過去を喰らう獣
地下の空洞のような広間。
黒い壁は湿り、足元に浅い水が溜まっている。
赤黒い霧が舞う中、彼らは戦っていた。
ミムラスが銃を構えて、照準を合わせる。
ラガルは彼女が狙いを定められるように魔獣の動きを止めにかかった。
霧を裂くように刃が振るわれる。
そして足を切り裂くと後ろに跳んだ。
「やるじゃん!デカブツ!」
ミムラスはそう言うと引き金を引いた。
破裂音と共に煙が巻き上がり、紫の閃光が魔獣を貫く。
辺りに血が飛び散った。
その匂いがラガルの本能をくすぐる。
血の味を思い出したかのように瞳孔が細くなった。
ラガルの剣は勢いを増していった。
刃を振るうたびにその動きは人間離れしていく。
足が地に触れるたび、石畳の震えが胸の奥まで響いた。
ラガル自身が、その振動に同調していくようだった。
うねる腰、間合いを這うような足取り、それは蛇のようでもあった。
「ラガルさん、危ない!」
シーナが声を上げる。そして次の瞬間、空気が揺れ、その場に魔獣の不可視の斬撃が飛んだ。
斬撃を喰らったラガルはそのまま吹き飛ぶと、空中で回転して体勢を無理矢理整えた。
敗れた服の下に鎖帷子が光る。
しかし、鎧のない肩の部分からは出血をしていた。
「ちっ。」
ラガルが唾を吐き捨てるように舌打ちする。
舌先が僅かに覗く。
中々、手強い魔獣だった。
「ラガルさん!」
シーナが岩陰から顔を覗かせたとき、魔獣の視線がそちらに向く。
(クソが!なんで出てきた!)
ほんの少し前まで、自分を鎖で繋ぎ、力で支配しようとした男がいた。
その死にも、怒りも悲しみも湧かなかった。
だからこそ――誰かを庇って死んだゼンの背中だけが、いまも鮮明に焼きついて離れない。
守った背中の温度。
あれだけは、忘れられない。
忘れてはいけないと体の奥が叫んでいた。
気がつけばラガルの体は勝手に動き出していた。
剣を振るう腕が、かつて自分を庇って倒れた男の背中を思い出す。
刃が魔獣の首を狙ったときだった。
「大地よ!敵を貫け!」
メフェルの詠唱と共に床の下から大地が持ち上がる。
そして石の棘となって魔獣に襲いかかった。
ラガルに気を取られて躱すことのできなかった魔獣は、そのまま棘に貫かれる。
赤黒い霧が舞う。血の匂いが肺の奥に刺さった。
その匂いは、ゼンが最後に流した血の色を思い出させる。
視界にかすむ、あの日の光景。
それを振り払うようにラガルは目を瞬かせた。
この世のものとは思えない悲鳴をあげて、獣は絶命した。
出来たばかりの肉体が崩れ落ちる。
その中に、ラガルはゼンの姿が一瞬、重なって見えた気がした。
霧が晴れたとき、そこにはもう誰もいない。
血の匂いだけが残る。
メフェルはラガルの横顔を見た。
血で濡れた顔を拭う彼は、震える腕を抑えるように浅く息を繰り返している。
掠れた息を吸っては吐く音が聞こえた。
彼の細い瞳孔に冷たい光が灯るのをメフェルは見る。
戻れないところまで行ってしまいそうな――そんな危うさ。
遠くに彼が行ってしまいそうだった。
メフェルはいつもの明るい笑みを作るとラガルに話しかける。
その笑顔が届くかどうかメフェルにはわからなかったが、とにかく話しかけないと気が済まなかった。
「ラガル、怪我大丈夫?」
ギロリとラガルの瞳がメフェルを捉える。一瞬、彼女は怯みそうになったがその笑みを崩さなかった。
「……なんて、ことない。」
浅く息を繰り返す中でラガルは言葉を捻り出す。やっと出せた言葉は強がっているようにも見えた。
「メフェル、巨人なんて唾つけとけば怪我治るんだからほっときなさいよ。」
「そ、そんなわけないじゃないですか。」
「そんなわけあるの。でも、ほら見せてみなさい。アタシが特別にお薬塗ってあげるわ。」
そう言ってミムラスは懐から薬瓶を取り出す。
ラガルはめんどくさそうに横を向くとシーナの頬を指さした。
そこには地下に降りるときにできた傷がある。
「あ、これは大丈夫です。」
「人間の方が脆い。手当ならそっちにしろ。」
「あっそ、じゃあシーナ屈んでよ。塗ってあげるから。」
ミムラスは短い腕を挙げて、精一杯背伸びをした。
シーナは言われるがままに屈みつつ、先程の男について思考を巡らせていた。
「ラガルさん、前にもトカゲって呼ばれてましたけど。今の男の人とラガルさんは関係があるんですか?」
ラガルは止まったまま動かない。
シーナは、空気そのものが張り詰めたように感じた。
触れてはいけない扉を叩いたのだと、胸が熱くなるほどわかった。
シーナには彼は何を考えているのかわからなかった。
だが、踏んではいけない領域だったのだろう。
ラガルはグッと唇を噛むと、シーナを見下ろした。
「お前には関係ないことだろう。」
「そんな言い方ないでしょう、ラガル。」
「うるさい、詮索好きは他所でやれ。俺に……これ以上、踏み込むな。」
メフェルの伸ばした手が振り払われる。
ラガルは一同から背を向けると俯いた。
(最近、普通に喋れるようになってきてたのに。)
いきなり踏み込んだ質問をしてしまったことをシーナは後悔する。
軽率だった少し前の自分にどうしてと問いたかった。
「なぁに?アイツ〜。」
近くの石に乗っていたミムラスが足をプラプラさせる。
メフェルが気落ちするシーナに近づいて“気にすることないのよ”と言ったが、怒らせてしまった事実に落胆した。
(ラガルさんは多分過去のことを知られたくないんだ。)
薄紅の瞳がラガルを見上げる、彼がいつもよりも大きく見えた。けれどその背中はずっと遠い。
拳を握りしめ、言葉を喉の奥に閉じ込めた。
(どうして彼は他者を、過去を、拒むのだろう。)
シーナはラガルの背中を見つめる。
目の前には厚い壁が広がっているようで、ラガルの名を呼ぶ気にはなれなかった。
代わりに魔法陣の真ん中に置かれた赤い石にシーナは目をつける。
生命を閉じ込めたような赤とも黒とも言えない奇妙な輝き。
シーナは恐る恐る手を伸ばしていた。
「これ、何かわかりますか?」
シーナがメフェルに問いかける。
ミムラスが石から飛び降りて駆け寄ってきた。
「アタシが鑑定してあげよっか? お宝見せて!見せて!」
「わっ、と。できるんですか?」
「誰にものを言ってるの? 誇り高き地底の民といえば物作りと目利きで有名じゃない。」
ぽむんと、小さい胸をミムラスは叩く。
袋からレンズを取り出すと石を受け取って観察を始めた。
「血の宝珠って言ってたわね。本物なのかしら?」
メフェルが横から覗く。
「ま、前にベキアさんとルドーさんが探してたやつですね。まさか、偽物ですよ。」
「ガーネットにしては柔すぎるし、ルビーにしては色が濃い。」
カリカリと表面に傷をつけてミムラスは言う。
光に当ててみると、それは二重の宝石のようだった。
上の赤い層の下に黒い層が閉じ込められている。
「赤い魔石? こんなの見たことない。すごいお宝よ! 大発見、ね、ねっ、これアタシにちょーだい!」
ミムラスが鼻息を荒くしてシーナに詰め寄る。
メフェルが肩をすくめてラガルを見ると、彼は興味が無さそうに横を向いた。
「メフェルさん、ど、どうしましょう。」
「うーん、私としては魔術研究に使えそうだから欲しいんだけど。」
メフェルがミムラスを見ると、必死の目をしている。
「ミムラスにはさっき迷惑をかけたし。」
「やったー! くれるのね! 待って、代わりに良いものあげるから!」
ミムラスは飛び跳ねるとメフェルの手を握ってぶんぶんと振った。
そして自分の鞄を探ると一つのカケラを取り出す。
「あった! これあげる。」
「なぁに、これ?」
「笑うと光るってうちの村の子が言ってた。嘘かもしれないけど。」
「ゴミじゃねぇか。」
ラガルが思わず口を挟む。
シーナが試しに笑いかけてみたが光る様子はなかった。
「む、アンタ笑わないでしょ。笑う顔知らないのかと思って。」
「大きなお世話だ、だが、別にいい。これはもう俺に必要ないものだ。」
ラガルが口を曲げて答える。
そして赤い石をシーナからひったくると、無言で差し出した。
手の平の赤が自分の過去ごと滲むように。
そんなやりとりを尻目にメフェルは床に落ちていた魔導書を調べている。
破かれた魔導書は禁術についての内容が書かれている項だった。
「血を、て、不死の力を、得る……憶測による再現を、以下に行う、賢者の石……別名……の秘術。」
切れた文字をつなぎ合わせて読める部分だけ追う。
どうやらここは何らかの禁術を研究していた場所のようだった。
「塔では御法度の研究ね。」
御法度、自分でそう言ってメフェルは自嘲気味に笑う。
彼女は書類を手に持つとグシャグシャにまとめてシーナの持つ鞄へ突っ込んだ。
「あとで燃やしておかなくちゃ。」
「いいんですか?」
「いいのよ、碌なことに使われないもの。」
そしてメフェルたちはミムラスの掘った穴から地上へと戻っていく。
涼やかな風が地上の空気を感じさせた。
「じゃあね!」
ミムラスが左右に手を振る。
ほんの少しの出会いだったが、彼女が居なくなるのが寂しいとシーナとメフェルは感じていた。
新しい旅立ちを感じさせる風が吹いて、シーナは心を入れ替えた。
「じゃあ私たちも行きましょうか。」
風が血の匂いを攫っていく。
歩き出す三人、風の向こうに誰かの息が潜んでいた。




