3話 ツイている日と告白現場
とうとう夏休みも完全に終わりが見えてきて、夏期講習とやらも最終日を迎えた今日。湊はまた渋々と登校し、全ての講義を受け終えたところである。
「あっちいよ……!まーじで暑い!」
「僕もね、ほんとに暑いんだよ。でも僕の感じるこの暑さは、君が何回も何回も言う暑いって言葉でさ、増していってる気がするよ」
「いーや暑いのは全部地球温暖化のせいだね。だいたいね温暖なんかじゃねえよ灼熱だな。もう亜熱帯だろ。日本の夏ってのは爽やかなイメージあるけど、ほんとは汗だらけで爽やかとは正反対なんじゃねえ?」
「ああそうだ冷感シートとかないの?」
「ああ、あるよ。いるか?」
湊はカバンから冷感シートを取り出し柊斗に投げて手渡す。柊斗はこの妙な親切にうっすらと不信感を感じつつありがたく頂戴することにした。
「なにこれ……ぬるいんだけど……」
「はは!カバンに入れてたらすっかり熱くなっちまってな。全く冷感じゃないんだよ。それもう要らないから全部やるよ、今日は俺運勢一位だったからなおすそ分けってやつ」
「いらないよ!?こんなのゴミだよ、なんかむしろ気持ち悪くなったんだけど!うわ、なんか不快感がすごい!」
珍しく声を荒らげてぎゃあぎゃあ騒ぐ親友の姿をやけに清々しい表情で見守る。その顔は散々暑い暑いと騒いでいた面影すら感じないほどに涼しげで。
柊斗が恨めしそうにすればするほど嬉しそうに笑みを深めるばかり。この復讐はいつかしてやろうと心に誓うわけだが、湊はそんな心情などつゆ知らず、楽しそうに笑っている。
「んじゃあ帰っかあ。飯でも食って行かね?」
「悪いけど僕午後も講習あるんだけど?忘れがちだけど数学以外も取っててね」
「あーそうじゃん。じゃあ俺適当に部室にいるか……先帰るときは連絡するわ」
「おけおけ。じゃあ会えたらまた後で」
「おう頑張れよ」
次の授業へと移動する友人を見送って時計を見れば、まだ時刻は十一時を回ったばかり。
「さて……どうしたもんかね」てっきり柊斗もこの一コマで終わりだとばかり思っていた。そのため駅前あたりで飯でも食って遊んで帰ろうというビジョンがはっきりと崩れてしまった。
教室にひとりきりになると一人分の熱がなくなるわけだから涼しくなるはずが。なんだかかえってこの蒸し蒸しした湿度が気になりだしてしまう。
となれば行く先は一つだけ。エアコンが効いてる空間に一旦避難しようと決める。候補はいくつか挙がったが、一番はスポドリまで出してくれる保健室にしようと、湊はカバンを持って立ち上がり教室を出て行った。
保健室の前まで来て、入れずに足を止めてしまったのは中から聞こえる声のせいだ。今日の運勢が一位だったというだけでいい日になるだろうと思っていた能天気に水を差すように、保健室の中からはなにやら揉め事の匂いがする。
わずかばかりに漏れ出て聞こえる声は、おそらく男女の揉め事。こんな状況ということは養護教諭も席を外しているのだろう。となればここに入ることになれば、湊が仲裁する必要が出てくるかもしれない。
「めんどいなあ……。帰るか……?勘違いかもしんないし」
カップルの痴話喧嘩などなら変に首を突っ込む方が面倒なことになる。ただ保健室という場所が妙に生々しい。
念の為にと扉に近づいて耳を当てる。するとさっきよりは少しクリアに聞こえ、なんとなく会話も聞き取れるくらいになった。
「だから無理ですって!申し訳ないけどあなたとは付き合えません」
「彼氏とかいないんでしょ?付き合ってみるだけいいじゃん、まじで何もしないし」
「だからそうじゃなくって……好きじゃない人とはお付き合いはできないんです……」
どうやら痴話喧嘩……いや多分振られたであろう男が粘ってるだけだから痴話喧嘩ではない。どうやら女の子がしつこく言い寄られているらしい。
ベッドすらある空間で男女の揉め事となれば、ここで無視して後日何かありましたでは間違いなく心にしこりのようなものが残るだろう。
はぁっとため息をひとつ吐いて、どうか勘違いでありますようにと意を決して扉を開けた。
ガラガラと思いのほか大きい音を立てて開いた扉に、室内にいたふたりの視線がバッと湊に集まった。最初こそ気まずくて下を向いていたが、おそるおそる顔を上げればそこにいたのは見覚えのある女の子。ちょうど最近知り合った神崎空だ。
あれ以来何度か見かけては軽く会話をする程度に面識がある相手。その事実にホッとしたと同時に、今度は男の方を見れば、こちらは知らない顔。それもやたらと不機嫌そうに湊を睨むものだから、ああ面倒っぽいなと直感から確信に変わった。
「なに?」
最初に口を開いたのは男の方。明らかにブスっとした顔と低い声で。その声が不快だったのか、空はぎゅっと身を縮めた。
「ああいや保健室に用があって。ほらここってクーラーにスポドリまで飲めるんだってさ。知ってた?」
湊でさえ背筋が伸びるほどの緊張感と沈みきった雰囲気とは反対に、あえて少し明るくおどけたトーンで話してみたが男の表情はますます険しくなるばかりだ。
「知らないけど。いまここの教師なら留守だから。また後でにしてくんない?」
「あ、あーだよな!って、一応聞きたいんだけど……一応ね。なんかこう揉めてる感じがしたから」
湊がすぐにこの場を去ろうとしないことが分かったのか、男の方は舌打ちをしてから改めて湊の方へと体を向け直す。身長も湊よりやや高く、なんとなくしっかりとしたガタイに筋肉質な感じのする男。微妙に怯みつつもやはりプライドがあるのか湊ももう一段背筋を伸ばして対抗した。
「告白だよ告白。わかるだろ?邪魔されたくないの」
「でも……多分断られたんじゃないすかね……。いやほら成功した雰囲気なら俺も流石に出るけど。なんとなく顔見りゃわかるっていうか……」
「だから?」
「だからって言われちゃうと……困るんだけどな?」
もうこの部屋には沈黙とひたすらに気まずい空気だけが流れている。男はますます不機嫌になり貧乏ゆすりが激しくなっていく。湊は念の為にと空の元へと身を近づけてから「なぁ……俺もしかして余計なことやってる?」と確認をする。
空はまさかそんなことを聞かれると思わなかったのか、面食らった顔をしたがすぐに険しい顔に戻り「ううん、ほんとのこと言うとホッとしたの」と返した。
ふたりのその妙に気安い態度が男を刺激したのか声を荒らげて
「マジでお前一回出てってくれよ」
怒鳴るようなトーンに空は思わずビクッとして湊の背の方へと回った。その素振りはたしかな、少なくとも目の前の高圧的な男よりも気安く、信頼を抱いたような動きで。
「何様なんだよ、あんなかで一番地味でイケそうだからってだけだろ。いっつもいい子ちゃんぶってる癖に……」
男は完全に脈がないことをようやく認める気になったのか、最後に負け惜しみのように呟いた。
それがなんだか妙にカチンときた湊は、どうにも余計なことを言うのを堪えきれない。
笑ってはいけない状況が極まると、かえって笑いそうになるのが人間の心理だ。告白のロケーションに、まして振られても潔く引かずに粘着しているものだから。その全てがいっそ可笑しい。もっともそんな内心はおくびにも出さないように努めたが。
「だいたい振られたからってそんな負け惜しみ……俺ならむしろ恥ずかしいね」
薄ら笑いで吐き捨てるように出した言葉は、我ながらほんとうに余計なことを言ったな、と湊が反省したのはこのしばらく後のことだ。湊は自らの眼前へと近づいてきている男の拳に、一体なにが起きているのかが全く理解できなかった。
状況を理解できたのは打ち付けた背中の痛みと、小さな悲鳴とともに心配そうな声色で自らに話かけながら自分を覗き込む空の顔と慌てて部屋を飛び出す男の後ろ姿を見たから。
最後の負け惜しみとみっともなく逃げ出す背中にただひたすら笑えてきた。
「あの……恥ずかしすぎるからあんま見ないでくれると嬉しい……です」
あとは湊の関心はいまどんな体勢でどんな顔をしているかにだけ。せめて最小限のダサさであることを願った。そして同時にもう二度と朝の占いなんて信じないことを心に強く誓った。
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