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第十三部

「……日本に戻ってきた莫大な資金によって、国内の流動性が急上昇する。

それ自体が、日本経済を揺るがす要因になり得る。

単なる“キャピタル・インフロー”という話じゃない。

それを受け止めるための財政構造が……今の日本には整っていない」

僕は一度、言葉を止めた。

そして――彼女を、まっすぐ見た。

伊豆原は――何も言わなかった。

……だが、やがて小さな声で――尋ねた。

「……待って。

じゃあ、それだけでも十分酷いのに……それでも、まだ“さらに悪いこと”があるってこと?」

僕は――静かにうなずいた。

本当は……彼女を怖がらせるつもりなんて、なかった。

けれど、これはおとぎ話でもなければ……僕は、“幸せな語り部”ではない。

だから、少しだけ茶化すように――言った。

「さっき、“僕の頭の中、全部知りたい”って言ったのは……君だろ?」

伊豆原は――不意に、可愛げのある表情を見せた。

……本人もきっと、気づいてない。

「……知りたいのは、解決策よ。

ただの不吉な予言だけじゃ、意味がないわ」

「それに――もし本当にここまでの事態なら……日本はとっくに警戒してるはずじゃない?」

僕は、小さく笑った。

……笑いながら、口の中が――苦かった。

まるで、冷めきったこのコーヒーみたいに。

「問題はそこじゃない、伊豆原。

日本が“知らない”んじゃない。――“選べない”んだ」

「……選択肢がない時、人は“先延ばし”を選ぶ」

「けどね――延ばせば延ばすほど、その先に待ってるのは……もっと深い地獄だ」

彼女は、しばらく――僕をじっと見つめていた。

数秒の沈黙のあと……長く、息を吐いた。

「……ふぅ。

これは私が頼んだことだしね。

だったら――最後まで聞く権利くらい、あるわよね」

僕は、彼女を見つめ返した。

――今夜、初めて。

僕はそこに、“カリスマ溢れる女”ではなく、

一人の――“恐れている大人”を見た。

……無知だからではない。

……あまりにも多くを理解してしまったがゆえに。

「……分かったよ。

君がそう言うなら、僕の大切な後輩として――最後まで付き合おう」

冷めきったコーヒーカップを手に取り、もう一度だけ――回す。

……苦みだけは、どこまでも変わらないままだった。

現実とは、そういうものだ。

語れば語るほど……誰かの心を静かに蝕んでいく。

「日本は、世界で最も高齢化が進んだ国だ」

「現時点で、65歳以上の人口が全体の29%を占めている。

……2040年には、日本人の3人に1人が高齢者になると予測されている」

伊豆原は、まだラップトップに向かっていた。

けれど――画面ではなく、心の中が揺れているのがわかった。

「……それは、毎日のようにニュースで見かける話よ、先輩。

でも、移民を受け入れれば、多少は改善できるんじゃないの?」

僕は――微笑んだ。

ただし、それは喜びの笑みではなかった。

……無意識のうちに、無数の“罠”を呼び寄せてしまう言葉。

それに対する、静かなため息のような笑みだった。

「そんなに単純な話じゃないよ、伊豆原さん」

「……外国人労働者に依存しすぎれば、

僕たちは“どんな未来を築いているのか”さえ――見失うことになる」

「しかも、高齢化が進んだ国家は、

労働力の急減によって……生産性そのものが落ちていく」

「その結果――国家財政は悪化し、年金と医療費だけで、国の予算は吸い尽くされていく」

「そして、最も深刻なのは――中小企業だ」

「潰れるのは……経営に失敗したからじゃない」

「“後継者がいない”という、それだけの理由で――」

伊豆原は、言葉を失ったまま……ただ、手だけが動いていた。

だが――指の動きは、もう軽やかではなかった。

その顔には、明らかな――影が落ちていた。

「……続けて、先輩」

かすかな声に、僕は――黙ってうなずいた。

「今年……つまり2025年だけで、

日本では約63万の中小企業が――廃業している」

「そして、忘れてはいけない。

日本国内の事業の……99.7%は中小企業だ」

「彼らが――国民の70%以上を雇用している」

「中小企業が倒れれば……実体経済も一緒に――死ぬ」

「……税収は急激に減り、それでも政府は――膨らみ続ける予算を止められない」

「現役労働人口が減っていけば、国の歳入は停滞し……

いや、むしろ――確実に縮小していく」

「そんなとき、政府が取るべき行動は……もう決まっている」

「――新しい国債の発行だ。

“新たな債務”、つまりは“新たな赤字”。

……穴を掘って、また別の穴で埋める――それだけの話さ」

伊豆原の手が――止まった。

その顔から……光が消えていくのが見えた。

目は虚ろで……だが、それは“疑い”ではなかった。

“理解しすぎてしまった者”だけが見せる、深すぎる――静けさだった。

「……つまり、これが――日本国民が苦しみ続ける根本原因ってことなのね、先輩」

僕は、黙って――うなずいた。

「……まだ他にも、あるの?」

彼女の問いに、僕は――視線を窓の外へ向けた。

東京の街は、今夜も――眩い光に包まれていた。

……だが、僕の目には、それがもう――輝いて見えなかった。

社会の亀裂を隠すための、ただの光のカーテン。

誰かが、見なかったことにしたい――現実の幕。

「……残念だけど、ここで終わりじゃない」

「去年――2024年、

日本の政府債務はGDP比で――260%を超えた。

先進国の中では……最悪の水準だ」

「そして金利が上昇し始めた今、

投資家たちは――日本を“リスクのある国”として見始めている」

「……求められる利回りは上がる。

つまり、政府はもはや――低金利では資金を回せない」

「唯一の道は、再び――日銀による量的緩和(QE)を再開すること」

「……でも、もしそれが始まらず、金利だけが上がり続けたら――

これまでのどんな危機よりも大きな、“破局”が訪れることになる」

僕は、真っすぐ――彼女を見た。


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