最初の殺し
血が広がる。
その赤は怖いほどに綺麗だった。
あたりに響くのは女の悲鳴と男たちの怒号。
トカゲは馬車の積荷を、ひったくると麻袋へと詰め込んだ。ジャラジャラと金貨が音を立てて雪崩れ込む。
こぼれ落ちた金貨の先で、身なりの良さそうな女が倒れ込んでいた。
「き、貴様らぁ!」
声のほうを見れば1人の男が地面に伏しつつも、女に手を伸ばしている。その手を大きな影が覆って、踏み潰した。
ジャンだ。
「ボサっとすんなトカゲ、早く持ってけ!」
動きを止めて様子を眺めていたトカゲに、横から叱責が飛ぶ。しかし,この喧騒の中、誰が言ったのかはわからなかった。
声のいうとおりにトカゲは袋を持ち上げる。
周囲は悲惨だ。
トカゲ率いる灰境団は街道を通る荷馬車を襲っていた。
今日の獲物は商人の荷馬車だった。
女は全員、捕虜として捕まえて、男たちは殺した。
去ろうとしたトカゲの前に男が立ち塞がる。
手には剣を持ち、ギラギラとした瞳でこちらを睨みつけていた。
剣をトカゲは抜き取る。
震える手を咄嗟に前へ構えた。
ざくり。
構えた剣は呆気ないほど簡単に突き刺さった。
暖かい赤が刀身に伝い、零れ落ちていく。
鉄の匂いが遅れて広がった。
「あ……あぁ……。」
――やってしまった。
泣きたいのか笑いたいのかもわからない。
ただ言葉が脳裏に過ぎる。
そう思う頃には男に息はなく、ただ剣にかかる死体の重みだけが残っていた。
「ずらかるぞ!」
キースの声で現実に戻される。
トカゲは剣を力尽くで抜き取ると,血を振り払うこともなく声の方向へと進んだ。
*
アジトに戻るとそこはまるで祭りのようだった。
先程とは打って変わって、楽しげな声があちらこちらから聞こえてくる。
そんな中トカゲは手に残る熱を確かめるように、両の手を眺めていた。
この騒ぎの中でも両の手の震えは止まらない。
手の熱が次第に冷えていくのが恐ろしかった。
止まった世界の中で声だけが響く。
心臓の音も、風の音もなかった。
「良くやったなトカゲ。」
その声で世界は音を取り戻す。
背後から声をかけられた。
ゼンが笑っている。
――その笑顔が現実に引き戻す。
トカゲは瞬間、心が溶けたように熱くなるのがわかった。胸の内から言葉にできない感情が湧いてくる。目頭が熱い。
「どうした?」
ゼンは困惑していた。トカゲはしゃくりをあげそうな喉を抑えて、ゼンの方を見る。
よく見ればゼンは肩から血を流していた。
トカゲは固まる。
やけにその赤が鮮烈に見えた。
急速に世界が遠のいていく。
男の最後の顔とゼンの顔が重なる。
流れる血がとめどなく溢れて、止まらない様を思い浮かべた。
「ゼン……。」
「ああ、これか?ただのかすり傷だ。」
笑うゼンの声も聞こえなかった。
ただの強がりに見える。
手の熱も、震えも、今は遠かった。
体の熱が奪われていくような感覚に襲われる。
熱は逃げ場を失い、内側を凍らせた。
周囲の熱が冷えていく。
パキリ、パキリと音を立てて凍えていく。
足元に霜が降りた。
「トカゲ?これは……。」
ゼンが何かに気づく、ハッとした表情を浮かべ、大地を蹴った。
同時だった。
トカゲの周囲が氷に包まれていく。
咄嗟にトカゲを抱きしめたゼンごと氷は辺りを侵食する。
「大丈夫だ!大丈夫だから落ち着け!」
トカゲを強く抱きしめたゼンは必死の形相で言う。
その腕には氷が這っていたがそんなことは気にしなかった。命令のようにも焦りのようにも聞こえる”大丈夫“の言葉が残る。
「殺した……殺したんだ。ゼンも死ぬ!」
「大丈夫だ、息を合わせてみろ。」
静かに息をするゼン、宥めるような声でトカゲに囁く。
冷えた中、ゼンの体温が一層暖かく感じる。
声を聞いてるうちにトカゲは段々と落ち着いてきた。
「俺は大丈夫だ。死にやしねぇ。」
その言葉が酷く頼もしく思えた。
段々と凍る速度が落ちていく。
ピタリと止む頃にはトカゲは意識を失っていた。
凍ったのは世界だったのだろうか、それとも……自分か。




