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学校の先生とトイレの花子ちゃん  作者: かわやのはなこ
8/11

さらわれの姫と勇者たち

七月前半。


もうすぐ夏休みに差し掛かろうとしていた一学期終わり。

神喜多小学校から、一人の児童が消えた。


その児童の名は、『姫城 澪』


朝七時……先生に頼まれて、他の児童より少し早めに学校にやってきた彼女は、職員室前から各教室に向けて荷物を運んでいた。


一人ではなく、他のクラスメイト数人と手分けして、一年生から六年生までの各教室に、夏休みの課題をダンボールごと運んでいたのだ。


姫城は、四年生のダンボールを運んでいる最中、姿を消した。それも、神隠しにあったように、『ダンボールだけ』を残して。


場所は、校舎南館の二階と三階を繋ぐ階段の踊り場だ。


彼女の担任である祠堂と山羽は、そのダンボールの転がっていた場所に立っていた。そこには、一緒に荷物を運んでいたというクラスメイトの瀬川の姿もあった。


彼は地面に横たわったダンボールを見ながら言った。


「本当に、さっきまでは姫城さんいたんだよ!」


唾を撒き散らしながら、彼は必死に何かを伝えようとしている。


「わかった、わかったから落ちついて教えてくれ、瀬川」


祠堂の冷静な声に、瀬川の興奮が少し冷めていく。


「俺と、姫城さんで、職員室から、三階の四年生の教室に行こうとしてたんだ。それで、それで先に俺が階段登りきって、話そうと思って、振り返ったら、もういなかったんだよ、姫城さんが!」


途切れ途切れに、瀬川はダンボールを指差しながら言った。ダンボールは、『置かれた』というよりは、『投げ捨てられた』ようで、横向きに倒れている。そこからは、何冊かワークが飛び出していた。


祠堂は、腰を屈めて瀬川と同じ身長に合わせると、彼の肩をポンポンと叩きながらゆっくり尋ねた。


「それは、何時ごろだ?」


「さっきだよ!さっき」


言われると同時にそばに掛けてあった時計を見た祠堂は、今が『七時二十五分頃』を指していることを確認した」


「そうか、分かった。姫城はきっとトイレか保健室だろう。そんな焦らなくて大丈夫だ」


「え!?いや、でも……」


「大丈夫だから。そろそろ他の子達の登校時間だ。それまでに、そこの荷物も代わりに持って行ってくれるか」


それを聞いて、山羽はすぐさま転がっているダンボールを整理して、持ち上げた。


「これ、四年生でしたよね。姫城さんは『体調不良』みたいですし、お願いしていいですか?瀬川さん」


山羽は笑顔でダンボールを瀬川に渡した。


「……わ、分かりました」


瀬川は若干納得できない部分がありながらも、二人の先生から言われたことを否定することもできない。

そういうことにして、荷物を受け取った。


「じゃあ、頼むよ、六年生」


「はい」


結局瀬川は、そのまま荷物を抱えて三階の奥へと去って行った。


残ったのは、祠堂と山羽だ。


二人は顔を見合わせる。これは、彼らにとって緊急事態だ。


「花子ちゃん、いるか」


「おるぞ」


二人の間に入り込んできたのは花子の声。昼だから姿はなく、声のみしか聞こえない。


次に質問を投げかけたのは、山羽だ。


「花子さん、澪はどこに」


聞きたいことを端的に尋ねるが、帰ってきた答えは曖昧なものだった。


「それは、わしにも分からん」


「……でも、怪異ですよね」


「ああ、間違いない。ここに、まだ妖気を感じるからのぉ」


そう聞いて祠堂は周りを見渡す。特におかしな点はない。


「階段、踊り場、子どもが描いた図工の絵……鏡、窓……あとは掛け時計か」


そこから見えるものを声に出して確認する。それと同時にそれぞれに触ってみるが、別段変わった様子はない。


「どこかに連れ去られたか」


指についた埃をパッパとはらう。


「その可能性はあるのじゃ」


「手分けして探しましょう」


山羽の提案に、祠堂は頷く。


「俺は三階を。山羽さんは一階。花子ちゃんは二階を頼む。後でここに集合だ」


その瞬間、三人はそれぞれ走り出した。途中、荷物を運ぶクラスの児童ともすれ違ったが、だれも姫城を見ていないようだった。


そして、十分後。


「だめだ……どこにもいないぞ」


息を切らす祠堂たちがいた。彼らは、またもとの姫城が消えた現場へと戻ってきている。


「はぁ、はぁ、いったい、どこへ」


そう言う山羽は膝に手を当てて、呼吸を整えている。


「うむ……これはなかなか、うまくやっておるようじゃの」


息一つ枯らさない花子が、少し関心したように言った。


「さて、困ったな」


そんな二人の会話を聞いて、山羽は若干の苛立ちを覚える。


「なんで、二人ともそんなに冷静なんですか? 澪がいなくなったんですよ」


「なんでって……『慣れ』かもな。きっと、ダメなことだけど」


「慣れって……今の状況、かなり不味くないですか?要石の澪がいなくなったことで、怪異が荒れるのでは」


山羽は澪の命と同じように、この街のことを案じていた。


「この街はおかしい。でも、ある程度普通の街に見えていたのは、澪という妖気を抑える要石がいたからですよね」


そんな彼女が……要石が無くなるということは、この地域に妖気が満ち溢れ、怪異たちの楽園になるということに他ならない。


すると、祠堂から予想外の言葉が返ってきた。


「ひとまずそれはない……と思う」


「うむ」


花子の同意の声が祠堂に続く。それを聞いた山羽が先を促すように祠堂を見た。


「俺は、人より妖気に敏感なんだけど……今、この辺りの妖気は乱れていない」


「つまり……」


「澪は無事というわけじゃ。そして、おそらくまだこの辺りにおる」


そこで、祠堂が階段を上がり始めた。三階へと進んでいく。


「だからって、油断できる状況じゃない。山羽さん、怪保への連絡を頼む」


「祠堂さんは?」


祠堂は足を止めて振り返った。


「ちょっと図書室に」


「図書室……?なんでですか」


「今から頼れる奴に会いにいくから、その手土産だよ」


「どうしましょう。意味が分かりません」


山羽の言葉にフッと笑った祠堂は、前を向きなおした。


「あっ、私も行きます」


階段を進んでいく祠堂の後ろを、山羽はスマホ片手に追いかけ始めた。


その後、図書室に寄って『本を一冊』持った彼らは、校門すぐ側のロータリーの一角に立っていた。あたりには木が茂り、子どもたちも寄り付いていない。


そこには、青銅像が立っていた。


それは少年の像。背中には薪を背負っており、手元にある本をじっと見ている。像の土台には『二宮金次郎』という文字が刻まれている。

辺鄙な場所にあるにも関わらず、その姿は綺麗さを保っていた。誰かが定期的に掃除でもしているのだろうか。


それを見上げながら、山羽は少し大きな声を出す。


「こんなところに……二宮金次郎像ですか?最近見ないですよね」


「ああ、珍しいだろ?」


その昔、各地の小学校に見られたこの像も、最近ではその姿を見る機会は減っている。老朽化や昨今の教育方針に合わないとか……原因は様々である。


「もしかして、頼れる奴って……」


「ああ、こいつだよ」


祠堂はそう言いながら、ポンポンと像の足を叩いた。


その時、像の瞳がギロリと動いた。


「ひっ!?」


思わず山羽が一歩後ずさった。


二宮金次郎は、眼球だけを足元の祠堂のもとに向けた。


「何のようですか、祠堂さん」


その声は冷たく、歓迎している雰囲気では無い。


「おう、今日も元気そうだな、金次郎」


「はい。あなたが来るまで、ですが」


「ははっ、相変わらず手厳しいな」


「読書の邪魔をする存在は、僕の敵です」


目線を手元の本に戻しながら、金次郎はなかなかに辛辣なことを言った。


そこで祠堂は金次郎の足に手を置いたまま、山羽の方を見た。


「と、言うわけで、二宮金次郎君だ。こんなだけど、悪い奴じゃないぞ」


「はぁ……頼りになるって、怪異ですか」


山羽はため息をつきながら祠堂を見た。その間、金次郎はぴくりとも動かない。他の人が見てもただの銅像だ。


「ああ。こいつは昼に動ける怪異だ。賢いし、頼りになる」


「取り憑かなくても、そんなことが?」


基本的に、昼に怪異が現実世界に影響を及ぼそうと思えば、何かに取り憑く必要があるのだ。二宮金次郎は、その必要がないと言う。


「まぁ、モノ自体が怪異だからなぁ……って、今はそれどころじゃないな」


祠堂は、手を離して二宮金次郎像の前に立った。


「金次郎、力を貸してくれ」


「……」


二宮金次郎像の瞳が再び祠堂へと向けられた。次の言葉を待っているようだ。


「澪が攫われた。怪異だ。正直、夜でもないのに何がどうなってるのか……」


先程図書室で一冊借りた本を取り出した。


「対価は『知識』この本をやる。澪がどこにいるのか、教えてくれ」


「……」


チラッと祠堂の手によって掲げられた本を見た。


「内容は?」


「えっと……」


祠堂は、確認しようと顔の正面に本を持ってきて、題名を読んだ。


「ミミズのミミくん〜幻の畑を目指して〜」


「え!?」


彼の手に収まっているのは、紛れもなく絵本だった。山羽は思わず口を挟んだ。


「祠堂さん、何が『知識』ですか!そんな絵本で……」


「いいでしょう」


「ほら、ダメだって……え、いいんですか?」


金次郎のまさかの返答に、山羽はそちらに向けて忙しく顔を動かした。


「さすが祠堂ですね」


「えぇ……さすが、なんですか?」


山羽は目をぱちくりさせる。


「ええ、人を馬鹿にしてるとしか思えません」


「……やっぱり!?」


山羽が一人ツッコミを繰り返している間にも、二人は会話を続ける。


「実は嬉しいんだろ?交渉成立だ。早速で悪いが時間がないんだ。ほら」


そう言って、片手に持った本をポンっと金次郎の手元あたりに投げる。すると、その本はそのまま金次郎の持つ青銅製の本に吸収されていった。


「確かに受け取りました。では、始めましょう。祠堂、あなたが今わかっていることを教えてください」


金次郎は相変わらず微動だにせず、祠堂の言葉に耳を傾ける。


「ま、待ってください。祠堂さん、この状況下で怪異に澪さんの情報を渡すのは危険では」


怪異不審の山羽らしい反応。祠堂はそれももっともだと頷きながら、山羽に笑いかけた。


「金次郎は大丈夫だ。俺が保証する」


「で、ですか……」


山羽はそれ以上何も言わなかった。

祠堂もそれを確認して、上を見上げながら金次郎に語りかけた。


「まず、澪が消えたのはさっき、七時十五分から二十五分の間。場所は南館中央階段の二階と三階の踊り場。クラスメイトと荷物を運んでいる時にやられた。すぐに学校中を探し回ったが、さらった存在は確認できず……」


その後も、分かっている情報を全て語った。その場にあったものなども、抜けのないように、全てのことを丁寧に。


五分後。ようやく祠堂の話が終わり、金次郎が言った。


「……なるほど、把握しました。花子さん、怪異であるあなたが見ていて気づいたことは?」


それに反応する花子の声が聞こえてくる。


「そうじゃの……今回の件、怪異の残り香のような、足跡のようなものがなかった。『連れ去った』というより、『その場から姿を消した』という表現の方が正しい気がするのぉ」


「簡単に」


「てれぽーと的な話じゃよ……ま、あくまで予想じゃ」


「なるほど……」


そこで、金次郎は黙ってしまった。それを見ている祠堂たちも邪魔をしないようにと口をつぐんだ。


しばらくして、金次郎の手元の本が光り始めた。


「見えます」


「教えてくれ」


祠堂の端的な要望に金次郎はこう答えた。


「……一つは鏡」


「鏡?」


「はい。鏡です」


そこで祠堂と山羽が顔を見合わせた。


「鏡というと……踊り場の大鏡ですか?」


山羽が金次郎を見上げて質問するが、金次郎本人は少し外れたことを言い始めた。


「古来から『鏡』は怪異のような存在と関係しています。鏡が割れると不幸の前触れとか、『合わせ鏡』は不吉だととか……『雲外鏡』という妖怪もいるとされています」


先程返事をもらえなかった山羽も、祠堂も黙って話を聞いている。


「今回の件、十中八九踊り場の大鏡の仕業でしょう。これくらいなら花子さん、分かっていたのでは?」


それに、花子が即座に返す。


「もちろんそれは疑ごうたが……あの鏡は、ただの鏡じゃった。妖気も何もない。正真正銘、普通の鏡じゃった」


「つまり、妖怪とかではないと?」


「そうじゃ祠堂」


その言葉を聞いた祠堂は、「だ、そうだが」と改めて金次郎の顔を見た。見上げた祠堂の瞳に映る金次郎の顔に変化はない。彼は本に目を落としたまま、口を開く。


「ここからは本にはない。僕の予想ですが、鏡は本体ではなくあくまで入り口。扉と考えられるのでは」


「……ほう」


怪異同士で何やら会話が成立しているようだ。祠堂は堪えきれず眉をしかめた。


「おい金次郎、人にも分かるように説明してくれ」


「これ以上は花子さんに聞いてください。今回の話、彼女の専売特許です。僕より詳しいと思いますし」


「……そうなのか?」


祠堂はなんとなく花子の声のする方を見ながら尋ねる。


「まぁ、そうじゃな」


そう言いながら、山羽と祠堂の間で花子は持論を展開した。


「わしの『流水』、あるじゃろ?あれと同じことが起こったんじゃよ」


流水。空間を渦巻状に歪めて、そこ流れた人や物を別次元に飛ばす花子の特技だ。


「つまり、澪が別次元に飛ばされたかもしれないということか?」


「うむ。今回、その別次元が『鏡』だった……可能性があるのじゃ」


そこで、疑問を呈するのは山羽だ。


「ですが、花子さんも鏡は確認したんですよね?先程、妖気はなかったと……」


今度はその問いに金次郎が答えた。


「今は普通の鏡なのでしょう。『今』は」


あえて、今を強調する金次郎の表現。


「ずっと開きっぱなしの扉なんてありはしませんよ」


「つまり、澪が通りかかった瞬間、扉が開いたってことか」


そうなると、次に聞きたいことは自ずと決まってくる。祠堂はそれを分かっているんだろと思いながらも、金次郎を急かす。


「で、どうすれば扉は開く?」


「さぁ?」


即答。金次郎は迷う様子もなく答えた。


「さあって……」


「僕は神ではありません。多少物知りなだけです」


そう言われては、祠堂も何も言い返せない。金次郎はたくさんのことを知っているが、それは知っているだけだ。全てを見通す力があるわけではない。


しかし、そこで反応したのは花子だった。


「じゃが、多少の予想は立っておるんじゃろ?」


「……」


沈黙を貫く金次郎。


「よいのか?澪がこのまま見つからなければ、お主の体、これから誰が掃除するのじゃ」


「……!?」


金次郎が明らかに動揺する。


「掃除?」


首を傾げる山羽に、花子が丁寧に教える。


「そう、こやつ、綺麗じゃろ?それは、澪がたまに来て掃除しておるからなんじゃよ」


「し、知ってたんですか!?」


予想外だったようで明らかに動揺した声。そんな金次郎の前で、祠堂は優しい目をしてうんうん頷いていた。


「その感じ、祠堂、貴方も知っていましたね!?」


「まぁなぁ」


そう言って、微笑ましいものを見る目で金次郎を眺めている。


照れか恥ずかしさか、動揺する金次郎に追い打ちをかけるのは花子だ。


「あの娘を助けるためじゃから、祠堂の持ってきたしょーもない本でも、依頼を受けたんじゃろ?」


「な、なるほど!本心では澪さんを助けたいから、あんなよく分からない絵本でも祠堂さんの言うことを聞いて協力していたんですね」


花子の言葉と金次郎の反応から、すべてが繋がったとばかりに相槌を打つ山羽。


これには、普段からツンツンしている金次郎も折れたようで、開き直った。


「ええ……そうですよ!毎回毎回、澪を助けるためだから、祠堂の持ってきた何の知識も得られないあんな本でも仕方なく妥協して協力してるんです」


「……」


祠堂は目を細めたまま黙って聞いている。


早口で一通り言い終わった金次郎が、青銅製の口を尖らせた。


「いいですよ!分かりました。言いますよ、言えばいんんでしょ、僕の考えを」


そこで、金次郎はコホンと咳をして、トーンを落ち着けた。


「扉を開く条件、恐らくそれは『時刻』です」


金次郎を除く三人が思考を働かせる。しかし、彼は考える暇など与えずにコンコンと話し始めた。


「まず前提として、『澪が通りかかったから』というのは、理由になりません。なぜなら……祠堂、分かりますか?」


突然の指名だったが、祠堂は問題なく答える。


「それなら、これまでに何度も引き込まれたはずだからな」


「正解です。今回、普段と違う点は『荷物を抱えていた』点と『登校時間がいつもより早かった』という点です」


次に答えたのは山羽だ。


「荷物を抱えていたことが、異次元に……鏡に引き寄せられる原因になるとは、考えにくい」


「そうです。眼鏡の貴方」


「山羽です」


それを聞いて金次郎は頷いた。


「例えば、丑三つ時、4時44分、6時6分6秒……不吉と言われる時刻はいくつもあります」


「となると、やっぱり扉の開く鍵は時間か、七時……十五分から二十五分の間、だったよな」


校舎についている時計を確認しながら祠堂が言った。ちなみに、その時計は今は八時二十分になろうとしていた。


「中途半端な時間ですね」


山羽が呟く。


「金次郎、仮にそれが合ってるとすれば、今から24時間は澪はその間放置することになるのか」


「……」


「……その間、無事、なのか」


「……」


金次郎は黙ってしまった。そんな長い間怪異に取り込まれて無事である確証がないのだろう。


「き、きっと、大丈夫ですよ!」


なけなしの励まし。山羽自身も自分に言い聞かせるように続けた。


「連絡はしたので、そのうち、怪保のみんなが来てくれます」


彼女の声が聞こえないように、届いていないように、祠堂と金次郎は互いの目を見ている。


キーンコーンカーンコーン


チャイムが鳴る。


「祠堂、澪のために今できるのはここまでです」


「明日の同時刻まで、何もできないってことか?」


「いえ、そうは言っていません」


「……どう言う意味だ」


祠堂と金次郎の言葉のラリーは続く。


「気づきませんか?このあたりの妖気」


「妖気?」


金次郎から目を逸らし、祠堂は目を閉じた。


彼は妖気を感じ取る能力に長けていた。肌をピリピリとした威圧感が包み込む。

 

「何だか、少しだけ濃くなってるな」


「澪が閉じ込められた影響でしょう。恐らくこれからもっと濃くなります」


その言葉を聞いて、祠堂は体を校舎側へと向けた。


「怪異が凶暴化する」


「その通りです」


「昼の実体がない状態の怪異にでも、できることはあるからな……『取り憑く』とか」


以前の森本に取り憑いた怪異を思い出しながら祠堂は言った。


「それに、僕も動いています」


「あぁ……でも金次郎は例外……」


金次郎の方に顔を向けながら、言葉を言い切る前に、それを阻む放送が全校に流された。

ピンポンパンポーンという高音のリズムが辺りを包み込む。


発せられたのは、東野校長の声。


「……ええ、ああ、コホン」


不自然な咳払い。どこか慌てているようだった。


「祠堂先生、山羽先生、至急校長室へ」


祠堂は金次郎を見る前に、山羽と目が合う。


「きっと怪保が来たんです」


「……行こうか、山羽さん」


二人の様子を金次郎は静かに見ている。


「ありがとな、金次郎。……とりあえず、今出来ることをしてくるよ」


「……それが、いいです」


そこで、祠堂と山羽はロータリー脇の二宮金次郎像の前を後にした。


ところ変わって校長室。


コンコンッ


扉を叩くのは祠堂だ。その後ろには山羽が立っていた。


「失礼します」


扉を横にスライドさせて顔を覗かせると、そこには黒いスーツを着た男女の集団が、椅子に座る校長を取り囲むように立っていた。


ギロリ


彼ら彼女らの瞳が一斉に祠堂を向いた。


「……失礼しました」


これにはたまらず、祠堂が扉を閉めようとする。


「待てや、祠堂せんせぇ」


閉まりかけた扉が内側からガッと抑えられる。

扉の隙間から顔を覗かせたのは、いかついサングラスをかけた女性だった。


「おうおう、初めましてやないか」


「えーっと、おはようございます」


挨拶をした祠堂の声を聞いて、校長室の奥から一人の男が駆けてきた。


「し、祠堂先生!待ってたよ」


「校長先生」


周りの人を押し除けてやってきたのは、この部屋の主人東野校長だった。


「君にお客さんだ。教育委員会のお偉いさんだとか……と、とにかく、後は任せたよ」


それだけ言い残すと、東野は額の汗をハンカチで拭いながら長い廊下をさっさと去って行った。


教育委員会というのは、きっと間違いだ。東野にはそう伝えられているのだろうが、実際中にいるのは十中八九『怪保』の方々だ。


「……まぁ、入れよ、お二人さん」


サングラスの女性が校長室から声をかけた。


「普通、立場逆なんですけど……」


そうは言いながらも、祠堂と山羽はそのまま校長室へと誘われた。


校長室。校長の座るべき椅子には誰も座っておらず、祠堂と山羽に向かい合うように、四人の人物が立っていた。


その中でリーダーと思われる女性がいた。まず目が行くのは、サングラスの奥の鋭くギラついた眼光。身長は150センチほどで、この場にいる誰よりも低かったが、目力だけで大きな存在感を放っている。

髪は一つくくりのポニーテールと呼ばれるもので、腰ほどまで長さがあった。

彼女は祠堂たちに対して口を開く。


「うちらは怪保のモンや。初めまして、祠堂せんせぇと……久しぶりやのぉ、さくら」


「はい、お久しぶりです。『坪田つぼた隊長』」


坪田という女に、山羽はぺこりと頭を下げた。


「やめやめ、さくらも今は隊長やろが、頭下げんなや。あと、呼び方は『姉さん』でええ」


「い、いえ、今は仕事中ですから……坪田隊の応援、非常に心強いです」


「はっ、上からの命令や、さくらに礼を言われる筋合いはないわ」


彼女たちもまた山羽と同様に怪保のメンバーで間違いないようだ。会話を聞いても互いに顔見知りだと分かる。


しかし、もちろん祠堂にとっては初めましてのスーツ集団だ。


「改めて初めまして。祠堂です。今回は澪の件で応援に来てくださった……ということでいんですか?」


軽く頭を下げて、祠堂は坪田に向かい合う。


「おう、無視したみたいですまんかった。うちは坪田 虎威鋭こいとちゅうもんや。一応、さくらと同じで、怪保の隊長務めさせてもろとるわ」


手を差し出した彼女に釣られ、祠堂も手を伸ばした。互いに挨拶として握手が交わされる。


「うちらが派遣されたのは、さくらから応援要請が来たからや。だいぶ切羽詰まっとるみたいじゃねぇか」


「ええ、澪が姿を消して少しずつ、妖気が不安定になってきてるので」


現に、校長室にいる祠堂は、先ほどロータリーのそばにいた頃に比べて、空気に混じる妖気が確実に濃くなっているのを感じていた。


「昼間でも関係なく、怪異どもが好き勝手する可能性がある……っちゅうわけやな」


「はい。ですから……」


「ああ、安心せぇ、それ以上言わんでも手は打ってある」


「……?」


祠堂は何のことかわからず首を傾げる。


その反応が気に入ったのか、坪田はニヤニヤしながら、校長室にある唯一の椅子……校長の座るべきだった大きな椅子にどかっと腰掛けた。


「まず、さっき校長に命令した。今日はここの子らを午前中に返すようにってなぁ。一応、理由は『学校の設備点検のため』になっとる」


「なるほど、校内で自由に動けるようにしたんですね」


「おうよ、もちろんそれだけやないで。この学校に来たのはうちの隊だけやが、今『神喜多』の地域全体を怪保が見廻りしとる」


「……それは、最高のバックアップですね」


「ま、怪異どもにウチの島で好き勝手させるわけにはいかんからのお」


坪田は終始訛りの入った癖のある口調で言った。


「改めて、ありがとうございます」


「おう、律儀な先生やのぉ。うちらは命令を聞いただけやっちゅうに」


坪田は気にした様子もなく、ポケットから何か取り出した。キャンディだ。彼女は棒付きのキャンディの袋を片手で器用に開封すると、何の遠慮もなく口に含んだ。


「それでうちらは……祠堂先生、あんたらの助力できた。とりあえず、現状を聞かせてくれるか」


彼女の言動もあってか、ただのキャンディの棒が、まるでタバコのようだった。


それから、祠堂は澪が消えた時のこと、それからおそらく原因には鏡も時間が関係していることを話した。その際、金次郎から聞いたということははぐらかしている。

怪異からの情報と聞いて、坪田が納得するとは言い切れないからだ。


「……と、言うわけで、今に至ります」


黙って話を聞いていた坪田が、キャンディの棒を口元から取り出しながら頷く。


「なるほどのぉ……と言うことは、ウチらはその時間に、先生と一緒に鏡の中に乗り込めばいいんかいな」


「そうしてもらえると助かります。何があるか分かりませんし」


「分かった。まぁ、その時間が朝の7時過ぎっちゅんやったら、ウチの『舎弟』を紹介する時間くらいはありそうやな」


すると、その言葉に従うように、それまでずっと後ろで手を組んで立って待機していた屈強なスーツ姿の男女が一歩前に出た。計三人だ。


彼らは皆、統一した黒のシルクハットと、目が見えないほど黒いサングラスを身につけていた。


一人目。中肉中背の男。目元も髪も見えないため、何の特徴もない。


一歩前に出た彼は軽くお辞儀した。


「舎弟一、一ノいちのせだ。よろしく頼む」


二人目。エラが出た四角顔の男。体は2メートルほどありそうな大男だ。


「うっす!舎弟二、二条にじょうっす!お願いするっす」


最後、三人目。他二人と同じような格好だが、胸元が少し膨らんでいる。


「舎弟三、三田です。頑張るので、怒らないでくださいね……」


少し俯きがちに三田は言った。


彼らの挨拶を見届けた坪田は、キャンディを口に含んでクルッと椅子を一周させた。


「っつーわけで、イチ、二、サンの三人の舎弟だ。よろしくしてやってくれや」


そのまま飛び跳ねるように椅子から降りた。 


「と、言うわけで、これから元気なってる怪異どもを倒しにいくってわけやな?祠堂先生」


「そう……ですね」


朝の7時まで澪のためにできることがない今、この土地を守るために『怪異を倒す』これくらいしかすることはないのだ。


祠堂は真っ直ぐ坪田を見た。


「怪異退治、協力してください」


坪田はキャンディをガリっと噛んだ。


「任せとけや」


そう言うと、ニヤッと笑って舎弟に指示を飛ばした。


「怪異狩りや、テメェら」


「「「うっす」」」


坪田と祠堂、山羽の3人は、誰もいない廊下を歩いていた。時刻は午後3時を過ぎたあたりだ。


神喜多小学校は平日の昼間にも関わらず、子どもたちの姿はない。学校に集まってくる怪異を警戒して、怪保が手を回した結果だ。


ちなみに、緊急の『職員室を含む学校の設備点検』ということで、先生職員も皆帰宅済みだ。


学校の長い廊下を歩きながら、彼らは話していた。


「はぁ……いつまで出てくるんだぁ、ここの学校の怪異は」


そううんざりした顔でそう言うのは、坪田だった。


「怪異、たくさん出てるみたいですね」


坪田と同じく隊長である山羽は坪田と祠堂の少し後ろでつぶやいた。


彼女が、『出てるみたい』と言ったのは、彼らに怪異が見えていないからだ。昼間、基本的に怪異は姿を現さない……というより、現せない。


「まぁ、僕らは歩いてるだけなんですから」


だからこそ、祠堂が言うように、出現する怪異と戦っているのは、花子など、祠堂や坪田の連れている『味方』の怪異だ。 

昼間に怪異に触れるのは怪異だけなのだ。


ちょうど、声がした。


「ククッ、祠堂止まれ、また怪異じゃ」


花子の声だ。姿は見えないが、祠堂たちと共に行動しているのが分かった。


「よろしく、花子ちゃん」


現状、祠堂のような生身の人間にできるのは、相方が戦っているそばにいることくらいだ。


「ウチが自分の怪異に『憑かせれば』怪異も見えるし、戦えるんやが、そこまでするほどの敵は現れてないしなぁ」


人間単体、怪異単体に比べれば、人に怪異が取り憑いた状態が最も強いとされている。

怪異に取り憑かれることで、怪異の力も使えるので、昼でも怪異を見たり触ったりできるのだが、それができる坪田もそこまでしていなかった。


敵である怪異がそれほど強くない場合、そうするメリットがない。怪異に憑かれると、いつかその怪異に体を完全に乗っ取られる可能性もある。つまり、デメリットが大きいのだ。


「はぁ……暇やのぉ」


坪田はその場で大きなあくびをした。


「ほれ、もう終わったのじゃ」


どうやら、見えないところで花子が怪異を仕留めたらしい。


すると、そこでひと段落したと判断したのか、山羽が水筒片手に祠堂と坪田に歩み寄った。


「お茶、いりませんか?もしお疲れならマッサージでも……」


「いらんいらん、さくら、そんな気を遣わんでええわ」


山羽の言葉を遮って、坪田は首を横に振った。

祠堂も微笑みながら首を横に振った。


「俺も大丈夫だよ、特に何もしてないし……それに、あと少しで七周目も終わりだ」


祠堂は、目前に迫った職員室の方を見た。ここまで何周も彼らはこの校舎を廻っていた。そして、今七周目が終わろうとしているのだ。


「そ、そうですよね!」


山羽は愛想笑いを浮かべながら水筒の蓋を閉めた。


「ほら、行こうか」


祠堂はそう言うと、職員室の方に向けて歩き始める。そんな彼を引き止める存在がいた。


「そろそろ交代しとくか、次はウチの怪異にさせるから、祠堂の怪異は引っ込ませとけ」


「坪田さん?別に、花子ちゃんならまだ……」


現に、花子はまだまだ余力を残していた。


「ええっちゅうねん、ボスから役立つように言われとるしな」


そう言って坪田が三人の先頭に躍り出た。ボスとは、怪保の社長、『大黒大地』のことだろう。


その坪田の姿を見て、祠堂は近くにいるであろう花子に対して、小さな声で尋ねた。


「花子ちゃん、坪田さんの怪異見えてるんだよな」


「そりゃぁ、しっかり見えとるのじゃ」


「どんなだ?」


「ふむ……」


そこで、花子が答えるより前に坪田が足を止めた。それにつられるように、数歩後ろを歩く祠堂たちも足を止める。


「怪異ですか?」


祠堂が尋ねると、坪田は首だけ後ろに向けた。


「ああ……だが、もう倒したらしいな。所詮ただの雑魚か」


瞬殺。太陽が上がっている間、人間には怪異が見えないが、その道のプロになれば昼間でも多少気配を感じ取ることはできる。


坪田の言葉から察するに、彼女の目の前に怪異が現れ、それとほぼ同時に彼女の怪異が倒してしまったのだろう。


すると、だいぶ遅れて祠堂の問いに答える花子の声が、彼の耳に届いた。


「坪田の怪異、なにかウニョウニョしてるのぉ」


「ウニョウニョ?」


「うむ、わしは苦手じゃ」


ウニョウニョという強者感のない弱々しい表現に、祠堂は首を傾げる。それに反応したのは山羽だった。


「……坪田隊長の怪異、怪保でも指折りの実力派なんですよ」


祠堂の横に立ちながら、山羽は坪田をじっと見た。


「山羽さんは、坪田さんのことしってるんですよね」


「はい。もちろんです……怪保のみんなは私にとって『家族』みたいなものですから」


山羽は少し自慢げに微笑んだ。


「そうですか……なら坪田さんは山羽さんにとって妹みたいなものですね」


坪田はサングラスなどかけて大人っぽくしているが、身長は低めだし、童顔で、どう見ても中学生か高校生そこらだ。


そう考えてのセリフだったのだが、山羽によって即座に指定された。


「いえいえいえ、坪田姉さ……あっ、隊長は私よりも一回り年上ですよ!?」


彼女は目を見開いて祠堂を見た。


「えっ、つまり、30代……!?」


祠堂は改めて坪田をじっと見るが、やはり納得できない。


すると、一瞬で怪異を沈めた坪田が、身体ごとこちらに向けて、歩いてきた。


「なんやなんや、こっちを見てコソコソしゃべりやがって」


ここでの会話を知られるのはまずいと、祠堂は慌てて取り繕った笑みを浮かべる。


「いえ、何でもないですよーー、はは」


胡散臭いあからさまな誤魔化しに、坪田はいい顔をしない。


「何か隠したやろ今」


「ま、まさかぁ……ははは」


相変わらずな祠堂の態度に、眉を顰める。


「分かんねぇ奴だな、祠堂先生はよぉ」


坪田はそのまま歩いてくると、山羽の肩にポンと掌をのせた。身長差があるから、坪田がかなり手を挙げた形になる。


「さくら、苦労させられてねぇか?」


「苦労……だ、大丈夫ですよ!」


山羽は祠堂とのこれまでのことを思い出して、少し反応が遅れた。苦労……はかけられた記憶はないが、毎度毎度驚かされた記憶が蘇る。


「……本当か?まぁ、さくらがいいならいいけどよ」


そう言うと、坪田は片目を釣り上げて祠堂を見た。


「ボスの命令でさくらがここにいるのは知ってるけどよぉ……祠堂先生、ウチのさくらに酷いことをしてみろ、テメェ、許さねぇからな」


圧。尖った八重歯を除かせて、彼女は威嚇する。サングラスの下から覗いた眼光が祠堂を捉える。


祠堂は冷や汗を垂らして笑うしかない。


「は、ははっ、肝に銘じます」


それを見た山羽は、祠堂を庇うように咄嗟に坪田と祠堂の間に割り込んだ。坪田の手がそれに従って山羽の肩から離れた。


「坪田隊長、大丈夫です!祠堂さんはそんな人じゃないですよ」


「山羽さん」


祠堂がキラキラした瞳で山羽の後ろ姿を見る。


「実際、人柄がいいから、子どもにも好かれるいい先生なんですよ」


「山羽さん!」


祠堂の瞳の輝きがますます増していく。


しかし、反対に坪田はジト目で、庇う山羽と庇われる祠堂を見ていた。


「本当かぁ?さくらを騙してるとか」


「そんなことありません!」


「山羽さぁん!!」


祠堂は坪田の言葉を強く否定してくれる山羽の姿に感動すら覚えていた。花子が祠堂の感動具合に対して、「気持ち悪い声じゃのぉ」と愉快そうに笑っていたことには誰も触れない。


そこで、山羽は祠堂の潔白を証明するべく次の言葉を放った。


「本当です!実際、祠堂先生は小6女児の澪や、少女の見た目をした花子さんといい感じですから!」


「……!?」


「ほぅ」


坪田の目がより鋭さを増す。


「それに、これは澪のお父さんも公認で!」


「山羽さぁあん!?」


今度の祠堂は、これまでネットリとした声ではなく、溌剌としたキレのある声だった。


ここで、山羽はまとめに入った。


「そんな子どもにも大人にも認められる人が悪いわけないじゃないですか」


言ってやったと山羽は祠堂の前に立って満足げだったが、祠堂にとってみればたまったものではない。


「ロリコン」


「……」


案の定、坪田はゴミを見るような目でサングラス越しに祠堂を見た。彼女は小さいはずなのに、今は心なしか祠堂の方が小さく見える。


坪田は山羽の腕に手を伸ばすと、そのまま自分の方にグイッと引いた。


「坪田隊長?」


驚いた顔で山羽は坪田を見る。彼女は、山羽を己の後ろに引っ張ると、祠堂に向けて言い放った。


「ウチの可愛いさくらに手を出したら、承知しねぇからな」


「……はい」


祠堂はおとなしく折れた。ここで何を言ったところで無駄だと察したのだ。事実、山羽の言うことに大きな嘘はないのだから。


「坪田隊長?」


「さくらも、しっかり見極めろよ?あと、ずっと気になってたんだが、ウチのことは昔みたいに『坪田姉さん』でいいんだよ」


坪田はぎゅっと山羽の腕を掴んだ。


「ククッ、祠堂、ロリコンじゃったのか」


聞こえるのは、一部始終を見ていた花子の声。祠堂は目を閉じて、ため息を吐いた。


「花子ちゃんまで、勘弁してくれよ」


そう言って頭をぽりぽりかく祠堂。時刻は午後3時を迎えようとしていた。




それからも、彼らは休憩を入れながらしばらく巡回を続けていた。途中、同じく校内を見回っている坪田隊の『一ノ瀬』『二条』『三田』ともすれ違った。


校舎内の巡回を祠堂たち、校舎外を彼ら3人に任せていたのだ。彼らは皆無事のようで、祠堂たちと同じように、怪異を見つけては己の怪異に戦わせていた。


祠堂たち三人は、北館二階のトイレの前のベンチに座っていた。トイレがてら休憩でそこにいるのだ。


「はぁ、流石に歩き疲れたわ」


坪田は座ったまま両手を後ろに伸ばして、天を仰いでいた。


「ですね、澪が消えて、やっぱり怪異の動きが盛んになってます」


坪田の横で、椅子に座った祠堂が、俯いていた。


「キリないわ、こんなもん」


「学校は特に怪異が集まりやすい場所ですからね」


学校は、普段から怪異が多いのだ。それは、この地の要石である姫城澪がいるから。怪異どもは、彼女が邪魔だから命を狙って集まるのだ。


しかし、普段は澪の力で怪異の発生が抑えられているから、今日のように山ほど怪異が出てくることはない。


「意地でも姫城澪を取り返さんと、この地は終わるな」


坪田はそう言いながら、正面を向いた。すると、そこにいるのはお茶の入ったカップを二人分用意する山羽だった。彼女は膝を地面について、せっせと水筒からお茶を注いでいる。


「さくら、何してる」


すると、彼女は膝をついたまま、お茶の入ったコップを坪田に差し出した。


「これ、どうぞ、お疲れですよね」


そのまま押し付けるようにコップを坪田に渡すと、山羽は次に祠堂にもう一つのコップを渡した。


「祠堂さんも、これ」


「え、ああ、わざわざありがとう」


祠堂は山羽からお茶を受け取ると、一口飲んだ。


「冷たくて美味しいな」


それを聞いて、山羽は笑みを浮かべている。


「そうだ、これ、お茶請けにビスケットです」


山羽はそう言って、どこからともなく袋入りのビスケットを取り出すと、祠堂と坪田に差し出した。


「以前、この学校の先生に頂いたものなのですが……食べきれないのでお二人が食べてください」


「糖分か、ありがたい」


祠堂はコップ片手に、もう片方の手を伸ばしてビスケットを受け取った。


そんな和やかな雰囲気を壊すのは、もう一人の存在、坪田だ。彼女は祠堂と違い、ビスケットを受け取らない。


「坪田隊長?」


どうしたのかと山羽は尋ねるが、坪田は受け取ったコップをそのままに、山羽を見た。その瞳にはどこか冷たさを感じる。


「さくら、なんでそんなに気を遣とるんや」


「気を……別に、そんなこと」


「いや、何か思うこと、あるんちゃうか」


「……」


「ウチはさくらの姉や、それくらい分かるわ」


山羽は黙ってしまった。二人の空気に、祠堂は黙って見ていることしかできない。


「ここにくるまで、何かずっと、思い詰めとるやろ」


山羽は眉を八の字にして、困ったように笑った。


「大丈夫ですよ、坪田姉さん」


坪田は静かに山羽を見ている。


すると、サングラスを外して、椅子から立った。


祠堂と山羽の目線が彼女に向く。


「さくら、それはお前が『ここにくるまで一度も戦っていないこと』と関係してるんか」


その言葉を聞いた途端に、さくらの顔が引き攣った。


「お前、この巡回中、一回も『怪異を出して戦ってない』やろ」


それは事実だった。事実、山羽はこの数時間、一度も己の怪異『山姥』を出していなかった。


山羽は俯いてしまう。


「あたりやな」


サングラスを外したことで、坪田の真っ直ぐな瞳が山羽に突き刺さる。


しかし、それでも山羽は何も言わなかった。


「ま、別に、ウチかて無理に聞こうとは思ってないわ」


坪田は気が抜けたように、またベンチにどさっと腰掛けた。サングラスをまた元の位置にかける。


「ただ、さくらの姉として、同じ隊長として、分かる部分もあると思うんやがなぁ」


そう言って、さっき山羽に差し出されたお茶をコクコクと飲んだ。


「麦茶か」


その言葉に、山羽がボソッと反応した。


「姉さん、好きでしたよね」


「なんだ、覚えてたのか?」


「もちろんです」


すると、坪田が愉快そうに笑った。


「ガッハッハッ、可愛い奴じゃねぇか」


そのままコップを片手に、ベンチにふんぞりかえる坪田。


ちなみに、その会話の間、祠堂はちびちびお茶を飲みながら、黙って二人の様子を見守っていた。


「……姉さん」


「おう、どうした妹よ」


「私、いいんでしょうか。このままで」


そこで、山羽は顔を上げて真っ直ぐに坪田を見た。


「いいんでしょうか。隊長で」


坪田は端的に答える。そこに遠慮はない。


「それはお前が決めることじゃねぇ、ボスが決めることだ」


「でも、でも、私、弱いんです」


ここ最近、彼女は己の力の無さを感じていた。これまで、祠堂や花子と出会うまで、彼女には『自分は強い』という自信が多少なりとも存在していた。


それは、怪異である『山姥』を使って、現れる悪しき怪異を倒し続けていたからだ。


それが、ここに来てからどうだろう。


花子には手も足も出ず、その後、落武者はコテンパンにやられた。


それから、しばらく強くなるために鍛えたが何の成果も得られていない。しまいには、支配すべき怪異、山姥にも舐められて、愛想を尽かされた。


「本来、私が支配して、力を使うはずの怪異が、言うことも聞かず……」


それは、山羽にとってプライドをへし折られることに相違ない。


彼女は己が慕う姉、坪田にそんな失態を知られたくなかった。


しかし、これが現実なのだ。


嘘偽りない。


「そんな私が、日比谷隊員や、中田隊員、森山隊員を率いる存在として……こんな無責任な隊長で、いいんでしょうか」


「そんなもん、答えは決まってるじゃねぇか」


坪田は高みから言ってのけた。


「ダメだ」


「……!?」


祠堂が慌てた様子で立ち上がる。


「坪田さん、ちょっと!」


「あぁん?ダメだろ、、隊長が弱かったら」


何を当たり前なことを……と、坪田は祠堂を見た。祠堂は何も言い返せない。


山羽も口をつぐんでしまった。


坪田は続ける。


「別に単純な『強さ』だけが隊長に相応しいか相応しくないかの指標にはならねぇ……が、この業界、最低限の強さは必要だろう」


「……はい」


「いいか、人の上に立つ者が弱いのはダメだ。だがな、それで『弱いのを受け入れる』のはもっとダメだ。元も子もねぇが、『素質のない』のはもっともっとダメだ」


そこで、坪田はこっちを見ろとばかりに、椅子から降りると、山羽の前にしゃがみ込んだ。正面から両手を山羽の肩に乗せて、目線を合わせる。


「……?」


山羽が顔を上げた。二人の目が重なる。


「いいか、すぐに答えろ、さくら。お前は弱い自分を受け入れるか?それとも、変わろうとするのか?」


問いのすぐ後。山羽は首を振った。横に。何度も何度も。


「いや……です。弱いのは、弱いのは、嫌です」


そんな山羽を見て、坪田は満足げに微笑んだ。


「なら大丈夫だ。山姥を押さえ込め。きちんと力を引き出せ、お前ならやれる。お前には『素質』がある」


「素質……?」


「ああ。だってさくら、テメェは間違いなく強くなる素質があるからな。小さい頃から一緒の、姉ちゃんからのお墨付きだ」


坪田は山羽の頭をポンポンと優しく叩いて、その場に立ち上がった。


「ほら、与太話してる暇はねぇ。怪異退治、行くぞ。『山羽隊長』」


「……はい!坪田隊長」


山羽は晴れやかな顔をしていた。


「いい話だな」


なぜか保護者目線で、祠堂はうんうん頷いていた。ここ最近、山羽が思うようにいかず、調子が悪いということは何となく察していた。


「やっぱり家族愛とか、いいよなぁ」


一人で感慨に浸る。


「何じゃ祠堂、少しおっさんくさいぞ」


「花子ちゃんには分からないかなぁ」


「分からんくてよい。ほら、置いていかれとるぞ」


祠堂が我にかえると、山羽と坪田は仲良さそうに横並びで、廊下を歩いていた。


「しばらく数歩後ろで見てたいな……」


もらったビスケットをボソボソと口に詰め込みながら、祠堂はニンマリと笑った。


「ちょっと気持ち悪いのじゃ」


「ストレートだな、花子ちゃん」


ビスケットを飲み込んだ祠堂はその後、少し駆け足で彼女らの元に追いついた。追いついたのは、先ほどまでいた北校舎と南校舎の間、一階の渡り廊下だ。


彼は前を歩く二人に歩幅を合わせながら、差し込む西陽に目を細め、そのまま目を背けた。


「夜が老けたら怪異が実体化するし、それまでに……」


『時計』だ。


太陽から目を逸らすように見た、中庭にあった時計。


話の途中で、祠堂の瞳に中庭に備え付けてある『時計』が目に入った。


時刻は、『4時30分』を指している。


「……祠堂さん?」


突然黙ってしまった祠堂を不思議に思った山羽が、首を少し後ろに傾けた。


祠堂は立ち止まって時計を見ていた。


「……なんだぁ?祠堂先生、急に立ち止まって」


坪田も何かあったのかと、後ろを向いて足を止めた。


「なぁ、澪の消えた時間ってさ」


何かを考えながら祠堂が尋ねる。


「……朝の7時15分から20分の間ですよね?その時間なら恐らくまた『鏡の扉』が開くから、明日の朝、そこから突撃するって」


現状を確認する意味も込めて、山羽が改めて丁寧に言った。


「……今更、なんだぁ?」


それは誰もが把握しているだろうと、怪訝そうに坪田が頭を掻いた。


「あのさ、やっぱり変じゃないか?何で、そんな変な時間なんだ」


「ああ?そんなの知るか」


「例えば、0時ちょうどにとか、丑三つ時、午前2時ぴったりにとか、666……6時6分6秒にとかなら」


金次郎の言っていたことを思い出しながら、祠堂は呟く。


「あのなぁ、そんなこと、怪異本体に聞け。今考えたってどうしようもねぇんだから、行くぞ」


坪田は祠堂の言うことを遮って、二人に連いて来いとばかりに先に歩き始めた。


「祠堂さん、そこは私も気になっていましたが、坪田隊長の言う通りです。今は、出来ることをしましょう」


山羽も坪田に付き従うように、歩みを進めた。


祠堂と二人の差が広がっていく。


「まぁ、そうだよな、これから夜になればもっと忙しくなるし……」


やはりどうしようもないと、祠堂は歩みを進めるが、そんな彼の耳元で花子の声がした。


「4時44分なんてのも、縁起悪そうじゃの」


「そうそう、7時何分とかより、そういう時間の方が、それらしいよな」


祠堂の言いたかったことはまさにそう言うことだった。流石長年連れ添っただけあって、意気投合している。


「4時44分かぁ……定時の1分前だな……まぁ、そんな時間に退勤出来たことないけど」


教師の悲しい定め。放課後、子どもたちが帰った後も、先生たちの仕事は続く。1時間か2時間か、はたまた5時間6時間。


「まぁ、行くか……って」


そこで、祠堂は一歩後ずさった。なぜなら、少し前を歩いていた山羽が、彼の目前に現れたからだ。


「祠堂さん」


「!?」


二人の距離が数歩ほどに縮まる。


「祠堂さん、ここ」


「ここ」と言うタイミングで、彼女は、左手で自分の左頬辺りを指差した。


「山羽さん……?」


何が何か分からない祠堂は、その距離に少し顔を赤くしている。もういい大人だというのに、彼はこの手のことに慣れていなかった。


対して、至って真面目な顔をしている山羽は、己の左頬の辺りを指差した。


「ここ……ビスケット、付いてますよ」


彼女は気が抜けたように微笑んだ。


「え……あ、食べかすか」


恥ずかしくなった祠堂は、さらに顔を赤くすると、もう一歩引き下がり、『左頬』の辺りをぽりぽり掻いた。


しかし、彼の指に食べかすが付くことはない。


「……あれ?どこだ?」


掌全体で頬をゴシゴシ擦るが、何も取れない。


「あっ、ごめんなさい、祠堂さんからしたら『右頬』ですね」


そう言うと、山羽は水筒やらビスケットやらを取り出したポーチから、手鏡を取り出した。

彼女はそのままその手鏡を祠堂の眼前に差し出すと、もう片方の手で、己の左頬の辺りを指差した。


「ここですよ」


「あ、ああ……」


改めて祠堂は、鏡を覗き込みながら、『右手で右頬を』掻いた。


ポロッとビスケットのカケラが頬から取れる。


その時、鏡の中では、祠堂が『左手で左頬』を掻いていた。


鏡を使ったのだ。当たり前である。


「ありがとう」


そう。鏡の世界で、左右が逆転するのは、当たり前。


そこで、前を歩く坪田が二人に向けて声を飛ばした。


「おい、早く行くぞぉ」


それを聞いた山羽は、手鏡を折りたたみながら、祠堂に声をかける。


「行きましょう、祠堂さ……」


瞬間、祠堂が山羽の手を掴んだ。


「……!?」


手鏡を持つ方の手が、祠堂によってがっちり掴まれる。


「そうか……左右、逆なんだ」


「し、し、し、祠堂さん!?」


急に手を掴まれたことで、山羽が慌てた声を出す。目を白黒させて祠堂の顔を見る。


「どうされたんですか……!?」


彼女は思わず手鏡を地面に落としてしまった。カタンという音が廊下に響く。


先ほど、少し山羽が近づいただけで慌てていた祠堂が、自ら彼女の手を掴んでいる。しかしながら、そこに焦りはない。

何か考え事をしているようだった。


「山羽さん……今、何時ですか」


「え……4時、42分……いえ、3分です」


己の腕時計を見ながら、とりあえず祠堂の質問に答える。


それを聞いた祠堂は、今度は急に山羽の腕を離した。


「ちょっと……行ってきます。一応、一応なので、僕のことは気にしないでください」


「え!?」


「何もなけれは、すぐに戻ってきます」


祠堂は、山羽の前を突然走り出した。


それに驚くのは山羽だけではない。一緒にいた坪田も祠堂の奇行に目を見開いた。


「おい、どこ行くつもりや!?」


祠堂は、山羽と坪田の間を縫うように進むと、廊下を全力で走り出した。


すぐに彼の後ろ姿は小さくなっていく。


二人がポカンとしている間に、祠堂は左折して階段を上がり始めた。


「廊下は……走らないでください」


山羽のそんなズレた言葉がポツンと漏れた。


場所は変わって廊下や階段で爆走する祠堂。彼は今、階段を二つ飛ばしで駆け上がっていた。


「はぁ……はぁ……」


「どこに行くつもりじゃ」


一人走る祠堂に、花子が声をかける。彼女の声は、祠堂のすぐ後ろからしていた。


「かがみ……だよっ……」


息も絶え絶えに祠堂は答える。


「澪が、鏡の世界に、入ったのは……」


2階に到達する。澪の入ったとされる鏡があるのは、2階と3階の間の踊り場。


間も無くたどり着く。


「7時、16分だ」


「その心は?」


「それはな!」


着いた。祠堂の目の前には、大きな一枚の鏡。


映るのは、膝に手を置いて呼吸を整える祠堂と、階段の壁。そして、そこに掛けられた『時計』だ。


祠堂はそこに映った時計を指差した。


それだけで、花子は全てを悟る。


「なるほど……『反対』になっておるんじゃな」


鏡に映る時計の時刻、それは紛れもなく『4時44分』を指している。


しかし、その針の指す先の『位置』に限っていえば、違っている。


鏡の働きで左右が反転した時計は、本来であれば『7時16分』の時刻を指している。


「つまり、この鏡の扉が開く時刻が、7時16分なんて中途半端だったのは、ここに映る時刻がその時『4時44分』だったからだ」


「ほう……やはり、4時44分などと不吉な数字が関係しておるんじゃな」


そこで、祠堂がこの時間に間に合うように走ってきた理由が分かった。


「ああ、だから、もしかすると、明日の朝なんて待たなくても……今、『扉が開いている』可能性ほ高い」


祠堂はそう言いうと、右手を前に突き出して、鏡に触れた。


波紋。


水面に何か落とした時ように、鏡が揺れた。


祠堂の手を中心に、鏡の表面が波立つ。


「当たりみたいだな」


その場に山羽も坪田もいない。本来、この鏡には、彼らと一緒に入り込む予定だった。


しかし、彼らを待つなんてことはしない。


「時間がない、な」


そう。祠堂の仮説が正しければ、開いている時間は1分間だ。

それに、次にこの鏡が開くのは、しばらく先だ。

約半日、姫城澪は鏡の中にいる。彼女に命の危機が迫っていると考えるのは当たり前だろう。


「行くか」


祠堂は恐れた様子もなく、一歩を踏み出した。


右手、左足、頭、胴、左手、右足……次々とゆっくり、鏡の中に祠堂の身体が取り込まれていく。


「かかっ、迷いなしじゃな」


花子の楽しげな声が、祠堂とともに、この世界から消えていく。


トプンッ……。


祠堂の身体が、完全に鏡の世界に入った。


時は進む。


時計が4時45分を指す。


鏡は、もとの硬い一枚の板に戻った。


かくして、想定外にも、最終的に鏡の中に助けに入ったのは、祠堂と花子の二人になったのだった。

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