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風は止み、祈り果てる

 身に衝撃を感じる。

 氷を纏わせるより早く、身体に重みが重なった。


 じわりと嫌な熱が背中に流れていく。

 青年は何が起きたのかわからなかった。


「ゼン……?」


 微かな声で男の名前を呼ぶ。

 顔は見えない、見ることができなかった。


 ただ失われてく彼の熱を感じることしかできない。


「は……は、大丈夫だ。」


 帰って来た言葉は弱々しく、風のような音だ。

 青年の耳元で呼吸がどんどん浅くなっていく。


「ゼン、ゼン!死ぬな!」


 そう言ってももう助からないのはわかっていた。

 ゼンのダラリと伸びた腕を必死に抱きしめる。

 その抱擁に応えるように指先が少し曲がったが、力がない。


「オ……逃げろ。」


 掠れた声が更に聞き取りにくくなった。

 震える声でゼンの名前を何度も呼ぶ、しかしそれに返事はない。


 (嘘だ。)


 頭では拒絶しても、体にかかる重みでわかってしまう。

 背の熱でわかってしまう。


 青年は縋るように彼の手を握りしめた。


 けれどもう何の反応も返ってこない。

 遠くの悲鳴も、怒号も何もかも入ってこなかった。


 こんなときどんな声をあげればいいのかわからない。

 胸が張り裂けそうなほど苦しいのに、青年には叫ぶことも泣くこともできなかった。


 声を出そうとしたのに、喉が閉じて音にならない。


 動揺が空気に広がる。

 周囲に霜が降り、残骸を氷が覆っていく。


 ゼンはもう抱きしめてはくれない。

 大丈夫だと言ってくれない。

 

『祝福されし、世界樹の力よ。聖なる鎖となり敵を捕らえよ。』


 声が響いた。

 途端、地面から光の鎖が伸びて、氷を貫き青年を捕縛する。呻き声をあげて彼は地に伏した。


 遠く、ローブの影がこちらに歩み寄ってくるのが見える。


 鎖に首を絞められ、息もできないまま彼は意識を手放した。


 

 *



 薬草の匂い、発光する液体、怪しげな音。

 次に目を覚ましたときには彼の四肢は枷で繋がれて、寝台とも呼べない板の上に寝かされていた。


 先程のローブの人影たちが自分を取り囲んでいる。

 気がつけば髪は短く切られ、首には銀の枷が嵌められていた。


「目が覚めたか、卑しい魔族め。」


 ローブの集団のうち、側にいた一人が話しかけてくる。

 必死に視線だけで彼の顔を見ようとしたが、その顔は伺えない。


 咄嗟に氷を放とうとしたが、いつものように力は集まらず体内で霧散していくばかりだ。

 それでも拘束された木の板に霜が張る。

 驚く青年に男は告げる。


「その銀の首輪がある限り魔法を使えない。はずなんだがな、お前は特異のようだ。」


 その言葉に状況を問おうとしたが、口は布で塞がれていた。


 突然の拘束に、青年は頭がついていかない。

 状況を整理する時間も与えられず。

 青年を乗せた板は運ばれていく。


 そして灯りの灯る台の上に乗せられるとローブの男は静かに笑った。


「さぁ、魔術実験を始めようじゃないか。」


 ――そこから地獄の日々が始まる。


 赤、白、青、黄色。

 光景とも呼べない光景が広がった。

 血が流れた。

 痛みが身を貫いた。


 思い出せないほどに辛い日々だ。

 ローブの人影たちが笑う。


 青年を見て嘲笑う。


 彼はここに来て初めて灰境の外の恐ろしさを知った。

 しかしもう考える余裕などない。

 何があったかなんてどうでもよかった。


 早くこの地獄から抜け出せるなら、なんでもよかった。


 時間も忘れてしまった頃、一人の少女が檻の前にやって来た。その少女は男を見て泣いていたように思う。


 金にも見える月のような黄色の瞳が交わったとき、地獄はようやく終わりを告げたのだった。


 ――風は止み、祈り果てる。


 どこかで懐かしい声が聞こえる。


 光の槍の残光が瞼に焼きついていた。

 それが焚き火の光に変わる。

 

 ――――――――――――――――――――――――


 パチリ、と音が弾けた。

 焚き火の残火が跳ねる。

 

 気がつけばラガルは眠りに落ちていたようで、体には毛布が被せられていた。


 白ばんだ空の色が見え、時刻が明け方であることを示している。


「風は止み、祈り果てる。」


 焚き火の燃え残りの向こうでシーナがリュートを奏でていた。ラガルは混乱した頭のままその音に耳を傾ける。


 風は止み、

 祈り果てる。


 今は亡きあなたを想う。

 剣を振い、炎を切り裂いた、

 あなたを。


 空はまだ、血の色を映す。

 あなたの血を。


 その色は流れ、哀を知る。

 黄金の原を、駆けていく。


 澄み切った歌声が昇り始めた朝日に溶けていった。

 その歌は優しく、包み込むような音で大地を癒す。


 朝露に濡れた葉も、頬を撫でる風もシーナを祝福しているようだった。

 ラガルには今が夢か現かわからなかった。

 ただ,胸の奥が痛い。

 夢の残影はまだ胸の中にあった。


「あ……おはようございます。ラガルさん。」


 そうシーナが語りかけてくる。それでやっとラガルはこれが現実だとわかった。


「お,起こしちゃいましたか。」


 おずおずとシーナが訪ねてくる。

 嫌な夢を見たのに不思議と寝覚めは悪くなかった。


「いや、別に。」


 いつもよりも良い目覚めにラガルは、少し機嫌が良くなる。だからだろうか、シーナに尋ねた。


「何歌ってたんだ。」


「え?あ、い……いやぁ。」


 シーナの心臓はどきりと跳ねた。

 まさか聞かれてるとは思わなかったのだ。


 一瞬の戸惑いを見せて彼は言う。


「と、父さんの歌を歌ってました。」


「ああ……前に言ってた。」


 父の最期を歌いたい、そう言っていたシーナの姿をラガルは思い出した。あれは黄金竜を退治しにいく前のことだ。


 そして無言の時間が続く。


 耐えきれなくなったシーナが次の話題を探すまで、その時間は続いた。

 

 

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