静寂の森
エポドナフルからナザレムに向かい、街を出る頃には雪もすっかり溶けていた。青々とした葉が生い茂る季節だ。それから五日、東へ歩き続けた。
風は暖かいのに、時折どこか遠くから冷たい匂いがする。それは春の匂いではなく、まるで土の底から這い上がってくるようだった。
相変わらずラガルは仏頂面で何を考えているかわからなかったが。メフェルとシーナはすぐに打ち解けて互いにいろいろ話すようになっていた。
「へぇ、そうなの。私は子ウサギのパイが好きよ。」
「僕は断然シチューです。」
他愛無い会話をしながら歩いていく、道中で魔獣に遭遇することがあっても難なくラガルが倒してしまうので何も問題はなかった。
「着いたぞ。」
ラガルが不機嫌な声でそう言う。その機嫌の悪さにメフェルは心当たりがあった。だが、ここで下手に謝ってラガルを余計に怒らせたくなかったので無視をする。
シーナは目の前に広がる森を見上げた。
「ここがウザレアクニスニル――銀の大地に残る魔族の地。」
2日前の野営の夜、メフェルが焚き火の明かりの中で地図を広げた。
「ねえ、こっちの森を抜けたら近道になるわ」
ラガルの眉がぴくりと動いたのを、シーナは覚えている。
その近道というのが地図の上にある広大な森、ウザレアクニスニルを通過するというものだった。
(昔おじいちゃんから一度聞いたきりだけど、ここには恐ろしい泥の巨人がいて。人を霧に誘うんだ。)
ごくりとシーナが唾を飲み込む。ラガルが不機嫌なのはこの森を行くことに反対していたからだった。シーナも内心反対だったが、メフェルが行くというので仕方なかったのだ。
「これが噂の……話に聞いてたとおり陰鬱な場所ね。」
メフェルは一足先に鬱蒼とした森に踏み込む。その瞬間,空気が変わったのがハッキリとわかった。蒸した空気が肌にまとわりつく。
森の中は苔だらけで、キノコが至るところに生えていた。
「本当に行く気か?」
「ま,魔族といえば……人喰ですよね……。」
後ろの二人から引き止める声がかかる。けれどメフェルの意思は堅かった。
「魔族と接触できるいい機会かもしれないじゃない!」
「お前の狙いはやはりそれか。」
ラガルが呆れた声で言う。そして森の中へ進むとシーナも置いていかれないように、慌てて森の中へ踏み出した。
ぬかるんだ土の上を滑らないように気をつけながら進んでいく。知らない鳥の声が頭上で響いた。
シーナは怯えながらも問いかける。
「な、なんでこんなところに魔族のいる土地なんかあるんですか。エイシュ様の土地なのに。」
「……大戦で敗れた残兵が血を繋いできたからだ。」
ラガルはシーナの方を振り返らずに歩き続ける。木の枝や根を避けて、後ろに続くメフェルたちの道を作っていた。
「ま,魔族は入れないはずですよね銀の大地に!」
「そりゃ見つかり次第殺されるからな。ここの奴らは頑張ってるんだろう。」
と、ラガルが言った矢先のことだった。足元にあったキノコが地面から飛び出た。動き出し、ポフっと煙を上げる。ラガルたちが驚く間もなく、連鎖的にあちこちのキノコから煙があがった。
すると、それが合図だったかのようにうっすらと霧が濃くなり始めた。
「なんだ……これは。」
「だ,大丈夫ですよね!?」。
「落ち着いて、逸れないのよ。」
2人が困惑する中、メフェルが指揮をとる。しかしあっという間に霧は濃くなって、すぐそばにいる互いの姿さえ見えなくなってしまった。
「メフェルさん……?ラガルさん……?」
シーナが声をかけるも反応がない。自分の指先すら見えない霧の中、空気がひときわ重く沈んだ。
――次の瞬間、音が、消えた。
世界が、ひっくり返る。
そして、シーナの鼓動だけが、静寂の中で鳴っていた。




