雨に沈む言葉
洞窟から出たとき、外は雨が降っていた。
ここ数日、長雨が続いてたようで土がぬかるんでいる。
森の木々は、しとりと雨に濡れて、草と土の匂いでむせ返っていた。
「あれ?」
シーナはふと前を歩く、ラガルの背に目を止める。
雨に濡れた彼の髪が、ふいに色を変えた気がしたのだ。
水を含んだ薄水色の髪が、光の加減では説明できないほど――深い青紫を帯びて見えた。
だがそれは一瞬のことで、見間違えかと思ったシーナは目を擦る。
「踏むたびに、地が逃げる。」
ラガルが靴の裏の感触に呟く。
シーナはその言葉に反応を返した。
「そうですね、滑りやすいですね。」
「……水の乙女が肌を撫でる。
熱が、姿を隠した。」
その返しに一瞬、シーナは頭を捻ったが、少し考えて答えを導き出した。
「肌寒いって、ことかな?」
「詩人は良い耳を持つ。」
僅かにラガルの口の端が上がる。
笑顔と呼べるものではなかったが、シーナはそれを見てキョトンとしてしまった。
「凄いね、シーナ。なんでコイツの言ってることわかるの?」
ミムラスがシーナの翻訳に素直に感心する。
メフェルもこちらを見て、目を丸くしていた。
「えっと、なんでかな?」
「アタシなんか昨日、“粒の影が跳ねる。静寂を噛み砕きながら“って言われたんだよ?意味わかんない。」
「あ……それ多分、悪口。」
「へ⁉︎どういうこと、なんだと短眉‼︎」
ミムラスの怒声が雨に溶けるその横で、シーナはふと息を止める。
ラガルの背中を包む空気が――一瞬、沈んだ気がした。
じわり、と胸の奥に小さな寒気が落ちる。
シーナは気づけば、ラガルの後ろ姿を何度も追っていた。
そんな彼にラガルは淡々と話しかける。
「……お前は、世界の流れる音を知っている……だから、応じられる。」
「は、はあ……。」
(……なんだか、ラガルさん。今日は機嫌がいい?)
シーナは彼を見てそう思った。
実際にはいつもと変わらないのだが、今日はやけに話しかけてくる。
だが、言葉の量は増えているのに、心はどこにも触れてこない――奇妙な話し方だった。
「……言葉が続くなら、聞こう。」
ラガルが雨の音に消えるか消えないかぐらいの声で、シーナに語る。
シーナは突然、話を振られて慌てた。
「え?えーと……ラガルさん、は――もう頭の方は大丈夫なんですか?」
ぶはっとイーヴァが噴き出す声が聞こえた。
メフェルがシーナを二度見する。
シーナはやってしまったと、心の中で頭を打った。
(どう言えばいいんだろう。心配しているだけなのに、うまく言葉にできない。)
彼は今にも穴に潜りたい気分だ。
「……どういう、意味だ?」
ラガルは首を傾げてシーナの言葉を待つ。
「違うんです。えっと、昔のことは少し、思い出せましたか、と聞きたかったんです!」
早口でシーナは弁解する。
顔を真っ赤にして、もうこれ以上ラガルの顔を見られなかった。
「昔……も何も俺は忘却してなどいない。」
「え?記憶が戻ったってことですか?」
「……さよう。」
その声には“懐かしさ”も“迷い”もない。ただ記憶を確認する者の口ぶりだ。
「じゃあ、家に帰りたいとか――そう思ったりしないんですか?」
ラガルは足を止める。
それにつられてシーナも足を止めた。
一同の歩みが自然とゆっくりになる。
「ない、帰る場所など、とうにない。」
「そんな、誰か待ってるはずですよ。」
「お前は我が弟に似ている……弟もそんなことを言っていた。」
シーナはその言葉に少しだけ悲しくなった。
ラガルの横顔はどこまでも冷たいが、心の奥底までそうだとは信じたくない。
何より残された家族のことを思うと胸が苦しい。
「弟がいるんですね。」
「不遜な弟だ。」
そう言いながらも、その声にはわずかな高揚が混じっていた。
それは兄弟を思い出す温度ではない。
彼は喜んでいるのではなかった。
ただ“思い出に血が通っていない”だけだ。
「僕も弟が欲しかったなぁ……ミムラスは?どうなの?」
唐突にシーナはミムラスに話を振る。
それまでトボトボと歩いてたミムラスは顔を上げた。
「いないよ。アタシ一人っ子。」
「へえ、じゃあ僕たちだけだ。一人っ子なの。」
シーナはミムラスに笑いかける。
けれどミムラスはどこか上の空で、話を聞いていなかった。
それを見たメフェルがミムラスに言う。
「ねえ、ミムラス……本当は帰りたいんじゃないの?」
ぎくりとミムラスは動きを止める。
昨夜、眠る前にふと故郷の方角を見た。
見えるはずのない灯りが、胸の奥でちらつく。
消そうとしても、その情景は強まるばかりで消えやしない。
「そ、そんなこと。」
「別に遠慮しなくていいんだぞ。國が近いなら寄っていこう。」
イーヴァがしゃがみ込んでミムラスに告げる。
ミムラスの瞳は迷いに揺れていた。
「で、でもアタシ、約束が。」
「この先いつ戻れるかもわからないのよ。行けるうちに行ったほうがいいわ。」
メフェルがダメ押しに言葉を重ねる。
ミムラスは唇を噛んでうつむく。
その迷いは、言葉にしなくても伝わった。
「いいのかな、戻っても。」
ミムラスはモジモジと指を合わせる。
ラガルを除く一同は顔を見合わせると、“もちろん”と答えた。
ミムラスが顔を輝かせる。
雨が続く中、大木の森を一同は行く。
ミムラスの里に向かって。




