第54話 孤島
「そんなことはわかってるよ。要するに静観しようって事なんだろ。じゃあ放っておいてくれ。
決着はすぐにつく。少なくともお前の人生に比べれば一瞬でな」
「ふむ。まあそう噛みつくな。お前にいいことを教えてやりにきた。
この孤島には"魔女イザベル"つまりお前の母親のオリジナルがいる。
三十年以上"封印"されてきたようだが、数時間前に蘇った」
「やはり、先生もここにいるのか。そうじゃないかなとは思っていたが。
いや、正直に言うと、そうであってほしいと思っていたんだが」
「味方になってくれると嬉しいわ。いや、なってくれるでしょう。
周り全部が敵ならいくらアクセルでもやりにくいはず」
「アクセル様に味方はいないのでしょうか?」
「まさか。ルシフェルがここに姿を現すくらいだからな」
「ふん。まあ居たとしたら俺の遊び相手にされてしまうだろうなぁ」
「つまり命はない。だからミリーの言う通りではある。
先生に加え、ビビもいる。ビビも、あいつは数時間の……いや数分のうちに、すさまじい速度で成長していた。
さすがは神々の力に選ばれただけのことはあるというくらいにな。
これだけ雁首揃えたんだ。ボスを退治と行きますか」
などと言いながら照明のついていない建物の廊下を進んでいく一行。
ルシフェルはいつの間にか消えていた。アクセルが今忙しいので、構ってほしかったのかもしれなかった。
建物を貫く廊下の両サイドには働く男たちのための食堂や事務室が見える。
作りとしては皆さんが通っていた学校をイメージしてくれればいいだろう。
その廊下で立っていれば誰でも一目瞭然なくらい明るい一室が見える。明らかに人がいる。
この状況で人がいるとすれば、それはもう誰なのか言うまでもないことだった。
否応なしに一同は緊張しだし、口数はゼロにまで減った。
既に気取られているのに足音を立てないように無駄な努力をしつつ一歩一歩、少年がいる照明のついた部屋に近づく一行。
中から外の一行が絶対に見えない角度にいるのに、まだ部屋に入らないうちから中のアクセルの声が聞こえた。
「危害は加えない。どうだ、入ってこないのか?」
「二人とも少し待ってくれ。先に俺が行く。話し声が聞こえるようならついてきてくれるか?」
「……それがよさそうね。確かにまだアクセルにはことを構える意思はなさそうよ」
「わかりました。お気をつけて」
二人の女に送り出されてアベルは部屋から漏れる光線と陰の丁度間に靴先を忍び込ませた。
だからと言って何か起こることもなく、足は何事もなく廊下に着地。そのまま体重を移動させて彼は部屋の入口に向かって立った。
中には手術台がある。血の付いた白衣を着たアクセルがいて、手術台には少年が裸で寝かされている。
瞼を閉じて眠っているのだが、一瞬、彼の顔を見て脳が理解を拒否した。
通常、瞼というのは眼球に沿ってわずかに膨らんでいるものである。
顔のホリの深い白人などは、眉よりも眼球が落ちくぼんでいて、逆に日本人などの東アジア人は、モンゴロイド系人種といって、目が眉よりも若干前方へ飛び出していることが多い。
ビビ少年のまぶたは、あろうことかくぼんでいるのだ。つまりその裏に眼球が存在しないことを意味している。
灰皿くらいの大きさで銀色の無機質なトレーが少年の頭のそばにある機材の上に置かれている。
この上に血の付いた眼球が二つ、放置されている。
「悪いね、目が見えないんだ。ルシフェルには不評だったみたいだな。
何か新しい顔芸のネタを考え付いたらしいのだが私に見てもらえないことを残念がっていたよ」
「眼球を移植したのか。だが、視神経までは繋がってなかったようだな」
トレイに乗せられていた眼球はビビのではなくアクセルのものだったようだ。
「うむ、何しろ自分で自分の目を手術するのだからね。無理があったようだ。
まあその程度は予想していたことではある。
だがこの肉体だ。いずれ自然に治癒して癒着すれば見えてくるだろう」
「そんな時間を与えると思うか。悪く思うなよアクセル?」
「おっと、そうだったな。君たちは私を殺しに来たのだった。
だがこの肉体は分身体だ。何をしようと構わんが、本体には――」
パン。町の喧騒なども全くない深夜のさびしい孤島の室内だけにアベルの軽くたたいた拍手の音が発砲音なみによく響き渡った。
そして次の瞬間アクセルの分身体は倒れた。無論、そのまま死んだようである。
「クソ、お前は治癒するかもしれないが、ビビはそうじゃないんだよ!」
「先生!」
我慢しきれずに皇女が駆けつけてきて、仕方なくミリアムもこれに続いてやってきた。
二人はすぐに何が起こったか把握し、倒れているアクセルは、別にこれを倒したところで双方にとって意味のないものであることも理解していた。
戦いはまだ終わっていない。だが早くも絶望的な状況であった。
「ビビ君……目をやられて。これじゃあもう……!」
ここは手術室だが執刀医のアクセルには衛生管理も生命管理もあったものではない。
仮にその落ち度についてアクセルに問うたら「どのみち運命が彼を生かすだろうから」と答えるだろう。
その保証はどこにもない。人間の視神経は脳に直結している。脳の処理は眼球からの視覚情報にかなりの割合を割いている。
それを絶たれて肉体的には普通の人間のビビ少年が無事で済むはずはない。とはいえ、アクセルの目標を邪魔することは完了目前であると言える。
「ふう、こいつは少し心の準備がいるな。今から眼球を潰す」
「眼球って、神々のリンゴをですか!?」
「もちろんだ。ビビには悪いが、どのみちこの眼を再移植したところで回復する見込みはないだろう?」
一応帝国では、秘密裏に吸血鬼の研究を進めて身体を改造し、すさまじい膂力、治癒力、そして無限に近い寿命を得ることが可能だ。
その技術を使えば少年の目を彼に再移植し光を取り戻させることも不可能ではないだろう。
だが、そんなことを口にしてまたミリアムに腕を切り落とされても嫌なので、皇女は黙っておいた。
「だったらここで潰してアクセルの計画は潰しておく。止めてくれるなよ、二人とも?」
「その方が良いかもしれませんね」
「くっ……!」
この状況では悠長に眼球の再手術を行っている時間もない。
ビビがこんな目にあうのも、究極的には妙な眼をもって生まれたのが悪いのである。
そんな眼ならいっそ、おさらばした方がいいのでは。そんな考えが支配的となりつつある自分の心を認めたミリアムは、首を縦に振った。
「その通りだと思う。許せないのはアクセルよ!」
「さよならだ。その眼が映さなくても、それでも世界は回ってる。
じゃあな神様。俺は――」
先ほど、目から血を流したアクセルや眼球を失った少年の顔を見た時よりもさらに強い怖気が、アベルとよそ見をしていた二人の女の背筋に走った。
驚いておぞましい気配のした方向へ二人が振り向くと、何と目を見開いたアクセルの死体とアベルが見つめ合っていた。
「生きていたのか。だが関係はない!」
ブチッ。それはちょうど重く、大きく実った果実を木の枝から剥ぎとったような繊維質の音であった。
アクセルの眼窩から二つの球体が薄汚れた手術室の床をビリヤード玉のように転がりだしたのである。
「いい加減にくたばりやがれ!」
アベルが地団駄を踏んで、眼球を靴の裏で勢いよく潰した。破裂音とともに、靴と床の隙間から体液が染み出した。
害虫を駆除したみたいな安心感が彼を包んだが、嫌悪感と、罪悪感で胸がいっぱいで、感情の行き場がない。
苦虫を嚙み潰したようという表現がよく似合うような顔をした彼と、恐怖に怯え、青白い顔をした二人の女、合計三人が暫時、沈黙を続けていた。
誰かこの静寂を破ってくれ。そうすれば楽になれるのに。
まるで口を縫い付けられたみたいに、喋りたくて仕方がないのに誰も喋ろうとしないまま全員が押し黙っていると、一人の声が静寂を破った。
「神々のリンゴ、あっけなく潰れたなぁ。結局何だったんだ、こいつは」
「ルシフェルか。まだいたのか。構ってほしくてしょうがないのかよ?」
「まあそう言うなよ相棒」
「誰が相棒だっ」
「あの小僧が持つには少々勿体ない代物だったな」
「アクセルが持つにはふさわしいとでも言うのか?」
「忌々しい監視者だ。それをアクセルが手に入れたら、俺はあいつと友達でいられるかなぁ?
そんなこと考えたこともなかったが。今考えてみるとちょっと嫌だな」
「よかったな、アクセルが持つことはないぞ」
「ああ。アクセルはここの地下にいる。会いに行くか?」
「ま、別に用事もないがな。あんな奴をぶっ殺すのはビビを助けるついでで十分だよ。
案内してくれないか。それとミリー、姫様。二人は先にビビを連れて帰っていてくれないか」
「えっ、でも……!」
「ビビは出血してる。麻酔はされてるようだが、それでも無事じゃすまないだろう。
一刻も早くちゃんとした医者に見せる必要がある。ここへ来た目的は、ビビを助けることだ」
「ミリアムさん、ここは従いましょう。確かに一刻を争う状況のようです。
お医者様にお任せしたら、必ずここへ戻ってきます」
「ああ。俺も迎えがなきゃ帰れないからな。遅くなったら釣りでもして待つさ」
ビビに会って謝りたかったところだが、彼は麻酔によって寝かされてしまっている。
暴れられても困るし麻酔で寝かせたのは合理的だが、麻酔科医としてどれほどの力量がアクセルにあるかは、はなはだ疑問である。
そのまま目覚めないかもしれない。
「また会えるといいんだがな。どうして俺はこういつも間が悪いんだろう」
娘、サラも状況から見て石化が解けてから半日近くが経過していて、半日と言えば乳児を放置できるギリギリの時間だ。
いや、可能であれば乳児は一瞬も目を離さないのが一番だが。
サラを助けられたのも奇跡と言えたが、そうしている間にビビが手遅れになってしまったのかもしれない。
あるいは足手まといの皇女とモードを置いて一人で移動をしていたらもっと話が早かったのかもしれなかった。
そんなことを後悔していてももう遅いことである。アベルは後ろの手術台に寝かされた少年を見るのをやめて、大悪魔の導きに従う。
建物を貫く廊下へ出ると、手術室のすぐそばに地下へと続く階段があるではないか。
この奥にアクセルがいるとのことらしい。行くしかあるまい。
彼は思わず足がすくみそうになるほど漆黒の闇が滞っている階段を、足音の響く音に怯えながら降りていく。
そもそもこの島の地盤がただの岩であることもあり、そこまで深い階段ではなく、すぐに真っ暗な廊下が始まった。
「まったく、明かりぐらいつけろよ!」
とのアベルの声が何重にも響き、その音がかき消えないうちにルシフェルが言った。
「まあそう言うな、本当にすぐそこだ。奴はずっとそこでお前を待っている」
ということだったので仕方なくルシフェルに言われた通りに進んでいくと、ドアがあって、やはりこの奥も真っ暗である。
「闇がよく見える眼はないか、アベル」
アクセルの声が部屋の奥から聞こえた。反響からして部屋はそこまで広くはない。
その部屋は真っ暗で中の様子は確認できないが、何故か気を利かせてルシフェルは明かりをつけた。
何故か、部屋にはろうそくがともっている。燭台もちゃんとある。使い古された様子は全くない。
どうやらろうそくや燭台は、ルシフェルが魔法の力で今生み出したもののようだ。
彼はこの世の神なので出来ないことはない。アクセルも彼を倒そうとはしているようだが、果たしてそれに届きうるか、はなはだ疑問である。
掛け値なしにルシフェル以外の魔法は彼のものに比べれば魔法ではない。
彼の力は無尽蔵であり、理不尽で、不条理なものである。
戦うという選択肢自体が間違いであると言える。
ルシフェルによって得られた明かりで浮かび上がったのは、地下室にたたずむ一人の老人であった。
間違いなくアクセルの声が老人からしたはずだが、アベルにはどうもそれが信じられなかった。
「どういうことだ。アクセルはどこだ?」
「これが私の本体だ。アベル、見ればわかるだろう。私にはもう、時間がない」
「なにっ!」




