第11話 血水に染まらぬ羅紗の衣
「ああ、それだがなぁ……あっ、人だ」
「人だな」
小僧が指さす先には人がいた。若い女のような風貌だ。見たことない顔である。
その女の後ろには、長い長い一本道の先に城館がある。
「お待ちしておりましたアベル様。イザベル様がお待ちです」
女はメイドさんみたいに丁寧な口調で言った後、九十度くらいに上半身をまげて深々と頭を下げた。
「なにっ」
「しかし……?」
女は小僧の隣のアルを不思議そうに見つめていった。そしてこう続ける。
「アベル様。隣の方はアクセル様ではないのですね」
「そうだな。アクセルは来ない。どうするアル、お前も来るか?」
「息子というのは疑っていたが、本当のようだな。俺も行こう」
小僧は誰だかもわからない女を加え、城館への一本道を歩きながらアルに先生について説明しだした。
「母、イザベルのことについて俺は記憶喪失だったんだが、ぼんやりとだけだが、思い出してきたことがあるんだ」
「なんだ?」
「母は吸血鬼の血を継いでるとかいないとか。とにかく、夜を生きる種族なんだ。
だから大抵朝起きるのが遅い。あと、基本的に日中は肌を出さないことが多いな。
基本厚着でいることが多い。まあ日光を浴びても死にはしないが」
「吸血鬼ということはやはり何百年も生きているのか?」
「アルのいう通りだろう。俺は血を吸われたことはないし、吸ってるところも見たことはないが」
「お前には血など流れてないようだからな」
「うるせーよ。それで、容貌もまあ、若くて美しいわけだ。
とはいえ吸血鬼の血を引くというのならそれなりに血を必要とするはずだ。
さっき、イザベルが力をつけた理由がお前のお気に召すものじゃないかもしれない、といったのはそういうことだ。
イザベルは他者の血を取り込み、己の力とすることができる。
魔術の研究や練習に費やせる時間も、普通の人間とはケタ違い」
「マフィアとつながっているといったのはそういうことか?」
「ああ。血を買い取るマフィアはイザベルと繋がっている可能性が高いだろう。
それでお姉さん、そこんところどうなのよ。俺らの想定は当たってるかな?」
「イザベル様が血を召し上がるのは事実です。お客人もぜひ、こちらへ」
「余裕って感じだな。不老不死の怪物……魔女イザベル。俺の骨は拾わなくてもいいぞ」
「おいおいやる気かよ。無謀というか、無鉄砲というか」
「なんとでも言え。俺はイザベルに個人的恨みはない。
だが俺は俺の器を推し量るため、今日この日お前の母親を斬ろうと思う」
「お好きにどうぞ。できるならな」
などと軽口を叩きながら一本道を進んでいく三人組。
長いとは言っても、徒歩で数分歩けばもうそこは目的地だ。
この町は内陸部にある。普通、内陸部より沿岸部のほうが栄えている。
実際、東京、大阪、名古屋、博多など日本を例にとると栄えている街のほとんどは沿岸部の低地に存在している。
そのため地球温暖化で海面が上昇することがあると、これらの土地が水没して日本の人口のほとんどが住む土地を追われる、などといった問題はよく取り上げられる。
逆に内陸には陸路を行くしかないので、どこの国でも人は少ない傾向にある。
海がなく四方を他国に囲まれた内陸国など、国は貧しいのに輸送量は高くついて、物価は高いということもしばしばだ。
だが、この町は大きめの河のそばに作られた古くからの町で物流は活発だ。
それはひとえに、この町のそばを南北へ流れる大河が非常に長大であることによるところが大きい。
川幅は狭いところでも数キロメートルあり、びっしりと川岸に町が作られている。
これは実際にドイツなどでもみられるのだが、川岸に多くの城が建っている。
その城は領主たちの兵士が詰めており、川を流れて荷物を運ぶ商船から交通量をとる関所の役目を兼ねていることが多かった。
その例にもれず、この町の領主も領内の産業などは栄えていないものの、交通量での収入が多く領主の金回り自体はよかった。
そしてその金は領民には還元されず、もっぱら魔女イザベルに貢がれていたのだった。
「これ見よがしだねぇ」
「まるで魔窟といった風だな」
などと小僧とアルは城のそばへ来て嘆息した。
この町はそもそも、領主様によって支配された立派な国である。
面積は埼玉県ほどしかないのだが、経済力もあるし、"帝国"という枠組みに位置しながらも一応は独立をしている。
その国旗はこれを治める貴族家の紋章そのものであり、左手にある城には大小さまざまな尖塔が作られている。
そのてっぺんに紋章をかたどった旗が大きく掲げられている。
右手にはちょっとした民家ぐらいの大きさのクリニックがあって、ここで血を抜いているのがわかる。
そしてそのさらに右手には、左の城主の城をもしのぐ大きな城があり、しかも意味深なことに、その城には赤色が多くあしらわれている。
なんと数十にも及ぶ尖塔のてっぺんには真っ赤な旗が掲げられ、わずかに風に揺らいでいる。
城を作っている石垣自体は基本的に白色なのだが、屋根に赤いレンガ使用した塔や窓などがバランスよく配置され、赤い旗とはなるべくケンカしないように計算がなされていた。
ここに吸血鬼の血を引く女が、魔女がいることは遠目からも明白なことだった。
左手の領主の城よりも新しくて大きなものを作らせるとは嫌味なことである。
「右手の城に行けばいいんだな、お姉さん?」
「はい。あの方がお待ちです。しかし先ほどから気になっていたのですが」
「ん?」
「本当に私のことを覚えていらっしゃらないのですか、アベル様?」
「えっ。俺たちあったことあったっけ?」
若い女は悲しそうにうつむいた後、マネキンのような無表情へ戻った。
そして後ろの男二人と同じく右手の城を見上げ、話を続ける。
「まあいいでしょう。私とあなたとでは身分違いですから」
「おいおい……なんか俺が悪いみたいじゃねぇか」
「そんなことは。こちらです」
「いや。まどろっこしいぜ。自分の家に入るのにノックとチャイムが必要か?
俺は空中を行くがお前は、アル?」
「俺は普通に玄関から入るとしよう。お前と違って、母親から玄関ドアの使い方を教わっているのでな」
「口の減らない野郎だ。悪いがそいつを案内してやってくれ。それじゃあな」
そういって小僧は空中を歩き出した。
基本的に、この世界の魔術師はほかの有名な作品に出てくる魔法使いたちと、多少の差こそあれ同じようなものだと思ってくれていい。
ほうきを使って空を飛び、怪しげな薬を釜で煮込み、杖で魔法を使うのだ。
問題はこの作品に登場する人物が、ほとんどの場合それらを省略して身一つで奇跡を起こせる規格外の存在ばかりなことだ。
普通空を飛ぶのにほうきを使うのが当たり前だが、小僧は魔力で足場を作り空中を散歩できる。
神業といっても差し支えない高等技術だが、アルや小僧、先生レベルの魔術師ならばできて当然の芸当である。
いうまでもなく魔法には呪文の詠唱が常識だが、小僧や先生のレベルになると生まれてこの方詠唱なんてしたことがない。
まるでゲームのバグのように小僧は軽々と空へ浮かび上がり、口笛を吹きながら赤い尖塔を迷わずめがけて歩いていく。
そこに先生がいることは知っているのだ。そこに、すさまじいほどの魔力が存在することを彼は知っている。
やがて、第六感ではなく通常の感覚器官でもそこに尋常でないものが存在することを、小僧は了解し始める。
互い違いに積まれた小ぶりな灰白色の石垣の群れが幾何学的な模様を作って下へ下へと吸い込まれていく。
すると突然視界が開けて、もう少し高度を上げて地上から百メートルくらいのところから見下ろすと、城主のためだけの特設プールが眼下に見受けられた。
何故城主のためだけのといえるかというと、プールサイドにはパラソルがあって、その下にベッドがあって日光浴を楽しむものである。
だがこのプールサイドにはそのようなものはなく、プール自体が石垣に覆われている。
プールの北側のほうにのみ出入口が設けられており、小僧はそこから、プールに入っている人物がいることをも発見した。
「ドラキュラ城の城主……伯爵様のお出ましってわけだ。いや、ドラキュリーナかな?」
などと言いつつ空中散歩を途中で中断し、小僧はプール北側、出入り口に降り立った。
もちろん日中なのでプールの中は暗く、また北側なので小僧の影がプールのほうへ延びるといったこともなかった。
逆光というほどではないが、出入り口にいる小僧から中の様子も、また、中の者からも出入口のほうは見にくかった。
「ただいま、伯爵」
「アベル、アベルではないか?」
少女のように高くて、そしていかにもうれしそうな弾んだ声。
ざばっ、じゃばあっ、という水をかき分ける音が聞こえるとともに水しぶきが飛び、頭が痛くなってくるような臭気が鼻をつく。
「うくっ」
思わず小僧はうめいてしかめ面し、顔を伏せたほどだ。おびただしい数の人間から搾ったような血の匂い。
錆びた鉄の匂い。ドス黒い血の色をしたプールの液面は、あまりにも室内の様子が暗いので水面というよりも漆黒の闇のように見える。
そんな中においても、いや、だからこそ。
病的に青白い肌をわずかに闇の隙間からさらし、一糸まとわぬ裸なのも気にせずにこちらへ泳いでくる先生が一種、宗教的なまでの美しさで小僧に牙をむいてくる。
牙をむくというのは、確かに先生が小僧に笑顔を向けると必然的に威嚇のように犬歯を見せることになってしまうことを言っているのだが、それだけではない。
こちらへと弾けるような笑顔を向け、心底嬉しそうに急いで泳いでくる先生のあまりの美しさに決心が鈍ってくるためだ。
先生を殺さねばならないという決心をだ。これだけの血、買い取ったものなどではない。
魔女イザベルがいくら強さから恐れられているといっても、強さだけでそこまで恐れられるわけはないのだ。
この世の血をすべて飲みつくさんとしているかのようなこの血の海が、一人や二人ではきかぬ、もっと大勢の人間を殺して絞った血であることは明白。
先生を、殺さねばならない。その決心も笑顔を見ていると鈍り、腐り落ち、頭の中から消えていった。
「ああ、アベルよ。一体どこへ行っていたのか心配していたぞ」
先生はとうとうプールサイドに手をかけると、そのままプールから上がった。
あまりにきめ細かな肌はほんのわずかの血の余韻も許さず、上がったそばからどんどん血がしたたり落ちて、傷一つない肌は曇りなく白く輝いていた。
だが血を吸った後ろ髪によって、美を追求した彫刻家の力作が動き出したかのごとき非人間的な容姿の母親が、掛け値なしの化け物だと教えてくれる。
なのに、それなのに、小僧の頭の中の危険信号はあふれ出す愛しさと嬉しさで塗りつぶされていた。
「会いたかった。先生。この町にいるかもとは聞いてたが、こんなに早く会えるとは」
「これこれ。しょうがないやつじゃ」
先生はハグしたあと、軽く息子の頬に小鳥がついばむようなキスをし、このように聞いてきた。
「このような格好で済まぬが、まずは礼を言っておこう。
アンナにも探しに行かせようと思っていたところなのじゃが、まさかお前のほうから会いに来るとはな」
「お礼?」
「死神騎士団を撃退してくれたんじゃろう。ここにいるのはお忍びなのじゃ……面倒ごとが減って助かったぞ」
「そうらしいな。俺は死神騎士団との激闘の末、しばらく寝込んでたようだ」
「大変だったのう。私が行けばよかったか」
「それには及ばない。会いたかった、先生」
「私もじゃ」
「実は今俺の仲間がアンナ……だったか。若い女に連れられて上がってきてる。殺し合いになるぞ」
「相手が強ければの話じゃがな」
「その前に聞きたい。先生、俺は何だ。俺は人間なのか……?」
「答えてやってもいいが、確認するぞ。お前は夢か?」
「なにっ」
「その様子じゃとお前は夢を見ているようじゃな」
「夢だと。そうだ、忘れるところだったぜ。俺は夢を見ているんだ」
「お前は夢を見ておる。よいか、それは私の魔法じゃ。夜をつかさどる私には造作もないことじゃ」
「つじつまが合わない。俺は過去の夢を見ているのか……?」
「お前の今見ている夢は正確には私が作り出した"幻術の世界"なのじゃ。
どのような夢を見るかは私も操作しているわけではないが、私は今同じ宿に戻ってベッドで寝ている」
「なにっ。それじゃあビビも?」
「ビビも夢を見ておる。私はその横に寝ているのじゃ。
そして小僧、この過去の世界の夢は未来に影響を及ぼす」
「なにっ。未来に。余計につじつまが合わなくなるぞ、未来が過去に影響を与えるなんて」
「こうなることも含めて運命なのじゃ。何か聞きたいことでも?」
「そっ、そうだ!」
小僧は混乱していた頭を整理し、言うべきことを見定めてこう言った。
「あのさぁ先生。思うんだが俺は何なんだ。俺といいアクセルといい、人間ではないんだろう。
先生の息子とは言っていたがどうにも信じられん」
「正真正銘私の息子じゃ。まあ確かに通常の子供の作り方とは違う部分もあったが」
「どういうことだ?」
「あのお方……お父様はマクスウェル・ヴァン・ホーエンハイムと言ってな」
「ふむふむ。マクスウェルから名前をとってアクセルが生まれたんだったな」
「そうじゃ。私はあのお方に心底惚れておってな。私のほうから押しかけ女房的なアレだったのじゃが、まあ聞きたくはないじゃろう」
「そりゃ親の恋人時代のあれこれはな。それで?」
「あのお方は万学の祖とも言われる万能の天才で、中でも錬金術がお好みでのう。
その研究で、私とあの方の細胞から取り出した因子を使い、人体を錬成することに成功したのじゃ。
最初にできたのがアクセル。次に一か月後、お前を作ったのじゃ。次に女の子を作ろうと言っていたのじゃがのう」
「失敗したのか?」
「その前にあの方は亡くなったのじゃ。お前たち兄弟が父親の顔を知らぬのも無理はない。
私が出会った時点であの方は六十過ぎ……私は三百歳であった」
「それは先生がジジ専なのか年下好きなのかもうわかんねぇな」
「失敬な。ただ、人体錬成の研究で気づけば二十年経っていたのは確かじゃ。
人の一生は短い。私のそばにいてくれる不死の存在を作れとあの方は言ってくれたのじゃ。
その代わり、私も子供たちのそばにいろと」
「それは分かったが……いや、教えてくれてありがとう……畜生、頭が混乱する!」
「何より私とお前の魔力が高く、同じ夜の種族の血を引いているからこそこうして現実に影響を与えるほどの夢を作ることができるのじゃ」
「で、三十年前の先生はなんだって血の海となったプールで優雅に泳いでんだ?
何百人殺したらこんなに血が出るんだよ。とんでもねぇな」
「私を殺して見せろ。お友達と一緒にな。夢は現実に影響を与える」
「答えになってねえぞ!?」
その時だった。ドカン、というありきたりな爆音とともに石垣で作られたプールを覆う建屋のようなものが跡形もなく吹き飛んだ。
数千から数万はあろうかという細かい瓦礫が南へ向かって吹き飛び、プールの北側にはアルが仁王立ちしていた。
完全に、いつの間にやらギャグじみた風貌である。
腕にはニンニクで作られたブレスレットをしており、首にはもちろん金メッキのロザリオ。
右手にはいつものナイフではなく白い杭を持っているではないか。心臓にでも刺す気であろうか。
先生はいつの間にか不機嫌そうに眉根を寄せつつ、プールの中にちゃぷんと浸かっている。
身内以外の男に裸を見せるのは抵抗感があるのかもしれない。
最近、予約投稿を忘れすぎて日曜夜がデフォになっている。




