第43話 復活ッ
そのときアベルは信じられないものを見た。自分たち以外にいないはずのこの路地に五人ほどの男女が立って喋っているのである。
普通の人間ならばアクセルの切断された死体を見て蜘蛛の子を散らすようにして逃げているはず。
もちろんこの男女は人間ではなかった。悪魔である。
「三十数年ぶりだ。まあ我々には大した時間でもないのだがね」
「久しぶりじゃなと言っておこうかの。今度飲みにでも行くか?」
「お呼びがかからなければね。しかし本体はどうした?」
「本体も目覚めていることじゃろ。封印が解けた今、もう遺体も意味をなさない」
そこには記憶の悪魔、音の悪魔、爆弾の悪魔、そして何より"魔女イザベルを司る悪魔"がいたのである。
「先生……じゃあないな。どっちみち」
アベルがこっちに気づいたとわかると魔女の悪魔はにっこり、それこそ子供のように屈託なく笑った。
そうかと思うとそのまま嬉しそうに走ってきて彼の目の前で止まるとだしぬけにこう言ったのだった。
「お前なら私を助け出してくれると思っておったぞ。褒めて遣わす」
「素直じゃない奴め」
などと、記憶の悪魔が茶々を入れた。無論人間たちには意味不明である。
何が素直じゃないのかと一同、混乱した頭を無理やり回転させて考えたが、魔女の悪魔が言い出したのは全く予想外のことであった。
「私の味方はお前だけじゃ。この世にお前一人しかおらぬ」
「先生はどこだ。居場所を教えろ」
「どこって、ここにおるではないか。なっ、小僧?」
「繰り言はやめろ。お前は魔女の悪魔だと俺が知らないとでも?」
魔女の悪魔は何を思ったのか、飼い主が玄関を閉めるときの隙間から覗く子犬のような寂しそうな顔を見せた。
男はここでようやく、この悪魔に決して他意はなく心の底からあえて嬉しいのだということを洞察するに至ったのである。
全く思考の埒外にある話だった。まさかそんなことはあり得ないと男の中で葛藤が生まれた。
「お前に……私はお前に本体を会わせてやりたい。ガキにもな。ガキといえば――」
実にややこしいことになっているのだが、先生を復活させるために作られた、という話である少女は父と慕うアクセルの亡骸にすがりついて泣き崩れていた。
「まずい!」
と、ビビが止めようとしたのを見て慌ててアベルも何かしようと反射的に体を動かしたが遅かった。
父親と折り重なるようにして、何の罪もない少女の死体が一つこの世に増えた。
いや、減ったと言うべきであろうか。生まれるべきではなかった命がまた元のあるべき姿へと戻った。
これを殺したのもまた、生まれるべきではなかった命である。
「私はこの世にそう何人も要らぬ」
「ああそうだな、手始めにお前からだ!」
「止まれ」
魔女を殺そうとした爆弾男は久しぶりに使用されたアベルの音を司る魔法によって静止させられたのだった。
「ふふん。お前は私を守ってくれると信じておったぞ、小僧」
何故だか自慢げに魔女はつぶやいた。まるで狩りを終えた肉食動物のように満足気である。
「お前以外に先生の手掛かりはないからな」
「しかしこのような小娘に執着するとはお前は変態か?」
魔女に煽られても、爆弾男は身じろぎ一つすることができない。
その彼の肩を突然現れた男が叩いた。さっきから見ているだけの人間たちには状況が目まぐるしく変わり過ぎて追いつかない。
どうやらこれは状況から見ても、男が契約している爆弾の悪魔であるようだ。
近年はめきめきと力をつけ始めている魔界においてはルーキーといったところだろうか。
「起きろ。面白いから早く起きろ」
「爆弾の悪魔の言う通りじゃな。これから面白いことが起きる。
私になど構ってる暇はあるまい。ここは火の海になるぞ」
「そうだった!」
アベルはふと我に返って、切断されたアクセルの上半身をまさぐり、ジャケットの内ポケットから例のものを取り出した。
肉塊を封印したこの世のものとは思えないほど邪悪で醜悪な塊である。
魔族と悪魔の遺体がごちゃ混ぜになった冒涜的なそれは、心臓のように拍動を続けていた。
よく見てみると、これは拍動というよりも蠕動であるということをアベルは了解したとともに嫌悪感で顔を大きくゆがませた、
この肉片はうねりながら進み、どこかへ向かっているようだ。
肉片は二方向へと別れて"流れ"始めており、彼に合流しようとしている"流れ"はつまり孤独の悪魔の残った遺体である。
アベルが持たされていた指に肉片がへばりつき、彼に取り込まれるのを今か今かと待っていた。
「これがお前の望んでいたことか。魔女の悪魔を解放し、お前自身の存在は消える」
アクセルはもはや通常の道理が通用する相手ではないことはアベルもわかっていたので、殺したはずの奴が何事もなかったかのような顔をして話しかけてきても驚きもしなかった。
アクセルの切断された死体はそこにあるのに、新しくどこからか生えてきた方のアクセルはそれについて何も説明してくれないことを不満に思いつつ、彼は答えた。
「最初から存在しなければよかったんだ、俺なんて。俺はあの人の不幸から生み出された存在だ。
あるいは現実を直視しない弱い心から、な」
「心の弱い彼女に、"現実を改変する能力がある"ことほど性質の悪い者もない。
全く、驚いたよ。あの力だけは私でもまだ真似することは不可能だ。とはいえ問題はない」
ここでアクセルは、まあビビにはわかってはいたのだが他の者は理解できていない驚愕の真相を語った。
「正確には母の力は改変するほどの力はない。あくまで夢。世界が記憶した夢を見るだけのはずだった。
なのに君がいる。君は脅威だ。そして驚異だよ少年。この出会いは運命だ」
ビビは美少女にしか見えないし、アクセルも若くて身なりのよい美男子にしか見えないので全く何も知らない人がみたらプロポーズの場面か何かみたいであった。
そう、先生の力はあくまでも過去を見せるにすぎないのである。
ところが先生すらも知らなかった神々のリンゴという力により、「彼に観測された世界線が」運命として確定したのだ。
当然、そもそもそうなるように因果律が調整されていなければ、そうはならない。
そうでなければ理屈に合わない。つまるところビビと先生が出会うことは運命だったのだ。
そしてそれは、彼が見たあの三十数年前の光景こそがビビアン・ヴァン・ダイクという少年が存在するうえで根本的に重要な運命を決定づけているということを意味していた。
「君は知らないのだろうがね。あの時君は大手柄を成し遂げていたんだよ」
「えっ?」
「まあここからは私より姫様のほうが詳しいはずだ。教えて差し上げてはどうかな、死神騎士団の団長殿?」
急に話を振られても慌てないぐらい、皇女殿下はビビに対して心の準備をすでに行っていた。
いつでも彼にこの話ができるようにだ。皇女殿下は彼の出自の真相を話した。
「詳しい話は省きます。結論から言えば、あなたの母親は私の友人で元死神騎士団だったんです」
「なんだってっ!」
「優秀だと、どうしても私の元に来るか、死神騎士団のところへ行くかになってしまうね」
「あなたの母親はかつて魔女・イザベルの"人間狩り"にあい、城の牢に閉じ込められていたんです。
丁度その時あなたぐらいの年頃だったらしいですね。その時に誰かが城から助けてくれたそうです。
双子の兄と逃げる時間を稼いでくれた少年……あなただったんですね」
「えっ?」
「兄妹はどこかの孤児院で育ち、別々の道を歩んだと聞きます。
あなたの母上はその時のことを私に何度も話してくれました。私の尊敬する魔女です」
どこかの孤児院、と聞いてすべてが符合したようにビビたち一行には思われた。
彼らの考えていることは正しい。人間狩りにあった兄妹はビビに助けられて逃げおおせた。
その後、壊滅した城下町にはいられないので移動したが所詮は子供の足である。
隣町で行き倒れていたところをセラの家と呼ばれる孤児院に引き取られたとのことだった。
アベルは記憶を失ってはいるものの、ビビの親と一緒に暮らした日々が確かにあったことは間違いなかった。
先生が当時のことをどこまで覚えているのかは定かではないし、ビビのことをどう思っているかも左に同じである。
一つ間違いないのは彼らが出会わなければビビは生まれてきていない。
逆に言えば、必ず出会う運命だったのである。
そう、アクセルに知られていたから彼の両親は殺される原因となったのである。
全ては特別な力を持つ息子を手に入れるために。過去と未来を改変してまで望む結果を手に入れるために。
そのことも必然的にビビは悟らざるを得ない。
「やれやれ。お前のことを、本当に助けてあげたいと心から思っていたんだよアベル。
幸せそうなお前から彼女を取り上げるのは忍びなかった……だがまさかここまでとはな」
まさかここまで、という点にだけ関していえばビビもアクセルに同意していた。アクセルは続ける。
「お前を救い出すには魔女イザベルという概念そのものを消してしまうしかないようだな。
まあもっとも、私ははじめから最終的にはそうするつもりではあったのだが。
さてモード。少年をここに連れてきたまえ。素体は――」
素体というのが何のことかは現段階では不明であるが、とにかく、アクセルは自分の娘を探した。
アクセルが魔女を解放することを選んだのは、自分の娘を使う算段があるからであるようだった。
「おや、死んでいるではないか。まさか計画を知っている……まさかな、考えられない。
この子、お前が殺したってわけじゃあないんだろ?」
「父親なのにずいぶん冷静なんだな」
「損失ではある。残念に思うよ。ただ私は孤独の悪魔の寂しがり屋さんな性質を受け継いでいるわけではない。
お前と違ってね。しかしまあ代わりはいる。ここにね」
アクセルは、さっきアベルの手からうねりながら出ていった肉塊を手に取った。
「これを触媒にすれば夢を呼び出す術式は使えるのでね。生きてるか死んでるかはどうでもよい。
ではモード君、改めてだが、ビビアン君って少年をここへ呼び寄せるんだ」
「はい。そのために私はおりますから」
「クソッ、やらせるか。存在しなかったことになんてさせるか!」
アクセルが狙っているのは今まさに解放したばかりの魔女を消滅させること。
彼は悪魔を消滅させる力がある。本来は世界を作った悪魔の中の悪魔、ルシフェルの力との契約により悪魔は超常の魔力を持つ代わり、世界に縛り付けられていて、絶対に死なない。
死ぬとしたらその契約書である「グリモア」という魔導書が悪魔ごとに割り振られているのだが、これを使うしかないのだ。
アクセルはグリモアを使う必要すらなく悪魔を消せる。これはもはや創造主たるルシフェルぐらいしか出来ないことであった。
アクセルに弟が向かっていく。アクセルは目でモードレッドを制止する。
少年をこのまま呼び寄せれば戦いの余波で死んでしまうからである。
そしてまた鈍く光る一閃がきらめいて、アクセルの胴体が真っ二つに切断された。
誰一人としてその残像すら目に映すことが出来なかった。
「お願いだからもう止めろ。私にそれは通じないことぐらいもうわかっただろう?」
回避不能。因果を無視し切断したという結果を先に発生させる物理的な剛性を無視した次元を切り裂く攻撃。
にもかかわらずアクセルは攻撃を食らっているそぶりさえ見せない。
「道理でな。毎回俺が負けてるわけだ」
「わかっただろう。そもそも我々に戦う必要性などないと思わないか?
だいたいだな、存在しない人というのは考慮するには値しないのだ、ということをよく考えて欲しいんだ。
だってそうだろう。例えばここに幸せな人が一人"いるはずだった"としよう。
その人の分の幸せはここにはない。それは悲しむべき事なのだろうか?
いや、そうではない。存在しない人の幸せが存在しないことなど気にする必要はどこにもない。
誰かが亡くなるのは悲しいことだ。さぞ苦しんだだろうし、残された人も悲しいのだからね。
だがそれとこれとでは別だ。最初から存在しないのと同じなのだから」
アベルは困惑した。何が言いたいのかはわかるが、言っていることがわからないというのは初めての経験であったからだ。
要するにアクセルが言いたいのは母の存在を消滅させるわけだが、"消滅したということ自体"がわからないのだから問題はないはずだと言いたいのだ。
全くもってその通りである。そしてそれを実現させるにはビビが必要だったが、部下であるモードによって既に掌握されている。
「それでもやるしか……お前を止める!」
アベルは冷静ではない。ビビを殺せば先生は助かるということを考えられるほど頭は冴えていなかった。
もっとも、考えついていたとしてもそうしようとはしなかっただろうし、アクセルも阻止したであろうが。
「全く仕方がない弟だ。私も少し本気を出そう。兄弟喧嘩は少しくらいならした方がいいというからな」
アクセルは強いて言えば兄のような存在であるニコの剣とやらの柄に手をかけた。
その時ほんの少しだけ、彼の手がこの剣を持っているアベルの手に触れてしまったのである。
「ッ!?」
アクセルは声を飲み込みながら反射的に手を引っ込めた。まるで指先を火傷でもしたかのようにである。
「なんだ今のは!?」
同じようにアベルも目を剝くほど驚いていた。両者ともに今の反応の正体はわかっていない。
確かなことは、この二人は一緒に育ったことはない。そもそも体にお互い触れたことが今まで一回もなかった。
「よくわかった。お前には触れないほうがよさそうだ」
アクセルは指先を弟の顔に向けた。その次の瞬間、アベルの心臓から上が粉々に吹き飛んだ。
血しぶきが舞うことはなかった。脳からの信号を受信できなくなった体がゆっくりと背中から地面へ落下していった。
そのことにほんの一瞬だけ注意を払った魔女の悪魔はすぐさまアクセルの顔を睨んだ。
「よくもやってくれたなアクセル。私は息子をお前のような子に育てた覚えはない」
「悪いが私はアベルほど甘い性格ではない。
まるで母さんのようなことを言っていても態度を変えたりはしないよ?」
魔女の悪魔は実のところ、現在非常に弱体化していた。
というのも魔女イザベルがもう何十年も活動していないので人々の記憶から薄れており、とてもではないがアクセルに対抗しうる力は持っていなかった。
その魔女が、何をしだすのかアクセルは様子見のフェイズに移行したのだが、彼にとって最も意外なパターンとなった。
「小僧。私はお前を信じておる。あの時ですらお前は、私を守ってくれたものな」
魔女はアクセルに向かっていったのである。右腕で一発。左腕で一発。
腐っても悪魔の一角。人智を超えた膂力同士のぶつかり合いで大気が爆発したかのような衝撃波が立て続けに二発、三発と発生した。
余談だが、この悪魔の権能は意識を操り、使役し、さらに魔女イザベルが持つ"吸血鬼の血を引くという才能"を持ち合わせていた。
そのため、数多くの下僕に人間狩りをさせ、その血を浴びてより魔力を高めるということをかつては行っていたわけだが、もはや一体も下僕はいない。
羽根の折れた天使のようだ、とアクセルは思った。怖気をふるうような美しい顔立ちと哀れで非力なその様に。
「一度倒された身だ。わかるだろう!?」
少しの手合わせで魔女の悪魔の実力を把握し、赤子の手のひらをひねるほどに容易く屠ることが出来るとの確信を持った。
魔女の腕をつかみ、ビビを確保するまでは封印しておこうと術式を発動しようとしていたまさにその時だった。
アクセルの腕をその弟の手が掴んでいた。彼は首が吹き飛んでいたはずだが既に顔が生え変わっている。
「ぐあっ」
アクセルとその弟が接触した時には何が起こるのか、こうして実際にやってみて二人には直観的に理解できた。
"融合"である。二人の体は接触した部分から溶けあい、まるで熱帯雨林の植物が何百年もかけて根を張ったように癒着を始めていた。
とりあえず手癖で、運命やら時間遡行やらといった要素を入れるのをやめたい。




