祈る者のいる森
「エルフの調律師か……厄介だな。」
イーヴァがそう言う。
一行が小人の森を越えて、エルフの境界に入ったのは一夜明けてからのことだった。
と言っても、続く森に変化は無く、ミムラスに”ここが境界“と言われるまで全く気が付かなかったが。
鳥の囀りや虫の鳴き声が辺りから聞こえてくる。
「この森、本当にいい場所だわ。」
「そお?まだ良いとこしか見てないよ。」
メフェルが深く息を吸い込む。
それを見たミムラスも小さな腕を広げて息を吸い込んだ。
「はは、何やってんだ二人とも。」
イーヴァは女性陣のやり取りに笑みを溢していた。
そんな中シーナはメフェルと違う感想を抱く。
最初はなんとも思っていなかった。
だが、歩を進めるにつれ森のざわめきに微かな歪みが混じっていくのを、彼は感じ取っていた。
空気が、纏わりつくように重い。
鼻の奥に、甘ったるい匂いが残る。
吸い込んだ空気が、肺に残る気がして離れない。
(気持ち悪い森だ……。)
そう自覚した途端、その違和感はハッキリと輪郭を持った。
葉の裏、幹の影、足元の苔。
どこかで“何かが蠢いている”気配だけが、消えない。
そのとき、ラガルが立ち止まった。
体が動かない、というより。
関わる気が、最初からなかった。
「……来る。」
誰かに伝えるための言葉ではない。
ラガルの視線は、まだ何も見えない空を捉えていた。
「え?」
シーナが尋ねた、次の瞬間だった。
後ろから低い重低音が聞こえてくる。
ミムラスはすぐに銃を構えると振り向いて、引き金を引いた。
「ほら!悪いのが来た!」
バンッ
その音と共に、空から大きな何かが落ちてくる。
それは赤い甲に黒い斑点を持つ、人の子どもほどはある虫であった。
「わ、わぁ!なんですかいきなり。」
「デカいな。」
シーナが銃声に驚いて、イーヴァにくっつく。
そして、落ちてきたものを見ると目を大きく見開いた。
そんな彼を支えながら、イーヴァは興味深げに虫を突く。
ピクリと足が動くのを見て、一番遠くにいたはずのラガルがすぐに飛び退いた。
「虫……。」
「おい、巨人なんだから怯むなデカブツ!」
ミムラスが、身を仰反るラガルに大声をあげる。
「体が、我が意思と反して動いただけだ。」
「それを怯むって言うんじゃないのかしら。」
ラガルの裾をメフェルは引いてクスリと笑う。
「何がおかしい。」
「全部。」
笑うメフェルを見て、ラガルは少しだけ首を傾げる。
だが内心悪い気はしなかった。
それどころか。
(笑った。)
この事実が胸を暖かくするのだった。
「これ虫だよね?魔獣?」
シーナがミムラスの撃った虫を抱えて上下左右に回す。
彼も虫はあまり得意な方ではなかったが、あまりの大きさに好奇心の方が勝った。
「魔獣、こっちではこれが普通。」
ミムラスが銃を磨きながら答える。
「それよか、うじゃうじゃ出るよ。覚悟しといて。」
「へー、俺はこっちにあまり来んからな。」
ミムラスの言う通り、そこからの旅の道中には常に虫の影があった。
メフェルの術が敵を貫き、ミムラスの銃が炸裂する。
イーヴァの大剣の薙ぎ一つで何十という虫が潰れた。
ラガルはというとシーナの後ろで固まっている。
「ラガルさん、凍らせるだけですよ。虫は寒いのに弱いですよ。」
「なんだ、あの、うねりは。」
シーナの助言も聞く余裕がないのか、虫を一点見つめたままラガルは動けない。
そこに取りこぼした虫が突っ込んできた。
「危ない!シーナ!」
そう言ったのは誰だったか。
鎌を持った大きな緑の影が、腕を振り上げる。
シーナは咄嗟に避けようとした。
(ラガルさんが危ない!)
だが、そのことに気づいて敵に向き直る。
剣をろくに振るった事はなかったが、トリィから貰った短剣を引き抜いた。
ラガルが気づいた頃には、シーナが前に出ていた。
それを見て、彼は一つ思い出す。
――自分は、前に立たなくていい。
そんなラガルの胸中を知らずにシーナは剣を構える。
(お、教えて貰ったとおりに。)
イーヴァとの稽古通りに敵の攻撃をいなす。
左から鎌が振るわれれば右に避けた。
虫が噛みつこうとしたとき、シーナは一瞬の隙をついて長い首元を切り裂く。
黄色い体液が飛び出して、虫はその場に倒れ込む。
「はぁ、はぁ……。」
荒く息をしてシーナは震える手からナイフを落とした。
続いて崩れるように膝をつく。
「だ、大丈夫⁉︎」
ミムラスが駆け寄ってきた。
誰もが今、起きた事を理解していない。
シーナが初めて、しかも一人で、魔獣を倒して見せたのだ。
彼とラガルの無事を確認して頭が冷えてきたところで、三人は顔を合わせる。
そして、顔を輝かせるとシーナに抱きついた。
「お前!よくやったな!」
「そうよ、シーナ!」
「すごいじゃん!」
困惑するシーナを他所に三人は盛り上がる。
そしてシーナ本人も遅れて、魔獣を倒した事実に気がついた。
「あ、あ……僕!」
「稽古の成果が出たなぁ。どうだ今度また酒でも奢ってやる!」
「い、イーヴァさん。僕!」
シーナは震える手と興奮で詰まる喉を鎮めながら、彼の方を向いた。
初めて殺しをした怖さと、やってのけた達成感で彼は半ば混乱状態にある。
助けを求めるべく見たイーヴァは、強く笑うと肩をさすった。
「これでお前も一人前の男、いや戦士だ。」
そう言われてシーナは背筋が伸びる。
なんだか少し大人になったような気分だった。
「だが、殺しには慣れるなよ。
命を奪う罪は重い。
墓までは作らんでいいから、内で静かに祈っておけ。」
そう言ってイーヴァは顎をシーナの後ろにやる。
振り返ってみれば、ラガルが膝を折り虫たちの残骸に何かを祈っていた。
「……魂は世を成すもの。虫であろうと、祈らぬ道理はない。」
青紫の瞳がシーナを見る。
シーナはラガルと同じように手を組んで祈った。
「これで本当に戦士だ。」
イーヴァが拳を差し出す。
シーナは少し迷ったが、それに拳で応えた。
ラガルはその光景をどこか遠いものを見るように眺めている。
先程のことを一瞬だけ思い浮かべた。
(動けなかった。それだけのことだ。)
理由を探す必要は、もうない。
一同の旅はエルフの里へと続く。




