適合者(ザリチェ)
長い間申し訳ありません、お待たせしました。
アリスを丁重に迎えたシャルルと名乗る男性。いや、少年と言った方が正しいかもしれない。それほど彼は若く、幼く見えた。
アリスはもっと年配で、優しげな男性を想像していただけに驚きは隠せない。建物の外観、そして内装を見た限り、この屋敷の主とは到底思えない華奢な少年であった。
見た目で言えば恐らくアリスより年下に見えた。まだ少し距離はあったがきっとアリスより身長も低いだろう。見た目とのギャップに戸惑っているアリスを気遣ってか、カインがそっとアリスの背中に手を回してもっと中へ入るように促した。
それより先にヴァンはズカズカと中へ入って行くと、部屋の中央に鎮座しているソファのひとつへ腰掛けた。そして余裕の表情をしながら片手でソファをぽんぽんと叩くようにして、どこでもいいから自由に腰掛けろとでも言うように無言で示した。
ヴァンの軽々しい行動にシャルルは何も言わず、笑顔のまま同意している。シャルルの使いとしてヴァンを差し向けたのだ。それほど彼を信頼しているのだろうとアリスは察した。そんなに偉い立場の人間には見えなかったのだが、それでもヴァンの気軽な態度のおかげでアリスも少しは肩に入っていた力を抜くことができて助かっている。
ヴァンにならってキーラやフランも遠慮なくソファへと歩いて行った。カインはまだアリスを気遣いながら一緒にソファへ腰掛ける。出入口から見て右側にカインとアリス、そしてアリスの隣に座りたいと申し出たフランが座った。左側には大きく足を広げて座っている男二人、ヴァンとキーラがソファに体を沈めるようにして座る。
そして上座の位置に一人がけの椅子が置いてあり、シャルルはそこに腰を下ろした。
ソファは部屋のインテリアにとてもよく合っていた。モスグリーンの下地に様々な花や枝の模様が柄になっている。硬すぎず、柔らかすぎず、それでもヴァンのようにくつろぐことははばかれるような質感のようなものが感じられた。
そのせいかアリスは背筋がぴんと真っ直ぐになって、背もたれに背中をつけられずほとんど直角になっていた。少なくともこれだけ緊張しながら腰掛けているのはアリス一人だけである。
シャルルはそんなアリスにまたひとつ笑みをこぼしながら咳払いをすると、まずはヴァンに話しかける。
「まずはヴァン、彼女をここまで連れてきてくれたことに感謝します」
シャルルの綺麗なソプラノの声が耳に優しく響いた。
「いいってことよ、こっちもアリスちゃんに興味があったしね。そんなことより早いとこ本題に入ったら? 彼女、このままじゃ緊張で石になっちゃうかもよ」
「だめー! アリスを石にしちゃだめー!」
ヴァンの冗談をフランはまともに受け取ってしまい声を上げた。慌ててアリスは隣に座るフランの口に手をして静かにするようにお願いする。フランは感情を高ぶらせると巨大化してしまう。シャルルがどこまで事情を知ってるのか知らないが、目の前でいきなり豹変したフランを見せるわけにはいかなかった。取り繕うためにアリスは緊張と、無理やり笑顔を作ったせいで完全に引きつっていた。
フランを抱き寄せるようにすることで宥めているアリスを見て、シャルルは柔らかい笑みを見せた。
「大丈夫ですよ、彼のことはヴァンからすでに聞いています。バースの研究所にいた実験体……と言えば気分を害されるかもしれませんが、実際に彼はそのような状況下にあった。我々は彼をどうこうするつもりはありません。アリス、あなたの好きにするといい。このまま一緒に行動しても構わないし、我々に預けてくれてもいい。ここはそういう場所でもあるんです」
丁寧な口調の中に残酷な言葉を突きつけられたような気がした。明らかにシャルルはアリスが知らないこと、知りたいことをたくさん知っているようだ。その全てを今ここで聞くことが出来るだろうか? 津波のように溢れ出る質問の数々をいま一度飲み込んで、ゆっくり考えながら聞きたい内容を選んでいく。
「あの、あたし……知らないことばかりなんです。何から話したらいいのかわからないですけど、まず最初に聞きたいことがあるんです。お父さんやお姉ちゃん……、エディオール・バースとイーシャ・バースについてです。ヴァンさんからどれだけのことをすでに聞いてるのかわからないんですけど、あたし……今でも信じられないんです。お姉ちゃんのあたしに対する態度、言葉……。あたしがニューヨークへ発つ前は本当に優しいお姉ちゃんだったんです。仲が良かったんです。それなのに……」
思い出すと今でも辛い。久々に対面した時のイーシャの顔、そして辛辣な言葉。まるで別人だったことを。アリスの気持ちを察してか、カインがアリスの手を握る。アリスの膝の上では二人の手が重なっていた。それをキーラはツンとした表情で静かに見つめる。
「心中察します。とても辛かったでしょう。信じていた者に裏切られるということは何より深い傷となる」
悲しそうな瞳でアリスを見つめるシャルルであったが、同情だけで話している様子ではなかった。その表情はまるで自分も心を痛めているような雰囲気だった。それからシャルルは言葉を続ける。
「ここに来るまでの間、貴女も相当な覚悟をしてきてると思います。ですから貴女が知りたいことは極力全て答えるつもりでいます。それが例えどんなに残酷な内容であっても。……いま一度問います、知る覚悟は出来ていますね? アリス……」
シャルルの言葉の通り覚悟は出来ていた。怖い気持ちがなくなったわけではない、それでもアリスは知りたかった。シャルルの瞳を真っ直ぐと見つめ返し、こくりと頷く。
「いいでしょう。エディオール・バースとイーシャ・バースの二人は『白の騎士団』という組織に所属している研究員です。主に生物学、遺伝子情報などに関して研究しているようですね。『白の騎士団』という組織はおよそ三百年ほど前に創設されたと聞きます。彼らはこの世界に存在する異形の存在と戦うことを宿命としてきました。ですがある時期を境にその目的はがらりと変わり、いつしか異形の存在の生体や遺伝子などを研究し始め、自らその存在を作り出すことに情熱を注ぐようになってきたのです。それが何を意味するのか、何が本当の目的なのか、それは我々にもわかりません。ですが現実に彼、フランという少年のような実験体がたくさん作られているんです。ヴァンに色々調べてもらいましたが、貴女が先日までいた研究所内にはそういった実験体がたくさんいる。時には遺伝子を使って一から作られる生命体、時には人間に遺伝子情報を注入することで異形の存在へと変異させられた生命体。彼らの目的がどうあれ生命への冒涜です。我々は彼らの行為を非難し、ずっと敵対状態にあります」
衝撃的な事実だった。それを全て鵜呑みにするにはあまりに残酷な真実だった。次々に語られる内容にアリスの頭の中はすでに一杯になりそうだったが、そんなアリスの状態を察しているのか、シャルルはゆっくりと丁寧に説明していく。おかげで何度も聞き返すことなくある程度内容を飲み込むことが出来た。いや、残念ながら飲み込むしかなかったと言った方が正しいのかもしれない。
シャルルは「失礼」と言って立ち上がると、デスクの引き出しから白い紙と万年筆を取り出し戻ってくる。
「ここから話す内容は口で説明しただけでは混乱してしまうかもしれません。紙に書きながら説明させてもらいます」
シャルルは少し前かがみになり、筆記する体勢で話を続ける。
「さきほどから言っている異形の存在についてです。これらは細かく分類されます。例えば人間で言うところの白人や黒人のようにね。差別的なものではなく、あくまで分類です。それだけ生体に違いがあるのです。
まず『適合者』について説明します。ある特殊な遺伝子を得ることによって進化する可能性がある対象のことを、俗に『適合者』と呼びます。外見からは普通の人間と全く判別出来ませんが、遺伝子情報が明らかに普通の人間とは異なります。見た目だけでは判別しづらいですが、現代科学の力を持ってすれば『適合者』を見つけるのはそんなに難しくない上、現在ではその数も増加している。見つけると言ってもその者から血液を採取して分析しないことにはわかりません。それだけ彼らの見た目は人間そのものということになるんです。
最初に、ある特殊な遺伝子を得たら進化する可能性がある、と言いました。そう、言葉の通りあくまで進化の可能性を生み出すだけです。可能性を得て『適合者』としての遺伝子情報を得られたとしても、覚醒内容が選べるわけではない。覚醒内容という言葉については後で説明させてもらいます。
『白の騎士団』は主に『適合者』を生み出すことを前提として研究を続けてるようですね。つまりフランも『白の騎士団』によって生み出された『適合者』だということになります。ヴァンからの報告から恐らくフランは『狂戦士』として覚醒したようです。でもそれはある意味では幸運だったかもしれません。
なぜなら覚醒に失敗すれば、自我を失ってただの化け物と化す場合が多数なんです。フランは『狂戦士』とはいえ自我を保っている。自我を保ったまま肉体の一部が変異、もしくは特殊な能力を得るパターンはごく稀なんですよ。
ですからある意味で幸運だということです。最悪の場合、特殊な遺伝子を注入されたことで死に至る場合だってあるんです。その確率の方が断然に高い。数字で言えば約七割が死に至る計算になるでしょう」
長い説明をしながらアリスが混乱しないように紙に次々書き足していく。
特殊な遺伝子によって作られる存在、『適合者』
見た目は人間と変わりない。
覚醒に成功すれば自我を保ったまま肉体の一部が変異、もしくは特殊な能力を得る。
覚醒に失敗すれば自我を失い化け物となるか、そのほとんどは死に至る。
フランも『適合者』であり、覚醒した能力は『狂戦士』
覚悟はしていたがまさか自分以外にフランに関することまで話をされるとは思っていなかった。アリスは無性にいたたまれない気持ちになる。片方の手はカインの手が重なっているが、反対側のアリスの手はずっとフランを抱き寄せたままだ。
思わずその手に力がこもる。こんなに小さな子がそんな実験をされていたなんてと思うと心が痛くなった。しかもそれを実行しているのが他の誰でもない、親愛の気持ちで溢れていた偽りの家族がそれをしているのだ。
辛いのは自分だけじゃなかった。
アリスは多くを知る義務があると感じた。
今はまだ全てを語られたわけではないが、きっとそれらの全てに自分が関わっているのだと直感しているからだ。
心をえぐられるような痛みに耐えつつアリスは続きを促した。
解説編になるので区切ります。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
相変わらず不定期更新ですが。




