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第41話 家族の絆

「俺にも未来って奴は見えるらしい。どうなるかは言うまでもないな」


「……作戦が失敗したことは確かなようですね」


などとこの状況でどこにそんな余裕があるのか、皇女殿下は立ち上がりながらつぶやいた。

そんなことはわざわざ口に出して言わなくても明らかなことである。少年も、男も、頭の中に疑問符が降ってわいた。


「姫様。俺はあんたを殺す理由はない。だがそれは何の真似だ?

ビビをかばおうっていうのなら、殺されても文句はないよな?」


「私は団長。作戦に関わったこの子も守る義務があります。覚悟は私にもあります。

あなたはどうですか先生。覚悟を私に見せてください!」


「……ばかばかしい」


と吐き捨てた後、アベルは反論の余地のない正論を口にした。

ただしそれは正論なだけであり、本心がどこにあるのかはその場の誰にとっても明らかなことであった。


「殺す理由はないと言ったろうが。予定に変更は全くない。

先生を助けに行く。そのためにこの剣が必要だった。狂いはない……何事もな」


男は案外冷静である。この状況で一つ、大変大事なことがあるのだがそれを失念することはなかった。

しかしである。ご存じの通り、このように緊迫した場面で人が急に常識的な対応をしていると、何故だかシュールな笑いがこみあげてくるのが人情だ。

というのも彼は自分にはニコの剣を使いこなせないことを知っているため、先生から託された悪魔たちを呼び出したのである。


彼に宿る悪魔は父親を除けば二匹だ。


「おい記憶の悪魔。こいつで瞬間移動するにはどうすりゃいいんだ?」


などと会話しているうちに済ましてしまえと言わんばかりに、ビビは皇女殿下に小声で尋ねた。


「あ、あのう。作戦は失敗したみたいですがこれからどうします?」


「ふふふ」


皇女殿下は最初は静かに息を漏らし、続いて狂ったように虚空に向かって笑い声をあげ始めた。

比較的大きな胸をゆすぶりながら身をくねらせて楽しそうに笑っているが、ちっとも同じ気持ちを周囲には与えてくれない乾いた笑いだった。


「ふはははっ、あはは。二十年……二十年以上もかけたのに。ああ、私はやっぱり愚図のままですね。

私が必死になってやったことは、あの方をより"孤独の悪魔"に近づけることだけです、ビビ君」


「姫様……」


「でもまあ……け……計画通りですが」


「嘘だーっ、絶対嘘だーッ!」


皇女殿下は意外にもショックを受けていたのはものの数秒にとどまり、電光石火の早業で自身のメンタルを立て直して見せたのである。

そして最初にやることは失敗を認めず取り繕うこと。さすがは皇帝の娘だけはある。

滝汗をかきながら、皇女は続ける。


「あの方がもたついている今がチャンスです。私の――」


皇女が何か言いかけたようだが、それを言うことに成功することはこの先二度となかったということは断言しておこう。

まず、この時起こった出来事は二つだ。まず、アベルは悪魔たちに助言は受けられず悪魔はそそくさと姿を消してしまった。

仕方なく彼は思いつくままに行動を起こした。すでにこと切れているビスマルクの上半身をつかんだかと思えば、ひじから下がちぎれて落ちた男の傷口に口をつけて血を啜ったのである。

皇女たち生きている人間も死んだように凍り付いた。


「いやぁ、さすがは吸血鬼の血を引く女の息子だなぁ」


アベルのすぐ後ろに音もなく瞬間移動でもしたのか、突然出現したのは三十数年前に出演した時と全く姿を変えていない堕天使、ルシフェルであった。

一応、設定を振り返っておこう。この堕天使ルシフェルというのは神話に登場する神に反逆を起こした悪魔である。


この世界には悪魔と呼ばれる存在は多数いるが、本物、つまり悪魔の中の悪魔とはこの男だけだ。

そもそもこの世界は彼が堕天したのち作ったものである。そして、その中からこの男を倒さんという不届きな輩が現れた。

アクセルというその男はルシフェルからすればさしずめガン細胞とでも言ったところだろうか。


自分が創造した自分の一部にも等しい世界から、本当に自分を倒しかねないほどの力をもった異物が発生したのである。


「ああ。俺もどんどん人間離れしていくな。猫をかぶり過ぎていたようだ」


口元と胸元を血で真っ赤に染めたアベルは、その自分の姿を先生が見たら卒倒するか、あるいは泣き出すだろうと考えながら答えた。

先生が悲しむことや嫌がることはしたくない。やってしまったことは仕方ないとして、ビビの処遇に関しては特に頭を悩ませている。

ビビを殺したら先生が喜ぶ理由もあるし、同じことをして、先生が悲しむ理由もあるのだ。答えは出ていなかった。


「話があるなら手短に頼む。俺は先生の所へ急がないといけないんでな」


「なら話してやろう。アクセルがここに来るそうだ。仲間も連れてな」


「なにっ!?」


「確かに面白い。お前のこともついでに認めておいてやるよ。

ここまでの力を身に着けるとはな」


「それはどうもな。今更仲間を何人連れてこようと関係ないが」


「俺と対等に話をするところは変わってないな。ま、とにかく言っておくべきことはそれだけだ。

俺はお前たちにはコレ以上干渉はしない。未来でも見えたら別だが」


「なに、じゃあ神々のリンゴは……?」


「俺が人間嫌いな理由を教えてやろうか?」


「何の話だ?」


「神に愛されているからだ。俺は監視されているのさ。神々のリンゴという名の"義眼"にな」


「だから何の話だと言っている」


「あのガキの目は親からの遺伝ではない。世界中あまねく見届ける神々の眼球だ。

俺を監視しているのだよ。だが、この俺にここまで近づいた所有者は初めてだったな」


ここで初めて、大悪魔はビビのほうを見た。そう、彼は初めて生の大悪魔と対峙している。

一度会ったことがあるとは言っても安全地帯の夢の中での話だ。

その時とは比べ物にならない死の恐怖におびえながらも、ビビは立ってまっすぐこの絶対強者に視線をむけて、膝を笑わせながら言った。


「この眼が何なのかなんて今更どうでもいい。あなたが死んでしまいたいなら勝手にすればいい!」


「駄目だね。ただ殺されるだけなんてごめんだ。お前たちは全く面白い。

この世界は、俺そのものだ。なのに無から有が生まれるがごとくお前たちは奇跡的な力を手に入れている。

その目が俺を映しているというより……この世界の摂理が壊れていくのを映しているんだろう」


「なにを……!?」


「アクセルのそばではなく、お前のそばにそれが現れたのも運命ということか。

断言してもいい。お前はそのガキを殺さない。そうならないように運命が決まっているのだ。

実際、今確実に殺せたのにそうしていないからな」


「それは……!」


そんなことはない。いつでも殺せる。なんなら今やってやろうか。

アベルはそう言おうとしてビビのほうを見たが、やはり、無理だった。

ついこの間出会ったばかりの少年である。しかし、頭では殺すべきだとわかっていてもどうしてもそれが出来る気はしなかった。


「嘘はつけないか。アクセルと似ているのに随分違う男だな。

言いたいことはそれだけだ。あとは……おっと来たようだな」


「来たって――」


聞くまでもないだろうと言わんばかりに、大悪魔にしてこの世界の主、ルシフェルは姿を消した。

まるで今あったことは夢だったかのように、ただ風の音だけがこだましていた。

と、一同が思っていたのもつかの間。何やらどこか遠くで花火大会でもやっているかのごとき破裂音が規則正しいリズムで聞こえ出したではないか。

もちろん花火大会など日中にやるものではない。その音の正体はほどなくして一同がいる、わずかな砦の監視塔の屋上にある空間へとやってきた。


「さて、ようやく話ができるな」


「なにっ。お前一体どうやってここに来た!?」


「見ていなかったのか。空を飛んでやってきたわけだが」


「そういえば最初会った時もそうだったな」


「そんなことよりモード」


「そんなことってお前」


もはや敵である死神騎士団・団長がいても構わずに爆弾男ことボマーは話を続ける。


「大変だ。アクセル様がこちらへ向かっている。例の件を終わらせない限りは……!」


「私にどうしろっていうのよ。いくら何でも勝てるわけないわよ」


「そんなことはわかっている。おい、あの子はどうした?」


「あの子はあなたに任せてたと思うけど」


「おいお前らっ、勝手に話を勧めるな。あの子ってのはアクセルの娘とかいう――」


「そうだ。またあの子がいない。クソ、どうなってる!?」


「いるよ」


その力が一体どういう性質を持つのか、爆弾男たちにも理解出来ていないが、一つ確かなことは、アクセルの娘だという子供は、なんとこの砦の監視塔の屋上にいた。

当然、理屈は通らない。監視塔の上はせいぜい十メートル×十メートル程度の正方形のスペースだ。

ここに突然小さい子供が現れるわけもなく、最初からいたとすると誰も気が付かないはずはないほどの狭い空間の話である。


「なにっ!?」


「パパ……くるって言ってた」


「お、おお。悪魔がそう言ってたっけな」


「何のつもりだお嬢様。もう会う必要はないんだ。あそこへは戻らない。逃げるぞ!」


爆弾男たちはアクセルから"魔女"の討伐を命じられていたが、おそらくはそれは諦めて逃避行を続けるつもりなのだろうとアベルは理解した。

別にこの三人がどうなろうと知ったことではない。だが自分のやるべきことは何も変わらないと、彼は心に牢記しながらつぶやいた。


「そうだな」


「なんだって?」


「おい、ビビ。お前ずいぶんとアクセルの娘のことを気にかけていたっけな。

ここは停戦と行かないか。俺たちの利害はすべて一つのことで一致している……違うか?」


「何のことです?」


「アクセルを倒すことだ。姫様、アクセルはここへは来ない。アクセルは先生の所へ向かうはずだ」


「ど……どうしてそう言い切れるんです?」


「俺が先生の所へ向かうからだ。どのくらい猶予が残されているか、俺もわからない。

行くぞ姫様。あの町で一番目立つところへ行こう」


またも、一閃。猛者ぞろいの魔法使いたちの群れの中でもビビだけが唯一、これを黙視することが出来た。

アベルはもはや必殺技のようにではなく、息をするように物理法則を壊した。

"時間"を無視して次元を切り裂き、一同は、さっきビスマルクがビビを守りながら瞬間移動したあの路地にいた。

もちろん小さなアクセルの娘とも一緒である。


「予言の悪魔が言っていた。アクセルは、少女を追ってここに来る。

お前のことかもしれないな、ビビ」


「僕は男ですよ!」


「冗談だ。少女というのはこの子のことだろう。パパはもうすぐそこまで来てるのか?」


「パパじゃないの?」


「俺のことならリリスのパパじゃないぞ。俺のことはそうだな……トントンと呼べ」


「あのね、聞いてほしいのトントン」


「どうした?」


「あのね、あの人が……フリッツがね」


「誰だ?」


「コートの……」


どうやらお嬢さんは、爆弾男の話をしているのだとアベルは理解した。

彼の本名はやはり先生の考察通りボマーではなかったようだ。


「私をゆーかいしたの、ゆーかい。怖かった。またパパのところに行きたい」


「パパはここへきているんだろ。だったら話は早い。

ちなみにどっちに気配がすると思う?」


「あっち?」


少女はがれきの山と化している、ファミリーの屋敷あとを指さした。


「俺と同じ意見だな」


「おいっ、その子はこんな危険な場所からは離す。勝手なことをするな!」


やはり、そう来たか。アベルはそう思い、彼の心は難渋しながら少しずつ爆弾男・フリッツ・ボッシュのことを殺す準備を開始した。


「お前は先生のことを殺しかけたっけな。なんか今からムカついてきた……殺すか?」


「いい加減にしなさい、二人とも」


一瞬、何が起こったのか誰にもわからなかった。未来を覗けるビビでさえもだ。

事の全貌が明らかになったのはそれから数秒経ってからのことだった。少し説明させてほしい。

モードレッドと呼ばれる女がいい加減にしろとため息まじりに口にした直後のことだった。

二人の男が直角、九十度のお辞儀をした。そのまま微動だにしなくなった。

男たちは地面へ向かっていった。


「どうなってやがるっ」


「ふざけるなよ!」


これがモードレッドのまだ上司である皇女殿下にすら教えていない隠された能力。

この力を使って性別や身体的特徴を変えられた人間はモードレッドの意のままに動かされる。

ただし、あくまでも彼女は人間の魔法使いに過ぎない。これでも十分に強力とはいえ悪魔の力を頼ることのできるこの二人は、その限りではない。


「もう十分だろ」


といってアベルは顔を上げ、爆弾男も顔を同時に上げた。


「驚いた。俺と似たような力を持っていたとはな」


「人間相手なら、これでも結構効くんだけど」


「俺は先生の所へ一刻も早く行かなきゃならないんでな……知らなかったか?

そういう力が通じるのは魔力が使い手と離れすぎてない相手だけだ」


アベルがリリスお嬢様の手を引き、遺体の反応のある方へ歩き出した直後のことだった。

彼の歩みが止まった。彼だけが時間ごと凍り付いたようにである。


「そうか……もう来るのか!」


「なにっ!?」


その男がどのような魔法を使うのか、どういった能力を持っているのか、今まで明かしてきた情報はほとんどなかった。

アクセルが持っている力で、唯一といっていいほど明確であるのは、悪魔を封印する力。

そして、これはアクセルがバラバラに切り刻んだ父親の遺体に書き込んだ術式なのだが、術式を書き込まれたもの同士がひかれあい、反応しあうように設定を行っている。


弟が孤独の悪魔の力を色濃く受け継ぎ、「引き寄せ、拒絶する力」を持っているのに対しアクセルも似たような技を使う。

彼は己が持っている遺体に分断された遺体と引き合うように命令を下し、そしてそれに引っ張られて、ここまできたのである。


その男はアベルと同じ顔をした若い男で、服装は一言で言えばまさしく紳士。

几帳面に襟が折りたたまれたしわのない純白のシャツに漆黒の上着を羽織ってネクタイを締めている。

何故かそれを見てアベルはこの場に似つかわしくないと自分でも自覚しておきながら、「アクセルには似合わない」と思った。


天上天下唯我独尊。独立独歩、すべて己の力に頼り、己だけを信じ、世界そのものである創造者にして大悪魔、ルシフェルすらも否定し、超克しようとしている男。

その男が首に輪をかけ、まさに"従属"の象徴であるネクタイを身に着けているのは奇妙に映ったのだ。

弟と目が合ったアクセルは、自分とほぼ同じような服装をした後ろの男に、振り返りもせず弟の目をまっすぐ見つめてこうつぶやいた。


「弟との再会か。君はどう思う、バージル」


「なんだと……?」


後ろの男、バージル・ヴァン・ダイクは言うまでもなく、ビビ少年の兄である。

彼は、何を思っているのか誰にもうかがい知ることが出来ないよう、心にシャッターを下ろしたかのような色のない瞳で弟を見つめ、こう答えた。


「何も思いませんよ。我慢のできない人だ。好きにやらせるつもりだったんじゃ?」


「パパ! 迎えに来てくれたの!?」


などと、アクセルの娘が言い出して飛び出していった。

娘がなついているあたり、アクセルはまともな父親をしているようだ。

父親をそれだけ好きな様子なのは母親がいないせいもあるだろうか。

アクセルとバージル、そしてモード以外の一行はそう考えた。


「リリス、旅行は楽しかったかい?」


「まあまあかな。でもトントンにも会えたし……うん、楽しかった!」


「危ないから彼についてなさい。私はやることがあるからね」


娘に有無を言わせずアクセルは話を続ける。ただし、バージルとである。


「その剣はどうした?」


「殺して奪った。ただそれだけだ」


「なるほど。それなら私は満足だ」


「おいお前たち、今すぐ逃げろ。ここは俺が食い止める」


実のところ、アベルにも自分がどうしたいのかこの直前まではわからないでいた。

だが、決心ならアクセルと話しながらどんどん固まっていった。

アクセルは話の通じる男だ。決して暴力を好む野蛮人ではない。

しかしそれはそれとして、自分とアクセルはこの場で必ずぶつかる運命にあり、巻き添えを食らう後ろの脆弱な人間たちを気遣う余裕がない自分を自覚していた。


「駄目だっ、やっと兄さんに会えたのに!」


「神々のリンゴか。興味深い。ところでバージル、兄さんというのは?」


「さあ……?」


バージルはしらばっくれたが、アクセルは特に声の調子を変えずに話を続ける。


「冗談だ。私が知らないとでも思っていたのか。おいでモード。

仕込みはもう済んでいるに決まっているはずだが?」


「はい、もちろんです。あの子の体にはすでに私の魔法がたっぷりと」


「えっ?」


「おいっお前!」


アベルはあまりにも焦っていたので、モードレッドにかけられる言葉はそれが限界だった。

結論から言えば彼の危惧の通りになった。ビビは抵抗しなかった。抵抗できなかったというのが正しいだろう。

これらの会話の数秒前には同じ未来の光景を見ていたので、モードレッドやアクセルがどうするつもりかはもちろん理解できていた。


だが、回避は不可能であることも同時にビビは理解せざるをえなかった。

彼は自分の意志ででもあるかのように、モードレッドのそばに歩み寄っていく。


「バージル君。君はこう思っていたはずだ。

君は自分の意志で、モードレッドに弟の存在を隠すように頼んだはずだと。

だがそれは違う。君の両親のことも私は知っていたし、弟の力もとっくに知っていた。

どうした、何か言わないのか、この状況で?」


「俺をだましたのか!?」


バージルは全く余裕がない。

そのためさっきのアベルのように言葉を推敲したり選んでいる余地はコンマ一秒たりとも存在していなかった。

彼はまだ十六歳である。一見するとアクセルと並んでもそう年齢は変わらないような風貌ではあるが、この中では二番目に幼い少年に過ぎない。

アクセルはこれにぐうの音も出ないような正論をぶつけた。


「君が言うかねそれを。まあ聞いてほしいんだが、私は別に君や弟くんを傷つけるつもりは全くないよ?

いや、むしろ親近感すら抱いている。私も弟を助けたいと心から思っているのだからね。

まあもっとも、私の言うことを聞く以外、キミに道はないのだが」


「弟を助けたいだと。俺のことを殺したくせにヌケヌケと言いやがるな、アクセル」


「それはお前が抵抗するからだ。遺体はあの時よりも集まっている。

もはや私の持っているのを除けばほとんどはお前の中にあるようだ」


「あの時のようにはいかないかもな」


「私は別にお前と戦いに来たわけではないんだが。血の気が多くて困るね。

しかし……母さんはどうした。この町には確かにいるはずだが」


「なにっ? お前も遺体を持ってるんだから反応ぐらい――」


もう言わなくてもわかると思うが、先生の反応と実質的に同じものである、先生が持っている遺体の反応が、ない。

正確に言えば反応はどこからか届いてくるが、それがどこなのか、方角さえも判然としないのである。


「そうだ、ない。あの人のことだ。自分の体から離すというのも考えられないよね。となると――」


「何が言いたい?」


「いや、ただ少し、身内に避けられるのは悲しいねと言おうとしただけだ。

それはそうと、すまない姫様。身内と話し込んでいてつい挨拶のほうが遅れてしまった」


「えっ。あ、これはどうも」


皇女殿下もバージルなどと同様、あまりに慌てていたので言葉を選んでいる時間がなく、うっかり普通に丁寧な態度で挨拶をアクセルに返してしまった。

これが彼女の身に付いた性質である。

そう気が付くと彼女はパッと表情を切り替えて目の前の男を睨みながら続ける。


「アクセル様。もう二十年以上も会っていませんが、私のことを覚えていてくださって何よりです。

私は今でもあなたのことを信じています。あの頃に戻れたら……そう思うこともしばしばです」


「信じているというのが何を意味するのかいまいちわからないが、我々は利害が一致しているのではないかね?

あなたがこれまで何を目的に活動していたかぐらい私は知っている。弟を助けるためだろう?

それだったら考えるまでもなく――」


「さっきからごちゃごちゃうるさい!」


いや、まったくもって、その通りである。アベルの言う通りだと内心、ビビ達は思った。

これまで戦闘シーンもロクな会話シーンもない現代時間軸における初登場のアクセルは、これまで身にまとっていたミステリアスな雰囲気をいきなりかなぐり捨てていた。

極めて気さくでおしゃべりである。正確に言えば、物事を正確に伝えたいタイプなのだ。


自分が思っていること、相手に聞かれたことをなるべく正確に伝えようとしている。

見た目は政治家のような一種の爽やかさを帯びているが性格的には、むしろ厳格な裁判官か、あるいはまじめな教師や学者に近い。


「俺に用がないならもういいだろ!」


「どこへなりとでも行くがいい。出来るならね」


「く……!」


図星、であった。言葉もなかった。

アベルには行く当てがない。先生がどこにいるのかわからないからである。

しかしもう一秒だってここにはいられない。アクセルの無駄に丁寧で長い話につき合っている暇はないのだ。


踵を返して一歩踏み出したその時だった。彼は足を思わず止めるほどの強烈なまでの違和感を覚えた。

このような違和感の正体は、実のところ脳みそと意識とのずれにあることが多い。


たとえばパンはパンでも、と聞いただけであなたの頭の中にはフライパン、とでも言葉が浮かんだはずである。

自分で意識して考えるより先に、実は脳は演算処理を終えているため、意識の中で考える過程を省略してパッと答えが出てくる。

事実、唸りながらもうちょっとでわかりそうな問題について必死で考えたり、机に座って何かの構想を練る、といった作業をしても成果が得られないことが多く、少し時間を置いてからだと頭からアイデアがすんなり出ることがある。

これも意識が脳機能のほんの上澄み、振動が湖面を揺らして起きる波紋のようなものに過ぎないから起きることだ。


アベルにはその違和感の正体がわかっていたのだが、少し立ち止まって考えてみるまではそれが姿を現すことはなかった。


「アクセル……お前!」


「ああ、済まない。言い忘れていたことがある。魔女イザベルなら封印した。ここにしっかりと、ね」


分からないはずである。先生が持っているはずの遺体の反応が、どこかにあるはずなのにどこにもない。

今、目の前にあったのである。残りの遺体の反応は、もうない。世界のどこにもだ。


「言っただろ。お前を救い出してやると。この遺体は母さんが大事にしていた最後の指でね」


「指……まさかそれは」


チン、という軽い金属音とともに何かの光が一瞬きらめいた。一瞬遅れて、アベルはそれが指にはまっていた指輪だと気づいた。

これが、地面に落ちて少し跳ね、軽やかな音を立ててやがて死にかけの昆虫のように静まり返った。

アクセルの懐から取り出された指にはまっていたものだ。この世界でも我々の知るような習慣があり、そしてその指だけが何故特別で、指輪をしていたのか。

それはわざわざ言うまでもないことだろう。孤独の悪魔には最も似つかわしくない指輪を何故彼がしていたかは、墓から甦らせて本人に聞いてみないことにはわかるまい。

もっとも、彼に墓はないが。アクセルはこれをアベルに渡した。


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