ネインバイドカラム
霧の森、ウザレアクニスニルでの一夜が明け、目的地に一同はいた。ゴツゴツとした地面に苔むした岩や、古い石の柱が並んでいる。
メフェルは石柱の一つに駆け寄ると陽気に言った。
「やっと着いたわねぇ。ネインバイドカラム〜!」
昨日の暗い様子とは一転、花が咲くような明るさを見せている。そんな彼女にラガルはすぐさま噛みつくのだった。
「お前が森を抜けるって言い出すから、あんなことになったんだぞ。」
「あんなことって?」
「変な幻覚を見ただろうが!」
すっとぼけて見せたメフェルにラガルは唸る。
側から見れば険悪な雰囲気のようでもあったが、シーナはいつもの調子が戻って来たな、と嬉しく感じていた。
(今朝はラガルさんうなされてたけど、もう元気みたいだ。)
シーナが一人で笑みを浮かべていると怪訝な顔をしたラガルがこちらを見ている。
「なんだニヤニヤして、気持ち悪い。」
「え、あ……なんでもないです。」
「ラガルもたまには笑えばいいのだわ。」
メフェルの茶々にラガルは眉を顰めた。
彼女の髪がふわりと風に揺れる。
「きっと楽しくなれるわよ。」
その言葉にラガルは眉間の皺を深める。
彼には意味がわからなかった。
わからなかったから、彼女の笑顔に一瞬気を取られて苔に足を滑らせてしまった。
「大丈夫ですか!ラガルさん。」
シーナが駆け寄ろうとするが、一足早くメフェルが手を差し伸べる。ラガルは差し伸べられた手を見るとギョッと目を丸くした。
その様子に彼女は苦笑しながら言葉を足す。
「手よ、ほら掴んで。」
「自分で……立てる。」
そう言って立ちあがろうとしたラガルだが、一度もつれた足は思うように動かない。体勢を崩すと岩場に倒れ込んでしまった。
「立ててないじゃない。」
「これは、違う。」
メフェルが側に寄って、杖を支えにラガルを立ち上がらせる。彼は終始俯いたままで、表情を確かめる事がシーナにはできなかった。
「足場に気をつけて行きましょうか。」
「そ、そうですね……それにしても変わった場所です。」
シーナが辺りを見渡すと地面に埋もれた石に模様が描いてあった。他にも文字のようなものを見つけたり、色々な場所に歴史が隠れている。
「ここは古の大戦が終わった後も、しばらく魔族がいた場所だって聞いてるわ。」
「ネインバイドって王国があったんですよね。」
「よく知ってるわね。その王国もずっと前に滅ぼされて今じゃ瓦礫の山……石切場になってるわ。」
近くにあった小石をメフェルが蹴るとコンコンコンと音を立てて転がっていった。
角の削れ丸くなった石碑の跡がこの地の歴史を物語る。
鳥の影が三人に被り、やがて通り過ぎていったときに異変は起こった。
「ん……。」
どちらの声だったかはわからない。ラガルの瞳孔が丸く開かれ、毛が逆立つ。メフェルは咄嗟に杖を構えた。
木々のざわめきが大きくなる。遠くで鳥たちが羽ばたいた。シーナには二人の反応が唐突に見えて、戸惑いを隠せない。
「なんだ、今の。」
ラガルが短く問う。シーナはなんのことかさっぱりわからなかったが、メフェルにはそれで通じたようだ。
「あっちの方から魔のうねりを感じたわ。」
そうして彼女が指を刺した方向は先程、鳥たちが飛び立っていった場所だった。
シーナはよく目を凝らす。するとそこには微かな影が見えた。
「何か見えます、木?……細くて長い……塔?」
「よく見えるわね、ラガルは見える?」
「眩しくて見えん。」
手でひさしを作り、目を細めて遠くを伺うラガル。だが、目を瞬かせると諦めてシーナの方に目をやった。
シーナの薄紅の瞳は一点を見つめている。
メフェルは少し考えた様子を見せたが、すぐに手を叩くと決断した。
「よし、行ってみましょう!」
「馬鹿が、昨日それで痛い目を見たのを忘れたのか。」
「で……でも、ラガルさん。あれがなんなのか僕も気になります。」
メフェルとシーナが上目遣いでラガルを見つめると、何故だか彼は一歩後ずさるような姿を見せた。
それを好機と見たメフェルが距離を詰める。彼女に続いてシーナも一歩踏み出した。
「な……なんだその目は。」
「ちょっと行くだけだから。」
「少し見るだけです。」
「……。」
*
天に伸びる塔、小さくもそれは存在感があった。
輝く白亜の塔は、荒廃した岩場の土地には似つかない。
結局、ラガルは何も言い返せずここまで連れて来てしまった。自分が彼女らに引かれていることに、気づきながら。彼は心臓をギュッと抑えて、一人俯いている。
(あの目は一体なんなんだ。)
胸を締め付けられるような不思議な感覚。
そんなラガルの疑問など知らぬように、二人はキラキラと目を輝かせていた。
「わぁー!塔だわ〜!」
「塔ですね!」
「それは見ればわかる、魔術“塔”だ。」
精巧な作りの石の塔、継ぎ目の見えないくらい滑らかな表面のそれにラガルは見覚えがある。
魔術師の本拠地で嫌ほど見た魔術塔だ。
「これが魔術師の塔、ですか?なんでこんなところに?」
「前にも言ったろう。ここはあいつらが掘り返してた場所だ。」
ラガルが舌打ちと共に塔を見上げる。それは睨みつけているようでもあり、忌々しいものを見る眼差しだった。彼の背に嫌な汗が伝う。
「地下に大きな遺跡があるのよ。入り口がここかもしれないわ。」
メフェルが塔に近づき手をかざすと、一瞬、紋様が浮かび上がって扉が出てきた。
シーナは現実離れした光景に口を開ける。
「す、すごい!メフェルさんの魔術も凄いけど、こんなの初めて見ました!」
興奮を隠さずに入り口へ近づくシーナをメフェルは暖かい目で見守った。
「私は慣れてるけど、外の人からしたら変なのね。」
「どこから扉が出て来たんですか!?」
「見えないように隠されてるだけよ。早く入って。」
くすくすと笑うメフェルに先導されて二人は中に入る。そこは薄暗かったが、見えないほどでもなく。寒くも暑くもない、不思議な空間だった。
「光よ。」
メフェルがそう言って杖の先に灯りを灯す。眩い光が刺したが、だんだんと目が慣れてくるとあたりの様子が一層鮮明になった。
「わぁ……!」
シーナが声を上げる。そこは未知の道具や本がずらりとひしめき合う探究の部屋だ。
見たことのない形をしたガラスの瓶や高価そうな金の道具が置かれていた。
嗅ぎ慣れない薬効の匂いがシーナの鼻をつく。
「片付けないで帰ったわね。報告書を書かなくちゃ。」
メフェルが呆れたように物を言う。
シーナが服から羊皮紙の束を取り出して木炭を構えると、一生懸命に何かを描き始めた。
ラガルが覗くとそこには精巧な道具のスケッチがある。
「……で、一体どこが入り口だって?」
その絵を見ながら尋ねた。
どこを見渡しても地下への入り口などない、上へ続く階段だけが残されている。
シーナもスケッチをしながら目ぼしい場所を探してみたが、隙間一つない。
「魔術師はね、意地悪なのよ。」
メフェルが少し悪い笑みを浮かべ、杖で2回床を叩く。
すると、床に線が入り。
模様を描くように伸びていった。
線が輪郭を縁取り。
それは顕になる。
不可思議な光景にシーナとラガルは息を呑む。
やがて模様が完成すると、そこから沈み込むように床が動いていく。そして螺旋状の弧を描くと、白い階段が目の前に現れた。
「ね、どう?」
「お、同じ……世界に住んでるんですよね?」
悪戯っぽく尋ねたメフェルにシーナが答える。
彼女の見せた光景は非現実への入り口だった。
「これ本当に歩いても大丈夫なやつですか?」
「大丈夫なやつよ。ほら降りて降りて!」
シーナが引け腰になりながら階段を覗く。
底は暗く、冷たい空気が流れていた。
ごくりと喉を鳴らし、シーナは足を下ろす。
トンと音が響いた。
その音がどこまでも深く響いていく。
「む、無理です!ラガルさん先に行ってくださいよぉ!」
彼は音を上げるのが早かった。
足は生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。
「戦える人が先に行った方がいいわよね。」
「灯り役が先に行けよ。」
「あなた夜目が効くでしょ。」
ラガルが言い返すも即座にメフェルに切り返される。
彼は夜ならば目がとても良い、それを彼女は知っていたのだ。
「ち……様子を見てくるから待ってろ。」
舌打ちをしつつもラガルは下に降りていく。
彼の姿が暗闇に溶けていった。
(このまま帰ってこなかったらどうしよう。)
シーナは何故か彼がその先に行って、もう二度と戻ってこないのではないかと想像してしまった。
しかしラガルに限ってそんなことはないと、首を振る。
メフェルは暇そうに杖の灯りと戯れていた。
灯りに照らされた彼女の顔に影が浮かび上がる。
「今こっそり後ろからついていって脅かしたら怒るかしら。」
「や、やめましょうよ。」
彼女の暢気な発言にシーナは首を振った。
メフェルはどうも悪戯好きなところがあるようで、ラガルにちょっかいをかける事が多い。
そしていつも彼に怒られるのだ。
「シーナは旅に慣れてきた?」
「僕ですか?は、はい……少しずつ。」
「良かった。私たち結構早く進んじゃうから、疲れたら言ってね。」
メフェルが光をシーナに向ける。シーナは顔を逸らしつつも、彼女に“大丈夫だ”と答えた。
「メフェルさん、人に向けたら危ないですよ。」
「そう?」
「目が痛いです。」
「ごめんなさいだわ。」
舌を出して謝るメフェルは反省しているようには見えない。ラガルなら舌打ちしてるだろうなと、シーナは考えていた。
そのときだ。
――ばんっ
階段の先から破裂音が聞こえてきた。
それも一回じゃなく複数回。
静寂が落ちて――ばん、ばん、ばん。
床を揺らすような音にメフェルとシーナは硬直する。
そして二人顔を見合わせると一目散に階段へと走り出した。そのときシーナは手近にあった石を拾い上げていつでも投げられるように構えていく。
(ラガルさんが危ない!)
嫌な予感がシーナの胸を突いている。
階下から肌を裂くような衝撃が伝わった。




