第29話 犠牲者
「ベルのことも……ですか?」
「なにっ」
先生は一瞬こぶしを握った。カッとなっており、本人も無意識のうちに一瞬ビビに攻撃を加えようとしていたのである。
次の瞬間には慌てて思い直して落ち着きを取り戻したものの、そのような一連の心理的動きは周りの二人にはお見通しであった。
「同じことじゃないんですか?」
「おい、お前俺の知らない間に何を吹き込まれたんだビビ?」
「お兄さん、あなたには――」
「わかった、もういい!」
先生は話を遮り、続けてこう言った。
「お前の言う通りにする。すればいいんじゃろう」
「僕だってあなた達家族の問題に首を突っ込むのは本意じゃありません」
「じゃったら――」
「でも僕は独りだから。家族は……もういません。
どんな理由であれ、僕はさっきの名前も知らない小さい女の子を見捨てられない!
だって二人ならあの子をたすけ……いや、二人にしか助けられないんですよ!」
「口だけは一人前だな、ビビ。それでお前何を聞いたんだ?
相変わらず俺だけが何も知らされていないな……」
「お兄さんだって。その態度は……あの子のこと放っておいてもいいんですか」
「いいわけないだろ」
「えっ。じゃあなんで?」
小僧は自分の髪を乱暴に鷲掴みにしてくしゃくしゃにしながらこれ以上ないほど不機嫌そうに顔を伏せて答えを言った。
「俺はこのままでいい。俺の信じられる道は先生の道だ」
「そんなアヒルの雛みたいな……」
「先生は俺の主人だ。親である以前にな」
「おかしいですよそんな親子……!」
「先生が嫌そうにしてるんだから、俺があの子に勝手に構うことはない」
「昔のあなたはそんなんじゃありませんでした。僕は知っています!」
「別人だよそんなもの。記憶もないし、実感もない。俺は俺だ、今の俺は俺なんだ。
俺もお前も"自分"がどこにあるのか手探りで、それでも必死につかもうとしているわけだろ。
俺の居場所はここにある。俺は先生のそばにいる俺がいい。
先生が許してくれる限りはな。お前はどうだ、ビビ?」
小僧を責めてみたところ意外にもかなりの反論を食らい、ビビは思わずたじろぐ。
とっさに答えが出てこないのを見て彼は続ける。
「なりたい自分になればいい。やりたいことをすればいい。
広告とかでよくそういうセリフがあるよな?
お前の言う昔の俺は、きっと戻るべき自分なんだろうな。
そいつは俺のなりたい俺とは違う。お前はなんだ?
強くなりたいのか。優しくなりたいのか。俺たちを説得したいのか?」
「やれやれ。二人ともやめんか。ビビが涙目になっておるではないか」
「あなたは逃げてるだけです。さっき先生はあなたのこと――」
「何でもいいよ、そんなこと。俺は先生が死ねと言ったら死ぬ。
近寄るなと言われれば、もう顔を見せたりはしない」
「そんなこと誰が言うものかっ!」
と先生が懇願するようなまなざしを息子に向けながら言うのを見て、ビビはもうこれ以上何か言う気力が失せた。
小僧の考えていることはわかった。彼が言っていたことはすべて本音であることは誰からも明らかだ。
だが、先生の言っていることはまるで意味が分からず矛盾をきたしていた。
死ねば修理すればいい、と先生は小僧のことを指して言っていたのだ。
ハッキリとビビはそう聞いていた。だが、先生の今にも泣きだしそうな表情を見ればあれが現実だったとは思えなかった。
この愛する気持ちを、一片たりとも疑ってほしくない。
それを証明するためならなんだってする、という必死さを帯びた瞳を潤ませていた先生を見て、"人のことを涙目なんて言える義理じゃないじゃないか"とビビは思った。
「のう、ビビ。わかってほしいのじゃ。ベルはもうこの世にはいない」
「えっ」
「すまぬ。本当に……本当に……すまぬ。今まで隠していて。どうしても、言いたくなかったのじゃ」
「えっ。ど、ど、えっとどういうことですか」
「何でもいいよ。ベルなんて知らないけど……たしか石化病の子だったって?」
「うむ。実はのう……ああっ、全く言いたくはなかったのじゃがな」
「もう仕方ないです。この際言ってしまいましょう、ベルのことを!」
「うむ……」
先生が次に口を開いて出す言葉に、小僧は腰を抜かすほど驚くだろうとビビは予想していた。
ところが、ビビの予想は現実とは大きく違ったものとなったのだった。
「ベルとは私のことなのじゃ……すまぬ、言っておらなんだ」
「えっ」
「えっ。なにそれは。意味わからないんだけど」
「いやぁ、そのぉ、じゃからな。えっと、ベルというのは実は私のことなんじゃ」
「だから意味わからないんだけど先生……」
「いや、理屈に合わないでしょう」
「なんと言ったらよいか。うーむ。仕方ない。今、一瞬夢を見せてやろう。
口で説明するよりそのほうが早い!」
「ちょっと――」
先生が二人の顔の前で指を一振りしただけで二人の意識は時の彼方へ飛んで行った。
気が付くと、ビビは何もない平原にいた。雲一つない青空には大きめの鳥と小さな鳥が仲良く追いかけっこをしているように見える。
だがそれは地上から見た話しで実際は自然界の厳しい掟。
命の取り合いなのだろう。などと思いつつ、ビビはハッと気がついた。
自分はアルメリアという町にいたはずで、こんな場所にはいなかったはずである。
辺りを見渡すと、後ろで何やら瓦礫の前でたたずんでいる小僧が見えた。
瓦礫はすべてかつては理路整然と積み上げられていた城壁であり、レンガやどこにでもある石材に加え真っ白な大理石ものぞいている。
すべてが雑多に混ざって組み合わさり、元に復元するのはおろか、撤去するのも大変に困難であると思われた。
一体中に何十、何百、何千人がいたのか見当もつかないが、一人たりとて生き残ってはいるまいと思われた。
「なあ、ビビ。ここって――」
「魔女の城、ですね。アクセルがここにきて……戦ったのでしょうか」
「戦ったんだろうな。それだけでこれほどの城が崩れているんだ。
正直どれだけ強いのか想像もつかない。で、先生はベルがどうとか言ってたよな」
「ですね。ベルっていうのはあなたとセルフィさんの娘らしいですよ」
「んなバカな。あの女とは憎からず思ってる間柄だったんだろうが子供なんて……」
「知りませんよ。とにかく、この夢を見れば何があったかわかるはずです!」
「何があったかってなぁ……」
「さすがは弟と言ったところか」
二人が話しているところに声をかけてきたのは、見覚えのある顔だった。
振り返った瞬間小僧はその名を口にしていた。
「アクセル……!」
「知ってるよ自分の名前ぐらい。さて、これからどうする?」
「なにっ。随分アバウトな質問だなコノヤロウ」
「母さんならもう死んだよ。即死だった。
別に殺したくはなかったけど、捨て身で来たからしょうがないね」
「何言ってんだお前……先生は……いや、まあいい。今はお前のペースに乗ってやろう」
「なんだ。言えば取り乱すかと思ったのにつまらない奴だな。肉親が死んだんだぞ?」
「どの口で言ってんだどの口で」
「もはやギャグなんでしょうか、あれは?」
「さぁな」
「面白いのを連れているね。どこで見つけたんだ、その金の卵は?」
アクセルに指さされているビビ。彼は不安そうに無言で小僧に視線を送った。
「お前はこの……なんだっけ。そう、神々のリンゴだとかいう能力について知っているのか?」
「それは禁断の実。お前も死神騎士団に来れば知る機会があるだろう」
「王立魔導……えー、書庫……とか図書館とかだっけ?」
「そう、巨大な魔術の知識が詰め込まれた書庫だ。宮廷勤めでない限り入ることは出来ない」
「……で、こいつの目はどういう風な特別なところがあるんだ?」
「その目は運命を見通す眼だ。
聞いた例はないが、その子は先天的に持っていたと考えるほかないだろうね。
"瞳を宿す"きっかけがあるとしたら親しかない。少々気の毒な気もするね」
「こいつの親が植え付けたと?」
「ああ。我々も同じじゃないか兄弟?」
「お前と一緒にするな!」
「同じことだ。父と母が交わって生まれたわけじゃない。
互いに同族と子供を残せない孤独な化け物たちが、寂しさを慰めるために作った実験人形だ」
「だとしても俺は、俺の居場所はいつだって同じだ!」
「アベル、僕はね、いつだって考えてきた。いつかお前を救いだしてやりたいって」
「頼んだ覚えはない!」
「今は爽快な気分だ。あの吸血鬼、いや魔女は死んだ。
だがもう一人のほうはまだだ。お前がグリモアを持っているらしいな。そいつを渡してくれないか?」
「嫌だと言ったら?」
と答えると、アクセルは肩を揺らして忍び笑いをしたあとにこう言った。
「ふふ、言わないほうがいい」
「そういえばお前、オヤジのグリモアも持ってないだろう。だから殺せない……違うか?」
「そこが面倒なところだね。ほら、ちょっとやりすぎちゃっただろ?
おかげで城が崩れた。死体を掘り起こすのが大変だ。
グリモアは必ず魔女が持っているはずだから。手伝ってくれるだろ?」
「……ああ」
「手伝うんですか!?」
「どっちみち掘り起こさなきゃいけないんだからな。お前も手伝え。瓦礫を浮かせるぐらいできるだろ?」
「彼女は遺体を持っていたはずだ。探知できる。こちらだ」
アクセルは自分から見て右手側を指さし、二人を誘導する。歩きながら小僧はこう言った。
「結局オヤジの遺体が引き合うのはどうしてだったんだ?
力の強い悪魔だったんで、封印しきれなかったのか?」
「かつて神は、有能だった部下ルシフェルの造反に対し、"この世界"を与え、そこに幽閉した」
「あのな、会話する気あるわけ?」
「確かに、一つの場所に置いておくと勝手に復活してしまうので分断して分散させたのは確かだ。
そのうえどんなに引き離しても引き合おうとするんだよね、これが。わが父親ながら気持ちが悪い」
「やっぱりそうなのか」
「だが利点もあった。母の動向を必ず知ることが出来るからね。
遺体を回収する者はあの女以外にはあり得ない。
逆に向こうも、すべて集めれば必ずこちらに会えると思っているだろうからね」
「利害が一致してたんだな」
「ああ。だからこっちから出向いてやったんだ。私はルシフェルとは違う。
"創造主"を殺すこと自体は目的じゃない。救済することだ」
「なにっ。どういう意味だ?」
「たしかに、ルシフェルが神様を救済しようとしてたわけないですもんね」
「母は完全な化け物になってしまった。悪魔を消せば存在ごと消えてなくなる。
母の悪魔を殺してやることが救いだ。本当は父のことも消してやるべきだったんだけどね……」
「何か不都合でも?」
「"親殺しのパラドックス"だよ。父を完全に消してしまうと、私は生まれなかったことになってしまう。
私が死ぬのは百歩譲っていいとしても、友達との約束を果たせなくなってしまうだろ、少年?」
「ほ、本当にルシフェルのこと友達だと思ってるんですか?」
「少なくとも仲間だと思ってるよ。片思いかもしれないけどね。ま、それでもいいよ。
片思いかどうかなんて気にしないのが友情ってものだろ。違うのかな?」
「まさかお前に友情について講釈聞かされるとは思ってもみなかったぜアクセル」
「勉強になります」
「何を仲間意識持ってるんだよ。お前は親に何もされていないだろうが。
ルシフェルは反逆して罰を食らったようだがお前は奴のまねごとをしているだけだ」
「アベル……僕はね」
このあと、軽くため息をつき少し間を作ってからアクセルは話を続ける。
「お前には申し訳ないと思っているんだ。本当に」
「なんだって?」
「"孤独の悪魔"を封印したことで母さんは狂った……もう百年もお前に会ってなかったそうじゃないか」
「お前のせいなのは確かだな。どうしてそんなことをしたんだ?」
「運命のくびきは取り除いておかないといけないじゃないか?
奴を倒して僕は自由になった。人は、誰でも何者かになれる」
「何を言っている?」
「お前が不憫でならない。気の毒ではあるが、母さんをここで倒せたことは良かったのかもしれないね」
「どこがだよ。それに先生は死んでいない!」
「そう、その先生という呼び方だ。お前は母親のことを絶対に母さんとは呼ばない。
呼ばせてもらえないというよりは、自分が呼びたくないんだろう?」
「……それがどうした?」
図星だったので、小僧はアクセルに反論自体はしなかった。
アクセルは深い苦悩を眉間に刻んで、軽くそれに指をそえて顔を伏せた後、言った。
「私とお前とでは哲学が違うのだから、議論しても本来しょうがないことなんだけどね。
私も人がいいというか……無駄とわかっていても言うよ?
お前は怖いからそこにいる……自由が怖いんだ。
お前には、お前にも何者かになれるってずっと伝えたかった」
「ふざけるな、知ったような口を。お前に俺の何がわかる!」
「お前を救ってあげたかった。こんな荒療治になってしまう予定はなかったんだけどね。
私は帝都で宮殿勤めをしている身でね。一緒に来ないか?
今は一緒にいた記憶もない兄なんか信用できない気持ちもわかるが」
「死神騎士団か?」
「ああ。仲間を倒してくれたらしいな。相変わらず気絶させるだけとは人がいい。
お前は優しすぎる。そのせいで母を見捨てられなかったんだろ。
とうとう魔女のいるあの城まで来ても戦いにはなっていなかったからな……」
「見捨てるわけないだろう。どんなになっても、魔女と呼ばれようと……世界中が敵に回っても俺はずっとそばにいる」
「そろそろ自由になるべきだ。しかし……これをどう思う?」
アクセルは、話をしている間に片手間で行っていた発掘作業において、肉片と化した母親の残骸を白日の下にさらしてこれを指さした。
その肉片はどこの部位だったかも判別困難だが、それでもなお、生きていた。
重みでつぶれ、体液を絞り出しつくし、ちぎれてビロンと拡がった組織片が、互いにくっつこうとしてもがいている。
たったあれだけの時間アクセルと話していた間にも、着実に生前の姿に戻りつつあるようだ。
ビビはこれを見て頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃を覚え、とても立っていられず、喉の奥あたりに酸っぱいものがこみあげてくる感覚を覚えた。
すんでのところでこれを飲み込んだものの、もう肉片がうごめいているところを直視することはできなくなった。
「死なない……いや死ねないのか。先生、一体何があったんだ?
そんなになってまで生きなければいけないのだろうか?
あんた、帝都の宮殿にある何を欲しがってそんなに必死になっていたんだ……?」
「昔話をしてやってもいいが、今はそれほど時間がないようだね。
グリモアを出せ。そう、それだ」
小僧はアクセルに"魔女イザベルの悪魔"のグリモアを強引に取り上げられた。
アクセル曰く、これを使って魔女を殺そうとしても親殺しのパラドックスに抵触し、絶対に殺すことが出来ないとのことである。
取り上げられても抵抗はせず、肉片の蠕動運動を放心状態で眺めていた。
「やれやれ……今がチャンスだよ。お前が自由になれるとしたら。
魔女は早晩復活するだろう。最も危険な"悪魔"の方は封印しておかないとな。
残った本物の方が、むしろお前にとっては危険なんだろうけどね」
「悪魔のほうはお前に任せる。お前にしかどうすることも出来ないらしいからな。
俺はここにいるよ。復活した先生に服を着せてあげたい」
「お前というやつは呆れた奴だな。でも私はお前を見捨てたりはしないよ。
帝都にこい。お前なら容易に死神騎士団に入れることだろう。私はもう行く」
と言って背を向けたアクセルにこんな言葉が飛んできた。
「勝手な奴だ。好きにしろ。
いくらわが子とはいえ、先生もお前みたいなのをずっと追いかけ続けて不憫なことだ」
「なんだ、嫉妬しているのか?」
記憶も定かでいないのに、兄弟はまるで、背丈が今の半分だった頃に交わした喧嘩にも似たやりとりの焼き直しをしはじめた。
微笑を添えた軽い嘲りにも、あのころのような激高を覚えられず不思議と寂しさのような感情を覚えつつ弟のほうが答えた。
「考えておく。いいか、この借りは必ず返す。お前をいずれこの手で……」
「まあ、それもいいだろう。人と人との絆は人の数だけ存在している。
お前が嫉妬する相手はもう私以外にはいないのだからな」




