第42話 言葉よりも雄弁な
「指……まさかそれは」
チン、という軽い金属音とともに何かの光が一瞬きらめいた。一瞬遅れて、アベルはそれが指にはまっていた指輪だと気づいた。
これが、地面に落ちて少し跳ね、軽やかな音を立ててやがて死にかけの昆虫のように静まり返った。
アクセルの懐から取り出された指にはまっていたものだ。この世界でも我々の知るような習慣があり、そしてその指だけが何故特別で、指輪をしていたのか。
それはわざわざ言うまでもないことだろう。孤独の悪魔には最も似つかわしくない指輪を何故彼がしていたかは、墓から甦らせて本人に聞いてみないことにはわかるまい。
もっとも、彼に墓はないが。アクセルはこれをアベルに渡した。
指は息子の手に入るや否や、泥のように体の中に沈み込みはじめる。
「クソッ!?」
慌てて指を引っこ抜き、懐にしまった弟を見てアクセルは鳩が豆鉄砲を食ったよう、という表現がふさわしい表情を見せていた。
「なに……!? どうしてそれを拒否する。それはお前そのものと言ってもいい。
お前の力だ。好きに使えばいい。そうだろう?」
「必要であれば使うさ。どうやら必要な時は今らしいな。
アクセル、お前を殺せば魔女の悪魔とやらの封印も解けるか?」
「どうかな。お前と違って死んだことがないのでわからないが、多分そうなるだろう」
「面倒臭ぇなぁ。この場にいるやつみんな殺せば、俺と先生は自由になれるか……?」
「何を言っている。私はお前を自由にしてやったんだ。
母さんはお前を道具としてしか見ていなかった」
「アクセル、俺はお前に一度聞きたかったことがある。同じ境遇の兄弟として。
俺たちはあまりに違う。そうだろ?」
「そうかな。私はそれほどお前と違うところがあるとは思わないが……顔も似ていることだし」
「お前は何のために生きている。目的は、理由はあるのか?」
何故、そんな下らぬことを聞くのか。
アクセルは普段ならそう問いただし、相手を叱っているところだがここは久しぶりに会った兄弟である。
そういった素っ気ない態度はとらないと決めていたので、冷たい言葉は飲み込み、こう言った。
「聞けば満足かアベル。私は市井の人々と何も変わりはない。遠大な計画も壮大な夢もないよ。
しいて言えば、己の存在を知りたいという欲求はある。私は何故生まれてきたのか……?
その答えを私は知っている。父と母が、ニコを亡くしたからだ。ではなぜニコは死んだのか?
彼は生真面目すぎる性格で、母はあまりにも珍しく興味深い生態の生き物だったから、王の目に留まったのだ。
しかしそのどちらも理由としては弱い。もっと、もっとだ!」
「なにっ?」
「最終的には世界は何によって創られたか……それすらわかっている。
ルシフェルが創ったのだそうだ。そのルシフェルという天使を作ったのは誰だ?
神とやらがいるらしい。神を創ったのは、いったい誰だろう?」
「知るかよ!」
「私はそれが知りたい。なのに悲しいことに、私にはもう時間がないんだ」
「何の真似だ。俺を油断でもさせようとしているのか……?」
そもそもアクセルがここへ来たと言うだけでも大変な異常事態で、驚くべきことではある。
慣れというのは怖いものでもうすっかりそこは驚くポイントではなくなった一同。
「おっと、そんなことは聞かれていなかったな。さて生きる理由には答えたぞ、聞いてどうしたかったんだ?」
さて、ここで少し時を戻そう。兄弟二人が話をしているうちに、他のメンバーもこのような会話をしていた。
まずは、モードレッドと皇女殿下、それにビビとバージル兄弟の間の会話を見ていこう。
「――モードレッド。私に言ってないことがたくさんあるのはもういいです……ビビ君のことも」
「すみません団長。この子のことはアクセル様にもバージル君にも口止めをされていたものでして」
ビビはモードレッドの力に引き寄せられ、彼女のそばで黙って頭をなでられていた。
思わず笑みがこぼれるような可愛らしい光景だ。事情を知らなければ、の話だが。
「確認させてください。ビビ君は性別を偽り、身を隠す必要があったと……?」
「そう、考えるようにバージルに仕向けたのです。他に何か質問は?」
「ちょ、ちょっとまってください。確認をさせてください。あなたは本当にあのモード……?」
「ほかに誰がいると言うんです。これほどの魔法を使う者はそうそうは居ないと思いますが」
皇女殿下は部下の思ってもみないような裏切りにいつもは崩さないポーカーフェイスをかなぐり捨てていた。
彼女が、大好きだった先生がどこかへ行ってしまってからというもの始まった、ストレスを感じた時に爪を噛む癖も発生していた。
「わ、私はあなたのことをよく知っています。何しろ私が先生でしたから。
あなたを一人前の魔術師に鍛え、死神騎士団の入団の時など盛大に祝ったものです。弟のように思っています」
「そこは妹と……まあいいでしょう、どっちでも」
「これは見過ごせません。あなたを百パーセント信頼してスパイにしたのに……情にでもほだされたんですか?」
一つ、ここで注釈がある。ここまで皇女殿下はポーカーフェイスを捨てて動揺した風であるが、演技だ。
要するにモードをより深く三重スパイとして潜入させようと一芝居打っているわけだ。
まず、死神騎士団からアクセルの組織に潜入させ、ここから死神騎士団へ潜入させて二重スパイ。
しかし実は最初から死神騎士団なので、三重スパイだ。
そして、これがバレたということを装って深く潜入させるのだ。
だから、皇女殿下はいつもより多めに説明臭い口調で話している。
一つ計算違いがあるとしたら、モードレッドは最初からアクセル側についている四重スパイであるということだろうか。
「皇女殿下、一つ昔話をしましょう。昔々、あるところに少年がいました。
彼は奴隷の母と主人の子。父の跡を継げないことは決定していました」
「奴隷なんて……何時代の話ですか?」
「彼の住んでいた街を惨劇の渦に変えた組織がありました。最初は、数人に過ぎなかったんです。
やがて教会や大聖堂が出来て人々が集まり、段々と無法地帯じみてきたんですよ。
誰の手も行き届かない空間……やがて逆らう者は皆死にました。
有力者だった父は死んで母は略奪の末に死にました。その時少年は――」
心の底からにっこりと笑顔を浮かべてモードレッドは続ける。
「――生まれて初めて幸せでした。自由でした。好きなように生きていいんだよって、言われている気がしました」
モードレッドは今まで底を見せない飄々とした態度で今回の遺体争奪戦の騒動を切り抜けてきたが、これが、モードレッドのすべてだ。
それとともに陳腐な表現ではあるが、まさしく背筋の凍るような戦慄を覚え身じろぎ一つできないビビ少年と皇女殿下がいた。
これがモードレッドの過去なのだとすれば皇女が知っている彼女の姿は全くの幻に過ぎないということである。
何しろ奴隷時代ともなると遥か大昔。少なくとも皇女より年下ということはあり得ない。
つまり、皇女はモードの子供時代にそばにいて、これを教育し、死神騎士団に入れたので、百パーセント信頼をしていたのだ。
ところがその前提が、すでに間違っていたということになるではないか。
「なぜ……何故急にそんなことを?」
「ビビくん、それに皇女殿下。今、あなたはこう思っていますね。当ててあげましょうか?
こいつはなぜ唐突にもこんなことを言っているのだろうかと。まあ、少し聞いてくださいよ二人とも。
私はあの時、確かにあの方に救われたんです。団長には敬意を抱いていますが、私がお仕えするのはあのお方だけ。
この身をいくら捧げても構わないと思ってます。ですが団長を裏切ったとか、そういうつもりもないんですけどね」
「その言葉、信用できるとでも?
さっきのあなたはとても演技で出来るような表情ではありませんでした」
「本当ですよ。私はアクセル様の目的を達成させてさしあげたいだけです」
「そういう話じゃありません。裏切っていたあなたのことを信用できるかという話です」
「お……おい少年、モードレッドは結局どっち側なんだ?」
と、こっそり後ろからビビに耳打ちしようとしたのは爆弾男だ。
さっきまで殺し合っていたが、何故か話の成り行きでここまで来てしまった可哀そうな男である。
アクセルの組織においてはモードレッドとは、今回バディ的な関係性で任務にあたっていたのだが、相方が意味不明なことを言い出して何もかもが信じられない精神状態だ。
かわいそうな男に構ってる余裕のないビビは、耳打ちされる前にぴしゃりと心のシャッターを閉めた。
「僕に聞かないでください」
「ああ……うん……そうだな」
それはともかく、話をアクセルとアベルの兄弟の話に戻そう。
「俺はただ先生とした約束を守りたいだけだ」
「約束というのは遺体を取りもどすということなんだろ?
つまりはお前は約束を果たした時、この世から消えるというわけだ。
まるで意味がわからないんだが、お前は死にたいのか?」
「お前にはわかるはずだ。そういうやつをいくらでも見てきただろ。
俺は、俺の命を使って命を先生に返す。それが恩を返すということだ」
「あるいは、これまで二人で必死に遺体を集めてきたことに意味があるということか……?
まあ、何にせよこれで終わったことだ。アベル、これが何だかわかるか」
などと言ったかと思うと、先ほど「母さんはここにる」として叩いた上着の胸のところに手を入れた。
内ポケットになっているのだろう。中から紛れもなく、孤独の悪魔の遺体の反応が感じ取れた。
アクセルはこれを一瞬見せた。ただの白い箱のようなものだった。
一瞬見せただけですぐしまうと、こういった。
「お前は自由なんだ。この日を待っていた……皇女殿下?」
「え、あ、はい。私ですか?」
「何より、この町はこれから焦土となる。ある誤報が海軍元帥にもたらされたことによって」
「何でもお見通しですか?」
「かつて帝国に反旗を翻した魔女イザベル、その後継者である私。
そして何より、元帥の政敵ラインハルト殿下がいるとのことで」
何も知らされていないアベル達部外者は戦慄とともに絶句をせざるを得なかった。
皇女殿下は、海軍元帥・プリンツ・オイゲンに対する政敵ラインハルト殿下に味方をしている理由について特に何も言っていなかった。
その理由が、今わかったのである。理由は単純でそもそも味方しているわけではなかった。
彼を利用せねば、元帥に艦隊を動かさせるということはかなわない。そうしなければ魔女イザベルを倒すことは出来ないという算段だった。
だが色々と計算違い過ぎてもう完全に計画は破綻しているどころか、むしろアベルを今より一層孤独の悪魔に近づけただけであった。
「私の痕跡を消してくれるとはわざわざどうも。さて、お前の言いたいことはだいたいわかる。
母親を殺した私を憎んでいるのだろうがそれは全く違うんだぞ、それをわかっているのか?」
「何を言っている…・・・先生は死んでいない!」
「まあ聞いてほしいんだ。確かに私は母さんを封印した。
お前を助けたいからだ。みんなそう思っている。皇女殿下だってそうだよ。
さて、一応質問しておこうか。お前はどっちがいい?」
「何の話だ!」
「お前と二十二年間一緒に居たのは複製された贋作だったな。
それと本物、お前はどっちがいいんだ?」
けだし、究極の選択だった。アベルは次のことも悟らざるをえなかった。
たった数分程度、自分が隣町にいた間にアクセルは先生を殺していた、ということに。
アクセルは魔女イザベルの模造品を作ってやっても構わないし、封印されてる本物を復活させてもいいと言っているのだ。
青天の霹靂だった。先生が死んだかもしれない、さっきから薄々はそう感じていたが、それを正面から受け止める気にはなっていなかった。
透明人間が頭をガツンと鉄パイプか何かで殴ったような気がして全身の力が抜け、気が付くと彼は膝をついていた。
「どうやらどちらも嫌らしいな。お前は洗脳されているんだよ、アベル。
しかもだ、お前と一緒に居た女ならお前が三十数年前に作ったんだそうじゃないか。
理解できない。私には断じて理解できない」
次の瞬間、アクセルの上半身が腰のあたりから少しずつ向かって右側へずれた。
彼には血液は人間ほどには流れていない。真っ白な肌と断面をさらけ出しながら、ゆっくりと「落ちて」行った。
孤独の悪魔からもたらされた不条理なまでの力が彼の兄の体を二つに分けたのである。
「えっ、アクセル様?」
「こんなもんかよ。さて種と仕掛けはどこだ……?」
アベルはビビ少年に目配せした。アクセルがこんなことで死ぬわけがない。
何かの種があるはずである。未来を見ろ、そういうアイコンタクトだ。
ビビはすべてわかったうえで首を横に振った。
「なんだと。そんなはずはない。説明しろビビ」
「僕にもわかりませんよ。ただ、本当にアクセルの気配はどこにも。死んだ……んですか?」
「アクセルに限ってそれはあり得ない。だが――」
そのときアベルは信じられないものを見た。自分たち以外にいないはずのこの路地に五人ほどの男女が立って喋っているのである。
普通の人間ならばアクセルの切断された死体を見て蜘蛛の子を散らすようにして逃げているはず。
もちろんこの男女は人間ではなかった。悪魔である。
「三十数年ぶりだ。まあ我々には大した時間でもないのだがね」
「久しぶりじゃなと言っておこうかの。今度飲みにでも行くか?」
「お呼びがかからなければね。しかし本体はどうした?」
「本体も目覚めていることじゃろ。封印が解けた今、もう遺体も意味をなさない」
そこには記憶の悪魔、音の悪魔、爆弾の悪魔、そして何より"魔女イザベルを司る悪魔"がいたのである。




