先生と日常
梅雨が明け、7月がやってきた。
太陽の日差しは強く、吹く風も生暖かい。いよいよ夏を感じさせる陽気になってきた。
そんな月曜日、神喜多小学校では、体育館で全校集会が行われていた。
あどけない一年生から、青年とも呼べる六年生までが各クラス二列に並んで、行儀よく体育座りで座っている。
「えぇ、以上で校長先生の話を終わります」
校長の東野が、ステージの上で軽く会釈し、舞台袖にはけていった。
「次に、新しくこの学校に来た先生の紹介です」
司会の先生言葉で、一人の女性がステージに上がる。
「おはようございます、神喜多小学校の皆さん。『山羽 さくら』です」
山羽は全校生徒に向かって言い淀みなく挨拶した。
「今月から、色々な面で皆さんをサポートすることになります。よろしくお願いしますね」
最後にニコッと笑うと、高学年の児童を中心に、ザワザワと声が聞こえてきた。誰もが、突然来た新しい先生に興味津々のようだった。
「こらこら、静かに」
司会が子どもたちを嗜める。
「山羽先生はスクールサポートスタッフ……つまり、学校の裏方としてみんなを支えてくれる先生だ。失礼のないように」
言葉が難しかったのか、一年生の児童はポカンとしていた。ただ、彼らにも山羽という存在が先生とは認識できたようだった。
山羽の紹介をステージの袖で聞いていた祠堂に、東野校長が耳打ちする。
「祠堂先生、あの人……山羽さん、前の『警察』だよねぇ」
「警察……でしたね」
山羽は、数日前に祠堂に会うため、『警察』としてこの学校に来ていた。実際は全く別の組織に所属する存在なのだが、校長はそれは知らない。
「姫城さんに『絶対』と言われたから、多少無理をして山羽さんをスクールサポートスタッフにしたけど、何がどうなってるんだ」
姫城家がこの辺りで力をもつ大地主だからか、個人的に弱みでも握られてるのか、東野は姫城家当主である姫城 路夫に言われたことには絶対服従だった。
「ははっ、わけわかりませんよね」
「ああ、本当だよ。結局、祠堂先生の件も『誤認』だったと山羽さん本人から聞いたし……あの人は一体なんなんだね。姫城さんのツテだし、キミなら知ってるんじゃないのかね?」
「確かに、僕は姫城さんにお世話になってますけど、僕に聞かないでください」
実際のところ、祠堂は山羽がなぜここにいるのかよく知っているが、それを口にすることはない。
「はぁ……またハゲちゃうよ」
「ははっ」
もうそれ以上禿げることはないだろうと思うが、野暮なことは言わない。祠堂は乾いた笑みを浮かべた。
それから、山羽も舞台から降りたところで、七月の朝礼が終わった。
キーンコーンカーン……
チャイムが鳴った。
授業が続き、給食を食べた後の昼休み。
南館一階の6年の教室の前には人だかりができていた。狭い廊下を覆い尽くす子どもたち。
「山羽先生だ!初めまして」
「うわぁ、きれい」
「先生!先生!何歳なの?」
その騒ぎの中心にいたのは、今朝この学校に着任したばかりの山羽だった。朝礼の時はスーツだった彼女は、今は機動性重視で、Tシャツにスウェットパンツという動きやすい格好をしていた。
そんな彼女は、頬をかきながら困った顔をしていた。
「皆さん、落ち着いてください。廊下でそんなに騒がしくしては迷惑ですよ」
どうやら、通りかかった山羽を6年生の児童たちが囲っているようだ。
「はーい……で!で?先生は何歳?」
背が高めの女の子がグイグイと詰め寄る。
「歳、ですか……?確か、今年で23です」
「えー!やっぱり若い!先生可愛いよね」
「ふふっ、皆さんの可愛さには勝てませんよ」
山羽の笑顔に、一部の男子が顔を赤らめる。
「この学校に来るまでは何をしてたの?」
続く男子の質問に山羽は少したじろぎながらも、それとなく誤魔化す。
「そうですね……警備員のようなものを」
「警備員さん!?山羽さんって、強いの?」
「どうでしょうか。祠堂先生よりは弱いと思いますよ」
「祠堂先生より……?」
聞いていた子どもたちはしばらく考えてから、笑い出した。
「はははっ、そんなことないでしょ!」
尋ねた男子が腹を抱えている。
「祠堂先生、ひょろひょろだもん!……って、先生には言わないでね」
背の高い女の子が人差し指を口に持ってきて、シーッとジェスチャーした。
子どもたちがそんな好き放題言っている中、その会話に割って入る存在がいた。祠堂だ。
祠堂は、教室前で騒いでいた児童に、窓から顔を覗かせて注意する。
「おい、誰だうるさくしてるのは。あと、山畑、ひょろひょろってどういう意味だ」
「うぇっ!祠堂先生」
先ほど祠堂に好き勝手言った児童が、ギョッとした顔をして振り返った。
「はぁ、全部丸聞こえてたぞ?ほら、邪魔になってるから教室に入りなさい」
前にある扉の方を指差しながら、祠堂は教室に入るように指示を出す。
「「はぁ〜い」」
子どもたちがだらしない声を上げながらゾロゾロと教室に入って来た。
「山羽先生、困ってないか?」
窓越しに祠堂が尋ねる。
「はい。学校は愉快なところですね。子どもたちは可愛いですし、癒されてます」
「そのうち、うるさくて仕方なくなるよ」
すると、山羽は祠堂のいる窓に寄って行き、そこから中を覗き込んだ。そのまま小さな声で祠堂に尋ねる。
「姫城さんはこの教室に?」
「ああ。あの奥の席だ」
彼らの所属する『怪異安全保障グループ』として守るべき対象。姫城 澪。
彼女は、廊下とは反対の窓側……よく日の当たる席に座っていた。周囲には二、三人の女子が集まっている。
何か楽しい話をしているようで、時折笑い声が聞こえてきた。
そこで、目線を感じたのか、姫城は山羽の存在に気がついたようで、周りの子に悟られないようにソッと手を挙げた。
山羽も軽く手を挙げる。
「姫城さん、人気者なんですね」
「ああ、あいつは誰にでもいい奴だからな」
それは、簡単にできるようで難しい。特に、それが小学生なら尚更だ。
二人がぼんやりと教室を見ながらそんな会話をしていると、先ほど教室に入った山畑と言われる少女が祠堂に向けて声をあげた。
「先生〜、なんか森本がしんどそうだよ」
「森本が?」
森本とは、6年2組に在籍する男子だった。姫城に好意を抱いているものの、相手にされず泣いてる姿がしばしば目撃されている。
普段は、休み時間になると仲の良い男子と騒いでいる、お調子者のムードメーカーだ。
そんな彼は、珍しく自分の席にポツンと座っていた。
山畑と、その他数人が森本の様子を気にして、俯いた顔を覗き込んでいるようだ。卓越しに「おーい」と呼びかけているが、反応はない。
「森本、どうした、大丈夫か?」
祠堂はすかさず森本の机のそばまで寄って行った。顔を覗き込んでいた子が祠堂に場所をあけて下がった。
「……。」
森本に反応はない。
祠堂は森本の横に立つと、その場にしゃがんで顔の高さを合わせた。
「おーーい、どうした」
森本の目はしっかり開いていた。しかし、その顔色は青白く良いとは言えなかった。
祠堂は、意識を確認するためにも、肩をポンポンと叩いた……が、やはり森本に反応はない。
彼はブツブツと何かを唱えていた。
祠堂は耳を澄ます。
「……す……ろす」
「なんだ?」
問い直す祠堂を気にした様子もなく、彼はブツブツと続ける。
「……ろす、こ、ろす……ひめ、ひめ、ひめ、しろ」
「ひっ!?」
山畑が小さな悲鳴をあげて一歩下がった。
「も、森本……振られてるからって、いくらなんでもダメだよ」
森本の口から確かに、『姫城』と、『殺す』の二文字を聞いた山畑は、同じクラスメイトとして森本の言葉を諌めるが、彼の言動は変わらない。
「ころ、ころ、ころ……す」
壊れたラジオみたいに、同じことを繰り返す。
俯く彼の目はカッと開かれているが、何も見ていない。右に左にと意味もなく動き回っていた。
すると、一部始終を見ていた花子の声が祠堂の耳元でした。
「祠堂、こやつ憑かれとる」
「……そうか。昨日の夜、倒しそびれたか?」
祠堂は、そばで心配そうに森本を見ていた山畑たちに声をかけた。
「ありがとう、森本は先生が保健室に連れて行く」
「は、はぁい」
「あっ、こいつにはよく話しとくから、これからも仲良くしてやってくれ」
そう言って、祠堂はニコッと微笑みかけた。
山畑はやはり心配げに森本を見ているが、祠堂は構わず、両肩を掴んで無理矢理森本を立たせた。
椅子がギィと音を立てて、後ろに下がる。
「ほら、森本行くぞ」
祠堂はずっと何かを呟く森本の肩を掴むと、そのまま反対の手で背中を押して、教室を後にした。
「祠堂さん、その子」
「ああ、憑かれてる。悪霊だ。山羽さん、着いてきてくれ」
休み時間で教室前の廊下には、移動中の児童がワラワラと歩いている。
「どうしたの?」「大丈夫?」と、心配した声をかけてくれるが、それには全て祠堂が返事をした。
彼らの間を縫うように、祠堂と山羽……そして、彼らに背中を押される森本が廊下を進む。
「すぞ……ろ、す……姫、しろ……ころ、す」
物騒なことをお経のように唱え続ける森本の声は、次第に大きくなる。
「まずいなぁ、山羽さん、図工室開いてるか?」
「はい!確認します」
山羽は祠堂たちより先にスタスタと進んでいき、少し前にあった『図工室』の標識のある教室を開いた。
「開いてます。子どももいません」
仲の様子を確認した山羽が、後ろからくる二人に声をかけた。
祠堂たちが図工室に入ると、木工の独特の香りが鼻腔をついた。背もたれのない小さな椅子が、大きな机の中に綺麗に置かれていた。
窓の近くには、先ほどの授業で作ったのか、子どもたちの作品が並んでいる。
「花子ちゃん。いけるな」
図工室に入ってすぐ、祠堂は誰もいない空間へとむけて声をかけた。
「もちろんじゃ」
返ってきたのは自信満々の少女の声。
瞬間。
森本が苦しみ出した。
「がはぁ、か、はぁ、はぁ」
水に溺れて息が出来ないように、必死に上を向きながら呼吸をしている。指を首に押し当てて、すごい勢いで掻き始めた。
彼の爪には、己の血が滲む。
「諦めの悪い怪異だ。山羽さん、扉閉めといて」
祠堂は、すかさず森本の背後に回り込むと、彼の両脇から手を回し、羽交締めにした。
「がぁ、うがぁ!あぁ!あぁあああ!!」
狂ったように暴れ出す森本。
「ほれ、さっさと出て来い、亡霊」
人間には見えないところで、花子は怪異と戦っていた。半透明の手を森本の心臓部分に伸ばしており、そこから森本に取り憑いた怪異を引っぺがそうとしていた。
「動くな、森本ぉ」
祠堂と森本の体格差はかなりあるはずなのだが、森本の動きを止めることができない。
森本は、変わらず首を掻き続け、引っ掻き傷は増え続ける。
「がぁ……が、がっ……ひめしろ、ころす」
「祠堂さん、私は右手を抑えます」
その場にいた山羽も助力しようと、森本の右側に回り込み、彼の手を上からグッと地面に押しつけた。
祠堂は特に慌てた様子もなく、落ち着いた口調で話す。
「助かるよ、山羽さん」
身動きが取りづらくなった森本は、今度は邪魔をする祠堂を標的にした。
背後に居座る祠堂を退けようと、左手の肘を強く引いて祠堂の腹を思いっきり肘打ちする。
それは祠堂の鳩尾にめり込んだ。
「……ったいなぁ、花子ちゃん、まだ?」
右手は山羽に任せて、祠堂は左手の制御に努める。
「ええい、こやつ、なかなかに剥がれんのじゃ」
花子の半透明の手が森本から何かを引き出そうとしているが、なかなか上手くいかないらしい。
「そうか……山羽さん見ておいて。これが、澪を護るということだ」
「……この子、森本君は取り憑かれてるんですね?怪異に」
「その通りだ。山羽さんも知っての通り、『昼の怪異は基本的に人に触れられない』つまりは、昼に怪異は澪を攻撃できない」
「だから、怪異は人に取り憑いて直接澪を殺そうとする」
「その通り、それに……」
祠堂が次の言葉を発する前に、森本が無理矢理拘束を抜け出した。
「がぁあ!!」
森本は、大人二人分の力を跳ね除けてジャンプし、教卓の付近で着地した。
図工室にあった木の椅子がガタガタと音を立てて倒れた。
四つん這いの状態で、祠堂たちを威嚇する森本。
「それに、『怪異に憑かれた人は強くなる』子どもが大人を吹き飛ばせるほどに……まぁ、山羽さんは普段から山姥に憑かれて強くなって戦ってるんだから、よく知ってるか」
そこまで言うと、祠堂は一直線に森本に突っ込んでいった。
「それでも、人を止められるのは人だけ」
森本に憑いた怪異は、狂ったように、祠堂に向けて飛び出した。
「そのための、俺だ」
祠堂と森本がぶつかる直前、祠堂は右にフッとよろけた。そして、そのまま右足を森本の左足に引っ掛ける。
「……がぁ!?」
森本は自分の出したスピードのまま、前のめりになって転んだ。ドンッと鈍い音を立てて、森本は容赦なく頭を打ちつける。
「ほら、懲りたら大人しくしてろ」
祠堂はそのまま森本の背後に立ち、頭を地面に押さえつけた。
すると、タイミングよく花子の声がした。
「祠堂、いけるぞ」
「よし、頼んだ」
彼らの言葉の掛け合いと共に、森本が……いや、森本に取り憑いた怪異が声を上げ始める。
「がぁぁぁぁああああアアアァア!!」
森本は頭を抱えて叫ぶ。そこに少年らしさはない。耐え難い苦痛を受け、尋問でもされた罪人のようだ。
「これは……」
山羽の呟きに、祠堂はやれやれと立ち上がって、体についた埃をパッパとはたきながら言った。
「花子ちゃんが、森本から怪異を引き剥がしたんだ。それで今は……」
「ふんっ、もう『流して』やったのじゃ」
「だ、そうだ。澪を怪異から護ろうとしたら、怪異の力だけじゃなくて、憑かれた人を抑える人の力も必要なんだよ」
「これが、護ると言うこと……」
パタン……そんな軽い音とともに、森本が倒れ込んだ。
「そうだ。怪異は要石である澪を狙ってる。山羽さん、できそうか」
「……もちろんです」
少し間を置いてから、山羽は答える。
「なら、いいんだ……よし、森本を保健室に連れてくか」
気を失ったように倒れ込む森本を抱え上げると、お姫様抱っこで、祠堂は扉に向かって歩き始める。
「はぁ、今回はなんて言い訳しようか」
「そうじゃなぁ……悪霊に憑かれて、とは言えんし……」
「まぁ、保健室に着くまでに考えるか。あっ、山羽さん、片付けだけ頼む」
祠堂は今の騒動でちらからった図工室を見ながら言った。
「は、はい……」
祠堂たちは、そのまま教室を出て行ってしまった。そのあと残るのは、好き勝手に倒れた椅子と山羽だだった。
「なるほど、こうやって毎回毎回……憑かれた側の子も傷つかないように……」
そこで、休み時間が終わるチャイムがなった。
山羽は呆れたように微笑む。
「これは、澪が惚れるわけです……」
祠堂はきっと、今日あったことを恩着せがましく、姫城に説明したりはしない。あくまで陰ながら。
しかし、澪も賢いから祠堂がいつも自分のために体を張ってくれていることは分かっているのだろう。
「私も、頑張ろう。力を、使いこなせるよう」