凍てついた記憶が軋むとき
ラガルたち一行は宿の部屋に集まって、これまでの事を情報交換していた。
粗末な部屋の隅に机が一つ。
メフェルはその椅子に腰掛け、シーナはすぐ横の寝台に座っている。
ラガルとミムラス、イーヴァは床に並んで腰を下ろしていた。
遺跡で妙な男が持ってた石を拾った事、ミムラスがその石を換金しにきた事。そこを獣が追って来たこと、ノフサルという脅威がいること。
全てを話すと、部屋には重たい沈黙が落ちた。
空気が沈んだまま動かない。誰もすぐには次の言葉を選べなかった。
「血の宝珠か……。」
イーヴァが呟く。
血の宝珠――赤とも黒とも取れる輝きを持つ美しい宝石。
それが今回の事件の発端となってるのは明らかだった。
「何か知ってるのイーヴァ?」
メフェルが尋ねる。
イーヴァはちらりとメフェルを見て、顎に手を当てた。
「いや、巷では色々言われてるが……実際はノフサルの一族、ロンラディムに伝わる秘術ということしか知らん。」
「ロンラディム?」
シーナは聞いたこともない名前だった。
「ああ、俺も詳しくは知らないんだ。ただ魔族の中でも選ばれた一族だけが扱えるものだ。」
「情報がないのと同じだ。」
淡々語るイーヴァにラガルは肩をすくめる。
「そうでもない。」
イーヴァは続ける。
「ノフサルは、闇の一族だ。ノクオドアルの奥に隠れ住む。」
「――あーもう!よくわかんないけど取り返しに来たってわけね!それでアタシが襲われたんだ。」
ミムラスは自身の二つ縛りの髪を引っ張る。
彼女は折角手にした宝を手放すことになったのが今でも悔しかった。
「そ、そんなに重要なものなんですか?血の宝珠って。」
シーナが小さく手を挙げて尋ねた。
イーヴァの目の色が変わる。よくぞ聞いたと言わんばかりに頷いた。
「そこなんだ。アイツらが魔族の地を出てまで探しにくるとは思えん。何か重大な秘密があるのだろう。」
「重大な秘密って例えば何かしら。」
「例えば……わからん。」
肝心な部分をイーヴァは知らない。
使えない、とラガルは正直に思った。
そんな様子を察したのか、イーヴァは眉を顰める。
「血の宝珠はその怪しげな男とやらが持っていたんだよな。どうしてそんなものが銀の大地に?」
その言葉が落ちてから、しばらく声がなかった。
部屋の中の空気が、じわりと冷える。
ラガルは迷う。
記憶を失った自身が持っていたものがそんなに重要なものだとは思ってもいなかった。
ここに来て過去が、向こうのほうから歩を進めて来たようなそんな気がする。
ゆっくりと視線を動かす。
怖かった。
(そんな重要な物と俺は何の関係がある。)
知らぬ間に指先に力が入る。
気づけばメフェルがラガルを見ていた。
しかし、目があったかと思えばすぐ逸らされる。
そっぽを向かれた――そう錯覚した瞬間、ラガルの心臓がひくりと跳ねた。
「どうした?」
先にラガルの様子に気づいたのはイーヴァだった。
思わず彼の表情に驚きが出る。
「いや……。」
言うべきか、ラガルは迷った。
その戸惑いが口元に出る。
皆がラガルを見ていた。
(――やめろ。)
胸の奥がざわりと揺れる。
既視感があった。
重圧。
過去が喉に手をかけてくる。
なぜかそんな気がした。
息が浅くなる。
部屋の湿気がやけに重く感じた。
(見られている……まただ。“あの頃”と同じだ。視線が、俺を裁くあの場所と。)
「なんでも、ない。」
額から汗を垂らして、下を俯く。
手と声は尋常じゃないほど震えていた。
視界が白くなり、自分の声が遠のく。
耳の奥に、雪の降る音がした気がした。
視界の端に白い雪が見えた。
明らかに様子のおかしいラガル。
そこにイーヴァが近づく。
「何か知っているだろ?」
「し、知らない、わからない。」
「違うな。震えている。責めてはいない、お前のそれはなんだ。」
落ち着き払った声でイーヴァが問い詰める。
その静けさが逆にラガルを追い詰めた。
「わからないんだ‼︎」
自分でも驚くほど声が出た。
普段のラガルからは考えられない声量に、一同はのけぞる。
誰もが目を丸くしていた。
――違う。悪いからじゃない。
“見られる”ことが怖いんだ。
ラガルはこの場から逃げ出したかった。
早く、自由になりたかった。
でもどこへ逃げる?
この首の枷がある限り自由などない。
そう思うと喉が震えた。
「……見なくていい。」
ラガルは縮こまる。
その姿は自分でも、ひどく情けない物だった。
シーナは息を呑んだ。
普段の彼からは想像もつかない姿だ。
彼が手を伸ばそうとしたとき、メフェルが椅子から立ち上がる。
ラガルの耳に、服の衣擦れが妙に鮮明に響いた。
震える彼の側まで行くと、一瞬だけ戸惑った後、そっと肩に手を当てる。
彼女の白い指がラガルの肩に添えられた。
その指は暖かく、ラガルの冷えた体に染み込む。
「大丈夫よ。」
顔を上げると、柔らかな黄色の瞳がこちらを見ていた。
それはあの日、牢の中の“青年”が初めて目にした温もりの瞳と同じだった。
あの時も彼女は優しい目をして自分を見つめていた。
「少しずつでいいの。」
背中をゆっくりとメフェルがさする。
短く浅くなっていた呼吸が、次第に深さを取り戻す。
やがて言葉が自然と溢れた。
沈黙の中に声が響く。
「あの日。」
ラガルはゆっくりと語り始める。
順序も情景もバラバラで、自分でも何を言ってるかわからないままの言葉。
けれど誰もがその語りから耳を背けられなかった。
あの日、ゼンが死んだ日。
キースに殴られた日。
人を殺した日。
雪が降り積もる真っ白な世界。
気がつけば彼は――。




