闇の名を聞く朝
宿場の机に一同は集まっていた。
シーナが怯えた様子で告げる。
「教会へ行きましょう。」
幼い頃からエイシュを信仰して来た彼にとって、厄事があったときに教会にいくのは自然なことだった。
だから昨晩のミムラスの一件を聞いて、そう提案したのはおかしなことでもなんでもなかった。
「そんなとこ行ってどうするんだ。」
「悪いモノを払ってもらうんです。ここ最近物騒ですし。」
シーナはそう言うとミムラスを見た。
ミムラスは今朝から元気がない。
彼なりの、少しでもミムラスを元気づけようという作戦だった。
(今の彼女に必要なのは、きっと“安心”だ。)
「俺は行かないぞ。」
「そうね、誰かイーヴァをみてないといけないわ。」
未だ目を覚さないイーヴァを、メフェルは心配していた。
昨日の得体の知れない術を使う魔獣。
彼女は嫌な予感がして堪らなかった。
「アタシ、教会でお札貰ってくる。」
効果があるのか無いのかわからない教会の札。
しかし今のミムラスには縋れるものが必要だった。
「決まりね、それじゃあ一緒に教会に行きましょう。」
メフェルが優しくミムラスの手を引く。
三人は丘の上にある教会を目指すことにした。
*
丘の上の教会は白く聳える美しい建物だった。
街と同じく色とりどりのガラスが飾られていて、それが一枚の絵になっている。
シーナはその美しさに思わず目を奪われた。
胸のざわつきが、少しだけ静まっていく。
「こんにちは。」
教会の神父にミムラスが挨拶する。
すると笑顔で神父は三人を受け入れた。
その後ろには神々の大きな彫刻が立っている。
右からグロード。
グレイ。
ソラス。
フリード。
フリーデ。
中央に戦の神、嵐の君、ウォリケの像が置かれていた。
どの像も目に銀があしらわれている。ただ一つ、グロードだけは目ではなく額に銀があった。
「こ、こんなに立派なの初めてです。」
シーナが圧倒される。
ミムラスはクスクス笑うとシーナに言った。
「アタシは何回もあるわよ。銀の目一族の像。」
ミムラスは少し誇らしげだ。
「神々は銀の目だから、目が銀でできているんですよね。綺麗ですね。」
シーナがそう言う。
メフェルは像を見上げると、一瞬だけ顔に影をつくった。
ほんの刹那、彼女の目が揺れた。何か、胸の底の痛みを隠すように。
シーナは見間違えかと思い、目を擦る。
次の瞬間には、いつもの明るい笑顔がそこにあった。
「さて、お祈りしましょうか。」
静かに三人は神々の像に祈る。
そうすることで少しでも不安が取り除けるように。
ミムラスは帰りに浄財を捧げると、お札を一枚手にした。
「よし、これでアタシは安泰よ!」
すっかり元気を取り戻したらしいミムラスが告げる。
その様子にシーナもメフェルも安堵していた。
*
「なんで俺が。」
ぶつぶつと文句を言いながら、ラガルはイーヴァを見る。
昨日、黒い霧の中から出て来たと思えば、鼻血を垂らして倒れてしまった彼。
心配というよりも、“何があったか”のほうがラガルには重要だった。
「起きろ、いい加減。」
そう言って顔を覗き込んだとき。
目がカッと開かれ、イーヴァが起き上がった。
「うお。」
ラガルが椅子からずり落ちそうになる。
イーヴァは辺りを見渡すと、宿だと気付いたのかため息をついた。
「ちくしょう、油断した。」
「何があったんだ。」
起きたばかりにも関わらず、ラガルが尋ねる。
イーヴァはラガルの顔を見ると、しばらく固まった。
沈黙が、短く落ちた。言うべき言葉を探している沈黙だった。
そして何かを考えたのち、逆に尋ねる。
「お前、ノフサルって知ってるか?」
何故かイーヴァは顔を真っ直ぐに見つめて来た。
ラガルは聞いたことあるような、ないようなその響きに首を傾げる。
そして考えたのちに首を振った。
「わからない。」
「嘘だ、魔族なら誰でも知ってるはずだ。」
「記憶が、ない。人間の世界に来る前の。」
そう告げるとイーヴァは少し黙る。
その眼差しがふっと揺れた。信じたいのか疑いたいのかわからない、複雑な迷い。
「本当だな?」
「なぜ疑う。」
そう言われてイーヴァはため息を吐くように息を吸う。
そして彼は観念したかのように笑うと、頭を掻いた。
「駄目だな、俺に尋問は向かない。ノフサルっていうのは魔族の中でも恐ろしい奴らのことだ。闇の中の闇だよ。」
闇の中の闇――と言われてもラガルには難しい。
彼はお伽話を聞く子どものように椅子を前に出すと、イーヴァに問いかけた。
「なぜ恐ろしい。」
「そりゃ、大戦で神々に弓を引いた奴らの一つだからよ。」
イーヴァは当たり前のことをラガルに教える。
しかし馬鹿にすることはなく、丁寧に話していった。
「大戦はわかるよな?」
「魔族とエイシュの戦い。」
「そうだ、神族と魔族の戦いだ。それが原因で魔族は今虐げられている。特に先の大戦で表立って弓を引いたノフサルとアルスウィダ、二つの部族は根絶寸前まで追い詰められるくらいにな。」
イーヴァは大剣を見つめ、何かを思い出すように話す。
その語りは物悲しく、悲惨な戦争を見て来たような口ぶりだった。
「酷い争いだった。あの戦で古い魔族はほとんど死んだ。今の若い魔族は戦争を覚えていない。黒き王エンルフに導かれて神々に、世界に反旗を翻したことなど遠い昔だ。」
ラガルは昔、ゼンも似たような話をしていたことを思い出す。
ここまで詳細ではなかったが、世界を揺るがすほどの大戦争が魔族と神の間であったことは知っていた。
「その、ノフサルがなんだ?昨日のと関係があるのか。」
「ああ、アレはノフサルだ。間違いない。」
イーヴァが歯を食い縛る。
それがどういう感情なのかラガルにはわからなかった。
彼は額の鉢巻を触って、下を向く。
「あいつらが、また……動き出したか。」
部屋の窓から朝日が差し込む。
その麗らかな日差しとは裏腹に、ノフサルの影だけが静かに形を持ち始めていた。
光の中に、冷たい影が一本だけ沈んでいる。
その影の正体を、まだ誰も知らない。




