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第44話 Retreat! Retreat!

「ぐあっ」


アクセルとその弟が接触した時には何が起こるのか、こうして実際にやってみて二人には直観的に理解できた。

"融合"である。二人の体は接触した部分から溶けあい、まるで熱帯雨林の植物が何百年もかけて根を張ったように癒着を始めていた。


「邪魔だッ!」


余裕の態度を見せていたアクセルがとうとう堪忍袋の緒が切れたのであろうか。

眉間にしわを寄せて乱暴に腕を振るって弟を振り払い、そのすきに魔女の悪魔も逃げおおせた。

誰も、そこに参加することは出来なかった。悪魔の力を扱える爆弾男は別だが、彼はそもそも何か行動を起こせる精神状態ではない。

モードレッドとそれに拘束されて身動きできないビビと皇女。そして爆弾男フリッツはまだ死んだアクセルの娘の亡骸を呆然と見つめていた。


「正気なのか。私が振り払わなければお前は、お前という存在は溶けて消えていたはずだ!」


「それがどうした。どっちにしろ俺は消える。

消えてなくなる存在は生きても死んでも大して変わらない、お前はそう言っていなかったか?」


「孤独の悪魔……まだこんな力を残していたのか」


アクセルは基本的に嫌いな相手はいない。他人を対等だと思っていないので、どの他人であっても、すべて平等に価値がないからである。

だが例外が三人いる。一人は母親。もう一人は父。そしてルシフェルだった。アクセルは父、孤独の悪魔を憎悪していた。

その悪魔がまだ奥の手のような形で隠し持っていた力。それが同化する能力であった。

アベルはアクセルとは違い、ニコだけでなく孤独の悪魔をも失った魔女・イザベルが両者を元に作った存在。

孤独の悪魔が持っている同化する力を生まれつき持っていたため、父の遺体を体に受け入れることも容易であったのだ。


孤独を司る悪魔でありながら誰よりも友愛と親交を渇望している悪魔だったのである。

恐らく、それを本人は恥じていたので息子のアクセルたちにさえ隠していたものと二人には思われた。


「やめろアベル。それ以上!」


アクセルは弟がさらに持っていた孤独の悪魔の遺体を体に取り込みだしたことでさらに心の余裕を失っていくことが誰からも一目瞭然であった。

そして余裕を失っているのは弟も同様であり、遺体を取り込んだ瞬間に胸をかきむしりながらもがき苦しみ、まるで立ったまま死んだかのようにうつむき、全身が暫時硬直した。

ややあってからもアクセルたちは体を動かせず、九割がた孤独の悪魔とほとんど同じような存在になりつつある存在に目が釘付けになっていた。


「いい加減にしろ。ふざけるんじゃあない。何のために私は……!」


「動くな」


その瞬間、その場にいたアベル以外の全員が動きを止めた。

時が止まったようにだ。周りにある建物があらかた消えてしまったせいで邪魔されることなく海から吹き付けていた風さえもぴたりと止まったようだった。


「ビビの兄貴か。邪魔だな。どこかへ行ってろ」


言い終わった瞬間にはもう、一閃の軌跡だけを残してビビの兄、バージル・ヴァン・ダイクはその場から完全に姿を消していたのだった。

そしてまた斬。斬。アクセルの両腕が吹き飛び、右足が飛んだ。

血は出ない。一応アベルの体にも少しくらいは血が流れている。そうでなければビビに血を分け与えることは出来なかった。


「ならば私が力になろう。私を取りもどしてくるのじゃ」


「ああ。やってやるよ」


魔女はそういうが早いか、にわかには信じがたいような現象を引き起こした。

彼女は男の胸に手を当て、その下の孤独の悪魔に挨拶でもするように目を閉じたかと思うと、沼に沈み込むような形でアベルと同化していった。


「バカな、体に悪魔を二体宿すですって?」


「そんなことをしたらたとえあの方でも……!」


「いや、そうでもないようですよ」


ビビは未来が見えるので、皇女殿下たちが危惧したような未来は訪れないことをあらかじめ了解していた。

本来であればそんなこと、出来るはずがない。そもそも一体でも悪魔を宿すことは不可能。

普通の人間はあくまでも契約してその力を貸してもらうだけ。

この男のようにその身に宿して意のままに力を振るうことはあり得ない。

あまつさえ男はある方法によって二体の悪魔をその身に宿すことを可能にしていた。


「引力を使ったようです。そうしなければ体が爆発していたに違いない!」


「まさかアクセル様、負けたりしないわよね……?」


主人への信頼がわずかに揺らぎ始めたモードレッドがつぶやいたその時だった。

次なる未来を見たビビは一瞬硬直し、その次に、腰を抜かして地面にへたりこんだ。

粉々になった石材が砂となって降り積もった地面に彼の手形がついた。


「に……逃げなきゃ。隠れなきゃ」


「何ですかビビ君。説明してください!」


「と、とにかく逃げないと。ここは戦艦で……壊滅します!」


「あのバケモノ二人以外は、ということね。でも残念、私にはここであなたたちを止めておく義務がある」


「バカな。モード、あなたも最悪ここで死ぬかもしれないんですよ!」


「私には、私の命以上に優先することがあります。それが忠誠です」


そう言っているうちに、アクセルの体がくずおれて、やがて動かなくなったのだが、どこからともなく無傷のアクセルが再び現れた。

未来が見えるビビでさえどこから彼が現れたのか見えなかった。


「こいつ……無敵か!?」


「わかっただろう。私を倒すことは出来やしないよ。

そしてもう時間切れだ。君たちは普通の人間だから艦砲射撃の余波だけでも死ぬには十分だろう」


「セコい真似を。今までは時間稼ぎをしていたというわけか?」


「人聞きの悪いことを言わないでもらえるかな。

私の話を聞かなかったのは君たちだし、時間制限を設けたのも君たちのほうだからね。

それに私のことを時間内に倒せなかったのも君たちではないかね」


「お前のタネは割れている。なんのことはない、単純明快だ。

お前の本体はここにはいない。ただの分身のようなものだ」


「それも少年に教えてもらったか?」


「特別な眼なんて持ってなくてもそのぐらいは見える。お前の未来もな」


「私にも私の未来くらいは見えているよ。ついでにお前たちの運命も。

さあ、モード。そろそろ仕上げだ。少年をこちらへ」


その時未来が見えるビビには全く意外な光景が見えた。

何故か、自分はアベル及びそれにひっついている魔女の悪魔のそばにいるではないか。

モードレッドに呼び寄せられ、体の自由を奪われたはずである。

そしてビビは次のものも見た。モードレッドが皇女殿下にハンドサインを送るのを。


「……モードレッド、どうかしたのか?」


心配そうにアクセルが隣の自分よりわずかに背の低いモードの顔を覗き込んだその時であった。

彼の顔が炎に包まれ、ほどなくして全身が消し飛んだ。

そしてそれとともに、炎を体から放った張本人の皇女からは水蒸気が、この時代実用化され始めた機関車のように吹き上がっていた。

地面は凍り付き、吐く息は白い。氷と炎を同時に操る先生の魔法をコピーしたものだった。


空気中の熱を集めて炎に変化させる魔法である以上、熱を奪われた空気は冷えることになる。

逆にものを冷やすと、奪われた熱がどこかに溜まることになる。

これを繰り返すことで大規模な温度変化の魔法を使いまくり、戦えば戦うほどエネルギーが溜まって強くなるのだ。


「耐久力は人間並みのようですね」


「だがどれも本体じゃないようだな」


「ええ。それよりモード、いったいどういうことなんです、裏切ってしまうなんて!」


「私が忠誠を誓うのはたった一人だけ。ずっとあなたのことをお待ちしておりました」


モードレッドは上司の皇女殿下にするよりもさらに恭しく、胸に手を当ててひざまずいた。

その礼をした相手は、己の住んでいたかつての村を焼き尽くした悪魔、魔女の悪魔が宿る男であった。


「なにっ。いや、今はリアクションはあとだ!」


「それもそうですね」


「とにかくお前たち、ここをずらかるぞ!」


アベルは手にしていた次元を切り裂く刀剣を使ってこの場にいる者全員をどうにかして逃がそうと画策したのだが、それは少々遅きに失したと言わざるを得なかった。

炎によって焼け落ちたアクセルがいる一方、すでに無傷のまた別のアクセルが彼の利き腕の右腕を掴んでいるではないか。


「この武器がなければ次元も切り裂くことが出来ないのか、お前は?」


余談だがアクセルはニコをベースに作られたため、次元を切り裂く力は生まれつき持っている。

弟のそれよりも格段に強力だ。アクセルが神出鬼没に見えるのはそのせいでもある。

分断し、両断し、破壊する。アクセルの力の使い道は兄とは全くの対極に位置すると言わざるをえない。


そして彼の力こそが、今起こっている怪奇現象のほぼすべての原因と言ってもいい。

アクセルは己の力を使い、自分自身を分断。

分身を大量に生み出し、これを本体から離れたこの町に派遣してきているのだ。


最初のアクセルが言っていた己に時間がないというのは、分身として生きていられる時間が限られているという意味であった。

ということを地の文で説明するということはつまり、アクセルが滔々と自分の力を誇示し、説明する時間はもう金輪際ないということである。


「それが覚悟か!」


アクセルは吸収されていく。弟の体も同様だ。己の体が崩れても代わりはいくらでもいるからだ。

弟の足止めの代償は羽根よりも軽く、この一瞬の時間は黄金よりも重かったのである。

アクセルが掴んだ弟の腕が切断され、次元を切り裂く刀剣はわずか数分程度で本来あるべき持ち主の手を離れてアクセルの手に渡った。

もっとも、アクセルもその資格を持っているのは確かなのだが、アクセルは次元を切り裂く魔法を使えるのでこの剣は全く必要のないものなのである。


「アクセル、これをもって帰るといい」


アベルと直接接触したことによって負傷した方のアクセルは、まだ五体満足な己の分身に剣を渡すと電池が切れたおもちゃのように、こと切れたのである。

それに対して何らのリアクションも起こさず、さもそれが当然の帰結と言わんばかりにアクセルは無表情で剣を手にし、ビビのほうを振り向いた。

彼とて、やはり孤独の悪魔の息子には変わりない。アクセルが持つ分身の力はまさに"孤独"そのものであった。

帝国全土にまで張り巡らされた地下の連絡網によってつながる、百万以上ものカルト信徒を束ねる教団のトップ。

孤独とは無縁のように見えるが彼は家族もなく、誰とも心のつながりを持たず自分しか視界にいない、孤独の中の孤独にいる男だった。


そんな彼が同じくこの世で最も孤高な存在であるルシフェルに興味を示したのは偶然ではないだろう。

まるで孤独の悪魔が魔女と出会って興味を過ごし、一緒に過ごし始めた時のように。

憎しみすら抱いている父が母にしたのと同じことを自分もしていることにアクセルはまるで子供のように全く気が付いていなかった。


「了解したアクセル。では少年、行こうか?」


アクセルはついさっきまで信頼する部下だったモードレッドに対してはもうすっかり興味を失っていた。

もはや、よくも裏切ったなという恨み言すら言わない。

言っても意味がないからだ。こうなった時点で、二人はどちらかが倒れるまで戦う運命である。


「何か忘れてるんじゃないですかアクセル様。私はこの子を渡さない」


悔しいことに無力なほかのメンバーにとってはモードレッドだけが唯一この場においてアクセルに対抗しうる存在として、期待を向けざるを得ないところがあった。

ただし一人例外がいる。それは皇女殿下だ。彼女にとってこの状況は別にそれほど都合の悪い展開へと進んでいるわけではなかった。

アクセルを野放しにしたら確かに危険そうではあるし、それは死神騎士団の一員として無視できることではないのは事実だ。

とはいえ、念願だった魔女の抹殺をアクセルが代わりに果たそうとしてくれているわけだ。

アクセルとこれから戦うことになるモードレッドは当然余裕がなく、やろうと思えば、拘束から抜け出して彼女に加勢するチャンスもあるだろうが、そうするべきなのかどうか皇女は葛藤していた。

しかし皇女はついに、そばにいるモードレッドに耳打ちをした。これから皇女もここで行動を起こそうというのだ。


「モード、キミを見誤っていた。いや見くびっていたというべきか。

私はてっきり君を完全に掌握していると思い込んでいたよ。

その様子からして、私に渡すくらいなら少年を殺すというわけか」


「そこまでわかっているなら退いてください!」


「いや、その必要はない。こい、稀代の魔女よ」


「なにっ!?」


信じられないことが起こった、というほかなかった。その場にいた未来を見ることのできる少年以外は全員アクセルのやったことには驚きとともに、同時に一つの諦念も覚えざるをえなかった。

これから起こることには自分たちは抗いきれないだろうという、己の理性が導き出した冷静な答えを認めることも信じがたいほどたやすかった。

アクセルは次元を切り裂き、己の母を出現させたのだ。正確には魔女の悪魔が復活したことにより封印されていた魔女・イザベルの本体がだ。


ややこしい話なのでもう一度説明をしておきたい。まず、魔女イザベルというのは吸血鬼と淫魔・サキュバスのハーフという意味の分からない存在である。

確かなのは人間型の魔族であるということ。そして性格は至って優しく温厚、能力は非常に高いものがあるが別に本人は刺激しなければ危険はないものである。

この魔女は孤独の悪魔なる存在と事実婚状態になり、孤児の少年を引き取る。その際に当時の王権とはいざこざが発生。

魔女は復讐に燃えて王権を焼き滅ぼし、そのころ魔女が率いる"カルト"と呼ばれる教団も組織された。


その後はアクセルという息子を作り、またしばらくは夫と平穏な時を過ごしていた。

だがアクセルの父殺しによってふたたび魔女の怒りに火がつき、眠っていたカルトも復活。

魔女の教団は世界中の人々から恐れられ、恐怖に震撼する人々の負の感情に呼応することで"魔界"に新たな怪物が生まれた。


これは便宜上"魔女イザベルの悪魔"と呼ばれている。で、アクセルはこの魔女すらも封印し、遺体をバラバラに分けた。

その際に悪魔が封印されると"本体も衰弱してしまう"という現象が起こった。

悪魔は"祓う"ことでその司る概念ごと消えてしまうのだが、封印された悪魔は過去に前例がなかった。


しかも人間ではないとはいえ、"一個人を元とする悪魔"が生まれたことなどなかったのである。

これはこの世界始まって以来の現象で、何が起こるかは誰にもわからないことであった。


結論から言えば、魔女イザベルの本体は封印されアクセルの手中に。

悪魔がアクセルによって復活したことにより本体も数十年ぶりに復活したのだ。

物語冒頭からしばらく、先生と呼ばれていた女はその複製に過ぎない。それは既にアクセルに殺された。

そのコピー以上の能力を持った本物が今、アクセルの手によって召喚されたからには何が起こるかは明らかなことであった。


ただし、その時点ではアクセルにも予見できていないイレギュラーな要素がひとつ。


「夢を見せろ魔女よ。これ以上の争いは必要ないだろう?」


アクセルが次元の狭間から引っ張り出してきた魔女はお世辞にも往年の姿をとどめているとはとても言える状態ではなかった。

一言で言えば見えるのは生首のみ。わずかに首元の肉や皮が少し垂れ下がっている程度で、それもほとんど髪で見えなくなっている。

意外なことにそれでも意識はあるようで口元がかすかに動き、まぶたも開いてうつろな目で周囲を見渡していた。


その生首が何か言う前に、ビビがこう言ったのである。


「眠っちゃだめだ!」


「なにっ……?」


アクセルは眉と眉を寄せ、頬の肉皮を引きつらせて動揺した。ここまで彼を驚かせた人間も片手で数えられるくらいだろう。

彼とて、ビビが弟の力を共有しているなどとは思考の埒外であった。

思考の準備は当然しておくべきだったか。後悔のほぞをかんだのもつかの間のことだった。


アクセルは今まで眼中になかった二人の人間と目が合った。

今はただ、この目の前の男を倒す。それだけに意識を集中させている爆弾男。

そしてもう一人が葛藤を捨て、消すべき相手魔女イザベルを救ってでもアクセルに一矢報いる覚悟を決めた皇女の二人だった。


「……"今は"殺しきれないか」


負け惜しみのような捨て台詞を吐いたアクセルは、事実上降参を申し出たに等しい。

さっきアクセルの分身の一人を倒した炎を再び彼へ向けて発射した皇女だったが、アクセル本人は次元の狭間へ姿をくらましてしまった。

あまりにもサブタイが思いつかなかったので65daysofstaticっていうバンドの好きな曲のタイトルにしました。

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