先生の過去と家庭訪問
僕はいじめられていた。
真夜中の小学校。同級生はもちろん。先生たちもみんな帰ってしまった。
真っ暗な世界の中で、僕は一人だった。
ここは、学校の中でも人通りの少ない、北館3階トイレの『掃除用具入れ』だ。
僕は、今日の放課後、夕方からずっとここに入れられている。
もちろん場所は狭く、身体を捻りながらデッキブラシなんかと一緒に立っていた。
扉を開けようと何度も試みたが、何か向こう側でつっかえるようで、小学生の力じゃびくともしない。
「今日も寝れないなぁ」
今朝からのことを思い出して、扉にもたれかかりながらため息をついた。
「はぁ……何だよ。落とし物のハンカチ拾っただけで、盗んだって……それに、原田さんのだなんて最悪だよ」
原田とは、クラスのヒエラルキートップの女子だ。僕がたまたま、落ちていた彼女のハンカチを拾ったのだ。結果、可愛くて、みんなに人気の彼女のハンカチを僕が奪ったと誤解された。
男子にも女子にも、ボロクソに言われた挙句、落とし主の原田さんには軽蔑の眼差しで見られた後、ハンカチは捨てられた。
最後に追い討ちとして、こうして一晩、学校に取り残されている最中だった。
ちなみに、彼ら曰くこれを『花子さんと添い寝の刑』と言うらしい。
「確か、ここには花子さんがいるんだっけか?いるわけないだろ」
一人でぶつぶつと文句を言っていると、またイライラしてきた。
「誰があんな性格ブス女のハンカチ取るんだよ、バッチィなぁ」
うぇぇと、顔を顰める。少しだけ言ってやった感があってスッキリした……が、そんなもの、一瞬の慰めにしかならない。
「はぁ……叔母さんたちは絶対、僕のことなんて探してないしなぁ」
だからこそ、クラスメイトもこんな大それたことができるのだけど……。
「明日、あいつらに助けてもらうまでは、このままかぁ」
あいつらとは、自分をこの刑に処したクラスメイトのことだ。奴らは、正義は我らにあると、満足げに明日の朝来るに決まっている。
とにかく待つだけの今、できることは何もない。
「あと、八時間は先か……暇だな」
そう言って大きなあくびをするが、流石に立ったまま寝ることはできなかった。
「確か……花子さん、遊びましょ……だったっけ」
そこで、以前に噂になっていたことを思い出した。
ここで、このフレーズを言うと、花子さんが出てくると言ったものだ。
しかし、何秒立っても音沙汰はない。
「まぁ、分かってたけど」
「……」
「そんなお化けいるがいるわけない」
「……」
「それならまだ、失踪した母さんたちがこのトイレに僕を迎えにくる方が確率高いよ」
「……」
「いや、何年も前の話だし、それもありえないか」
「……」
そこで、いよいよ気になった僕は、扉に向かって言葉を投げかけた。
「なんか、人気を感じるんだけど、気のせい……だよね?」
「……」
どうやら気のせいらしい。花子さんの可能性を考えてしまうなんて、自分もクラスメイトと同じく幼稚なようだ。
「……のぉ」
「!?だ、だれ!」
はっきりと聞こえた。誰かの声だ。
「誰かいるんでしょ!?」
「……な、して、……あそ、ぶ?」
「やっぱり!まさか……」
そこで、僕は大きな声を出した。
「母さんか!!」
「違うわい!!」
めっちゃ声が返ってきた。キレキレのツッコミだ。声質は可愛い女の子の声だった。
「……誰?女の子?」
人がいることは確定した。クラスの子が罪悪感から、解放しにきたんだろうか。
しかし、今の声にピンとくる子は知らない。
すると、彼女は冗談か面白いことを言い出した。
「わしは、花子さんじゃ」
「花子さん?」
「お主、わしの声がはっきり聞こえておるのか?」
「……?もちろん。それより、花子さんって、あの花子さん!?」
「な、何じゃ……ビビらんのか?逃げんのか?」
「ビビってなし、逃げないよ!何なら興奮してる!」
「興奮とは、お主変わっておるのぉ」
お互い顔が見えない上での、言葉だけの会話。
「え、花子さんなんだよね!妖怪の」
「う、うむ……確かに、わしは貴様らの言う『トイレの花子さん』じゃ」
「す、すげぇ!!」
興奮のあまり、扉をドンドンと叩いてしまった。これで花子さんが怖がって逃げたらどうしようと少し不安になる。
とも思ったが、花子さんは平気そうに会話を続けてくれた。
「何じゃお主、なぜこんな時間にここにおる?」
「なぜって……僕、閉じ込められてるんだよ!みんなに嫌われてるから!何でかは……わからないけど。
僕がいじめられるのに大した理由はない。
昔から、顔がむかつくとか、前に立ったからとか、よく分からない理由で人の機嫌を損ねるのだ。
すると、花子さんは不敵に笑った。
「ククッ、気づいておらんのか?まぁ、一般人にとったら、お主の『妖気』はストレスになるんじゃろう」
ようき……陽気?そんなもの、僕は持ち合わせていない。
花子さんは何を言っているんだろうか?とにかく、僕がいじめられることに、彼女の分かる理由があるらしい。
「どういうこと?」
「いや、気にするでない」
「そう……なら、花子さん。もっとお話ししたいし、そっち側のつっかえ棒か何かとってくれない?」
ぜひ目を見ながら話してみたいと、花子さんにお願いするが、花子さんは少し間をおいて拒否した。
「……すまぬがそれはできんのじゃ。わしは、女子トイレの三番目の個室におって、出られん。いわば封印されている状態なんじゃよ」
「封印……?」
「そう。何年もな。じゃから、お主の手助けもできんし、できるのはこうしてお喋りすることくらいじゃな」
「そっか……まぁ、それならそれでいいや!僕とお話ししようよ」
「この怪異に向かってお話しとは……なかなかに肝が据わっておるのぉ」
「妖怪だろうが何だろうが、僕には関係ないよ。僕なんかとおしゃべりしてくれたらみんな友達だよ」
「ククッ、面白い童じゃ。よかろう、話し相手になってやろう」
それから、僕と花子さんは陽が登るまでずっとずうっと話し続けた。彼女とのお話は、普段あまり人と話せない僕にとって新鮮で楽しいものだった。
そして、さっきまで長いと思っていた日の出も、花子さんと話していたら一瞬で訪れる。
「……のぉ、祠堂よ、もう陽が登る。この辺りでさよならじゃ」
花子さんの少し寂しげな声。
「そっか……でも、夜になったらまた会えるよね?」
「そうじゃな……それに、お主ほどの妖力なら、昼間に言葉を交わし合うくらい、できるようになるかものぉ。それに、わしの封印も……」
「ええ!?そうなの!」
素敵な提案を聞いて、続きの言葉に被せるように言ってしまった。しかし、彼女は気にした様子もない。
「うむ。まぁ、今はまだまだじゃがの」
俄然燃えてきた。目標ができたアスリート選手はこんな気分なんだろうか。
「どうしたらできるの!?そうだ!僕絶対にここに会いにくるよ!毎日、毎晩!……は、僕以外に花子さんの存在がバレそうだし、まずいかな」
「ククッ、気にするな。わしら怪異を聞いたり見たり、感じ取れる人なんぞ限られておるわ」
「そうなの!!なら、今晩、絶対来るからね!『花子ちゃん』これからも色々教えてね!」
「……ちゃん!?お主、わしが何歳か分かっておるのか」
「んーん、知らないけど、友達だしいいでしょ?花子ちゃん」
僕の言葉に、花子ちゃんは軽く笑った。
「ククッ、ほんとに、面白い童じゃ……祠堂」
後半はうっすらとしか聞こえなかった。
「花子ちゃん……?」
返答はない。扉の外が明るくなる。
朝が来たのだ。
「しばらくは、昼と夜逆の生活だなぁ」
昼に希望はない。なんなら、どうせ先生にも嫌われているのだ。
昼、授業中は寝て、夜に花子ちゃんに会おう。
そして、いつか、お昼に会話ができたり、いつも一緒にいれたりしたら、素敵だろうな。
想像しただけで、僕の顔はどうしようもないくらいにやけてしまった。
「……」
「……よ」
「……起きよ」
「起きるのじゃ、祠堂」
「……ぁあ?花子ちゃん?」
「おはようなのじゃ。祠堂」
「おはよう……花子ちゃん」
そこは、アパートの一室だった。1LDKのよくある構造。祠堂は毎朝そこで目を覚ます。
いつものルーティンで、ベッドから立ち上がり、カーテンをシャッと開いた。
「梅雨だってのに、いい天気だなあ」
目をキュッと閉めて、思いっきり伸びをする。二十半ば……いや、三十手前の男の背中がポキポキとなった。
「おっさんくさいのぉ」
「ロリババアが何を言ってんだ」
祠堂は、声だけ聞こえる花子に向かって言い返す。
「はっ、何とでもいうがいいのじゃ。わしはお主と違って老けんからのぉ!はぁ、お主も出会った頃は可愛かったのに……」
「はいはい。人間なんで老けて当然ですよぉ」
頭をぽりぽりと掻きながら、祠堂はキッチンへと向かう。ポットを開き、中に水道水を注ぐ。一人分の水の量。
休日の朝にコーヒーを飲むのは、彼の習慣だった。
「昨日は大変だったし……今日の休みは究極にダラダラするぞ」
間抜けた宣言。
昨日は、祠堂にとってみれば、突然警察が学校に押しかけてきたり、危険な戦いに巻き込まれたりと、散々だったのだ。最後には『怪異安全保障グループ』とかいう謎組織に加入させられることになった。
すると、そんな宣言を打ち壊す声が、花子から発せられた。
「誰か来たようじゃぞ」
そのタイミングで、インターホンが鳴らされた。
「……誰だ?姫城さんのとこか?」
祠堂は、ポットをセットだけして、玄関へと向かった。
「はいはい、今出ますよ……って、山羽さん」
「おはようございます。いい天気ですね」
玄関を開けた先にいたのは、一昨日から毎日見ている女性の顔だった。
土曜の午前九時過ぎ。祠堂の家のリビングには、休日にも関わらずスーツを着た女性が座っていた。
その女性に向けて祠堂は尋ねる。
「山羽さん、コーヒー飲めます?」
「はい……ですが、お構いなく」
祠堂は、コーヒーを一杯いれて、テーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」
祠堂は、テーブルを挟んだ山羽の正面の椅子を引いて座った。
「それで、今日は何のようで?」
本来なら「なぜこの家の場所を」と気になるところではあるが、昨日すでに彼らの所属する組織の情報網の凄さを体感している祠堂は、いちいちつっこまない。
「はい。実は、今日から私、『山羽 さくら』は、祠堂さんの部下として、姫城 澪さんの件に関わることになったので、ご挨拶に来ました」
「昨日大黒社長が言ってましたね、部下をつけるとか何とか、それが山羽さんってことですか?」
「そうなります。よろしくお願いします」
山羽はそう言うと、ぺこりとお辞儀をした。それを聞いた祠堂は疑問を投げかける。
「山羽さんって、リーダー的な存在じゃなかったんですか?」
「ええ、確かに私は隊長の一人でです。そんな私を派遣するくらい、姫城さんの護衛は重大な任務と考えられているわけです」
「なるほど……」
山羽は失礼しますと、コーヒーを口にした。
「なら、よろしくお願いします。山羽……さ、あぁ、隊長?」
祠堂も意を決してお辞儀したが、山羽にストップがかけられる。
「これから一緒にいることも多いと思いますし、堅苦しいのは無しにしましょう」
そう言いながら、コーヒーカップを机に置いた。
「……と言うと?」
「敬語は無し。山羽と呼び捨てで結構です。一応、立場としては私はあなたの部下ですので」
見たところ、祠堂よりも山羽の方が年下だ。ここであまりにも丁寧に行きすぎる方が山羽にとってはやりずらい。そう判断した祠堂は、即座に対応する。
「分かった。お互い気軽にいこう、山羽……さん」
流石にいきなり呼び捨ては難しかったらしい。彼は、少し間を空けて敬称をつけた。
山羽は少し微笑んでコーヒーを啜った。湯気でメガネが少し曇る。
「では、祠堂さん。早速、紹介してくれませんか。これから私が守るお姫様……姫城さんを」
「そうだな。今の状況を姫城家当主に伝えないといけないしな……ちょっと、着替えてくる」
そこで、祠堂は、席を立った。それを見た山羽は、グイッとコップを傾けてコーヒーを飲み切る。
「あっ、車なら出しますよ。祠堂さん」
山羽の提案に、祠堂は言った。
「大丈夫。車で行くより、歩きの方が早いからな」
「……?」
首を傾げる山羽を見ながら、祠堂は外出用の服を取りに、自室に戻って行った。
それから家を出て一分足らず。
彼らは、大きな和風の門の前に立っていた。門の横にはずっと柵が伸びており、かなり膨大な敷地を保有していることが分かる。
「ここが代々大地主の、姫城さん家だ」
祠堂はそう言って、門の前にある表札を指差した。
そこには確かに、『姫城』の文字が彫ってある。
「ここが……って、祠堂さんの住んでるアパートの真向かいじゃないですか」
事実、道を一本挟んだ先には、先ほど祠堂達が出てきた彼のアパートがあった。
「まぁ、あのアパートも姫城家の所有物件だしな」
「とんだ富豪ですね……」
「そう言うことだ。まぁ、俺としても日頃から姫城……あぁ、『澪』を守れるしな」
そう言いながら、祠堂はインターホンを押した。
「はい。誰……って、祠堂の兄貴」
「おう。朝霧か。開けてくれ」
「うっす、ご苦労様です!」
インターホン越しに聞こえてくるのは、若い男の声。
しばらくして、仰々しい大門……の横の、小さな木の扉が開かれた。
「おはようございやす。兄貴……と、後ろの女性は?」
「ど、どうも。山羽と言います」
そこから顔をひょっこり覗かせたのは、茶髪の青年だった。骨格は細めで、右耳の辺りはガッツリ刈り上げている。耳と口に、一つずつピアスをしていた。
「おう、おはよう朝霧。山羽さんのことも踏まえて当代に挨拶したいから、通してくれるか」
「了解しやした」
山羽にひとつ礼をした朝霧は、どうぞどうぞと、二人を屋敷の中へと案内し始めた。
「はぁ……広い屋敷ですねぇ」
長い廊下を歩きながら、山羽は感心したように声を上げた。キョロキョロと見回しており、お上りさんのようだ。
前を歩くのは、祠堂と朝霧。
朝霧は祠堂の横に並んで、こそっと耳打ちをした。
「兄貴、聞いてないですって!何なんですあの美人」
「何を勘違いしてんだ。仕事仲間だよ」
祠堂は呆れたように小声で答えた。
「本当です?実は……なんてパターンもあるんじゃ?」
「ないない。山羽さんに失礼だからやめろよ」
「そんなこと言ってぇ、澪お嬢はどうするんで?泣かせないでくだせぇよ」
ニヤニヤしている朝霧は非常に楽しそうだ。
すると、それに祠堂が言い返そうとしたタイミングで、突然三人が歩いていた横の襖がバンッと開かれた。
三人の目線が一気に、開かれた障子に集まる。
「げっ!!」
朝霧が焦り声を出して、一歩下がった。
そこにいたのは、『姫城 澪』だった。
彼女は、これからどこかへお出かけするのか、小6らしからぬおしゃれな格好をしており、頭にはいつもの赤いカチューシャをつけていた。
彼女は満面の笑みで、祠堂に挨拶をした。
「おはようございます!祠堂先生」
丁寧なお辞儀。まさに、小学校で求められている理想的な朝の挨拶だ。彼女は、祠堂が担任を勤める6年2組の児童であり、クラスの学級委員長でもある。
祠堂も笑顔で返す。
「おう、おはよう澪。お邪魔してるぞ」
「後ろの方も初めまして。姫城澪といいます」
あまりの大人びた振る舞いに、山羽は少し焦ったようにお辞儀した。
「は、初めまして。私、祠堂さんと一緒に働くことになった山羽といいます。以後お見知り置きを」
姫城と同じように丁寧に返す山羽。
挨拶も済んだ姫城は、改めて祠堂のもとへと寄っていった。
「先生……ううん、『結兄さん』また花子さんが学校壊したの?」
「ははっ、壊してない壊してない。確かにいつもはそれを誤魔化してもらうために頼みに来てるが……」
祠堂は、澪の顔を見て笑みを浮かべた。
「今日は、お前の父さんに別件でな……ところで、澪は今日はどこかお出かけか?」
祠堂の問いかけに、姫城は人差し指を唇に当てながら、首を傾げる。
「どうして?特に何もないけど」
「いや、オシャレさんだなって思ってな」
すると、なぜか姫城は急に顔を赤らめた。体をくねらせながら、小さな声でボソボソと何かを言う。
「それは、兄さんが急に来たから……」
「……?」
祠堂も山羽も聞こえなかったようだ。二人とも顔を見合わせた。
そんな中、一人だけ今の言葉がハッキリと聞こえていた。それは、己の命を守るために逃げようてしている人物でもある。朝霧だ。
彼は、頭を抑えながら、愛想笑いを浮かべる。
「お、お嬢。おはようございます。いやぁ、本日はお日柄もよく……では、兄貴、俺はこの辺で」
そう言って、後退りする朝霧を、姫城はスゥーッと白けた瞳で見た。
「朝霧礼司……どこに行くの?」
「へ、へへ、ちょいと朝の体操に」
「そんなこと、したことないでしょう?あなた、今さっき、余計なことを言おうとしたよね」
姫城の圧に朝霧は若干涙目だ。うるうるした瞳で祠堂を見る。
「じゃ、じゃあ兄貴。親父のところまでは、あとは自分で行ってください。お嬢が俺と話があるみてぇなんで」
「お、おう……頑張れよ」
祠堂は、山羽に「来い」と軽く首で合図した。
姫城は変わらずニコニコ笑顔で二人を見送る。
「では、また後で。父と話したあと、ぜひお茶をしましょう?」
「は、はい」
山羽が返事をした数秒後、ササッとその場を後にした祠堂たちの背後で朝霧の断末魔が聞こえたのは、気のせいだろう。きっと、気のせいだ。
そんなこんなで、祠堂と山羽は姫城家の当主の前に座っていた。
「おはようさん!」
大きな声。声の主は姫城家の大黒柱。名前を『姫城 路夫』と言う。彼は、60代前後の見た目をしており、深いシワと、年季の入ったシミがある、人情味溢れた人物だった。歳の割に髪もしっかり生えており、よくよく見れば、娘に似て目鼻立ちのくっきりした男だ。
茶色の甚平を着ており、和風な家にぴったりだった。
「おはようございます。路夫さん」
「おはようございます。山羽と言います」
三人ともが、座布団の上に座っており、男二人は胡座を。山羽はお上品に正座をしていた。
「なんだぁ、結が女を連れてるなんて、明日は雪でも降るのかぁ?」
路夫は、顎に手を当てて訝しげに祠堂を見た。ちなみに、結とは、祠堂の名前である。
『祠堂 結』それが彼の本名だ。
「なんで俺が女の人を連れてたら、六月に雪が降るんですか」
「小さい頃から見てるがよぉ、結が女連れてるところは見たことがねぇ」
「確かにそうかも知れません……って、そんなことはいいんです」
冗談はさておき、祠堂は気を引き締め直した。真面目な雰囲気で路夫の顔を見る。
「今日来させてもらったのは、山羽さんのことについて、路夫さんにお願いがあるからです」
その時、彼らが話している部屋の外で、ガタッと何かが倒れる音がした。
気になった祠堂はチラリとそちらを見るが、部屋の中から見てる分には、何も変わっていなかった。
風か何かだろうと、祠堂は改めて路夫を見る。
すると、それはまさかの回答だった。
「……いや、許さんぞ、結!」
「……路夫さん、僕はまだ何も言ってないんですが?」
路夫は、それを聞いて立ち上がった。唾を飛ばして目をカッと開いた。
「そんなもの、言わんでも分かるわ!」
「……そうなんですか!?ならなぜ!」
今回祠堂がお願いしに来たのは、澪の護衛に、自分以外……つまりは山羽を追加したいと言うものだった。
これは、澪の身を案ずる路夫としても良い申し出のはずだ。
祠堂は説得を重ねる。
「これは、澪のためでもあるんですよ!?」
「澪のため……?結、本当にそう思うのか。澪がそんなことを望むと」
路夫から静かな圧を感じる。
「……確かに、(山羽という人の目が増えるし)彼女は望まないかも知れません」
そこで、祠堂の声がクレッシェンドになる。
「でも、将来を見据えた時、俺には山羽さんが必要なんです!」
瞬間、また扉の外から音がした。
今度は、ガタガタと大きな何かが崩れる音。
祠堂はやはり気になってそちらを見るが、音はすぐに止んだ。やはり風か何かだろう。
すると、ようやく響いたのか、路夫は静かに腰を下ろして、ふうっと大きく息を吐いた。
「ダメだ。ダメだ……オラァ、将来、澪と結が一緒になるものと思ってる。今でもな」
路夫のセリフに違和感を覚えた祠堂は、少し考えるが、攻めるなら今だと言葉を返した。
「……?澪を守るためにも、山羽さんの協力は必要です」
「……?」
「……?」
祠堂と路夫が同時に首を捻った。
何か噛み合わない二人の会話。
すると、それを手助けしたのは山羽だった。
彼女は、こそっと手を挙げる。
「あのぁ……何かお互い『お願い』について、勘違いしている気がするのですが」
まさかそんなはずはないと思った二人だったが、念の為話を確認しておく。まずは路夫から。
「お願いって……お付き合いの挨拶だろう?その山羽さんとの」
これは、山羽の言うとおり勘違いしていたようだ。
「お付き合い!?そんなわけ」
今度は、祠堂が声を出す番だ。まさかすぎる勘違いを祠堂は即座に否定する。
「なら、結婚か!!ますますダメだ!結が結婚したら澪が泣く」
エスカレートする勘違い。
「だから、違うって言ってんでしょ!!」
祠堂はハッキリと言い切った。
「……違うのか?」
「違います。冷静に聞いてください」
祠堂は、とにかくお互い落ち着いて座りましょうと、少し時間を開けた。
それから、祠堂は語り出した。
先日の学校であったこと。それから、『怪異安全保障グループ』なる組織であった戦いを丁寧に路夫に話した。
全てを聞いた路夫は、目を閉じて何か考えているようだった。
「と言うわけで、路夫さん。これからより澪の安全を守るためにも、『怪保』の人たちと連携を進めていかないですか」
「ふーむ……まぁ、言わんとしとることは分かった。とにかく、ここにいる山羽さんと結は仕事仲間ってことだな」
「それはもういいです。お願いは分かってもらえましたか?」
「ああ、だがぁ、その必要、あるのかい?」
「その必要、ですか?」
路夫は薄らと目を開いて、祠堂を見た。
「今までそんな組織に頼らんでも、結と花子さんで何とかしてきただろう。それに、手を組むとなると、結も組織の一人として、危険な場所に駆り出されることになるそうじゃないか」
「まあ、それはそうですけど……」
そこで路夫は腕を組んで唸り出した。
「おらぁよ、もちろん澪が大事だが、それと同じくらい結、お前も大切なんだわ。小っせえ頃から見てるし、息子同然だからな」
「路夫さん……」
祠堂が路夫の言うことに言葉を詰まらせていると、隣で聞いていた山羽が口を開いた。
「路夫さん。組織はこれから、未だに謎の多い『要石』のことを調査する予定です。もし上手くいけば、姫城家……いえ、澪さんを危険な役目から解放できるはずです」
要石は、怪異を抑える力を持った存在のことだ。この地、神喜多は妖気が溜まりやすい土地柄、怪異が多くいる。
それでも、住民が普通に生活できているのは、要石である『姫城 澪』がいるからだ。
姫城家の血を引く彼女は、無意識的に辺りの妖気を押さえ込んでいるのだ。
怪異にとってみれば、それは邪魔でしかない。だから、普段から祠堂たちが彼女を守っている。
それが、姫城家の宿命。
危険に晒されるのが彼女の当たり前の日常なのだ。
「確かに、要石については、適性のないおらぁ代われねぇし、結が協力して、もっと研究が?、進んで、要石の代わりになる何かが見つかれば、澪は真の安全を手に入れるかもしれねぇなぁ」
強力な要石が見つかれば、きっとこの街も、本当の意味で誰も怪異に悩まされることない、素敵な場所になるだろう。
しかし、今の話を聞いても、路夫の反応は良くない。ずっと何か引っ掛かりがあるようだ。
祠堂はさらに後押しをする。
「俺の身まで心配してくれるのはありがたいです。でも、今はまだ小さい澪の命を守ることを優先すべきです。俺と花子ちゃんだって、いつまでもあの子のそばに居ることはできないんですから」
「いやいや、それこそ澪と結が結婚すりゃぁ、生涯守ることができるだろ。あいつもオメェを気に入ってるし、結なら親父として許してやる」
すると、やはり扉の外から声が聞こえた。
「ナイスお父様」
それは、紛れもなく姫城 澪の声。
「……」
祠堂は聞こえないふりをして、話を続ける。
「さすがに歳が離れすぎですよ。それに……」
「ゆるさーーん!!!」
祠堂の言葉を遮るように、どこからか声がした。
声変わりする前の男の子の声。
「ゆるさん!ゆるさん!ゆるさんぞ!澪ちゃんと結が結ばれるなんて!ゆるさんぞ!」
昼は目に見えないが、声だけが聞こえる……怪異だ。
「敵ですか!?」
山羽はその声を聞いて、腰に下げた出刃包丁に手を伸ばす……が、それは祠堂が挙げた右手によって止められた。
「大丈夫。悪い怪異じゃないよ」
怪異と思われる声が続く。
「ゆう!ゆるさんぞ!澪ちゃんは我のものだ」
怪異の声は、霊感の強いタイプにしか聞こえない。
この場で聞こえているのは、祠堂と山羽だけだ。
しかし、聞こえていないはずの路夫は、祠堂たちの反応から察したようだ。
「『座敷童様』が出てきたのか?」
「はい。昼間だし、声だけですけどね」
二人で話し始めたのを見た座敷童は、会話に割って入る。
「我を無視するな!おい結、路夫に言ってやれ!澪ちゃんと結婚するのは座敷童だと!」
すると、反応してのは山羽だった。
「座敷童!?住み着いた家に幸せを運ぶと言う……」
「び、びっくりするだろ!?我に話しかけるな!人間」
祠堂は、山羽に座敷童について説明をする。
「幸せ……は、運んで来ないけどな。まぁ、この家を守ることに関しては、超一流だよ」
澪が要石なんて危険な存在でも、ある程度安全に生活できているのは、紛れもなくこの怪異のおかげだった。
「座敷童なんて言うと凄そうだが、実際は人見知りの引きこもり怪異だ。ちなみに、前に花子ちゃんにもこの態度で接して、ボコられてる」
「結、余計なことを言うな!いいから、結などと結婚せずとも、澪ちゃんはずっと安全なこの屋敷で我と過ごすのだと、路夫に言ってやれ」
座敷童は、その場で話が通じて、唯一強気に出られる存在である祠堂に強気に出る。
すると、それに言い返したのは花子だった。彼女は声だけを響かせる。
「うるさいのじゃ。座敷童」
「は、はい!花子さん」
座敷童は花子には弱いようだった。
祠堂は、ちょうど良かったと怪異の二人に問いかける。
「座敷童……それから、花子ちゃんにも聞きたい」
「なんだ?」
「なんじゃ?」
座敷童、花子の順に答える。
「実際のところ、最近の怪異の様子はどうだ?これからも、二人の力でなんとかしていけるのか?」
これには、路夫も興味津々だった。彼らの答えが聞こえもしないのに、頷いている。
最初に答えたのは花子だった。
「……正直、なんとも言えん」
「なんとも言えない……とは?」
今度は、座敷童が答える。
「守れる……と言いたいところだが、最近、落武者を筆頭に、怪異の発生率が上がってるし……」
「まだまだ。この先何があるか分からないのか」
祠堂の質問に、同意とも取れる沈黙が訪れる。
彼は、意を決して路夫に言った。
「やはり、ここは組むべきです。山羽さんは強い。きっと戦力になってくれます」
「……」
そこで、今度は山羽が頭を下げた。
「必ず力になると約束します」
路夫は、顔だけを山羽に向けて、静かに彼女の顔、目を見た。
「……そうか」
路夫は、身体を山羽に向けた。向けられた側が、慌てて姿勢を正す。
「山羽さん」
「はい」
緊張した面持ちで、山羽は首を縦に振った。
「澪を……結を、よろしく頼む」
そこから路夫は丁寧にお辞儀をした。
山羽とすかさず深々とお辞儀をする。
「こちらこそ……お願いします」
これにて、祠堂は正式に『怪異安全保障グループ』略して『怪保』に加入することになった。
顔を上げた路夫は、人のいい満面の笑みで二人に声をかけた。
「山羽さん。結。茶を飲んでってくれ。澪も待ってるみたいだしな」
「「……はい」」
二人は路夫に続き、当主の部屋を後にするのだった。