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第16話 シャワールーム

「何をしている小僧っ」


「ケルベロスの言う通りだ。何の冗談だそれは?」


小僧は平然とした顔をしてアクセルに答えた。


「魔女は言った。自分の心臓は俺のものだと。俺が殺すのは構わないがお前が殺すのは許さない!」


「殺しはしない。封印するだけだ」


「同じことだろ!」


「聞き分けのない弟だ!」


などと言いながら結局兄弟は戦いを始めたのだった。だが、その模様を描写するには彼らの戦いはあまりに短すぎた。

二人の衝突に介入したのはやはり、ケルベロスの上に乗っているのでとっさに動き出せない先生ではなく魔女だった。


「あぶなっ」


「今度は割り込んできて……何のつもりだ?」


「アクセル、お前は己の存在意義や生まれた意味を考えたことがあるか?」


藪から棒に魔女からそんなこと聞かれて普通なら多少はたじろぐところだが、アクセルは眉間に深くしわを刻みながら、片頭痛でも起きてるかのように顔をしかめて不快そうに吐き捨てた。


「そんなものはこの世に存在しない」


「それでは私たちは分かり合えないようじゃな」


「分かり合うつもりもない。消してやろう」


アクセルはどこから取り出したのか、さっきまでは携えていなかった長剣を振った。

振った、というのは、剣をどこからにせよ取り出す瞬間も斬る瞬間も誰にも知覚されない一瞬の出来事であったため、描写しようがないためだ。

そのため振ったという結果だけを伝えるしかない。目の前で母親の肉体が崩れ、それを暫時、何事かを思いながら見つめていたアクセルだった。


「てめえ!」


と、食って掛かろうとする弟をアクセルはため息をつきながら呆れたような態度で制した。


「待て、リアクションは後だ」


「小僧、それにビビも黙っていたほうが賢明じゃぞ」


「何だって先生?」


「オルトロスが……慄いている……!」


「でかい図体しやがって」


オルトロスはビビを頭の上に乗せている。体重比で言えば乗っていることにも気が付かないくらいだ。

その巨獣がまるで主人を迎える犬のようにはいつくばって胸まで地面に押し付け、あごを床に置いて上目遣いで空を見ている。

つられてその目線のほうを向くと、アクセルがなんに気が付いたのか小僧にも理解できた。


空の北の方角。わずかに雲の出ているほうから、渡り鳥のようなものが近づいてくる。

かと思いきや、渡り鳥ではなく黒羽をまとった人間のようなものが二人、あるいは二羽、こちらへまっすぐ向かってくるのだ。

仲良しなのだろうか。並んで飛んできたかと思いきや、何故か一羽のほうは小僧の前で着地した。


不思議な姿だった。一糸まとわぬ女性のような体つきだ。そして背中には羽。

鳥は腕と翼が一体化しているわけだが、この怪しい人物の羽根の構造は昆虫に近い。

つまりは、手足が二本ずつあるのとは別に背中に羽根もついているというわけだ。


羽根以外には文字通り一糸まとわぬ姿だ。顔も整っていて髪は羽根と同じく烏の濡れ羽根色をしていて、つややかに輝きながら長髪を無造作に背中へ流している。

それらを他人に見られて恥ずかしいという人間のような感性も、期待しないほうがいいだろうと小僧は思った。


「お歴々が雁首揃えてご苦労様。この世で、他にこれほどの魔力の持ち主たちを集めることは不可能だろうね」


「音の悪魔か。ここに何の用だ?」


アクセルは悪魔が二人ほどやってきているにもかかわらず涼しい顔。

一切媚びへつらいもせず、恐れもせず、フラットな態度だ。仮に部屋に虫が出たとしても、同じような口調、同じような表情で同じことを言って虫を追い出すことだろう。

音の悪魔、と呼ばれた女性っぽい姿の悪魔とは別のほうの悪魔がこれに答えた。


「すげぇ魔法使いが勢ぞろいしているようだ。

挨拶をと思ってな。イヌども、お利口にしていたか?」


「はい、抜かりなく」


「地獄のほうは大丈夫でしょうか?」


どうやらケルベロスは己が守っている冥界の門のことを心配しているようである。


「大丈夫だ、どうせ地獄なんて入りたきゃ入らせてやればいいんだからな。

まあもっとも、出るとなるとそれなりの覚悟がいるが。

おっと忘れるところだった。貴様が例の……ほら、あれだアクセルくん」


「魔女イザベルの悪魔、だ。新しい悪魔だな。新しい悪魔が生まれるなど何百年ぶりか……?」


「そうだな」


「おい、あんた」


「小僧、バカ!」


と先生が止めても、さすがにもう遅い。比較的男性風の姿をした鳥人間、というか悪魔に小僧は声をかけ、悪魔もこれに向き直った。


「ふむ、魔力量は立派だが話に聞いていた通りだな」


「アクセルからか?」


「ほかにいるまい。お前はだめだな。見込みなし」


「なんだと!」


「全く、狂気の母親と狂気の父と狂気の兄に囲まれて、どうやってそうも他者にやさしく育ったのか……?

逆に面白い奴だ。ある意味お前が一番狂気とも言えるがな」


「ということは、あんたの親はよほどクズみてぇな性格らしいな」


「フフフ、そうなんだよ。全くその通りだ」


「小僧、お前今話している男がだれか……知らないのか。なんとなくこう、オーラでわからぬのか!?」


「そうじゃぞ。とりあえず平身低頭しておけ!」


などと、上から母親に説教され、下からはアクセルに真っ二つにされた偽の母親に言われて小僧は軽くパニックに陥った。


「ちょっと上から下から……いっぺんに言うな!」


「自己紹介をするのは久しぶりだ。俺の名はルシフェル。この世界の神だ」


「はい?」


小僧にはもっと説明が欲しいところだが、これ以上の解説はアクセルのわずかな言葉のみにとどまった。


「悪魔は司る物の名で呼ばれ、真名は隠すのが通例だ。だが彼だけは例外。

しいて言えば"世界の悪魔"と呼ぶのがふさわしいか」


要するに、この世界の悪魔と呼ばれる存在は、簡単に言えば人々の陰鬱な気やマイナスな想い、よどみなどが凝り固まって形成された魔力の塊だ。

塊は核を必要とする。その核は、たとえば"暗闇への恐怖"や"飢餓への恐怖"というわけだ。

ルシフェルにそれはない。人間が存在するよりも前に彼は神によって創られたので、根本的に全く違う存在である。

悪魔は人間によってはじめて存在し、生まれるが、その人間を作ったのは、ルシフェルである。

ということからも、他のすべての存在から明らかに彼一人だけが隔絶していることがわかる。


「よせよ、照れる。まあ事実だけど」


なお、ルシフェルは傲慢の罪で堕天したと言われるだけあって、ほめられるとちょろい性格だ。

無力で愚かで下等な人間が、しょうもないお願いなどをしても、褒めれば無料で言うことを聞いてくれることが多い。

だいたい、彼は長生きなので基本ヒマで仕方ないのである。

関係ない人にいたずらをしたり、わけのわからない芸術作品を作ってみたりしながら暇つぶしをしているので、気まぐれで人助けをすることくらい、いくらでもあるだろう。

ちょっと頬が緩んでるルシフェル。彼は自分とアクセルの関係性についてはこう語った。


「俺はアクセルとは百年来の友人でね。

こいつが若くして実の父親を殺したところなんか、なかなかイカしてるだろ」


「どこがだよ!」


「孤独の悪魔も俺の友人だったがね。知ってるか。悪魔は死んでも地獄へ行かない。

イデアの中へと帰るだけなのだ」


「あの、先生、イデアって?」


と小僧が小声で聞くと先生も小声で答えた。


「魔力が存在するとされる次元じゃ。我々はその次元を開いて魔力を引き出し、魔法を使うのじゃ」


「じゃあ、魔力そのものに限りなく近い悪魔は死んだらそこに溶けちゃうんだな」


「言ったろう。生まれたところにだけだ。そしてここに最も古い悪魔と最も新しい悪魔が存在するわけだな。

だが、確認はもう十分だ。ほれ、受け取れ小僧」


「はい?」


小僧はなぜかルシフェルから本を受け取った。どうやら、グリモアらしかった。

誰のグリモアであるかは聞く必要もなく、わかり切っていることだった。


「まさか音の?」


「喜べ。悪魔からの逆オファーはそうそうあるもんじゃあないぞ。

まあ、お前はアクセルほどは見所ないが割といい線行ってるとこの俺様が保証してやろう」


「そりゃどうもね」


「ふふ、よろしくね」


小僧は、謎の美女、音の悪魔が笑いかけてきたので反射的にオウム返ししてしまった。

これも優しく人当たりが無駄によいがためのサガである。


「よろしく」


「さっきまで彼女とはいいジャムセッションが出来ていたのでな、フィーリングはバッチリだ」


ルシフェルからのお墨付きは、人間にとってもいい音楽を音の悪魔が奏でてくれることを必ずしも保証しないことは、わざわざ言うまでもない。

さて、バンド仲間を目的の者に引き合わせるとルシフェルは満を持してこう言いだした。


「えへん。はいはい注目。音の悪魔も小僧にくっつくのはその辺にしておけ。

いいか、俺が来たのは二人を引き合わせるためだ。そして俺は……!」


「俺は……!?」


「おおっ、お前は真剣に人の話を聞いてくれるタイプだな、今時珍しいぞ小僧。

全く最近の者ときたら。聞いてないことベラベラ気持ちよさそうに話す癖に、自分は人の話を聞く気がないのだからな。

おっといかん。愚痴ってたら話が進まないな。いいかよく聞け!」


さっきたっぷり間を取ってじらしたのにまだルシフェルはじらす。それだけ注目されたいのである。

ルシフェルのそれはまさしく筋金入り。

それによって堕天してからどれほどの歳月が流れたのかは本人と神ぐらいしか知らないだろうが、それでも一向にその傲慢で注目を浴びたがる性格は直る気配がなかった。


「お前たちの夢を終わらせに来たのだ。全く、過去を改変するとは恐ろしい術を使う」


「えっ」


「記憶を追体験させるだけならよいが、それ以外のことは俺が許さん。

今よりもっと前にさかのぼればアクセルをどうにかすることもできるだろう」


バッ、という爆発したような音とともにルシフェルが手から光のようなものを出したかと思ったら、小僧とビビは朝日を顔面に受けて目を覚ましていた。

ビビの隣では、朝に弱い先生が、眠りながらも眩しそうにしながら眠りこけているところだった。

悪夢を見た。記憶はすでにぼんやりとしてきたが、とにかく怖い夢を見た。とビビは思った。

小僧は顔を洗って、寝汗をかいた服でも着替えるかと計画し、宿の共同シャワー室にいくと、ビビも同じように考えたのか、シャワー室内で鉢合わせた。


「ようビビ。裸を見るのは初めてだな」


「お兄さんこそ。ていうかやっぱりあるんですね。オ〇ンチン」


ビビは実のところ女の子になってだいぶ日が浅いのである。

そのため、うっかり男のつもりで小僧にかなり近い距離間で接してしまった。

なんと女の子の姿で恥じらいもなく、素っ裸で、やはり同じく素っ裸の小僧の股間を凝視しながら指さしたのである。


「うーむ、こういうしょうもない日常的な会話をしてると、あの夢の実感がわかなくなってくるな」


「ルシフェルに会ったんですよね、僕たち」


「ああ。話はわかったぜ。要するにあれだろ。

先生は昔、時空をゆがめるほどの魔力でもって、過去を変える計画を立てた。

ところがルシフェルが感知してこれを邪魔してきた。わかるかビビ」


「はい?」


「アクセルを何故特別視するのかは知らないが、これで一つわかったことがある。

ルシフェルでも、事前に察知して対処しとかないとやばい魔法が使える魔術師が存在するということだ。

先生のようにな。悪魔はそのボス格といえど決して倒せない相手じゃあない」


「だといいですけど。でもお兄さん。なんか忘れてないですか?」


「なんだ?」


「ほらやっぱり忘れてる!」


「えっ?」


「あのですね、僕は僕の仇と、それと女を男にする魔法使いを探してるんですよ!?」


「そうだったな。まあ遺体探しのついでにやるさ」


「まったく。釘刺しといてよかった。あ、そうそう」


「どうかしたのか?」


「アクセルって人。結局何がしたい人なのか、いい人なのか悪い人なのかわからなかったですね」


「ああ。俺もお前がアクセルについて知っている以上のことは思い出せない」


「今も生きているんですよね。なんだかんだ言っても母親である先生のことを守ろうとしていたのは間違いなさそうでした。

それであの、えっと、聞きにくいんですけど先生がいないので……あのっ」


「なんだよ」


ビビは声を潜めて小僧にこう聞いた。


「あの、先生って結局魔女なんでしょうか。それとも一応は吸血鬼の血が入った人間なんでしょうか?」


「先生が人間かどうかは怪しいがな。ただ、グリモアに手を触れることが出来ている以上、悪魔ということはありえない」


「あ、そっか。言われてみれば間違いないですね!」


「だろ?」


「でも魔女はどこへいってしまったんでしょうか。

魔女が死ぬと先生も死ぬらしいんで、生きていることは多分間違いないと思うんですが」


アクセルは必死になって魔女イザベルが殺されるのを止めようとしていたことがあることを小僧は思い出した。


「それは俺も気になっていた。アクセルがどこかへ監禁でもしているのか……?

つくづく先生は監禁されるのが得意らしい。ただ、もうそろそろいいだろう」


「そうですね。こんなところで話しているより、先生本人に直接聞かないと!」


「ああ。先生が夢を俺たちに見せたってのはハッキリしてるんだからな」


「でも、自分の口から言いたくないから夢を見せたんじゃ?」


「今更何言ってんだ。俺も付き合ってやるから、行くぞ」


ということになったので二人は風呂もそこそこに、着替えて先生の寝ているベッドへ向かった。

そして静かな寝息を立てて眠っている先生を確認したところで、大事なことを失念していたことを悟ったのである。


「……先生、朝遅いんだったわ」


「棺桶で寝たり朝日を浴びると消滅しないだけマシかな……?」


「起こしても絶対起きやしない。

時間を無駄にすることはないだろ。情報収集をするぞ、ビビ」


「ですね」


「メシでも食べに行くか。海鮮パスタ食べたい」


「えっ」


ビビは怪訝な顔を作ってこう聞いた。


「またですか。よく飽きないですね」


「俺たち、この町までの旅で山とか高原とかばかりのところをさんざん通ったからな。

海の幸は新鮮なんだよ。お前は地元だから慣れてるかもだが」


「地元ですからね。そういえばあの夢は何年ぐらい前のことなんでしょうか」


「最低でも二十年くらい前?」


「セラとかいう人との出会いは結局あれだけで……あの孤児院はどうなったんでしょうか。

あの場所はどこなんでしょうか。あの城から逃がしてあげた子供、元気かな」


「さあな。占い師が生きているのは確かだけど」


「正直、もうこの地方よりあのどこか知らない昔の町のほうが故郷のような気になってます。

どうにかして行けないでしょうか……?」


「行っても何もないだろうよ。時代も変わったし……行くぞ、ビビ」


「わかりました」

年内はこれで最後です。よいクリスマスとお年を。

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