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2-5

 さらにダメ押しというように、ディートリヒは懐から包み紙を取り出した。

 見覚えのあるものだ。


 机の上ではらりと開かれた中から、綺麗なかたちを保った真っ白な花が現れる。シェリルがディートリヒにあげたものだった。


「それは、マキネの花……」

「あなたがくれたものだ。まだ使う機会はないけれど、お守り代わりにずっと持っているんだ」

「お守り」


 ディートリヒは健気にも、薬屋の言うことを聞いているらしい。

  

「毒や薬といったものは、魔法では見抜きようがないからね……それを自在に扱う薬師は、この国の誇りだろう」

「ありがとう、ございます。この国の宝である魔術師の方にそう思っていただけるなんて、薬師も捨てたものではないですね」


 シェリルは少し下を向いて、はにかみ混じりに返事をした。

 こそばゆかった。温かかった。

 冗談でも励ましでもなく、心からの言葉だと分かるくらい、優しかった。

 

 口角が上がっているのが、自分でも分かる。

 反対に、ディートリヒは何故か腑に落ちないような顔をしていた。

 

「……お客様?」


 シェリルの声で気づいたらしく、ディートリヒは表情を取り繕った。まるで絵に書いたような笑顔だ。

 

「あぁ、君のその薬草の知識はどうやって得たのかと、考えていたんだ。学校があるとは思えないし、師匠とかがいるのかな」

「いいえ、すべて独学です」

「独学で? すべて?」

「ええ」


 きっかけは、風邪をひいて高熱を出したときだ。いないものとされていたシェリルの様子に気付く者はおらず、シェリルもそれを伝える勇気もなかった。

 

 だからシェリルは、一時期雇っていたソワイエ家の薬師の部屋に忍び込んだ。熱でぼうっとする頭とふらつく身体に鞭打って、薬草の標本と、薬草のにおいと味を頼りに解熱剤を調合した。

 幸い、シェリルが魔法を使えないと判明する前に、一度解熱剤を処方されたことがあったから、必要な薬草はなんとなくアタリがつけられたのだ。

 

 そうして出来上がった薬を飲んだところ、翌日にはすっかり熱が下がり、身体も軽くなっていた。

 

 それからだ、シェリルが薬草に目覚めたのは。これは自分を護る術になると思った。

 庭にこっそり小さな薬草畑を作ったり、森に出かけては、自らにおいと味を確かめて様々な薬を調合した。

 遅効性の毒を含んだ草を食べて死にかけたこともあるが、結果なんとかなったのでそれもいい経験だと思っている。

 

 かいつまんで内容を話すと、ディートリヒは目を見張って、信じられないものでも見たかのように声を上げた。


「実際に薬草を食べて効果を確認したと? 知識もないのに? あまりにも無謀すぎじゃないか!?」


 じゃあ、どうすればよかったというのか。

 貴族として当然のことができない「できそこない」と言われ、存在ごとなかったことにされ、助けも求められない状況でどうすれば。

 

 それこそ、誤って毒草を含んで死んでしまったって構わなかった。むしろ、その方が良かったんじゃないかと思ったことさえ、何度もある。

 

 だってシェリルは、この世にいらない存在なのだから。いなくなったところで、誰も気にしないのだから。

 

「ですが、私は生きています。生き延びて、薬師になった」


 そう、シェリルはそれでも生きた。

 薬草の知識を得るのは楽しかった。毒を含んでも、身体が勝手に解毒薬を探し始める。

 

 死にたいと考えつつも、心の奥底では生きたいと、誰かに認められたいと、そう願っている証拠だった。

 死にかけたからこそ、ディートリヒが励ましてくれたように、「できそこない」ではない、薬師として新たな道を見つけられた。


「……まるで植物に愛された神様のようだね」

「は?」

「そうだろう? 僕があなたと同じことしたら、きっとすぐに死んでしまうよ。あなたは凄い才能の持ち主だ」

「まさか。魔術師様ともあろう方が、そんなこと」

「――……不思議だな」


 ディートリヒはテーブルに両肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せる。自然と前屈みになり、仮面の奥のシェリルを暴こうとするように、静謐な湖のような瞳がじっと捉えて離さない。

 シェリルは無意識に身体を引き、肩を強ばらせる。


「な、なにがですか?」

「魔術師は、ほとんどが貴族だ。稀に平民からも生まれることもあるけれど、先祖返りという特殊な状況でもない限り、まずありえない」

「はあ」

「平民が非魔術師であることは当然の摂理とも言える。つまり、全体的に見れば、魔術師よりも非魔術師の方が多いわけだ」

「そうですね」

「なのになぜ、あなたは魔術師に拘る? 魔術師でないことを卑下する? 謙遜や憧憬であれば分からなくもないが、どうやらあなたが魔術師に抱く感情はそれだけではなさそうだ」

「は……」


 予想だにしない流れだった。

 今の今まで慰められていたはずなのに、いつの間にか崖っぷちに立たされ追い詰められている。一歩間違えれば、奈落の底に落とされてしまう。

 

 確かに、平民ならば魔術師に「嫉妬」などしないのかもしれない。だって、当たり前だから。周囲に魔術師などいないのだから、貴族とは違う世界に住む()()なのだから。

 

 貴族令嬢のシェリルは、魔術師であるべきはずだった。本来手に入れていたはずの世界から爪弾きにされ、だからといって平民の世界に住まうこともできなかった。だから、「ルフュージュ」を作るしかなかった。

 

 ディートリヒは、ふむと片手で顎を撫でた。

  

「考えたこともなかったが、貴族が店を出すなという決まりはない。であれば――」

「お客様には」


 シェリルは声を荒げ気味に、ディートリヒの言葉を遮った。それ以上聞きたくなかった。正体がバレるのが嫌だった。

 

 貴族だと絞ってしまえば、あっけないほど簡単に『シェリル・ソワイエ』という名前に辿り着いてしまうだろう。それくらいには、こちらの情報をさらけ出してしまっている。

 

 そこで初めて、ただのシェリルは、ただのディートリヒとの会話を楽しんでいたことに気づいた。

 それももう、今日で終わるかもしれない。


「私が誰であろうと、お客様には関係がありませんし、お客様が誰であろうと、私には関係ありません。ここは、薬屋『ルフュージュ』。魔法具ではなく薬で、病気や怪我を治すところでございます」


 ぐっと顔を上げると、ディートリヒは驚いたように目を見開いていた。

 もう一押し。

 

()()()()()()には、本当に私の薬が必要ですか?」


 精一杯の、拒絶だった。

 ディートリヒは何か言いたそうに口を開き、だが無駄だと感じたのか唇を引き結んで目を伏せる。表情はすとんと抜け落ちていた。


「――今のは私の失態だ。今日のところはこれで失礼する」


 テーブルの上に何か置き、ソファの背に掛けていたマントを手に取った。そのまま立ち上がって、出口まで歩いて行く。名残惜しむかのようにゆっくりと閉じられる扉の音が、シェリルの耳奥に残った。

 

 テーブルの上には、箱に詰められたお菓子と、お茶一杯にしては多すぎるお金が置かれている。


 ポットに残った冷めきってしまったお茶を、新しく出した茶器に移す。上から覗きこめば、美しい色をした水面に牛の仮面がゆらゆらと浮かんだ。

 

 その顔を消すように、一緒に置いていたレモンの汁を一滴二滴と垂らすと波紋が幾重にも広がる。同時に、透き通るような青色から紫色へと変化していく。青空から、日が落ちて暗闇になる直前の夜空のようだ。

 

 ――ひと口飲んでみたが、やはり味はしなかった。

 

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