放課後の怪異たち
「ほれほれ、気を抜くでない」
夜。放課後。子どもも教員たちも皆帰ってしまった後の小学校で、赤いスカートを履いた少女がそう言った。
「てめぇ、若いもんが、上から、見くさり、おって」
花子に対してそう言い返すのは、山羽……もとい、彼女に取り憑いた山姥だった。
彼女は、学校に現れた怪異である落武者と対峙していた。場所は運動場。
遮蔽物が少ない地形で、刀を持つ落武者と、出刃包丁を構える山羽が限りなくゼロに近い距離を維持したまま戦っている。
迫り来る落武者の斬撃を、バックステップで避けている。
しかし、その素早い攻撃に避けることはできても、なかなか攻めに転ずることはできていない。
「そうは言うても老婆よ、頬を刀が掠めたではないか。ほれ、やられてばかりじゃ」
花子はその戦闘に参加していなかった。少し離れたベンチに座って、脚をぷらぷらさせながら様子を見ていた。
ちなみに、祠堂は職員室で仕事をしている。
「うるせぇ……なっ!」
火花が散った。落武者の一太刀を山羽が防いだのだ。
「攻めようっても、身体が言うことを効かねぇんだよ」
「身体が……?」
山羽がそのタイミングで弾かれた。力負けしたようで、よたよたと背後に退いた。
「ちっ……」
落武者は流れるような動きで、そのまま二撃目を繰り出した。
山羽ではそれを受け流すことができない。そう判断した花子は、すかさず半透明な手を地面から伸ばして、落武者の動きを固定した。
結果、落武者の次の攻撃が誰かに当たることはない。
「流水」
花子がそう言って椅子からぴょんっと降りると、落武者の身体は地面へと吸い込まれていった。
その一連の攻撃に音はない。
沈んでいった落武者を見る山羽のもとに、花子が歩いていく。
「まぁ、次があるのじゃ」
すると、山羽は励ます花子の方を鋭い目で見た。
「おい花子」
「何じゃ、山姥」
花子は山羽の前で足を止めた。
「てめぇの主人、わしに寄越せ」
そう言いながら、山羽は右の手のひらを前に差し出した。
「……」
花子は黙ったままその手を見ている。
「聞こえねぇか?」
「……」
「祠堂……だったか?アイツを寄越せ」
山羽は改めて花子に言った。一歩を踏み出して、花子に詰め寄る。二人には身長差があり、山羽が花子を見下す形になる。
「ああ、心配しなくてもあの男の身体をそのまま奪い取る っちまう気はねぇよ?闘うときに使うだけさ。こっちの身体は弱ぇからなぁ」
そう言って山羽は己の肩をぐるぐる回した。
花子は表情も雰囲気も変わっていなかった。何も考えていないのか、それともうちに秘めているのか。
すると、詰め寄っていた山羽が何やら苦しみ始めた。
「て、てめぇ!!出てくるんじゃねぇ」
見れば、山羽の手につけた腕時計の針がクルクルと回り始めた。それは、もはや時間を計測する働きをなしていない。
妖気の吸収。
それによって、山羽の身体の主導権が山羽自身に戻っていく。
「やめ、や………………」
すぐに、山羽のガングロメイクが剥がれていく。
そして、彼女はもとの黒髪清楚な姿になった。
「すみません。花子さん。失礼なことを」
山羽は一歩下がって頭を下げた。
「……いや、いいんじゃ。今のは山姥のせりふじゃろ?」
「はい。もちろんです」
「人のものに手を出すなと、言っておいておくれ」
山羽はその言葉を聞いて、スッと姿勢を正した。花子は決して怒っている訳ではなかったのだが、そこから感じる圧は計り知れない。
「は、はい」
山羽は愛想笑いをしながら返事をした。
「おーーい、二人とも、帰ろうか」
二人の緊張を解きほぐすように、校舎から祠堂がやってきた。
「し、祠堂さん」
「おや、今日は早かったんじゃのぉ」
それから、しばらくの間、花子と山羽による日々の見回りが続いた。
……三日目。
「ぎゃぁぁあ!!」
山羽は吹き飛ばされていた。落武者によって。
「はぁ……まだまだじゃのぉ」
花子が後始末をする。
……四日目。
「どわぁぁぁあああ」
落武者の斬撃を受け止めた山羽が、力任せに飛ばされる。
「今日もえらく飛んだのぉ……」
花子はそう言いながら、落武者を処した。
……五日目。
「なんで攻めないんだよぉお!!」
山羽に憑いた山姥が悪態をつく。
とにかく攻めたい山姥と、ひとまずは攻撃を見極めたい山羽の、身体への命令が行き違った結果、中途半端な動きになったところを落武者に容赦なくやられたのだ。
「こやつら、面白いのぉ」
結局、またしても花子が落武者の処理をした。
……それから、何日も何日も、飽きもせずに同じようなことが繰り返された。
「も、もう……む、むり……です」
夜中の11時。学校の廊下の片隅でそう言うのは、山羽だ。
「何じゃ、もう終わりか……」
花子は「流水」と言って落武者を地面の中へと封じ込めた。
この日、これまで通りではダメだと、山羽は山姥の力無しで戦っていた。
しかし、結果は本人の言うとおり、敗北だった。
「やはり、生身の身体では……」
山羽は膝をつきながら肩で息をしている。
「この調子じゃ、先が思いやられるのぉ」
花子は遠い目をしている。
「花子さん……なぜ勝てないんでしょう」
「それは、弱いからじゃろ」
「弱い……では、なぜ弱いのでしょう」
「ふむ……」
花子は四つん這いで息をしている山羽を見ながら、自身の顎に手を当てた。
「理由などはっきりしていると思うのじゃが……」
「!?」
山羽は驚いた様子で花子を見上げた。
彼女は言葉を選びながら答える。
「互いに、『上手く』やれておらんからじゃろ」
「上手く……?」
「そう。本来、山姥と上手くやれとれば、落武者など相手にすらならんはずなんじゃが」
「……」
山羽は黙っている。
「まぁ、その辺はお主らのぺーすがあるじゃろうしの」
なんだかんだで、この日の戦いも幕を閉じた。
その日の終わり、山羽は職員室で祠堂と花子に頭を下げていた。
「今日は、先に帰っててください」
椅子に座る祠堂と、彼の机に座る花子。
「どうした?帰らないのか?」
二人がきょとんとした顔で山羽を見る。
「はい。少し、居残りをしようかと」
「居残り?」
祠堂が尋ねるが、花子は言わんとすることを把握したようだった。
「何じゃ、特訓でもするのか」
言われた山羽は、少し俯き気味に黙って頷いた。
「しばらく……少なくともあの落武者を倒せるようになるまでは」
祠堂は無理をさせていいものか、普段から一緒に見回りをしている花子へと目を向けた。
「まぁ、今日も一通り校舎内の怪異は倒したしのぉ……安全じゃし、いいじゃろ」
花子は一つ頷いた。
「……そうか」
そう言って席から立った祠堂は、帰る準備をしたカバンを片手に持つと、机の花子に声をかけた。
「なら帰ろうか。花子ちゃん」
「うむ」
花子は手で机上をポンっと突き放すと、飛び降りた。
「山羽さん、明日も平日で仕事あるし、あんまり無理しないでね」
「はい」
その後、祠堂と花子が去った職員室で、山羽は時計を見た。
「11時か……確か、あんまり遅くまで電気ついてたら、ご近所さんから不審がられるんでしたね」
山羽は、あとは自分一人だけだと、学校内で残る最後の明かりである職員室の電気を消した。
「さて、運動場で打ち込みの…………いえ、気分を変えて、屋上でも行きますか」
屋上は普段児童の立ち入り禁止だが、花子との巡回の中で紹介してもらった、ゆっくりと落ち着けるスポットだった。
山羽は暗い廊下を歩く。目はすぐに慣れて、止まることなくすんなりと南校舎の屋上にたどり着いた。
7月の夜風は心地よく山羽の頬を撫でた。
そこからは、まず運動場がよく見えた。ほとんど遊具はなく、暗くて広い空間がぽっかり空いているようだ。
遠くを見れば、街の明かりが揺らめいている。そちらに目をやりながら、そのまま屋上のフェンスに体重をかけて、ため息をついた。
「はぁ……私、役立たずですね」
右手の肘をフェンスに置いて、手のひらで顎を支える。
「澪を護る……なんて言いながら、大したこと、何もできてません」
彼女の頭に、ここに送り出してくれた怪保のみんなの顔が思い浮かぶ。澪と祠堂を頼むと頭を下げた姫城の表情が、自分を暖かく迎えてくれた祠堂の後ろ姿が、より彼女の心をざわめかせた。
「あの怪異にも、迷惑をかけて……」
そう言った彼女が思い出したのは、花子だった。ここまで毎日見回りに参加しているが、どの日も花子に自分の失敗の尻拭いをさせていた。
「自信、なくなります」
綺麗な街並みから目を下ろして、暗い地面に目を向ける。
すると、背後から声がした。
「てめぇ、辞めちまえよ」
それは、大人の女性の声。
山羽は下を向いたまま、後ろを見ずに口を開いた。
「勝手に出てこないでください。山姥」
そう。山羽の背後にいるのは、これまで山羽に取り憑くことで戦ってきた山姥だった。
「おめぇが一人で喋ってるから、出てきてやったんだろ。学校の屋上で一人黄昏れやがって、気持ち悪りぃ」
「余計なお世話です」
山姥は怪異である。山に潜み、やってきた旅人なんかを家に誘い込んで喰ってしまう。正真正銘の化け物だ。
「あんまり舐めた口きいてると、喰っちまうぞ?今は夜。コッチの時間だ」
そんな脅し文句も、山羽には効かない。
「私とあなたでパスはつながっています。時計で妖力を吸い出せばあなたは消滅しますよ」
「……ちっ」
山姥は舌打ちした。互いにそんなことはしないと分かっているようで、二人とも一切行動に移そうとはしない。
すると、しばらくの沈黙のあと、山姥は言った。
「さくら、おめぇじゃあの落武者には勝てねぇよ」
「……!」
山羽は言い返すことができないまま、体だけを声のする方、山姥へと向けた。
彼女の瞳に映るのは、二メートルほどの背丈の女性だった。その筋肉は隆々と発達しており、ぱっと見は大男だ。しかし、山姥のはだけた着物からは、明らかに女性の胸元が見えていた。
それに、何より山姥であるにもかかわらず、老婆のような見た目はしていない。不恰好ではあるが、目鼻立ちのスッキリした三十前後くらいの別嬪さんだった。
そんな山姥は続ける。
「わしひとりじゃもちろん勝てねぇ……だがな、てめぇにわしが憑いたところで、勝ち筋は一切ない」
そこまで言われては、山羽も黙ってはいない。
「それは、あなたが勝手なことをするから!」
「何だぁ?ならおめぇの言うこと聞いて動けば勝てるとでも?それはない。確実に、ない」
山姥は完全に言い切った。山羽の目をじっと見てから、そっぽを向いてため息をついた。
「はぁ……もう、辞めとけ」
「……は」
「ここから手を引いて、あの組織に戻れ。ここにいても無駄死にするだけだ」
山姥が遠慮なくそう言うと、山羽は目をカッと開くと、山姥のもとまで詰め寄った。
一、二、三歩。
身長差があるから山羽は山姥を見上げる形になる。
「好き勝手言わないでください!私は約束したんですよ。澪を護るって」
激しい言葉。
「……護る?会って数日の童を、か?出来ねぇな、てめぇには」
「いいえ、決めたんです。私はやります」
「やりますだぁ?あのな、てめぇはあの祠堂や花子とはちげぇだろ?『する』と『できる』は違うんだよ」
山姥は山羽の胸ぐらを片手でぐっと掴むと、己の目線まで引き寄せた。山羽が苦しそうに山姥の手を掴むが、離さない。
「するのは簡単だ、誰だってできる。だがな、『できる』はできなきゃできないんだよ。そして、お前には、『できない』って言ってんだ!!」
できない……つまり、山羽では澪を護れない。力不足。役不足。山姥はそう言いたいのだ。
「……くっ」
苦しげな山羽の表情に気づいたのか、山姥は手を急に離した。
山羽はストンッと地面に落ちた。そのままコホコホと咳き込んでしまう。
「……こほっ、何ですか、怪異のあなたが、偉そうに……」
「……あぁ?」
山姥は山羽をギロリと睨むが、否定はしない。
「山姥……あなたとは長い付き合いですね」
そう言いながら、山羽は片足、片足と順番に立てて立ち上がった。
「ですが、正直、あなたとはうまくいった記憶が一切ありません」
「そりゃ、こっちだっておんなじだ」
「あなたは人に飼われている怪異なんです。もう少し、私に歩み寄ってきなさい」
「……あぁ?」
山姥が露骨に不機嫌そうに返した。
「私はあなたのために言っています。組織で反抗的な怪異はどうなるか……長年組織にいるあなたならよく知っているでしょう」
「さくら、このわしを脅してるのかぁ?」
二メートルの巨体で圧をかけるが、山羽は一歩も引かない。
「私はこれまで、あなたが今のような反抗的な様子を見せても、ボスには内密にしてきました。ですが、いい加減に従ってもらわないと……」
その続きを言う前に、山姥は静かに話を断ち切った。
「勝手にしろ」
「……え?」
「勝手にしろよ、報告でも何でも」
その声は別に怒っている……わけではないようだった。トゲトゲしいように見えるが、その内側には柔らかい雰囲気を帯びていた。
「もう一度言うぞ。辞めろ、お前には無理だ」
山羽と山姥の瞳が重なる。先に逸らしたのは山羽だった。彼女は腕時計に左手を添えると、何か操作した。
すると、ふわっと山姥の存在が、煙のように薄くなっていく。
「今後、私の指示に従ってください。それができないなら、あなたに組織の力で『反省』してもらいます」
「……」
山姥は消える最後まで、山羽の瞳をじっと見ていた。
完全に山姥がその肉体を失ったタイミングで、山羽はホッとため息をついた。気丈には振る舞っていたが、彼女なりに怪異を前にして緊張していたようだ。
「……しばらくは、彼女を呼び出すのは控えましょう」
消えた山姥から目を逸らすように、星空へと顔を向ける。七月の空は雲ひとつなく、綺麗に澄み渡っていた。
……ガチャ
突然。屋上の扉を誰かが開く音がした。山羽はすかさずそちらに体を向けて、腰に下げた出刃包丁に手をかけた。
しかし、その扉を開いて屋上にやってきたのは、よく見知った人物だった。
「おお、いたいた。本当に屋上にいたとは」
癖っ毛のふわふわした髪をかきながら、祠堂が笑った。
「これ、冷やし中華と冷やしうどん、どっちがいい?」
そんなことを言う彼の左手には、コンビニのナイロン袋がぶら下がっていた。
「祠堂さん……」
山羽は警戒を解いて、安堵の笑みを浮かべた。
彼女の心には、こんな時間に気を遣わせてしまった罪悪感と、気にかけてもらえた嬉しさが複雑に絡み合っていた。
「すみません……いや、ありがとうございます」
そう言いながらぺこりと頭を下げる。
「いいって、俺も成績処理をやり残してたって、帰り道で気づいて戻ってきただけだから」
そんなわけない。山羽は思ったが口にしない。彼女は祠堂が昼のうちにテストの丸つけや得点入力を済ませているのを見ていたのだ。
「ほら、どっちがいい?せっかくだし星空観ながら食べようか」
祠堂は呑気に空を指差しながら山羽に歩み寄ると、近くのフェンスを背もたれにして、そこに腰掛けた。袋からプラスチック容器に入った中華麺とうどんを取り出して並べる。
「おっ、お手拭きも入ってる……」
「ふふっ、ありがとうございます」
一人でゴソゴソしている祠堂に改めて礼を言うが、祠堂は特に反応もせずにお手拭きの封を破って手を拭きだした。
「花子さんは?」
山羽は祠堂と同じように、その横に腰掛けながら尋ねる。
「ああ……あいつ、たまには人間同士仲良くするのじゃとか言って、来なかったよ。今頃、トイレじゃないかな。落ち着くらしいし」
「そうですか……」
きっと花子さんは気を利かせてくれたんだ。山羽は確信する。
それから、祠堂が中華麺、山羽がうどんを啜りながら、どうでもいいことを話した。
七夕間近の満点の星空は、二人のことをチカチカと照らしている。
「そういえば、新しい職場はどうだ?」
「学校……楽しいですよ」
「そうか。二足の草鞋なわけだが、困ってないか」
「だから、大丈夫ですよ。何だか祠堂さん、お父さんみたいですね」
「おと……そんな歳は離れてないんだけどなぁ」
祠堂が頭をぽりぽりと掻いて困った顔をする。
「皆さんも、よくしてくれてますし」
実際、山羽の言うように、彼女は他の先生や子どもから、その人柄でかなり好かれていた。
「確かに。特に若い男の先生から、な」
「ええ、小動物とでも思われているのか、お菓子なんかよくもらいます」
きっとそれは、彼らなりのアプローチなのだが、山羽は気づいていないようだった。
話は変わる。他の先生についての面白いエピソードや、管理職の愚痴。そんな先生の話から、子どもたちの話へ。
会話の中で祠堂は笑っていた。
「ははっ、また森本にライバル出現だな」
「本当、澪ちゃんも罪な女ですよね」
今は、姫城 澪を取り巻く男子の話をしている。
「あいつは昔からモテたからなぁ」
「確か、祠堂さんと澪は子どもの頃から一緒なんですよね」
「ああ、親が失踪してから、俺はしばらく姫城家に引き取ってもらってたからな」
そこで、楽しかった雰囲気が終わる。山羽はお箸を持ったまま、少し真面目な顔で祠堂に尋ねる。
「祠堂さんのご両親は……」
そこで、山羽の言わんとしていることに気づき、祠堂は軽く答える。
「二人とも神喜多に長く住んでたし、きっと怪異絡みだろうな」
「そう、ですか……」
つまり、祠堂の親は怪異によって行方不明……もしくは、帰らぬ人にされたのだ。山羽はしばらくうどんの入った容器を見ていたが、意を決して祠堂を見た。
「祠堂さん、恨んではないんですか」
「怪異を?」
「はい」
祠堂は、適当には返せないと、うーんっと唸った。
「でも仮に、人間に親が殺されたからって、人間全部を恨んだりはしないだろ?同じで、怪異に殺されたからって、怪異全部を恨んだりはしない」
その後で、祠堂は「ありきたりかもしれないけどね」と付け足した。
「それに、さっき姫城家が助けてくれたって言ったけど、それと同じくらい、怪異である花子ちゃんも、俺の心を支えてくれたからなぁ」
山羽は黙って聞いている。
「だからさ、なんて言うの、同じ人でも、助けてくれた人とそうでなかった人は『別』だし、同じ怪異でも、親をどうにかした怪異と助けてくれた怪異は『別』だろ?」
祠堂はそこまで言うと、山羽を見た。
「先生やってるのに、分かりづらかったか」
「……いえ、よく分かりました」
山羽は、そう言って、またうどんを啜り始めた。
「しどうさんは……んっ、おとなですね」
そう言ってうどんの汁を飲んで容器を置くと、その場に立ち上がった。
「でも、やっぱり私は怪異と仲良くできないと思います。何を言ったとしても、怪物は怪物ですから」
「そうか……まぁ、基本的にどう考えるかは人それぞれだし、押し付ける気は全くないよ」
気にした様子もなく、祠堂は片付けを始めた。
夜のピクニックが終わる。
それから、山羽が山姥を呼び出すことは無くなった。
彼らの日常。
姫城 澪を護るための日々。
そんな日々の表側。昼の学校には子どもたちが集まっている。
友だちと交流して社会性を磨いたり、学問に取り組み将来に向けて知識を蓄えたり、『生きる力』の育成に向けて、毎日を過ごしていた。
六時間目も終わり、下校時刻が迫る中、祠堂は先生として、教室の前に立つ。
「……と言うわけで、明日の朝、早めにきて荷物運びを手伝ってくれる六年生を募集中なんだが」
祠堂が言いながら教室を見渡すが、誰も手を挙げない。皆、先生と目を合わさないように必死だ。
「あーー、先生泣いちゃいそう」
それに軽々と反応する児童が一人。
「全然そんなことないじゃん」
「はい、瀬川、明日7時に学校集合でよろしく」
「えーー!」
祠堂は反応したクラスのお調子者を指差した。指名された瀬川という男子は、坊主頭を抱えて机にうつ伏せになる。
「他は……」
そこで、すぐに別の児童が手を挙げた。
「はい。私も手伝います」
声の主は姫城だった。彼女はその後で「学級委員ですし」と付け足した。
「ひ、姫城さん……」
瀬川が感動したように両手を合わせ、ウルウルした瞳で姫城を見た。
「助かるよ、姫城。ただ二人じゃちょっと少な……って、何で急にこんな手が挙がるんだよ」
他に希望者はいないか教室を見ると、先ほどまでの手の挙がりは何だったのかと言いたくなるほど……教室の半分以上の児童が手を挙げていた。
特に男子。男子の手の挙がりが異常だ。
「下心が見え見えだぞ、お前らぁ」
下心、クラスのマドンナ的存在である姫城とお近づきになりたいという思いが見え透いている。
その日、結局男女含め数人の児童が祠堂によってら選ばれた。
「じゃあ、明日の七時、よろしく頼むよ」
祠堂のその言葉を最後に、その日は放課後へと移っていった。
そして、一夜明けた次の日の朝。
衝撃の展開が祠堂たちを待っていた。
端的に。
『姫城 澪』が消えた。
祠堂たちの護るべき存在。
姫城 澪が学校で、姿を消したのだ。
まだまだ明るい午前中の学校。
1時間目と2時間目の間の10分休みに、祠堂のクラスである6年2組の教室では、何人かが集まって談笑していた。
席を外しているようで、そこに祠堂の姿はない。
「なぁなぁ、聞いたことあるか?」
「何がだよー」
席にグデッと体を預ける男子に、丸刈りの少年『瀬川』が話しかけた。
「この学校さ、出るらしいぜ」
「……何が?」
少年は顔を上げて、話しかけてきた坊主頭の男子を見た。
「そりゃあ、これだよ、これ」
おちゃらけた男子はそう言いながら、両手の甲をふらふらと揺らした。
「ゆうれい?」
「そう!中学の兄ちゃんが言ってたんだ。夜の11時11分に、1年1組の教室を窓から覗くと、小さな男の子の幽霊が出るって!」
机に体重を押し付けて、興奮気味に彼は続ける。
「何でも、一人で本読んでるらしいよ!ただ、国語の教科書を逆さに開いてて、それに合わせて頭も反対になってるとか……」
少し声が大きくなっていたからか、それに近くにいた女子が反応した。
「や、やめなよーそんな話」
二人の女子が怖さ半分、興味半分で寄ってきた。
「おっ、何だよ山畑、怖いのか?」
「こ、怖くないし!」
『山畑』と言われたのは、身長が高めの女の子だった。その場にいた二人の男子より数センチ背が高い。
「お前、背高いくせにビビりなんだなぁ」
「別にそんなんじゃない!ね、ね、琴ちゃん!」
「え……う、うん。私は怖いけど……」
同意を求められた『琴ちゃん』という、山畑と一緒にやって来た少女は、目を逸らして正直に言った。
「大丈夫だよ琴ちゃん。絶対そんなのいるはずないんだから」
友人の肩をポンポンと叩きながら、山畑はむりに笑う。
「そ、そうだよね!いるはずないよね!」
琴ちゃんも自分を納得させようとウンウン頷いている。
「どうだかなぁ。だって、武士の亡霊を見たって人も結構いるんだぜ!?絶対この学校いるって」
「いないよ!」
「いや、いるね」
「いないって!」
「いるって!」
「な、なら証拠見せてよ!この学校にお化けがいる証拠!」
「しょ、しょうこ!?」
強気だった坊主男子がたじろいだ。理由は簡単。そんな証拠はないからだ。
すると、それを見た椅子に座る男子がボソッと呟いた。
「なら、夜に確かめにくれば……」
「!?それだよ!」
目を爛々とさせて、その案に乗っかる。
「今度、みんなで来ようぜ!証拠、見せてやる」
「……え、いや、私は」
顔を引き攣らせながら山畑は一歩下がるが、それを逃す男子ではない。
「何だ、やっぱり怖いのか。でっけぇくせしてビビリだな」
「……ッ!!そ、そんなことない」
「なら、どうする?」
「行く!行くわよ!ねぇ、琴ちゃん」
「え!?私も……?」
一連の流れを聞いた発端の坊主の男子……瀬川は、嬉しそうににんまりと笑った。
「よし、とりま、ここにいる4人は参加決定な!」
「「「……」」」
3人とも参加したくはなかったが、こうなった以上後には引けない。山畑は己のプライドのために、琴ちゃんは友だちに合わせて……もう一人、机に体を預けていた男子、『平山』は流れに流されるままに。
「でも、四人だとちょい少ないか」
そこで、四人だと心細く感じたのか瀬川はキョロキョロと周囲を見た。
「せっかくの肝試しだけど、姫城さんはなぁ……」
あわよくば、教室の対角線上、遠くにいるクラスのマドンナを誘いたいが、彼女の家は厳格だと知っているゆえに簡単には誘えない。
「なら……」
そこで、ここまでの話が聞こえていたであろう近くの者に目をつけた。
「お前も行こうぜ、田代!」
「……は」
『田代』と呼ばれた少年は、クルクルした癖のある茶髪をぴくりと震わせた。
彼は、普段から気弱に見えるのに、先生にだけは反抗的で、授業をサボりがちなミステリアスな存在だった。
「や、やだよ」
「何でだよ、興味ないのか?」
「な……ない」
田代は、目を泳がせながら、拒否の意味を込めてか、そっぽを向いてしまった。
「何だよ、ノリ悪いなぁ」
田代はそう言われながらも、声を震わせながら言った。
「瀬川君たちも、やめたほうがいい」
「なんでだよ〜、お前もオカルト話、興味あるだろ?田代」
瀬川はこれまで同様にグイグイ攻めていく。一人でも多くの同志を集めようと躍起になっていた。
「だって、田代の姉ちゃん、そういうのめっちゃ好きだったじゃん」
「……」
田代はその言葉に明らかな反応を見せた。ゆらゆらと左右に揺れていた瞳が、今は静かに瀬川を見ている。
「姉ちゃんは関係ない……」
「……な、何だよ、急に」
うっすらとかけられた圧に、瀬川は目線を逸らしながら言った。
「そんな嫌なら、別に来なくていい」
「……行かない。それに、やっぱり君たちもやめた方がいい」
先ほどまで震えていた田代の声は、今はしっかりと瀬川たちまで届けられた。
「田代は行かないなら関係ないだろ」
何だか空気が悪くなってきたと、取り巻きの三人が互いに顔を見合わせる。
「ま、まぁ、田代の言うことももっともだ。夜に子どもたちだけ……ってのは、まずいかもな、瀬川」
そう言うのは、席に座って話を聞いていた平山だ。
「た、確かに、危ないかもね!不審者的なのいるかもだし」
山畑もウンウンと頷きながら同意する。その横で、琴ちゃんも頷いていた。
形勢逆転だ。瀬川は参ったとばかりに、両手を上に挙げた。
「……分かった分かった、行かないよ」
言葉ではそう言うが、悪い顔をしてニヤニヤしている。
「今日の11時、学校には集まらない。お前らもいいな?」
瀬川が三人の顔を見ながらしっかりと11時という時間を伝えた。
「……」
田代は、黙ってその様子を見ていた。
チャイムがなる。
誰もが自分の席へといそいそと戻って行った。