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『私を運ぶ少年』-ショートショート-

作者: ホッピー4杯


 小さな、小さな少年と毎朝すれ違う。蟻が角砂糖の欠片を運ぶように、その少年は身の丈に合わない大きなランドセルを背負って、決まった道を歩く。ランドセルの留め具はいつもぶらりと垂れ下がっていて、おはようございます、とお辞儀をすれば、ランドセルの冠は勢いよく開き、中身が飛び出してしまうのではないかといつも不安に思う。

 

 小さな少年は、その小さな手いっぱいに毎日何かを持っている。今週の月曜日は真っ白い巾着袋、火曜日はたけのこ、水曜日は国語辞典だった。手からはみ出るモノを少年は抱えることはしなかった。いつだって両手のひらの上に飾るように乗せて、まるで水がいっぱいに入った桶を運ぶみたいに、溢れぬよう慎重に運んでいた。

 

 私は、一度でいいから、少年におはよう、と言ってやりたかった。彼は毎朝すれ違う私のことを認識しているかもわからないが、おはよう、とただそう言ってみたかった。でも、私がそう言うことで、彼のバランスを崩してしまうのではないかと、心配で、言ってやることはなかった。できなかった。

 

 少年は、いつも道の端を歩く。途中に、こじんまりとした食堂につながるエアコンの室外機が置いてあって、そこから激しい風が常に道を横断している。その風は道の端を歩く少年に間近で直撃するわけだが、案の定、彼のかぶる帽子は頭から抜けていった。私は今日、その光景を見た。薄い水色の通学帽子はふっと浮き上がるが、顎紐が少年の首をとらえ、少年から離れていくことはなかった。

 

 もしも、帽子が飛ばされていたのなら、私は彼に代わって拾いに行っただろう。なぜなら今日も彼の両手は塞がっているのだから。

 

 今日は、バッグを手のひらに乗せていた。そのバッグを見ると、私の懐かしい記憶も呼び起こされたのだが、それは習字道具だった。中には筆やら半紙やら墨汁やらが入っているに違いない。でも、そのバッグにはきちんと持ち手が備わっていて、それを握って持てば片手で済むはずなのに、どうしてだが少年はいつもの如くそれを慎重に運んでいた。

 私は今日もおはよう、とは言えなかった。

 

 職場に着くと、社員たちが立ち止まって私に挨拶をしてくる。

「おはようございます」とお辞儀をされ、

「おはよ」と、にこやかに首を斜めに曲げる。

 

 末端にある小さな印刷会社だけど、一応”社長”である私はこの白くて狭い世界ではそうやって慇懃に扱われる。

「社長、コーヒーでもお淹れしましょうか?」部下の一人が気を遣ってくる。

「結構よ。自分で淹れるわ」

 私は机に鞄を無造作に置き、給湯室へ向かおうとした。だけど、何かを察したのか、すでに先ほどの部下が慌てるようにしてコーヒーの支度をしていた。まるで自分のコーヒーを準備しているような仕草には見えない。私のコーヒーを作っているのだと、すぐにわかった。

 私は今、こういう立場にいる。

 

 低く腰を折られ、深くなった位置からそっと両手を添えられ、私は持ち上げられる。ジェンガを崩さないように、ドミノを倒さないように、慎重に私と接する。私の機嫌が彼らの昇進や降格、もっと言えば解雇につながるというわけでもないのに、彼らは私を丁重に扱う。

 生き辛い。でも、こういう立場であるから仕方なくもある。

 

 ふと、私は重ねた。こうやって丁寧に、慎重に扱われる自分の姿と、毎朝会うあの少年の運ぶモノとを。本当はそうする必要もないのに、恩着せがましく、わざわざ両手を添えて運ばれているあのモノ。あれは、私だ。


 翌日。金曜日。

 出勤の道のりではやはり例の小さな少年とすれ違う。今朝は、どうやら大きいものを運んでいるようだ。道の向こうにいた時は、とにかく大きな物体としか見えなかったのだけど、すれ違いざまにそれが何かようやく判別できた。それは、小さな椅子だった。ベビーチェアとでも言うのか、小さな少年ですら座ることのできなさそうなくらい小さい。けれど、少年が一人で運ぶには大きい。細い四本の足と、柵のようになった背もたれは若干黄ばんでいるように見える。座面はところどころ綻びながら、スポンジのように柔らかそうだった。

 

 その大きくもあって小さくもある椅子を、彼はまた丁寧に運んでいた。座面の裏に両手を滑り込ませ、バランスをとっている。これも、一応は手のひらの上に置いているのだ。器用に、心許ない腕力でそれを必死に運んでいる。

 今日の私は、椅子だった。

 

 一体そんなものを学校へ持っていって何に使うのだろうと、私は思った。それでも、それを聞くことはできない。私はおばさんだ。おばさんは、道を歩く見ず知らずの幼い子供にそう容易く声をかけてはいけないものだ。よくスマホにも「〇〇町〇丁目で声かけ発生」と不審者情報を知らせる通知が来る。少年にとって私は得体の知れない存在であって、私は簡単に不審者になりうるから、自分だけの興味で声をかけるなんて、よほどのきっかけがなければできない。これを世知辛いと感じるのは、私がおばさんになったということの象徴なのかもしれない。私には子供もいなければ旦那だっていない。私と他の同世代の人間との間には、求める安寧というものにきっと違いがあるのだろう。

 

 だけど、そんなことはわかっていても、いつの間にか私は歩くのやめ、立ち止まっていた。少年に声をかける準備をしていたのだ。「おはよう」でもいい、「何を持っているの?」でもいい。私は、そうやってモノを大切そうに運ぶ少年そのものに魅力を感じていたのだ。不審者に相違ない。

 

 だんだんと少年との距離が縮まってくる。私は意を決して声を出そうとした。その時、少年は顔をあげ、私を一瞥した。真っ黒い目で私を見るが、すぐに椅子に集中し直し、歩きゆく道をすたすたと進んでいった。私は寸前のところで声が詰まって、またもや少年に声をかけることができなかった。私は安心した。

 

 何事もなかったように私は、普段通り出勤し、普段通り職場で時間を過ごした。社内は昼休憩を終え、それから一時間ほどが経過したころ、今日が金曜日だということを思い出した。社員の皆は仕事のあと仲間内で飲みに行ったり、大切な人に会いに行ったり、家族の待つ家でのんびり過ごしたりするのだろうか。いいなあ、羨ましいな、と単純に思った。もし私が誘えば人は集まるであろう。ただ、皆んな、乾杯のときは私よりジョッキを低くして、私の話に大袈裟な反応をして、そうやってそこでも気を遣うことになる。私はそこでも慎重に運ばれる。彼らの金曜日の夜を台無しにしてしまう。

 

 白い壁に寂しく張り付く時計の針が十四時半を指し示したころ、私は手を叩いた。

 パンパン

 その音は社員の皆の注意を引くにはお釣りが来るほどのものであった。

「皆んなちょっと聞いてくれるー? 今日わたし用事があってもう退勤するからさ、みんなも今日はここまででいいよー。今日は、華金楽しんでおいでー」

 

 この後の用事なんて当然何もなかったが、そう言った。持て余した人間だなんて思われたくないから、あるいは寂しい人間だなんて思われたくないから、そう言った。

 

 私がここで仕事を切り上がらせた理由は二つだ。 

 一つは、少しでも気さくな大人でいたくなったから。丁寧に扱われるというのは代表という立場としての尊厳を確保するという意味では確かに大事なことだけれど、たまに、いや、しばしば、嘆かわしいほどにつまらなくなる。それに、丁寧に運ぶ側の作法もあれば、丁寧に運ばれる側の神経もある。いつどこでバランスを崩されるかもわからないから常に神経を張り巡らせておかなくてはいけない。だがそれよりも、それまでは丁重に扱われていたのに、そのモノに価値がなくなった途端に投げ出されるかもしれないという”死”にも値する恐怖と隣り合わせの日々がある。それが嫌だから、どうしようもなくしんどいものだから、あと少しだけ、社員には気楽にしていてほしい。気楽でいられる社長になりたい、と思った。

 

 もう一つは、少年の下校に遭遇できるのではないかと、淡い期待をしてしまったからだ。このたった数刻の間に自分はみるみるうちに不審者へと化しているのではないか。もしも誰かにそう咎められても言い逃れできない。ただ、邪な思いがあるわけではないのは確かである。私には、特異な貞操観念を持っているわけでもない。ただ単純に、シンプルに、”私”を運ぶあの少年に惹かれているのだ。例えるなら、東京の街中をハリネズミのような珍しい小動物が何食わぬ顔をして歩いている様に惹かれてしまった、というような具合だ。

 

 私が社中に早退を伝えると、皆が小さな幸せを得られたというような顔になった。一年に二百日以上勤務しているうちの、ほんの二、三時間仕事が早く終わっただけで、こうも皆の表情は弛むのか。もっと時期早くから、日常からしていたら、私だって緊張した毎日を過ごさずに済んでいたのだろうか。

 

 私は会社を出て、帰路に着く。小学校の通学路であるこの道は、車通りも少なくて、明るくて、地域の住民の目ーその目とは私の目も含まれるわけだーもあって、今更気づいたのだが、安心できる道だ。

 

 下校途中の小学生の姿はちらほら見受けられるのだけれど、あの朝の小さな少年の姿は見つからなかった。時計を確認すると、時刻は十六時に近かった。おそらく小学校低学年であろう少年はこの時間まで帰宅していないなんて考えられないし、第一、帰宅のタイミングが合うなんて方が凄い。私はそのまま、ゆったりとした重い足取りで近くのスーパーに寄って帰ることにした。

 

 一つ角を右へ曲がり、もう一つ角を左へと曲がると、少し広い道に出て、その先にスーパーがある。二つ目の角を曲がったところで、スマホの電話がなった。一人の部下からだった。唯一、居酒屋に誘ったことのある部下で、一度行ったそれきり職場以外では会うことはない。この電話はきっと仕事関係だろう。出なくてはいけない、けど、出る気にはなれなかった。スマホの画面を睨むように見続け、しばらくすると電話はなり止んだ。一瞬のうちに強張った体は、湯に浸かったときのようにほぐれていった。

 

 スーパーに着いて、入り口の自動ドアが開くとちょうど一組の親子が出てきた。親子にとってそれは出口か。

 母親と、ランドセルを背負った小さな息子は和気あいあいとした様子で話している。息子の方は小さな体で精一杯の力をもって買い物袋を片手で持ち上げている。よたよたと、酔っぱらった時の私みたいな歩調で、そんな姿を母親の方はにこやかに見守りながら、がんばれ、がんばれ、と優しい声援を送っている。なんとも微笑ましい光景だろうか。心にゆとりのない私でも、どうしてだか胸がほくほくと温まるのを感じた。

 親子は私のすぐ横を通り過ぎていく。それを私は目で追った。親子が二人の空間を保ちつつ、離れていくのだが、母親の方が見覚えのあるものを手に持っていることに、私は気づいた。それは今朝の、あの、大きな椅子だった。そして少年の方は、片手で買い物袋を持ちながらも、母親の持つ椅子の足先を握っている。彼からすれば、椅子も持ち運んでいるつもりなのかもしれないが、私から見るとむしろ引っ張っているようにも見えた。

 

 スマホから今度はメールの通知がなった。内容を見てみると、「お疲れ様です。もし、御用事を済まされたあと都合がよろしければ、飲み会に来てくれませんか。私も、同僚の皆んなも社長と飲み交わしたいと思っています。皆、社長ともっと仲良くなりたいと申してます」とあった。

 

 そういえば、ランドセルの留め具、さっきはきちんと閉じられていたな。

 

 そんなことを考えながら、入ったばかりのスーパーを出た。

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