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氷の過去

 火がはぜる音だけが聞こえていた。

 シーナとメフェルは疲れから随分早くに眠りについていた。夜も更けた頃、ラガルは1人考える。


 彼の手には冷たいもの――鈍く輝く氷片が握られていた。


 それを見ながらラガルの思考は深まっていく。

 焚き火の赤と氷の青が、互いに照らし合いながらゆらめく。

 指先は冷たい、それなのにその感触は懐かしかった。

 

「……くだらねぇ。」


 氷を火にかざす。ジュ、と音を立てて水滴が流れ落ちた。


 その音が耳に触れた瞬間、視界がぐにゃりと歪む。


 (――まただ。)


 世界が黒く染まった。


 ――――――――――――――――――――――――


 雪が降り積もる真っ白な世界。

 気がつけば彼はそこにいた。


 手には真っ赤な宝石だけがある。

 他には何も持っていなかった。


 目の前には自分の背丈より大きな男がいる。

 雪明かりに照らされて、男の髪が青く光っていた。

 彼は何かを語りかけているが耳に入ってこない。

 ただ頬に掠める風の冷たさと、吸い込む空気の鋭さだけを感じていた。


 *


 男に連れられてやって来たのは集落だった。手に入るものを寄せ集めて作られたような場所。

 青年は訳もわからないまま、一つの小屋へと通される。


 その中は暖かかった。


 小さな木の椅子に座らされ、出されるままに食べ物を受け取る。あのとき初めて、空腹よりも先に“安心”を覚えた。


 そのとき初めて言葉が耳に入ってくる。


『お前は、どこから来た?』


 彼はなんと答えればいいかわからなかった。

 何も思い出せない。

 自分がどこの誰で、何をしていたか。


 手の中の赤い石を見つめる。


 その輝きを見ていると何か大事なことを思い出せそうだったが、頭痛に苛まれてそれ以上は何もなかった。


 黙る青年に男は何も言わない。

 ただ彼が喋るのを待っている。


 『わか、らない。』


 辿々しく答えたとき、それが彼と男の始まりだった。


 擦り切れた服にボサボサの髪、あどけなさの残る青年は誰が見ても痛々しい。

 男に出された食物を初めて見るかのように眺めて、おずおずと手に取ると口に運んだ。


 一口含めばあとは早かった。よく咀嚼もしないで流し込むように平らげる。


 よほど腹が空いてたんだろう、と男は考えた。


 水も飲み干し青年は一息つく。


 そのとき、部屋の扉が開かれ、1人の細身の男が入ってきた。黒い外套に身を包んだ髪のない男は、青年の前にあった革張りの椅子にどっかりと座ると、ゼンと呼ぶ。


 青年を拾ってきた男、ゼンは彼に向き直ると話を始めた。


 2人は青年にわからない言葉を使っている。

 何やら揉めているようだった。


 やがてゼンが強い口調で何かを言うと男は引き下がり、困ったように頭を掻いた。

 そして壁にあったタペストリーを適当に指差すと青年を見つめて何かを言う。


 青年は耳を凝らす、なんと言ったか不明瞭で聞き取れない。その様子を察したゼンが男の言葉を翻訳した。


 ――トカゲ、その日から青年はそう呼ばれるようになった。


 *


「トカゲ。」


 そう呼ばれて、振り返る。

 そこにはゼンの姿があった。

 今のは着いてこいの合図だ。


 あれから数ヶ月、早くもトカゲは言葉を少し覚えていた、いまだに身振りは必要だが、意思疎通ができるようになるまで異様に早かった。


 トカゲは素直にゼンの後ろをついて歩く。

 向かった先はトカゲを拾った森だった。


「今日は狩りを教えてやる。」


 そう言ってゼンは笑う。

 必要なことは全て彼に教わっていた。

 トカゲはただ頷くとゼンから弩を受け取る。


 ずしりと重たい感触が手に伝わった。


 雪の中をトカゲは歩いた。

 獣の見つけ方、森の歩き方、危険なものを教わる。


「いたぞ。」


 ゼンが前方を指差す。そこには鹿がいた。

 鹿はまだこちらに気付いてないようで木の皮を食んでいる。


「構えてみろ。」


 トカゲは弩を構えた。

 以前にゼンから教わった通りに照準を合わせる。しかし、腕が震え狙いが定まらない。

 弩の引き金に指をかける、その冷たさに指が震えた。


 そんな様子をゼンはただ黙って見ている。


 引き金を引いて矢が外れる音がした。

 風切り音を纏いながら、矢は鹿へ一直線へ飛んでく。


 しかし、当たる寸前で何かを察知した鹿が動き出す。


 矢は当たらなかった。


「……あ。」


 トカゲの口から音が漏れる。そしてどこかホッとしたような表情を見せた。

 ゼンはそんなトカゲに叱責を飛ばす。


「ちゃんと狙え、お前の飯だぞ。」


 トカゲは弩を眺めた。それは重々しく、無骨で、命を奪う形をしている。


「余計な情けを獲物にかけるな、いざというとき命を落とす。」


 ゼンの声は厳しかったが、不思議と怖さはなかった。

 困った顔をするトカゲにゼンは語る。


「……このバードゥダラン(終わりの土地)で誰も信用しちゃいけねぇ。俺もだ。」


 その言葉には重みがあった。傷だらけの背中は彼の歴史を物語っている。その中には仲間につけられた傷も、仲間を傷つけた傷もあった。


 最後に罠を回って、獲物が掛かってないか確認をして帰る。収穫はなかったため、手ぶらでの帰還となった。


 集落にたどり着くと人々が集まってくる。


「ゼンさん、何か獲れましたか!?」

「お帰りなさい兄貴!」


 口々にかけられる声は全てゼンへのものだった。

 苦笑しながらゼンは何も持ってないことを示すと人だかりは消えていく。


 そのうち残った男がトカゲを見て言った。


「お前が足を引っ張ったんじゃないだろうなぁ。」


 そう言いながらも、声には棘がなかった。

 コレオはゼンの後ろでいつも口ばかり多い。

 それでも、誰より先に矢を放つのはいつも彼だった。

 ゼンはやめろと静止をかける。

 男はつまらなそうに口を尖らせると『そんなんじゃ灰境団ではやっていけないぜ。』と捨て台詞を吐いた。


「コレオ、俺がいない間に何かあったか?」

「ああ、キースがトカゲのこと探してたぜ。」


 コレオ、それが男の名前だった。コレオはトカゲを見るとポリポリと頬を掻く。


「なにかしでかしたんじゃないだろうなぁ。」


 ゼンが眉を動かすだけで、コレオはすぐに口を閉じた。

その反応は、長年の信頼が染みついた動きだった。

 ゼンが髭に手を当てた。考えているのは、頭領がなぜトカゲを呼んだのか。


 やがて諦めたのか、ゼンはトカゲの肩に手を当てた。

 

「キースには逆らうな。だが……信じるな。」


 それだけのことだったが、ゼンからは有無を言わさないような迫力を感じた。トカゲは何故だか聞くこともできず、ただ頷く。


 その返事に満足したのかゼンはトカゲの背中を叩くと、コレオに言った。


「おい、キースの元に案内してやれ。」


 

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