貴族子女シーナ、空を舞う
「ねえ、ラガルさん。いつまでそうしてるんですかぁ。外見ましょうよ。」
シーナが窓際からラガルに声をかける。
だが彼は布団に包まったまま出てこない。
しきりに先程から何かをブツブツと呟くばかりだ。
窓からは小さくなる街と広がる海が見えた。
感動にシーナは打ち震える。
「天なる父に殺される、天なる父に殺される。」
ラガルもわからなかったが船が空に浮いた瞬間、ブワッと毛が逆だった。
「天なる父に殺される。空は神聖な場所だ。」
ふいに記憶の蓋から湧いて出たのはそんな言葉で、船が陸を旅立ってからというもの、ずっと彼は祈りを捧げていた。
まるで“空に触れてはいけない民”の怯えのように。
「天なる父ってなんですか?」
見かねたシーナがラガルに尋ねる。
彼は青白い顔で小さく呟いた。
「……ノフス。」
その言葉がシーナの脳裏になぜか残る。
ラガルは再び布団に潜るとブツブツと祈り続けていた。
*
「ダメです。ラガルさん再起不能です。」
シーナが客室の扉を閉めて言う。
メフェルは心配そうにその先を見つめていた。
「どんな様子だったの?」
「なんか呟いてました。」
正直言うと鬼気迫る表情で呟き続ける姿は怖かった。
下手に声を掛け続けても逆効果になると思い、一度メフェルに状況を知らせる。
「いいわよ、あとは私が見ておくから。シーナは色々見て回ってきなさい。」
「でも……。」
「こんな機会滅多にないわよ。それをあの人に付き合って、潰すだなんて損よ。」
メフェルが片目を閉じた。
それはメフェルも同じだろうとシーナは思ったが、彼女の強い押しに折れる。
「わかり、ました。でも何かあったら呼んでくださいね。」
後ろ髪引かれる思いでシーナは客室を離れる。
そして小さな冒険の旅に出かけるのだった。
「すっごい、どれも高ーい。」
廊下の角を曲がった先にいたのは調度品の数々を査定するミムラスだった。
彼女は口に手を当てて驚きの表情を隠せないでいる。
「ミムラスさん。」
そう呼ばれてミムラスは振り返る。
プクッと頬を膨らませるとシーナに言った。
「ミムラス、さん付けは禁止!敬語もダメ!」
「え、えぇ⁉︎そんな……僕タメ口なんて。」
「アタシ堅苦しいの嫌なの。」
ミムラスは口を尖らせる。
「わ、わかったよ。ミムラス。」
「ならば良し。一緒に回ろ!」
彼女は小さな手をシーナに差し出す。
おずおずとシーナはその手を取って歩き出した。
小さな子どもだと思えばいいのか、同い年くらいの女性だと思えば良いのか彼にはわからない。
ただ緊張で汗が流れた。
「シーナぁ、アンタって女性に免疫ないのね。」
そんな様子を見てミムラスが半目になる。
彼女はため息を吐くと、シーナの腕を引く。
「もうちょっとスマートにエスコートできないわけ?」
そう言われてシーナは固まった。
知らない間に男としての格を試されてた彼は恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
(ミムラスさん、手厳しい。)
シーナは出来る限り、紳士的に振る舞えるように頑張った。
扉を開けるときは必ず率先して開ける。
ぎこちなさは残るが、“慣れよう”とする意思が動作に出ていた。
所作が板についてきた頃だった。
「ここは何の場所なんだろうね、ミムラス。」
「うん。」
ワインを持った使用人とすれ違う。
そのとき船が揺れて、ワインがシーナにかかってしまった。
「うぁ!」
バシャンと頭からワインを被ったシーナ。
全身が水だらけだった。
「だ、大丈夫ですか!申し訳ございませんお客様!」
顔を真っ青にした使用人がシーナに謝る。
貴族が乗ってる船だけあって、その動作は丁寧だった。
体に触れる許可を求めて、取り出したハンカチでシーナの体を拭くがシミは取れない。
「す、すぐさま代えを。こちらにどうぞ。」
「え?大丈夫ですよ、僕は。」
「濡れた服のままではお通しできません!乾いた服にお着替えください。」
言い終える暇なくシーナは連れていかれる。
ミムラスはその後をちょこちょこと追った。
*
「ぎゃはははは!」
下品な笑い声を上げるのはミムラスだ。
目の前には顔を真っ赤にしたシーナがいる。
彼女が笑うのも無理はない。
シーナは貴族の少女の格好をしていた。
淡い黄色の煌びやかなドレスが彼を彩る。
そしてそれが恐ろしいほどに似合っていた。
髪を下ろした彼はもはや女児にしか見えなかった。
「なんで。」
「すみません、女性用の着替えしかないのです。」
シーナはスースーする足元を隠すように自然と内股になる。
この服で一同の元に帰るのは絶対に嫌だった。
「なんで!」
自然と敬語が取れる。
シーナは昔から可愛い可愛いと言われて、女児の服を着せられることもあった。
しかしこの歳になってまで女装させられるのは屈辱だ。
(おばあちゃんも6歳の頃には辞めてくれたのに。)
シーナは深呼吸した。
……どこからどう見ても今の自分は女だった。
「名前も相まって女の子みたいシーナ。」
ミムラスがシーナの周りを回る。
どこからどう見ても可愛い貴族のお嬢さんだ。
「それ、一番嫌だ。」
シーナの脳裏に祖母が蘇る。
幼いときから言われていたのは女の子だったら良かったのに、だ。
シーナという名前も女児だったら良かったのにという理由でつけられた名前だった。
「ねえ、ねえ部屋に戻ろうよ。せっかくおめかししたんだからさぁ。」
廊下に出たミムラスがシーナに言う。
部屋に戻るのも嫌だったがこのまま外をふらつくのも嫌だった。
先程から貴族の男性や女性がチラチラとコチラを見るのが辛い。
部屋に戻るとわかってはいたが、地獄の反応が待っていた。
メフェルとイーヴァがこちらを見て目を丸くし、落ち着いたらしいラガルも目を瞬かせる。
そして一拍置いたあと、客室を包んだのは笑い声だった。
「あははは、なんだその格好!」
「うふふ、可愛いわねシーナ。」
「くくく……。」
イーヴァは高笑いし、メフェルは微笑みながら近づく。
メフェルは笑っていたが、少しだけその可愛さに嫉妬した。
ほんの一瞬、ラガルの視線がシーナに吸い寄せられる。
動きがピタリと止まった。
そしてラガルは一人、寝台の上で噛み殺した笑いを浮かべる。
「そんなに元気になったならもう心配ないですね。ラガルさん!」
シーナが吠えた。
しかしその姿は可愛すぎる。
何を言っても怖くはない。
「シーナちゃん、お前、タマ置いてきたのか?」
イーヴァが息も絶え絶えになりながら聞く。
シーナはもう何も言わずに部屋の椅子に座り込んだ。
窓からは王都の白い街並みが見え始める。
到着はもう直ぐだった。




