようとしていた。
まだ名も形もない、冷たく、熱い影が。




