追跡者
里を発つ準備は、驚くほど静かに進んだ。
見送りにはアルラヌリィだけがやって来て、軽い会釈をラガルを除く一同にした。
別れの言葉はなかった。
必要なことは、すでにすべて終わっている。
メフェルは一瞬だけ、生命の樹の方を振り返る。
果実は変わらず揺れていたが、その揺れが風によるものかどうか、彼女には判断がつかなかった。
アルラヌリィは最後にラガルを見る。
だが声はかけない。
その沈黙が、言葉よりも多くを含んでいることを、彼女自身が理解していた。
ラガルは里の外を向いたままだった。
視線は前方の森に固定され、振り返る気配すらない。
シーナはその背中を見て、胸の奥に小さな引っ掛かりを覚える。
「行こう。」
誰が言った言葉かは、わからなかった。
一同は森の奥へと歩み出す。
しばらくは平穏な旅だった。
幾度か魔獣は出たが、戦闘らしい戦闘にはならず、進んでいく。
しかしイーヴァが無言で、剣に手をかけ。
ラガルがふと動きを止める。
何かが軋む音がする。
枝が折れる音ではない。
ただの獣のものとは違う。
数が、動く音。
メフェルが杖を構える、それと同時にラガルが静かに呟いた。
「追跡。」
それだけで十分だった。
ミムラスが舌打ちをする。
シーナは息を整えて前を見据えた。
森の茂みから現れたのは、狼の群れ。
そして――剣を構える紫の髪の男。
後から続くようにその部下らしき人物たちが、出てきた。
「……大人しく降参するか、その男を渡せ。」
訛りのある大陸語が紡がれる。
泣きぼくろのある剣士は剣先をラガルに向けると、睨むように一同を見据えた。
突然の出来事に、一同に緊張が走る。
ミムラスは咄嗟に辺りを見渡すが、とっくのとうに逃げ道は塞がれていた。
シーナはリュートを握りしめる事しかできなかったが、いつでも剣を抜けるように構えの姿勢をとっている。
剣を向けられた本人は、目を丸くさせていたが、その表情はさほど変わらない。
メフェルとイーヴァが剣の軌道を防ぐように前に立った。
「初対面なのに随分と急なのね。」
メフェルが鋭い声でそう言った。
だが目の前の男は引かない。
「お前たちに用はない。用があるのはコルプト、貴様だけだ。」
一瞬、森が黙った。
シーナは眉をひそめる。
その名に、覚えがない。
「……誰?」
思わず漏れた声は、あまりに小さかった。
ラガル――いや、彼は、わずかに瞬きをした。
それだけだった。
怒りも、否定もない。
ただあるのは驚きのようだった。
「久しいな。」
その言葉は僅かに柔らかかった。
しかし、言葉とは裏腹に周囲が僅かに凍っていく。
「待って、待ってよ。お兄ちゃん。」
霜が敵の足元にまで這い出してきたときに、場に似つかわしくない明るい声が響く。
長い髪をたなびかせて出てきたのは、イェリホクで出会った少女。ティーソエルだった。
メフェルの目が開く。
悪戯っぽく笑うティーソエルは、そのまま一歩踏み出した。
「近づかないで!」
メフェルが杖で牽制する。
「えー、ケチ。
血の宝珠はもうボクらの手の中にあるよ。
あとはお兄ちゃんさえ戻ってくれば、準備はできてるんだけど。」
ティーソエルが腕を伸ばす。
それと同時にその影がゆらりと揺れる。
「断る。」
青い炎が噴き出し、触れたものを凍らせていく。
紫の髪の剣士は、目を細めた。
そして剣を構え直す。
一同に聞こえるように声を張り上げた。
「覚えておけ、私はウラガフ・ロンラディム!
黒王エンルフとなるために生まれたものの名だ。」
戦いは始まった。




