第56話 片割れのきょうだい
「胸糞悪い眼球だ。お前の弟は潰したと思っているようだが、ほれ、眼球だけで俺たちを見ているぞ」
わずかに眼球を動かす筋肉が、眼軸に付随して垂れ下がっている目玉がルシフェルの頭の横あたりに浮いているのは、どこかシュールな笑いを呼び起こす光景だとアクセルは直感した。
「フッ、少年に取りついてるのはもうやめた、とでも言いたいのか?
その眼で見つめられても関係ない。今は、な」
そして、悪魔の中の悪魔の頭の横あたりに浮いている眼球の片割れを追ってみよう。
その片割れがどこにいるのかというと、それは一言で言えば極めて不可解な異空間だった。
「俺の自己紹介は必要あるか?」
二人の男が並んで立っている。手持無沙汰である。
男たちは真正面から向かい合うことが出来ておらず、腰をひねったり指先を顎に当てたりと恥ずかしそうにしている。
というのもこの空間は矛盾していて、真っ暗で他に何もない空間に二人の男だけがスポットライトでもあたっているようによく見えるのである。
床、という概念が存在するのかどうかわからないが、とにかく二人は真っ暗な空間に立っている。
歩くことも出来るようだ。だが足音はしない。
「あんたのことは知っている。俺の自己紹介の方こそ必要あるか、アベル」
「お前のことは知っている。ビビのアニキだろ。こうして話すのも何かの縁か……?」
バージル・ヴァン・ダイクという男と同じくニコの剣で異空間に飛ばされたアベルという男。
この二人はこの異空間に二人で閉じ込められ、当然友達同士でもないので、気まずい。
アベルは、彼の頭の横辺りにちらちら相手の視線が向けられているのには気が付かず話を続ける。
「俺の知り合いに空間系の魔法使いがいるんだが、ここまで飛んでくることが出来るだろうか……?」
「さあな。助けてくれるなら誰でもいい」
「ところで、俺がここへ来たのはお前が来たのより半日ぐらい後の話だ。
それまでどうしていたんだ。俺はたった半日だってこんなところに一人でいたら気が狂う自信があるけどな」
「そうなのか。俺がここへきてすぐにあんたも来たように見えたんだがな」
「異空間だからな。そう言うこともあるか。空気だって存在するようだし。
いや、空気はここでは必要ないのか。まあいい、お前も退屈してただろう?
話し相手が来てやったぜ。俺がここを出る方法を見つけるまでの間だけだがな」
「……それでは俺が知ってることを話そう」
「それは興味あるな。俺のことはどんなふうに伝わっているんだ。
それに、アクセルたちがどの程度お前に情報を与えているのかもな」
「ここはニコと呼ばれた男の魔法で作られた異空間だ。
この世のあらゆる場所と繋がっていて、その使い手はここを自由な"出入口"として使っている。
これほどの力を、本当に悪魔の力も使わずに人間が使えるものなのか……?」
「一応そうだとは聞いているがな。アクセルはこの力にそれほど興味はなかったようだ。
あいつは繰り返し、自分が無敵になりたいわけではないと言っていたし宮殿から奪えるチャンスはあったが、別に奪うこともなかったようだ」
「贅沢な話だな。俺だったら力を得る機会は逃さない。弟だけでも守れる力が、欲しかった。
今では見ての通りだ。俺は弱い。こうやって幽閉されてるんだ。
実際に干戈を交えるにも値しないと言うわけだろう」
「いやっ、それはお前、あそこは艦砲射撃の雨で死ぬかもしれなかったんだぞ。
お前を守るためにここへ飛ばしたんだ。まあ、俺はアクセルにここへ飛ばされたんだが」
「なんだ、俺と同類か」
「おいっ、そんなことよりも……」
「わかってる。両親はアクセルやあんたのこと、それにセラの家や魔女のこと。
俺にだけは教えてくれた。ただ神々のリンゴとやらに関しては一言も言われなかったし、俺もつい最近までは知らなかった」
「どうしてそいつのことを知ったんだ?」
「両親が死んで、俺は弟をどうにかして逃がさなければならないと必死だった。
ファミリーに入れてもらってモードレッドに協力してもらってな。
そこで初めてアクセルが弟を狙う理由を知った。つい数日前の話だ。で、弟は今……?」
「わからん。仲間に託したから生きているとは思うが」
「じゃあ、そのふよふよと浮いている目ん玉は、いったい?」
ここでようやく二人の間でアベルの頭の横に眼球が浮遊していることが共通の認識となった。
普通振り返ったら目玉がこっちを見ていた、なんて心臓がいくつあっても足りないくらいの衝撃的なジャンプスケアだが、アベルは別に驚きはしなかった。
「神々の、と名がつくぐらいだからなぁ。そういうこともあるか。
お前に取りつかれてあいつは散々な目に遭ったんだ。もう開放してやってくれないか、神様さんよ」
「同意見だな。こんな芸当が出来る目玉はビビのしかないだろう。
しかし口がないから喋らないな。どうせなら"神々の唇"もつれて来い」
「これは面白いのう」
「なにっ」
そういえばというレベルの話しなのだが、思い返してみると、アベルの体には魔女の悪魔が取りついていたのである。
彼女もアクセルがビビの目を掌握して、親殺しは出来ないという因果を断ち切るまでの命だ。
彼女はアベルの胸のあたりから顔を出し、やがて全身をところてんが絞り出されるようにして出現し、彼の隣に座りだしたではないか。
「何が面白いんだ、魔女?」
「あの目が言っていることが私にはわかるようじゃ」
「口がねーだろうが」
「よいか、あの目は神々のリンゴ。神がこの"悪魔の世界"を監視するために存在していることは知っておるな」
「いやそれは知ってるけど」
「だがその目が、お前に話しかけておるのじゃ。アベル」
「なにっ、俺にか。何の用か知らないが通訳をしてくれ」
「その必要はない」
全く以て奇妙な光景であった。いや、すでに大分この真っ黒な空間も奇妙な光景なのだがそのことではない。
こちらにウインクをしている、白髪の老人が突如として現れたのである。
まるで北欧神話の神、オーディンのようだった。その閉じた片目には眼球がないことは説明されなくても一同には何となく察しがついていた。
「ここでなら疑似的に意思疎通が可能のようだ」
「あんたにその気があるのならな」
「私は神罰の代理人。神々の調停者。理を乱す悪魔を監視するためのもの」
「……そいつを、アクセルたちは利用しようとしているらしいがその心配はないのか?」
「お前たちに問う」
「聞いてねー」
「耳が遠そうだしな」
などと男たちは口々に神様の端くれに対しての敬意を全く持っていないことを表明し始めた。
それには全く意を介さずに天の使い、まさしく"天使"はこう続ける。
「……言っていなかったが、私がかの少年に与えたのは片目だけだったのだ」
「あっ、そうなの。まあどっちでもいいんだが」
「あれ、問うんじゃなかったのか」
「かの少年にこの眼を与えた理由は一つ。お前たち兄弟と近しい存在であったからだ」
「うん、まあ、近いか遠いかで言えば近いな。
俺がアクセルに二十数年前倒されていなかったら、今頃親戚のおじさん的な付き合いをお前ら兄弟としてたかもな、バージル」
「お前たちは理から外れかかっている存在だ。無論アクセルのほうがより逸脱の度合いは激しい。
奴の言う"因果を超える"ことも、この眼を利用すれば可能かもしれぬ」
「わざわざ危険を冒したってわけかよ。監視の任務がカミサマから与えられてるのはしょうがない。
だが弟には何の関係もない。利用される危険を冒してまで弟に……!」
「確実に見届ける必要があった。因果を捻じ曲げることのできなかった前例としてな。
ルシフェルもそれにわずかな期待を持って応援しているようではあるが、無駄なことだと悟らせねばならぬ」
「で、俺らに聞きたいことってなんだ?」
「この眼を貸してやろう。今はお前たちが使ったほうがよかろう。
この力を使えばお前はアクセルとも戦うことが出来る。
もっとも、それはお前の中の孤独の悪魔をも開放して手札を使い切ってようやく勝負になると言う話ではあるが」
「その覚悟があるって話か。ああ。当然だ。それならそうと早く言ってくれよ。
力が欲しい。今は特にここから出る力がな」
「ここから出る分にはお前の父の力を解放すれば問題はないだろう。
私は既にお前の勝利を確信している。その未来をこの眼で確実な運命とするだけの話だ」
「意外によく喋るんだな。さあ、話は聞いてたろ、魔女の悪魔。
親父の最後の遺体を俺に渡してくれ。それで解放は完了だ」
「そんなことをしたらお前という存在は……」
「何回も確認すんな。知ってるよそんなことは。未練がないと言えばウソになる。
多分、そうだ。俺は家族を作りたくなかったんだ。この日が来た時、辛くなるから。
帝都へやってきたのも結局そうだ。逃げてたんだ。逃げる口実が欲しかった。
ここへ来る前に帝都へ行かなければ、こんな気持ちには――」
「じゃがお前は家族を持った。お前は母親一人だけの家族では満足できなかった」
「違う」
「その母も誰より孤独じゃった。家族を持てば母を孤独にしてしまう。
それでとった選択は両方から逃げること。考え得る限り最悪の選択じゃな」
「それはそうかもしれないな」
魔女の悪魔は孤独の悪魔の遺体をその息子に渡すと、微笑みながらこう言った。
「私はついて行けぬ。足手まといじゃなからな。
この遺体は約束通り渡すが心せよ。お前は孤独を恐れる男じゃということを。
そしてお前は孤独ではない。生きて帰れば家族が待っているということを」
「先の未来がどうなっているかは、神のみぞ知るっていう話だ。
さて、トップギアと行きますか」
前回アベルがトップギアと言った時にはまだ、遺体は集まり切っていなかった。
だが今はもう違う。ルシフェルと病床のアクセルが談笑をしているところへ、一人の男がどこからともなく姿を現した。
男はヴァン・ホーエンハイムなどと名乗っていたがむろん偽名であり、親から名付けられた名はない。
だが彼のグリモアに記載された真名ならある。これを唱えられると悪魔は苦しみ、祓うことが出来る状態となるようだ。
むろん、その名をアクセルもルシフェルも知っている。男たちは非常に明かりの乏しい暗い部屋の中でにらみ合う。
「おやおや、ざっと数百年ぶりか。まるで昨日のことのようではあるのだが。
久しぶりだな。俺だ、ファウスト」
「悲しいよ。寂しいよ父さん。もうその体、アベルに返す気はないようだね」
「事情は大体知っている。イザベル、まだ生きていたのか」
孤独の悪魔。またの名をファウスト、とルシフェルに命名された彼はいかにも悪魔然とした恰好を好む悪魔で、蝙蝠のように黒い外套と帽子を着用した老紳士であった。
老紳士はベッドに座りながら気まずそうにうつむきがちで、上目遣いでこっちを見ている妻のことを、冷ややかな目で見つめている。
だが傍目からは冷ややかなまなざしのように見えても本人はそうは思ってはいないようで、口元を綻ばせながら言った。
「絶望しているな。孤独を感じているな。そうだ、アクセルは死に、私もすぐに後を追う。
むろん、お前の最後の子アベルもすでに死んでいるというわけだ」
「ああ……ファウストさま……私は……!」
「どうかしたのか」
「私はずっとあなたに会いたかった。謝りたかった。こんな私で申し訳が……!」
「何を謝ることがある。お前とアクセルと、そしてアベルは私に最高の絶望と孤独を味わわせてくれたではないか。
感謝しなくてはな。何よりお前たちの孤独も私は心から愛している。お前からもう一度息子を奪うぞ、イザベル」
「生き返って開口一番言うことがそれかね。全くお前らしいことだな」
「手を出すな、悪魔」
友達だ。と語っていた割にアクセルは落ちくぼんで黄ばんだ目をルシフェルに向けて威嚇するかのような低い声を出した。
悪魔は相変わらずニヤニヤしながら何も答えずしばし思案をしていたのだが、やがてこう言って姿を消した。
「俺は"観測"せねばならない。その目ん玉と同じくらいにな。お前の力を確かめさせてもらうぞ。
一度勝てた相手だ。よもや負けるはずはないと思うが」
「言われなくても。父さん、今度は封印だけじゃすまされない。
その存在を抹消し、祓わせてもらう。私は真名を知っているのだからね」
「そうだ。私はファウストの名を与えられた孤独の悪魔。お前は昔から寂しがり屋の子だったな。
それもそのはず。私もイザベルも甘やかしたからな。だがそれもここでおしまいだ」
「出るものが出たな。といったところか。すまない、ルシフェル」
「何を謝ることがある?」
「君との約束は守れそうにないようだ。そして――」
アクセルは部屋の入り口を指さして、冷や汗をかきながらこうつぶやいた。
「君まで来たか、少年」
いくら鉄面皮のアクセルであっても思わず人間的な反応をしてしまうくらいそれは恐ろしい光景であった。
ビビ少年はアクセルによって眼球を摘出され、その摘出された眼球が彼の頭の上を浮遊し、周囲を睥睨しているのである。
それと目が合ってしまってはさしものアクセルもたじろいだ。
「もう一個の目はどうした?」
「どこにあろうと関係ない。その眼が映す光景はあなたの敗北だけだ、アクセル」
もしもアベルが意識を乗っ取られていなかったら手術を受けてそう時間は経っていないのによく回復したものだとビビの肩を何度もたたいて喜んだだろう。
もっとも、その本人こそ眼を覚ますことはないのであるが。
ビビ少年の言う通り、眼を摘出されたにも関わらず少年は手術台から起き上がり、あまつさえ道案内もなく施設内を歩き回ってこの地下室までたどりついたのである。
「妙だな。お前のことはあの二人に頼んでいたはずだが」
「妙なことになってるのは私も同意するわ。そうでしょう姫様?」
などと言ってビビ少年の後ろから現れたのは今しがた、孤独の悪魔が話題にした女たち。
すなわち皇女殿下とミリアムだった。遅れて暗がりから出てきた皇女はアクセルにこう言った。
「ここはひとつ、共同作戦と行きませんかアクセル様」
「どうやら我々は同じ気持ちのようだね」
「ええ。あなたには消えてもらう。孤独の悪魔ファウストとやら」
ファウスト。よくその名前はフィクション作品で悪魔の名として使われることが多いが、実は「ファウスト」に出てくる悪魔はメフィストフェレスである。
あちらの作品に出てくるメフィストの性格はこの作品に出てくるルシフェルに近いであろうか。
「フッフッフッフ、これはまた面白いことになったなぁアクセル?
孤立無援だったお前が、何故だか三人も味方を得たというわけだ?」
「人生何が起きるかわからないものだね。おや、母さ……いや、魔女の悪魔か?」
魔女の悪魔と、その本体である魔女イザベルについて状況を今一度説明しよう。
魔女イザベル、という人物が民衆にあまりにも恐れられた結果、個人を恐れる人々の気持ちが結晶となって悪魔が誕生したようである。
これが三十数年前、ビビ少年の母親とその兄を捕えていたのだが魔女がアクセルたちと闘っているうちに脱走を許し、その脱走した母を守ったのが、実はその息子だったのである。
皮肉なことに、アクセルはビビ少年の目を利用して自分の親を抹消しようとしてきたのだが、彼自身はその力によって自分の親を救うことに成功しているのである。
さて、魔女の悪魔は魔女本人と行動を共にしたばかりか、むしろ本人に成り代わり、本人を牢に閉じ込めていた。
ただしこれは本人の意志でもあり、家族を失い、怒りに任せて破壊を尽くした魔女は自責の念から牢で腐り果てんとしていたところをアベル達に救出されたことはご存じの通りだ。
悪魔は自分への負の感情を増大させると言うことを、基本的な行動理念とするため、魔女イザベルへの怨嗟と恐怖を増大させることを目的としてさらなる破壊の限りを尽くしていた。
しかし普通はそれだけしか考えないはずの悪魔であるのにもかかわらず、それよりも大事なものが魔女の悪魔にはできてしまったのである。
こればかりは理屈では説明できないのだが、魔女の悪魔はほかのどんなことよりも、アベルのことが大事になっていた。
今見返すと、"神々のリンゴにはもう一つ片割れがある"という伏線、そしてそれの持ち主が誰であるかひじょーにバレバレですね。
伏線っていうのは伏せてないと意味がないんですけど。




