血が呼ぶ名――アルカイ
洞窟の中で狼が肉を喰む。
ボタボタと口から肉片と血が溢れて、床に溜まる。
生温い血の匂いが、洞窟の冷気と混じって鼻を刺した。
ふと、狼の動きが止まる。
その目が一同を睨んだ。
「見つけたぞ、ノフサル。」
イーヴァが拳を構える。
狼は肉を喰むのをやめると、一同の前に立つ。
低い唸り声と共に獣はイーヴァに襲いかかる。
とても手負とは思えない速さだった。
鋭い斬撃が彼の顔を狙う。
風を引き裂く音が、耳の奥まで刺さる。
空気が震えて冷たい殺気が降り注いだ。
狼の爪が眼前で弧を描く。
イーヴァはその軌道を読み取ると、狼の脚を押さえにかかる。
狼の巨躯をねじ伏せると、床に転がった。
狼は悲鳴をあげてその腕の間をすり抜ける。
「くそ!」
イーヴァは舌打ちをした。
一同を無視して一直線に洞窟の外へと獣は向かう。
ミムラスの銃が獣の頬を掠め、焼いた。
「ラガル! 抑えろ!」
イーヴァが叫ぶのと同時だった。
洞窟から出た獣が後ろを振り返る。
追撃者を振り払おうと爪を下ろしたときだ。
ラガルの顔を見た瞬間、動きを止めた。
「ァルカイ……。」
それは搾り出すような声だ。
言葉を聞いた瞬間ラガルは目を丸くする。
聞き慣れない呪文のような言葉。
それがやけに懐かしかった。
そしてその意味が彼にはハッキリとわかる。
フルフルと獣は震える。
狼の鼻先が揺れた。その瞬間、空気が変わった。
そして腕を広げると、ラガルを抱きしめた。
「アルカイ!」
それは名前ではない。
ノフサルの言葉で、敬愛を込めた“お前“という呼びかけ。
強く強く締め付けられる。
ラガルは衝撃で動けなかった。
(殺される!)
そう思ってもがこうとしたが、狼は決して離さない。
やがて――
いつまでもその締め付けが命を奪うまでに至らないことに気づき、ラガルは力を抜く。
(何故?)
その疑問はその場にいた全員が抱いていた。
ラガルは匂いの懐かしさに足元がぐらつく。
どうしてそれが懐かしいのか、なぜこんなに息が苦しいのかわからない。
胸が締め付けられる。
思い出したくないものが喉元までせり上がってきそうだった。
場の空気が一瞬止まる。
しかしすぐに、メフェルの炎によって切り裂かれた。
狼の顔を狙うように撃たれた火球から、ラガルを庇うように獣は背を見せる。
「キャン!」
狼の悲鳴が響く。
そのまま狼はラガルの手を引いて逃げようとする。
腕を引かれるままにラガルの足は進んだ。
足裏が地面を蹴るたび、心臓まで跳ねた。
しかし我に返ったように力を入れる。
すると獣はどうしてという風にラガルを見る。
ラガルは剣を握った手を狼の腕に振るうと、無理矢理、手を離させた。
「クフィウ!?」
血が吹き出て、狼の腕を赤く染める。
続いてミムラスがもう一度銃を撃つと、それに続いて、大剣を抜いたイーヴァが一気に踏み込んできた。
その一太刀は鋭く重い。
風を切る音が遅れて聞こえるほど速い薙ぎ払いが狼を襲う。
刃の潰れた刀が狼の体にぶつかる。
鈍い音を立てて、吹き飛んだ。
寸前で後ろに飛んだのか狼はまだ立っていた。
しかしもう息も絶え絶えだ。
狼はラガルを見ると名残惜しそうな表情をして走り出す。
急いで一同は追いかけるが、その速さに追いつくことはできなかった。
その小さくなる背中を見てラガルは戸惑う。
(知らないはずなのに、なぜ匂いがわかる?)
恐ろしかった。
記憶がないという今の状態が。
ただ呆然と立ち尽くす。
ラガルは後ろを振り返ることができない。
視線が怖かった。
「今のは……。」
シーナがラガルを見た。
メフェルは何も言わなかったがその手は震えていた。
ラガルを奪われそうになった恐怖か、はたまた過去が暴かれそうになった恐怖か。
彼女の知らぬ間に震えとして現れていた。
「お前、ノフサルの血を引いているのか?」
イーヴァがラガルを見つめながら言う。
ラガルは先ほどまで強く握られていた腕を見た。
まだハッキリとその跡が残っている。
(思い出せない……なにも。)
考えようとすると頭痛が走った。
ズキズキと頭が鳴り響く。
「取り逃がしちゃった……。」
ミムラスが一同の混乱の中、呟く。
薙ぎ倒された木々の先には血が滴っていた。
ラガルはその先を見つめながら、過去を見るように考える。
今まで先延ばしに、逃げ続けていたものが追ってきているような気がした。
――お前。
親しみを込めたその呼び方。
それが誰の声だったのか、今のラガルには答えが遠かった。
ラガルは気づかない。
自分の毛先が、いつもより“深い紫”へと変わっていたことに。
「ラガル、あなた……誰なの?」
メフェルの言葉は風の前に消えていく。
記憶の扉の向こう側、誰かが確かに自分を呼んでいた。




