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鎖の夢

 ――世界が反転する。


 「えっ。」


 そして次に目に飛び込んできたのは懐かしい祖父母と暮らしていた家だった。

 思わぬ出来事にシーナはあたりを見渡す。けれど何度見てもそこはあの家だ。まるで夢のようだ、と思った。ほお撫でる風も草木の匂いも本物だった。


 そしてシーナは気づく、自分の視線が低いことに。

 

 慌てて自分の体を見ると――随分と小さな手があった。記憶にある子どもの手だ。


「シーナ。」


 空気が僅かに揺れて、風もないのに家が軋む。

 優しい声がして振り向くとそこには祖母が立っていた。


「お、おばあちゃん?」


 にこやかな祖母がいた。白くなった髪に、皺のある祖母はニコニコとシーナを見つめている。再会に思わず嬉し涙が出た。何かがおかしいという考えは既になく、目の前の彼女に笑みを溢す。


「シーナ、また泣かされたのかい。」

「う、ううん……ちがうよ。僕、うれしくて。」


 祖母はただニコニコとシーナの話を聞いていた。それがたまらなく嬉しくてシーナは口を動かし続ける。


「あのね、僕おうごんりゅうをみたよ。」


 ニコニコと祖母はシーナを見ていた。シーナは必死に喋り続ける。それだけ黄金竜が強くて、怖い存在だったか。拙い言葉で祖母に伝える。


「お、お父さんはね、そんなあいてとたたかった。かっこいい人なんだよ。」


 シーナが言い終えると祖母はニコニコしながら、すごいねと呟いた。皺の刻まれた手がシーナへと伸びる。

 それを見た瞬間シーナはびくりと体を震わせた。


 けれど何事もなく祖母に頭を撫でられるシーナ。その様子に目を丸くしてシーナは問いかけた。


「起こらないの?あぶないことしたのに。」

「いい子だねシーナ。」


 祖母の瞳はどこか虚で遠くを見つめていた。光の灯らない双眼にシーナは嫌なものを覚える。けれども大好きな祖母が目の前にいることに変わりはない。


「おいでシーナ、今晩はシチューだよ。」

「ほんとう!おばあちゃんっ!」


 シーナは無邪気に喜ぶ。

 


 食卓の上に並べられた大好物にシーナは心を躍らせる。祖母と共に食卓につくと祈りの言葉を口にして、シチューを口に運んだ。


「おいしい!」


 素朴な祖母の味が口に広がる。食べ慣れたはずの味だったがシーナには新鮮に感じた。まるで久方ぶりに食べたような、そんな……。


「……あ。」


 シーナはそこで気づく、これは甘い夢だ。シチューにはシーナの苦手なものが一切入っていなかった。どんなに大好物でも苦手なものを祖母は体にいいからと入れていた。


 (このシチュー、人参が入ってない。僕の嫌いな人参が。)


 一気に現実に引き戻される。恋しかった家も大好きな祖母もただの幻だ。そう思うと一気に色褪せて見えた。全てが遠のいて見える。


「ごめん、おばあちゃん。僕行かなくちゃ。」


 シーナは祖母の幻にそう告げた。途端、それまでにこやかだった祖母の顔が旅立ちの日に見た悲痛な顔に変わる。


「どうして?ずっと家にいたらいいじゃないか。」


 幻だとわかっていても、その姿は苦しいものがあった。揺らぎそうになる気持ちを抑えてシーナは首を横に振る。


「僕、外で学んだんだ。僕はまだ何も知らない。わからないことが沢山あるって。」


 祖母の瞳に正面からシーナは挑んだ。いつの間にか低く感じた世界は、いつも通りの高さに戻っている。溶け始めた祖母の幻。シーナは背筋に芯が入ったようなそんな気がした。


「父さんが見ていた景色を僕も知りたい。僕の知らない景色を僕は見たい。」


 一歩、玄関に向かってシーナは歩き出す。側にあったリュートを手に持って扉に手をかけた。


「外は危ないよ、お前も帰ってこない!」


 泣き出す祖母を振り返ってシーナは言う。その姿は自分の足で立つ1人の人間だった。


「大丈夫だよ。心配しないで、僕は必ず戻ってくるから。」


 笑顔で答えて、シーナは外に踏み出した。

 白い光があたりを包む。

 真っ白な世界の中、最後に祖母の顔を見た。それは相変わらず情けないものだったが、同時に愛おしく感じる。


 シーナは名残惜しい気持ちを胸に秘めて、目を覚ました。


 ――気がつけばそこは森の中。


 シーナは1人で朽ちた木の上に立っていた。目の前には

 そこの見えない泥沼が広がっている。シーナはゾッとした。あと少し目を覚ますのが遅ければ、この中に引き込まれていたかもしれない。


 (危なかった……。)


 心の中で安堵する。しかし、その時間も長くは続かなかった。メフェルとラガルの姿が見えないのだ。まだうっすらと霧が残る周囲を見渡しても、2人の姿はない。


 シーナは嫌な予感がした。


 そのとき、森から轟音が聞こえる。

 鳥が一斉に羽ばたいた。

 

 その空は、青ではなく――灰色だった。


 *


 本に囲まれた部屋の中、小さな少女が立っていた。白いワンピースを握りしめて必死に唸っている。


「目を覚ますのよ、メフェル。これは幻覚だわ。」


 そう言ってメフェルは両腕を構える。その手は小さく、頼りなかった。いつものように術を発動させようとしても上手くいかない。


 まるで夢の中にいるように自身の体の感覚がわからなくなっていた。


 そのことに危機感を覚えるメフェル。どうにかしようともがいていると、1人の人物が部屋に入ってきた。


「メフェル、今日も勉強をしているのかい。」


 それは父だった。記憶の中の優しい父がメフェルに語りかけてくる。偽りだとわかっていてもメフェルの心は動揺した。何も答えないメフェルに父は続ける。


「偉いね、流石は僕と母さんの子だ。」


 父はいつも自分のことを誇っていた。それはもう兄弟の中で1番。気づけば、メフェルの側に姉がいた。2番目の姉だ。姉が冷たい瞳でメフェルのことを見ている。


「またそうやって媚を売って。」


 ボソリ、小さな声だったがメフェルにはその声が何よりも大きく聞こえた。動悸が激しくなる。


「あなたは頭がいいだけ、他にはなにもない。」


 積まれた本の上に姉の言葉が落ちる。その言葉はメフェルの心を深く抉るように染みていった。メフェルは泣きそうになるのを堪えて、笑おうとするが上手く笑えない。


「知恵がなければお母様にもお父様にも見捨てられるのよ。」


 いつの間にか姉の姿は溶けて、母の姿へと変わっていた。母はメフェルの方を振り返らずに尋ねる。その質問は繰り返し言われてきたものだった。

 

――今日の成果はなんだったの?


 その言葉にメフェルは絶望した。課された宿題に勉学に研究に全てに応えてきた。

 けれども母が振り向くことは一度もなかった。


 メフェルは今日した事を話すが彼女はこちらを見ない。後ろに現れた父がそんなメフェルを偉いと褒める。その言葉に心が弾んでしまう。


 しかし、どこかで悲鳴をあげていた。


 メフェルは重圧から逃れるように、書庫へと走り去った。彼女を救うのは彼女を追い詰める勉学だけであった。

 ただがむしゃらに本に齧り付く。


 そんなメフェルを大人たちは取り囲み、口々に囃し立てた。その遠くで姉がメフェルのことを煩わしそうに睨みつける。


「本当は何もないくせに。」


 メフェルの背に冷や汗が伝う。辺りは真っ暗で自分がもうどこにいるのかもわからなかった。ただその中で声だけがこだまする。


「あなたに求められてるのは知恵だけ、誰もあなたのことを見ていない。」


 核心をついた言葉にメフェルは目を見開いた。その言葉から逃れるべく走っても、永遠に闇が続くだけ。暗い世界の中を闇雲に走っても出口などなかった。


「必要とされてない。」


 足が止まりそうになる。体から力が抜けていく。


「あなたがいなければよかった。」


 ――いなければよかった。


 いらない、いらない、いらない。

 わたしはいらない子なの?


 ……静かだった。

 なのに、胸の奥だけが、ざわざわと煮えたぎっていた。


 メフェルの足がもつれる。膝をついて倒れ込んでしまった。かつて姉から言われた最悪の言葉の前に心が挫けた。


 俯いた顔に長い髪がかかる。なぜ泣いているかもメフェルにはわからなかった。もう全て捨ててここで果ててしまいたい、そんな感情がメフェルを襲う。


 そのとき微かに優しい音が聞こえ、白い光がメフェルを照らした。


 その先に進むと、1人の男が牢に入れられている。

 酷くやつれたその体に、ボロボロの髪、虚空を見つめる瞳。その全てにメフェルの心は痛んだ。その瞳はどこかで見た誰かと同じ色をしている。


 それと同時に暗い感情が彼女を支配していくのがわかった。


(この人には私しかいない。)


 男の首につけられた枷、そこから伸びる鎖、その先のもう一方にも枷がある。


 ぬるり、とメフェルの立つ地面が揺れた。

 

 手が勝手に動いた。冷たさが皮膚を焼く。なのに、なぜか心の奥で、少しだけ、安堵する自分がいた。


 彼女は瞳を伏せたままその枷を自分の手首に嵌めた。

 

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