第26話 運命なのかっ!
やがて、契約していた例の年老いた船頭を水先案内人として、この三十分後には、一行は隣町の波止場へと降り立っていた。
「ご苦労さん。オヤジ、もういい時間だな。先に昼飯食べといてくれ。
俺たちはここから少し行ったところにある、こいつの家に行くんでな」
と、小僧は船から桟橋へと降りながら言った。
波止場に設置された木製の桟橋なので定期的に建て替えなければいけないものである。
今日の桟橋は丁度ローテーションの最後の方なんであろう。今にも海の藻屑になりそうなほど老朽化していた。
四人の中で一番体重が重い小僧が乗って大丈夫なので、その種の心配はいらないと判断したビビと先生も下船。
しかし船頭は怪訝な顔つきで船から小僧を見上げる。
「それはいいが兄さん、あんたいつの間に男になったんだい?
その格好で街に行くのはちょっと……」
若くして軍隊に所属し、デリケートな気遣いなどは得意そうには全く見えないオヤジでさえ気を使いながら教えたほど、小僧の格好は悲惨であった。
履いていたハイヒールは足が大きくなったので途中からは脱いでいたし、肩幅が大きくなったので、ワンピース風のドレスは追剥にでもあったかのようにボロ雑巾と化していた。
服を着ている本人の胸囲および肩幅が、ドレスの制約をぶち壊したからである。
「ああこれか。まあ、いっそのことパンイチくらいなら逆にほら、ここは海沿いだし逆に景色になじむだろ」
「海沿いでもビーチはこのへんにはないぞ。あんたら今時珍しい魔術師なんだな。
服とか魔法で出せたりしないのかい?」
「できる人もいるけどな。先生できる?」
「愚問を。初歩中の初歩じゃ」
「へえ、ほんとに初歩なんだなぁ」
「全くしょうがない……」
と言って先生は指を一振り。それだけで小僧の服はいつも着ているのと同じのに戻った。
彼はいつも旅に適した軽装で過ごしている。暑さや寒さには単純に強いし、物理的衝撃にも常人よりは遥かに強いのだ。
そのため全身を覆う外套を羽織っているだけでその下はほぼ半裸である。
服装を変えないのは単純に面倒だからである。逆に先生は、知り合いが口をそろえて「会うたびに髪型が変わっている」と言われている。
先生の場合髪を切っても二、三年もすれば勝手に伸びるものであり、人間の体感時間で言えばそのサイクルは数週間程度のことにすぎない。
特別おしゃれさんで衣装もちというわけではないが、旅の際に小僧が持たされている先生の荷物のうち半分以上の体積を服や靴が占めているのは確かだった。
先生とは違って自分の姿や格好に興味の薄い小僧は先生に服を出してもらっても軽く手を挙げて礼をしただけである。
出してくれたのがいつも着ている服であることに対しても特にコメントはなかった。
「すごいもんだな。魔術師なんて最近めっきり聞かなくなっただろう」
「五十年前のあの事件が大きかったのじゃろう」
「五十年前って、また俺の知らない昔話かよ?」
「いや、それはお前には関係ない。五十年前はまさに魔術全盛の時代じゃった。
今でこそ科学力も進み、天と地は人々に隠してきたその秘密をようやく明かしつつある。
じゃが半世紀前まではあの昼でも空に浮かぶ月はこの星の衛星であると、知る者はいなかった」
「そう考えると科学者はすごいな。どんな頭してたら万有引力なんて思いつくんだ?」
「そうじゃな。五十年前はそれを恐れた人々の想いが世界にわだかまり、とうとう"魔術師の悪魔"が大暴れしたのじゃ。
それを抑えるため、人々は魔術師を迫害して、悪魔を大幅に弱体化させることに成功したという。
最後のとどめは、二十年ほど前の"魔女イザベル"とその一党との総力戦じゃな。
あれに相当な数の魔術師が投じられ、ほとんどが散っていったと聞く」
「それで魔術師は少ないわけね。
まあ大体のことは機械でできるようになってきたし、段々少なくなって消えていくのかもしれないな先生」
「少なくとも才能のある者はな。しかし新しい世代の子たちにも逸材はいるものじゃ。
修行を続ければビビ、お前は私たちをも超える怪物になれることじゃろう」
「なりませんよ怪物なんか。さっ、行きましょう!」
三人はようやくビビの故郷の土を踏み、海側から陸側の住宅街のほうへと歩き出した。
その後の模様は大幅にカットしよう。大事なのは次の点である。
三人がビビの家にたどり着いた時、当初の予定通りビビは過去を見る眼を発動したわけだが、その際に見た光景を少し説明しよう。
ビビの家は煉瓦と石造りの簡素な家で、築三百年が経過している骨とう品である。
後の時代ならどうか知らないが、この時代においては築年数がものすごく経っている家に住むことはステータスでも何でもない。
家賃が高くなることもない。彼の家はそれほど裕福でもなく、単にこの町に昔から住んでいた町人階級である。
油や薪を燃やしたすすで外壁も内壁も黒く汚れており、まあこれも観光客などには味があって旅行で見にいく価値ありかもしれないが住んでる本人たちにとっては懐かしくて温かみのある、汚い家である。
その家の前に、何故かビビの兄であるバージル・ヴァン・ダイクと、中性的な感じの女が二人立ち話をしていた。
ヴァン・ダイクとはビビの出身地方の言葉で「堤さん」みたいな意味であり極めてありふれている。
日本人で言えば高橋さんや佐藤さんぐらいよくいる名前である。
その彼と一緒にいる女に気が付いた瞬間ビビは声を上げ、過去を見るのを中断したのだった。
「うわっ!」
「ぉおビックリしたぁ! 急に大声出すんじゃねえよ」
「私も今五センチくらいジャンプしてしもうた……どうしたのじゃビビ?」
先生と小僧が胸をどきどきさせながら、軽い怒りすら込めてビビに詰め寄るとビビはこう答えた。
「実は先生、先生があの屋敷で会ったっていう女の人がここにいたんです。殺してほしいっていう兄と一緒に!」
「訳を話せ、ビビ。そもそもなぜ兄を殺してほしいのじゃ」
「そういえば聞いてなかったよな。
別に聞かないままでもよかったが、お前の兄キがアクセルと関わっているかもしれないとなれば話は別だぜ」
「バージルは……兄さんは組織に入ったんです。とても口で言えないようなことをしている悪い奴らだと、シンファミリーで聞きました。
そんなことより僕は……たった一人の家族に一緒にいてほしかっただけなのに。
あの人は変わってしまった。連絡もしてきません。もうこっちから探して殺すしかない……!」
「組織ね。アクセルと関係あると思うか、先生?」
「あの女と一緒だと言っておったな。ならそうかもしれぬな……ビビ、続きを見てるのじゃ」
「はい」
ビビは過去を見る眼しかもっていないので、聞くことは出来ない。
過去に何があったか文字通り覗き見るだけだ。読唇術にも限界があるので、二人が話している内容は断片的にしかわからなかった。
「――なぜ――する気になった?」
とバージルが聞くと女のほうはこう言っていた。
「だって――でしょ。私はあの方の意志に沿うだけ」
「あの方の意志……アクセルがこれを望んでいると?」
「いつ私がアクセル様だと言った?」
「違うのか。まあいい。ビンは?」
バージルが手を差し出すと女は自分の持っていたビンをこれに握らせた。
このビンは真っ黒な何かが充填されており、これは血液である。
つまり他者の魔法を受け渡したということである。
「用意したわ。――の出した条件はあなたを手に入れること。
ようこそ――へ。弟さんはほったらかしで本当にいいの?」
「俺に弟はいない。それとアレは――」
「それなら部下を用意しておいたわ。芝居は上手くやるはずよ。
でも本当にいいの? 遺体は遺体と引き合うわ。いずれアクセル様にもバレる」
「仕方がないだろう。あいつはずっと探していると聞く。神々のリンゴをな。
――はそいつを持ってる。一か八か、そいつに賭けるしかない。
話に聞くアクセルの"宿敵"とやらが本当にいるならの話だが」
「保証する。アクセルの宿敵は存在するわ。弟らしいのよね。
たぶんあなたの弟もアクセル様の弟のようになるかもしれないけど?」
「それは困る。追いかけられたら台無しだ」
「それもそうね」
ビビは、今まで見聞きしていたいろいろな情報をこの少しの間の出来事で整理し、組み立て、推論し、これが真実であると得心した。
他の二人はまだ何もわかっていない。過去を見るのは終わりにして、ビビは知りえた情報を二人に話すことにした。
「二人とも、済みました」
「もういいのか。家の中を見ていくか?」
「それには及びません。どうやら兄は僕を女にした張本人だったようです」
「どういうことだ?」
「あの女はビンを兄に渡していました。そのビンの中身は魔法です。
僕に遺体を渡した老人はあの女と、兄が用意した人だったようですね」
「何のためにそんな回りくどいことをしていたんだ?」
「僕の存在を隠すためだったようです。僕に遺体を持たせたのは兄が居場所を把握するためだったみたいです……たぶん」
「……お前の兄貴、もしかしていい奴なのか?」
「わかりません。いずれにせよ会って捕まえて確かめなければ」
「最初会ったときから奇遇だなとは思ってたけど。
つくづく俺とお前は似たような星のもとに生まれてるらしい。
違うところと言えば、お前は特別な才能があって、俺にはないってところか」
「そんなことは……僕に才能があるって言われてもよくわからないし」
「俺も知らないが、先生が言うなら確かだろう。しかしこんなにすぐここを立ち去ってもいいのかビビ?」
「構いません。むしろあの女がいた屋敷に戻りたいくらいですが……」
「もういないじゃろうな。そういえば名前はわからなかったのか?」
「兄さんは女の名前を呼びませんでした。あまり親しくなかったのでしょうか……?」
「いや。女の気分次第でお前は危うかったのじゃ……バージルとやらは相当信頼を寄せているらしい。
あの女の名前、屋敷で会ったときに聞いておくべきじゃったか」
「あ、女の名前ならわかるぜ?」
「えっ」
「えっ」
先生とビビが異口同音に感嘆しながら小僧のほうを振り返った。全員きょとんとしている。
「なっ、何だよその信じられない爆弾発言をしたみたいな顔は」
「知り合いなのか……?」
「ちょっとおにいさん、どういうことなんですか!? 黙ってたんですね!」
「待て待て、待てってお前ら。いいか、忘れたならもう一回話そう。
俺とビビは性別を変換する魔法を売った奴がいないか探していたんだ。
んで店を見つけてな。店の主人はもったいぶって話してくれなかったが、ビビの見た女がそうなら、つじつまは合うな」
「さっさと名前を言え。どっちがもったいぶっておるのじゃ」
「いてっ。体罰はなしだろ体罰は!」
先生に平手でシバかれながら小僧は別に痛くもないのに芝居で痛がっていた。
茶番である。彼は続ける。
「モードレッド・リーベルプレート。恐らくそう読むんだろう。何者か知らないが捕まえようか」
「やめておけ。しかしバージルも私たちがビビに接触することまでは予想しても、変身魔法を簡単に解いてしまうとは思うまいな。
このことを知れば必ず焦るはず。焦れば判断を誤ってうかつな行動をするかもしれぬな」
「せっかく女の子にしたってのにな。まあ、あんまり見た目変わらなかったが」
「それは同感じゃな」
「先生までひどいなぁ……あの、ところで一つ気になっていたことがありましてね?」
「なんじゃ?」
「あの実はですね。アクセルは神々のリンゴを欲しがっているがために、バージルが僕を隠そうとしていたっていうことだったらしいんですよ」
「ふむふむ」
「そもそもなぜ彼はそれを探していたんでしょうか?」
「私に聞かれても困るのう」
「僕おもったんですけど、もしかしてそれって先生のせいなんじゃないですか?」
「なっ、何を馬鹿なッ。いやまあでも、産んだのは私じゃからそれはそうなんじゃが……」
「急にどうしたビビ。複雑な心境なのはわかるが先生に当たらなくてもいいんじゃないか?」
小僧がかなり穏便になだめるがビビに全く効果はなかった。
「違うんですって。責めてるわけじゃなくて。僕たち、先生に夢を見せてもらったじゃないですか?
過去を見る夢です。その時ルシフェルがこんなことを言ってませんでしたか?
先生は過去を変える能力がある……この夢はまさに過去を変えている最中なんだと」
「だがルシフェルに止められてただろ。あの後の結末も気になるところだな」
「思うんですけど、あの時先生が過去に干渉したせいでアクセルが神々のリンゴを探し出したんじゃないんですか?
あの時僕とアクセルは出会って、この眼に何か力が宿っていることも知られてしまいましたから」
「なんだって。どうする先生。今ちょっと考えてみたけどビビの言う通りじゃないか?」
「むむむ……そこまでが運命だったとでもいうのか……!?」
「何を真剣な顔してごまかそうとしてるんですか」
「すまぬ。お前の言う通りじゃ。私とお前が出会うことも天によって予め決められておったのじゃな」
「こうして三人で一緒にいることは運命だと思うんです。
僕は二人の役に立つためにここにいるのかもしれない。
二人がいなかったら、兄さんの考えてることもわからなかったわけですから。
今度は僕が役に立つ番です!」
「本当にいいのじゃな。ではここにはもう用はない。次の街へ行くとしよう」
「え~? 飯でも食っていこうぜ。ビビ、なんか美味しい店知ってない?」
「それより、シンファミリーがいるアルメリアという町は結構観光地になってるんですよ」
「ほう。じゃあ旨い飯屋もあるってわけだな」
「たぶんお高いんでしょうけどね、観光地だから。それでもいいなら一緒に行きましょう」
「了解だ。ビビ、お前会ったばかりの時とはずいぶん変わったな。よくこの短時間で。
成長したっていうか、精悍になったっていうか、落ち着いてるというか」
「いろんなことありすぎて、もう訳わかんないですよ。今はもう全部胸の奥にしまってるんです。
想いとか迷いとか全部。受け止めきれないから、受け止めないことにしたんです。
とにかく今はやれることをやりたいです。僕は、あなた達の役に立ちたい」
若干ネガティブなことを言った割にはすっきりと澄んだ瞳で自分を見つめ返してくるビビに小僧は笑顔で返した。
「そうか」
小僧はビビの答えに満足し、三人は海沿いのこの町の住宅街が広がる一帯をかなり奥に進んだ先にあるビビの生家に背を向け、港湾まで歩いて戻ってきた。
しばらく三人で談笑していると昼食休憩を終えて帰ってきた船頭も帰ってきた。
重ねて言うが、この船は蒸気機関付きなので船の知識がある者はこのオヤジ一人で十分である。
それから三人とオヤジは数時間かけて近くの観光地、アルメリアという町の港湾部に到着した。
船頭の親父とはここで別れる予定だったのだが、先生と小僧とで意見が対立した。
小僧は船をお嬢様に返して礼を受け取るまでは親父と一緒に行動せねばならないと説いた。
一方先生は、礼などどうでもいいし、船を親父がきちんとお嬢様のところへ返すかどうかについてもどうでもよく、向こうの街に帰る必要も、もうないと主張した。
「おいおい先生、曲がりなりにも便利屋、プロとしてのプライドはねぇのかよ」
「依頼は達成する。報酬はいずれまた会ったときに受け取ればよい。仕事はきちんとする」
「二人とも、何でここでケンカしてるんですか。往来のど真ん中ですよ!」
「オジサンはどっちでもいいですよ」
「ほら、オヤジもああ言っているしさ、先生」
「やれやれ」
先生はため息をついたが、やがて態度を軟化させてこう返答した。
「うむ。オヤジ、私たちもそんなにお金があるわけではないが仕方あるまい。
もう日没も近い……四人で宿に泊まるとしよう。宿代は出す。
安居酒屋で酒を飲んで、宿でおとなしく寝ておれ。わかったか?」
「おお、ありがたい。早速飲もう!」
「現金なオヤジじゃ。港湾の近くは観光地で高いからの。
一時間くらい歩いてディープな地元エリアへ行けば安宿があるじゃろ」
「先生ってきれい好きそうなのに、意外と安宿でも平気ですよね」
「私の生まれた時代はのう……どこの家も大体農家で、家畜と一緒に暮らしておった。
畜舎に動物を入れるという概念自体がなかったのじゃ。文字通り一つ屋根の下に暮らしておった」
「先生の故郷がメチャクチャど田舎だったからじゃねぇの?」
「動物の糞尿やシラミ、ノミ……そして家畜の生首や解体された臓物などが家にあるのは当たり前じゃった。
小僧の言う通りまだ田舎のほうへ行けば、そういう農家も残っておるかもしれぬな」
「それは……ほとんど歴史上の話ですね。まるで奴隷の話みたいです」
「数十年前の奴隷の暮らしも、千年前の百姓とは大差なかったというわけじゃな……千年前にも奴隷はおったが」
「先代の皇帝陛下の時代が懐かしいよ」
「そういやオヤジは、先代のころは現役の海兵だったらしいな」
一行はまだ飲んでいないのに既にお酒が入っているかのように饒舌に話すオヤジの話にそれぞれ別な反応を示した。
小僧は比較的友好的に接し、喜んで話を聞いていた。
ビビは上の空で全く聞いておらず、何度かけつまずいて転びそうになっていたほどである。
先生も興味はないのであまり話は聞いていなかった。
「先代は奴隷制を廃止し、奴隷制をしく敵国との戦争で勝利なされた。
知っとるか。ツーロン攻城戦を」
「知らないなぁ」
「中世以来海上交通の要衝だったトゥーロン島とトゥーロン要塞があってな。
百隻近い戦艦のすさまじい艦砲射撃で、難攻不落の代名詞とされていた城があっという間に木っ端みじんになったんだ。
城内にいた兵士や女子供一万人。一人残さず瓦礫に埋もれた。あの時の軍艦の一隻にワシもいてな。
あの光景は胸のすくような思いだった……その後のトラファルガーの戦いは?」
「知らないなぁ」
「全く最近の若いもんは歴史を知らんから困る。はやりのファッションだのにしか興味がないんだろうなぁ」
「そんなことはないが……」
「いいか若いの、ワシの働いていた軍艦プリンツ・オイゲンはツーロン要塞陥落後に間髪を入れず次の戦に向かった」
「プリンツ・オイゲンて今いるよな。現役で。確か三代目皇帝になるんじゃないかとかいう」
「その方は五百年前の英雄プリンツ・オイゲンにあやかって名付けられたんだな。
戦艦も同じだ。トラファルガーの戦いでは艦砲射撃にはやられまいと向こうも軍艦を出してきてな。
これに勝ったほうが戦局をほとんど完全に支配する。戦争の行く末を決める大決戦だった。
トラファルガー海峡を破れば、内陸部への陸軍の補給、兵站拠点が築ける。
そうでなければ内陸の首都を攻め落とすことは絶対できない、そういう戦いだったんだ。
まっ、陸軍は海軍におんぶにだっこしてもらわないと、何もできないってわけだな」
「ハイハイ、陸軍と海軍はどこの国も仲悪いって聞くけど本当らしいな」
「オジサンは本当のことを言っただけだ。それでな、トラファルガーでは重要視されていなかった駆逐艦がな――」
オヤジの武勇伝はとうとう先生が言った通りに一時間も歩いてディープな安宿に到着するまで延々と続いた。
要約すると親父たちの乗る船を指揮したのは、ツーロン城塞攻略戦のあとトラファルガーの戦いでも続けざまに勝利した伝説の提督デーニッツだったという。
伝説の提督は巧みな戦術を駆使して敵と戦い、下で働く自分たちもよくこれに応えたのだと鼻も高々にオヤジは自慢していた。
当時は戦艦の主砲で敵を粉砕するのが基本であり、それ以外の海戦など考えられなかった。
ツーロン城塞の場合は、大砲という概念のない中世の時代から存在していたので艦砲射撃には弱かった。
それ以降の時代には城の砲撃対策として城壁を重層構造にして、砲台を取り付けたり、そもそも最初から沿岸部に城を置かなかったり、根本的解決策として、守備側も軍艦を配備するといった対策がされていた。
そのくらい、城壁を無効化する砲撃と火薬と衝撃という軍事革命の影響力は長きにわたって大きかった。
しかし大提督デーニッツは時代の潮流を逆手に取り、比較的小さな船で大戦艦に近づき、近接戦闘でこれを沈めるという作戦をとった。
本人も後に「二度とは通じない奇策」と語っており、提督が勝利したトラファルガーの戦いの影響で、大きな戦艦だけではダメで、駆逐艦で回りをガードするという戦術が一般化していった。
ただ、それももうすぐ終わり、これからの時代は戦艦ではなく空母の時代となるだろう。
この後のことはあまり特筆すべきことはなかった。安宿の近くの安居酒屋でオヤジは飲み、お子様ビビと先生、小僧は安宿で出してもらった質素な晩御飯で満足し、眠りについた。
その夜先生は変な夢を見せることはしなかったが、その代わり朝起きると冗談か白昼夢のような出来事が待っていたのだった。
いつの時代も海に面したところでは漁師がおり、漁師には昼も夜もあったものではない。
そして彼らが船に乗せてきた魚介類を売る市場があり、港町の朝はとても早い。
先生はこの町にやってきた翌朝、眠たい目を擦りながら小僧と一緒にならんで道に座り、看板を立てて店を出していた。
いつも新しい街に来ると彼らはこうしているのだ。お仕事何でもやります、悪い魔法使い殺しますなどだ。
しかし今回は便利屋の仕事を請け負いたいのではなく、ファミリーをおびき出したいというのが大きい。
普通、どこの町でもこういった新参者がお客がたくさん来て儲かる観光地の繁盛している大通りで商売をするにはまずそのあたりを取り仕切っている人にあいさつをする必要があるのは、商売人ではない筆者でも知っていることである。
もしもそれを怠れば、最悪怖いおじさんが現れて脅迫したり嫌がらせ、営業妨害を食らうこともあるだろう。
恐らくこの町でその役割をしているのはシンファミリーだろうから、二人はこれを挑発しようとしていたのである。
ビビはまだ宿でぐっすり眠っていた。オヤジは宿にいなかったようだが、赤ちゃんでもあるまいし二人は特に心配はしていなかった。
朝も早い時間に第一お客さんがやってきた。それは三十歳くらいの主婦風の女性だった。




