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幕間:赤の継承者

 ミムラスは上機嫌だった。

 二つ結びの髪を跳ねさせて石畳の上を走っていく。


 気まぐれに立ち寄ったネインバイドカラムでいいお宝を手に入れられたのだ。


「うひひ、これでアタシもお金持ちになっちゃう?」


 自分よりも何倍もある“人間”たちの間をするすると抜けていくと、目当ての換金屋に一直線に走っていった。

 ここはヒューネク(人間の世界)で最大の港町、イェリホク。

 王都を除いた銀の大地で、全ての物が揃うと言っても過言ではない場所だった。


 潮と油と人ごみの匂いが渦を巻き、ミムラスの胸を少し高鳴らせる。


「おっちゃーん!いるー?」


 ミムラスが乱雑にドアを開けると、渋い顔をした小人(カティン)の男が出てくる。

 ミムラスよりも大きくて頑丈なその体は、人間がよく考えるカティンのイメージその物だった。


「どうした、そんなに急いで。」

「聞いてよ、おっちゃん。いいのが手に入ったの。」


 ミムラスは椅子に飛び乗ると、人間用に作られた会計台にゴトリと一つの石を置く。


「これ、すごい良い宝石だと思わない?」


 カティンの男は、長い髭を撫でると眼鏡を掛けて石を手に取った。


 思わず溜息が溢れるような美しい赤、そして闇へ引き摺り込むような畏怖すべき黒。

 宝石の王とも呼ぶべき代物がその手にあった。


「すごいな、ミムラス。どこでこんなもん手に入れてきた。」

「へへー、秘密。」


 感嘆する男にミムラスは意地の悪い笑みを浮かべた。


 (魔術師のシマ、地下遺跡に手を出したなんて知れたらヤバいもんね。)


 自慢げに胸を張る一方で冷静なミムラスが、出自を言ってはいけないと警鐘を鳴らしていた。タダでさえヤバそうな男が持っていた曰くつきの宝石なのだ。

 金は欲しいが面倒ごとには関わりたくなかった。


「だがなぁ、コイツァ買い取れねぇよ。」

「えっ!なんで!」


「店畳まなきゃならなくなる、払えねぇ。」


 買い取れないと言われてミムラスは肩を落とす。


「そんなぁ、有金だけでいいのに。」

「有金払ったらやっていけねぇの、それによ。」


 男は苦笑いしつつもミムラスに石を返す。

 続く言葉は一瞬、躊躇いを持って続けられた。


「この石、ただの宝石なんかじゃねぇ。生きてやがる。これはただの勘だが、こんなもの持ってられねぇよ。」


 ミムラスはドキリとした。

 そう、彼女も初めてこの石を見たときから言い得ぬ感覚があったのだ。まるで石そのものが一つの生命のようだと彼女は思っていた。


「おっちゃんも……そう思う?」


 不安を掻き消すように男に尋ねるミムラスに、早くどっかで売っぱらっちまいなと男は言って追い出した。


 ミムラスは赤い石を抱えたまま、表通りに取り残される。


 さっきまで胸を弾ませていた往来のざわめきが、一気に遠くなった気がした。


 周りでは好奇の視線がミムラスに降り注いでいた。

 いや、違う。

 手元の赤い石に注がれているのだ。


 そう思った瞬間ミムラスはなんだか怖くなって石を持ち続ける事は嫌になった。


「早く捨てなくちゃ。」


 ミムラスは馴染みの宝石商や骨董商を回ったが、手にするのを嫌がられてしまう。

 噂を聞きつけて買い取りたいと願ったものは欲に塗れすぎてて渡すことができなかった。


 夕暮れの街、彼女は石を売ることができなくてトボトボと歩く。


 そこに一つの噂が舞い込んできた。


「そういえば、この辺りに来てるらしいぜ。鮮血のベキア、まだ血の宝珠を探してるらしい。」


 鮮血のベキア、その名に聞き覚えがあった。

 なんでも盗賊殺しで有名な義賊で、彼女の通る道には赤い道ができるとか。


 ミムラスは手に持った石を見る。


「これ……まさか血の宝珠なんじゃ。」


 赤く、黒く、脈打つような石を眺める。

 答えを求めても、ただ石は夕暮れの光を映すだけだ。


「まさかね。」


 そう笑う彼女を一人の男が見つめる。

 男は陰を纏うようにただ物陰からじっと彼女を見ていた。


 『血だ……匂う、王の血だ。』


 ミムラスは気づいていなかった。

 破滅の影が迫っていることに。


 *


 夜、月明かりが昇る頃。

 ミムラスは宿の部屋の中で石を磨いていた。

 夜空に映えるような赤に、星空のような黒はとてもよく似合っていて、見ているだけならとても良い石だった。


「アンタ一体何者なの?誰かマトモそうな人買ってくれないかなぁ。」


 ポスンと寝台に横たわるミムラス。

 ウトウトとして来たところで、突然部屋の扉が叩かれた。


 こんな時間に誰かが来るなんておかしい。


 ミムラスは咄嗟に石を持って寝台の下に隠れる。

 心臓の高鳴りがうるさかった。

 寝台の下からはよく見えなかったが、扉の鍵が開く音がして中に誰かが入ってくる。


 月明かりでその人物の影が見えた。


「ヘテジャナハイクゥオグスト。」


 呪文のような聞き慣れない言葉がミムラスの耳に届く。


 その言葉に、石が手の中でかすかに熱を帯びたような気がした。


 このままやり過ごせるかとミムラスが安堵した一瞬、ゴキリと音がして人影が歪む。

 そして音が止まぬうちに、どんどんと人影は形を変えていって巨大な二足歩行の獣が目の前に現れた。


「ひっ。」


 思わずミムラスは悲鳴を漏らしてしまう。

 ピクリと獣の耳が揺れる。


 そして寝台の下に顔を近づけると。


 目があった。


 紫の瞳孔が、石よりも冷たくミムラスを射抜いた。


 考えるよりも早くミムラスは駆け出す。

 寝台の下から飛び出て、廊下を渡り、階段の手すりを滑った。


 後ろから狼の口が迫るのを感じる。

 ミムラスは屈んで攻撃を避け、そのままゴロゴロと玄関まで転がっていった。


 (なんで⁉︎なんであんな化け物が⁉︎)


 正体について考える暇はなかった。とにかく夢中で走る。


 (息が!息ができない!足が震えてるのに、止まったら――死ぬ!)


 追いつかれないようにわざとジグザグに走って、塀を乗り越えたり、狭い道に入った。それでも追っ手はやってくる。


「もう嫌ぁ!」


 泣き声をあげそうなときだった。

 もう前も見れていない彼女に誰かがぶつかる。


「おっと、ごめんよ。お嬢ちゃん。」


「た、助けて!追われてるの!」


 ミムラスは咄嗟に助けを求めたが、目の前の人物が夜だというのに灯りも持たずに出歩いてることに気づく。

 そして人通りもなく、ミムラスの前にわざと出てきたということも想像に難くなかった。


「あ……う、な、なんの用!」


 宵闇に真っ赤な外套が浮かび上がる。そしてその背後には屈強そうなオウト(丘の巨人)がいた。


「お、話が早くて助かるねぇ。」


 赤い外套の女がミムラスに囁く。顔には笑みが浮かんでいたが目だけが笑っていない。

 その目は赤い石だけを追っていた。まるでミムラスの命など存在しないかのように。


「私、ベキア。ねぇ、取引しない?」


 そう言って白い歯を見せる女にミムラスは頷くしかなかった。


 *


 獣が追いついた場所は袋小路の路地裏。

 小人は壁を背に震えていた。


「カタル。」


 また、獣が言葉を発する。

 紫の毛が闇の中で輝く。


 ミムラスは場違いではあるが、この毛皮を売れば良い値段になるだろうなと現実逃避気味に考えていた。


「フェルクデクゥーイン。」


 獣はゆっくりとこちらに近づいてくる。

 ミムラスは動けずにいた。

 そして獣が口を大きく開けて彼女を葬ろうとしたとき。


 頭上からバッとベキアともう一人の男が飛び降りてきた。


「行くよルドー!」

「あいよ、ベキア。」


 ベキアがレイピアを抜き鋭い突きを獣に喰らわせ、ルドーと呼ばれた男が正拳突きを叩き込む。

 獣は突然のことに対応できず、深手を負った。


「オウラス!」


 獣が叫ぶ、やり返そうと腕を振るったが二人には当たらない。分が悪いと判断したのか獣は闇夜へと消えて行く。


 ミムラスはホッと溜息を吐いて二人に向き直った。


「ありがとう、助けてくれて……死ぬかと思った。」


「いいよ、約束のものさえくれればね。」

「宿まで送ってやろう。嬢ちゃん。」


 寝巻き姿のままで出てきたことに気づいたミムラスは頬を赤く染めた。

 それを誤魔化すように赤い石を二人へと差し出す。


「これ、あげる。」


 その煌めきを見たベキアは心の底から嬉しそうな顔を見せた。その笑みは先程までの作り笑いではなく、心からの笑みだ。


「ルドー、これきっと本物だよ。本物の血の宝珠だよ。」

「ああ。今度こそコメルナを救える。」


 そういうとルドーも笑う。

 男の笑みにはこれまでの苦労が見えた。


「それにしても今のは一体なんだったの?」


 ミムラスが尋ねるとルドーが眉を顰めて考え込む。


「獣人にしては毛深かったな。第一あいつらは絶対オウタルから出てこない。」


「獣人って外の国に住む呪われた人たちのこと?」


 ミムラスの純粋な質問にルドーとベキアは黙り込む。それは彼らにとって苦々しい言葉だった。

 宝珠を探す理由ともなったキッカケをベキアは思い出す。


 (私があの子を救わないと。)


 故郷に残してきた妹を思ってベキアは決心を新たに固めた。絶対にこの石を無事に国へ届けてみせると。


 そんな事も梅雨知らず、ミムラスは急に黙った二人を心配そうに見上げている。

 ルドーが考え込んでいた眉をあげて、口を開いた。


「そうだ、思い出した。ノフサルだ。あいつらは毒の川と同じ色の髪を持って、戦場を荒らしまわると聞いたことがある。」


「なにそれ、ルドー。」


 ベキアが彼に言うと、ルドーは話を続ける。


「魔族の間では有名な話だ。ノフサルって民族がいてそいつらと会ったら生きて帰れないっていう話。なんでも国一つ滅ぼしたとか。その声を聞くだけで心が凍って、戦場じゃ誰も近付けねぇ。」


「じゃあ違うんじゃない。私たち生きてるし。」


「……それもそうだな。」


 彼らはまだ知らない。

 この夜を境に“銀の大地”の運命が大きく変わることを。


 「よし、それじゃあ宿に向かうぞ。」


 血の宝珠が呼び寄せるのは血であることを。

 その血がミムラス自身の運命を変えていくことを。


 そして、その変化が、ラガルたちの旅路と絡み合うのも、もう遠い話ではなかった。

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