紫の余波
メフェルとシーナはラガルの身を案じて、階段を下っていく――。
階段を降り切ると再び爆発音が聞こえ、次は何かの空気の余波がシーナの頬を掠めた。
鋭い傷みと共に血が噴き出る。
「っ!」
混乱のまま、シーナは狭い石段を駆け下りながら、光が走った方へ石を投げようとした。
――その瞬間。
メフェルの照らす先に、二つの影があった。
ラガルと小さな人影が。
「離して!離せぇえ!」
彼の右腕には小鬼ほどもない背丈の何かが捕まっている。キノコに足が生えたような生き物だ。それがジタバタともがく、人であると気づくのにシーナは数十秒掛かった。
「なんだ、このガキ。」
ラガルは持ち上げた腕を左右に振って反応を見ている。
捕まった子どものような誰かは手に持った筒を頭上に掲げると引き金を引いた。
「離せぇ!」
叫ぶと同時に筒に光が集まっていく。紫色の光が筒から発射された。
「これは……魔力。」
呟いたのはメフェルだ。光の方向を見ると天井に凹んだ跡がいくつかあった。
シーナがハッと我に帰って石を捨てる。
「駄目ですよラガルさん!な、何してるんですか!」
「そ、そうよ。離しなさい!」
メフェルも急いで止めに入った。
ラガルは何を注意されたのかわからない幼子のように首を傾げる。
そしてそのまま手を離すと、掴まれていた人物はぐぇと音をたてて落下した。
地面に当たる音がして、その小さな人影は動かなくなる。
「な、なんで空中で手を離すんですか!?」
「離せって言ったから。」
シーナがラガルの服につかみ掛かった。ブンブンと振り回すがラガルには何も効いていない。
「こ、殺してしまったわ。」
メフェルが震える声と共に、杖で小さな人を突いたときだった。小さな体がびくんと揺れて起き上がる。
「勝手に殺すな!」
被っていたキノコをすぱんと殴り捨て、下から出てきたのは小さな少女いや、幼女と言うべき人物だった。
しかし、普通の人間の子供ではない。
茶髪のそばかすの彼女は、人間ではありえない程大きく丸い耳をしている。そして瞳をこれでもかという程に見開いてラガルを睨みつけていた。
「アタシをいきなり捕まえて、ガキ呼ばわり!?本当に巨人って野蛮!なんなのよアンタ!」
「だ、大丈夫ですか?お怪我は?」
「見ればわかるでしょ!心に怪我してるわ!」
シーナの気遣いも彼女の前には霞消える。そして短い足で立ち上がるとラガルの前に仁王立ちになった。
「ムラスの子!ミムラス・キノキノ・タアミナ!この屈辱、決闘で晴らす!巨人、名を名乗れ!」
「黙れ。」
パシンと乾いた音が響く、ミムラスと名乗る少女をラガルが叩いた音だった。あまりの衝撃にメフェルとシーナが言葉を失う。
ラガルは怒ってるように見えなかったが何を考えているかわからない。
プルプルとミムラスは震え、赤い頬と同じくらい耳を真っ赤にさせた。
静寂。
「なんなの!なんなのよ!アンタ!」
手に持っていた筒を構えて、泣き喚いた。
泣いているがその指は引き金に掛かっている。
メフェルは咄嗟にラガルとミムラスの間に割り込むと、ミムラスを宥めるためにラガルを他所へと追い払った。
「ごめんなさい、彼があなたに何をしたの?」
「いきなりアタシの体を触って、拘束した!」
メフェルが落ち着き払った声で尋ねると、ミムラスはキンキンとした声で答える。
ラガルは半分耳を塞ぎながらも誤解があると短く言った。
「お前がそれを向けてきたからだ。」
そう言いながら指を刺したのはミムラスの持っていた筒だ。細かい文字のような模様が彫られたその筒は、誰も見たことのないような形をしている。
シーナは先程の光の玉から、何かしらの武器だと予想を立てていた。
実際、少女が撃ったと思われる球の余波でシーナは怪我をしている。
(あれが直撃していたらどうなってたんだろう。)
シーナは身震いすることしかできなかった。
「しょうがないでしょ!こんなトコに人がいるなんて思わなかったんだもん!」
ミムラスは慌てたように弁解する。
ラガルは息を吸うと、狙っていたかのように付け加えた。
「それに俺は止まってたのに、お前が先に撃ったもんな。」
「うぐ。」
ミムラスを見る視線が変わる。先程の光の玉は当たっただけで致命傷になるに違いない。それがもし当たっていたら、ラガルは無事でいられなかっただろう。
「そうなの?」
メフェルは目線を合わせ、子どもをあやす様な声でミムラスに尋ねた。優しい黄色の瞳がミムラスを見据える。
眉を寄せていたミムラスだったが、やがて観念したかの様にコクリと頷いた。
「そうだったの……うちのラガルが驚かせたわね。ラガル、謝りなさいよ。」
猫撫で声で語っていたメフェルだったが、途中から鋭い声に変わる。シーナが今まで聞いたことのない様な彼女の声だった。
「なんで。」
「やりすぎよ、いくらなんでも。」
一瞬空気が澱む。
「は?」
ラガルは納得してない様子でメフェルに喰ってかかる。ラガルからしてみれば自分が被害者なのに謝る道理はなかった。
シーナは一気に険悪になった場の雰囲気に飲まれてオロオロしている。
石を構えたときの咄嗟の勇気はもうない。
「この子見てよ、膝までしかないじゃない! そんな相手掴んでどうするの!」
「だからなんだ。」
「……あなたが目の前に来たら、怖いに決まってるでしょ。」
メフェルは杖をビシッとラガルに向けた。
杖の光がラガルを照らす。
シーナにはラガルが呆気に取られたように見えたが、ラガルはすぐに持ち直して反論を返した。
「俺は先に攻撃された。」
「どうせ威嚇攻撃でしょ。それにあなたが過剰反応したんだわ。」
ミムラスが首を縦に振る。それを見てメフェルが更に語気を強めた。
「あなたってそういうとこあるわよね。」
「どういうとこだよ。」
「メフェルさん……もう、そのくらいでいいんじゃ。」
今にも爆発しそうな二者の間に、堪らずシーナが入った。ラガルがチラリとシーナを見る。
シーナにはその表情が怒りというよりも困惑の顔に見えた。そして目があった瞬間、明確にホッとしたような助かった表情をする。
ミムラスは固く拳を握りしめたまま、唇を噛む。
目尻に溜まった涙が、杖の光に反射している。
「アタシ、大丈夫……怖かったけど、アタシが悪いから。」
「本当に大丈夫?怪我とかしてない?」
しゃくりをあげつつも泣き止んだミムラスにメフェルが声をかけた。よしよしと頭を撫でながら、声かけを忘れない。
一方、ラガルはシーナの影に隠れるように立ちすくんでいた。
「……なぁ、俺が悪かったのか?」
誰も答えることはない。
ラガルは眉間に皺を寄せて、ほんの少し目を伏せた。
「わからないな……人間は。」
「いや、あの……なんで僕の後ろにいるんですか。」
いじけたようにラガルはそっぽを向く。シーナは急に幼い態度を取るラガルのことがわからなかった。
しかし、とりあえず盾にされていることだけはわかるのでなんとも落ち着かない。
「私、メフェルっていうの、あの子がシーナで。大きいのがラガル。」
「ムラスの子のミムラスよ。メフェル、優しいのね。」
ぐすん、ぐすんとミムラスは鼻を啜る。
「よかったら暫く一緒に行きましょ。なんだかここ変な魔の流れがあるの。危ないわ。」
「そうなの?アタシわかんない。」
「大丈夫よ、何かあったら私が守ってあげるから。」
「ありがとう。」
打ち解けたらしい女性たちはきゃっきゃっと話を弾ませていた。
そんな中、ラガルとシーナは置いてけぼりを喰らったように二人歩いていた。
「ラガルさん、前歩いてくださいってば。」
「嫌だ。」
その声は、どこか子どものように拗ねていた。
こうして三人から四人なった旅は続いていく。
……彼らの足元のさらに奥深くで、紫の光が脈打った。
音は誰にも届かない。
不穏な流れが一瞬、ラガルの頬を掠める。
肌を撫でるねっとりとした感触に、足がふと止まりかけるが気のせいだろうと彼は歩き続けた。




