【短編】月が綺麗ですね
なんとなく『月が綺麗ですね』が使いたかったというだけの短編。
幸せなら万事オッケー。
「月が綺麗ですねって言ったら、死んでもいいわって返すんだって」
遠い昔、そんな話をした奴がいた。
俺は言った。
「心中前提かよ。もうちょっと他にないのか?」
「んー、今なら手が届くでしょう、かな?」
「まだそっちの方がマシだな」
でも、二人して、『そんな気障なセリフ言う方が恥ずかしい』で一致して、苦笑いした。
結局、プロポーズの言葉はなんだったっけ。
あいつがくしゃくしゃの顔で泣き笑いしてたことだけ、よく覚えている。
「・・・つまらん」
王宮での夜会といえば、派閥関係なく参加するせいで、華やかな雰囲気の裏でギスギスした空気がまとわりつく。その上、まだ結婚相手のいない子息令嬢は親も込みで家の為になる結婚相手を探して血眼になっている。
正直、居心地は良くない。
酒も料理も最高級だが、何を盛られるかわからないしな。
実際、やる気になったご令嬢にヤバい薬盛られかけたしな。
「やあ、レイド。相変わらずドラゴンも射殺しそうな眼付きだね。いたいけなお嬢様方が怯えているよ?」
壁際でちびちびワインを飲んでいたら、そう言ってヴォルフラムが現れた。さらさらの金髪に王家の青い瞳。まごうことなく王太子殿下というやつで、遠巻きに女性が三十人ほどこっちをうかがっている。
「それがわかってて近づくんじゃない。利用すんな」
こっちは固い黒髪に赤い目、黒づくめの武骨な軍装、警備を兼ねているから剣も佩いていて、周りの貴公子たちからは完全に浮いている。
まさに『死神』だ。
婚約者が居ても少しの可能性にかけて王太子の目に留まろうという女性たちは、俺の姿に怯えてこちらには近づけない。それがわかっていてこいつは寄ってきているのだ。
あまりにも遠巻き過ぎて声が届くところには人がおらず、俺は口調を崩している。要は、息抜きと虫よけ要員だ。便利に使いやがって。
「今日もレイドはいつも通りだねえ。御両親に結婚相手を探してこいって言われてるんでしょう?」
「死神に嫁ぎたい奴なんて居ると思うか?家は弟が継ぐからいい」
うちもまあ王太子の遊び相手に選ばれるくらいにはそこそこの家だが、長男がこれではとても結婚は無理だろう。俺としても剣を振るっている方が性に合っているから、十歳の弟がもう少し大きくなったら、正式に跡取りとして届け出るつもりでいる。
弟は控えめに言ってもものすごく優秀なので、問題はまったくない。
むしろ、オレが嫡男である方が問題しかない。
「知ってしまえばいい男だって分かるのにねえ」
「そこに至ることはないな」
そろそろ女性たちの目が殺気立ってきた。こいつが俺に寄ってきているのに、俺がこいつを捕まえていると思われるのは不本意だ。俺は空になったグラスを給仕に返すと、壁から離れる。
「少し風にあたってくる」
「じゃあ、またあとで」
ヴォルフラムはにこりと笑って手を上げた。
ヴォルフラムに婚約者が居たとしても、彼女たちの親は有力貴族であり、ある程度尊重してやらなければならない。
王太子様も大変だと他人事のように思いつつ、俺は庭へ降りた。ヴォルフラムに付き合って遊びまわったおかげて、王宮の庭には詳しい。それが警備にも役に立っているんだが、こうやって一人になりたい時もその知識は役にたった。
めったに人が来ない東屋にたどり着く。
座り込んで少し肩の力を抜いて、俺は空を見上げた。
今日は月が丸い。
それはあの日見たものと変わらないように見えた。
十八で初陣を果たし、がむしゃらに辺境地帯を駆け回った。侯爵家の長男で王子の幼馴染。前線に行く必要はないと言われていたがその時にはすでに弟に継がせるつもりでいたし、武勲を立てて剣で身を立てるつもりだった。
幸い辺境伯は俺を特別扱いせず、一兵卒からいろいろなことを叩きこんでくれたが、国境で戦が起きるたび、未熟な俺は当然死にかけた。
その何度目かの瀕死の時に、ふと、記憶がよみがえったのだ。
夢ではないと分かっていた。
これは、俺になる前の俺だ。
最後にまぶしい光と体への衝撃でぷつりと切れた俺の、もう終わった人生だと。
そして、その時に腕の中に彼女が居たことを思い出した。
おそらく伴侶だった。そして、一緒に息絶えたように思う。
もちろん、俺と同じこの世界にいるなどという奇跡がそうそう起こるとは思えないし、こんな死にそうにならなければ戻らない記憶なら、そのまま忘れていて欲しいと思う。
だから、今ここにその存在がないことは、寂しいが耐えられなくはない。
ただ、俺がここに居るように、どこかで生を受けて幸せでいてくれたらいいと思う。
「・・・月が綺麗ですね、か」
世界から違うくせに、あの記憶の月とよく似た月が空にある。
思わず思い出して口をついて出た言葉に苦笑すると、がさりと側で物音がした。
「・・・誰だ」
避難場所にするくらいだから、ここはかなり奥まっている。俺は一動作で立ち上がると剣を抜き、音の方へ向けた。
「ひゃあっ」
間抜けな声がして、どさりと人影が倒れた。刺してはいないが、目の前に突き出された切っ先に驚いて腰が抜けたらしい。よく見てみれば、濃い青のあまり洗練されてはいないドレスを着た茶色い髪の女が目に涙をいっぱいに浮かべてうずくまっていた。
下位貴族の令嬢だろうか。
「誰だ。ここは会場からかなり離れている。不審人物として問答無用で騎士に捕まってもおかしくはない」
「ごごご、ごめんなさい!」
がばりと体を起こした女性は、いきなり頭を下げた。ドレスで足は見えないが、手のつき方も頭の下げ方も、どう見ても見事な土下座だ。この世界で初めて見た。
「私、初めて王宮に来たんですけど、もう来られないと思ったらちょっと色々見たくなって!」
それでうろうろして迷い込んだのか。
仕事柄、体に武器を仕込んでいるか、演技かどうか、見抜く術は身に着けている。彼女自身に後ろ暗いところはないようだった。周囲の気配を探るが、特に誰かが潜んでいるわけでもなさそうだ。
「いや、こちらもいきなり申し訳なかった。ドレスが汚れたな。立てるか?」
そう言って手を差し出すと、顔を上げた彼女はためらわず俺の手を握る。だが、本当に腰が抜けているようで、動けなくて眉がへにゃりと下がった。
「失礼」
そう言って、膝裏に手を入れ横抱きにすると、ひゃあああとまた気の抜けた悲鳴が起きる。笑いをかみ殺しながら東屋のベンチに座らせ、軽くドレスの汚れを払う。地面が乾いていたからか、幸い大きな汚れはなさそうだ。
「痛いところは?」
「だいじょうぶ、です。ちょっと驚いただけで」
そう言って顔を上げた彼女を、月明かりが照らした。
「・・・え?」
「・・・あ」
目が合って、言葉を失う。
それは、ずっと夢で見ていた伴侶の顔だった。
「エリ・・・?」
「カイ?」
立っていられず、彼女の前に座りこむと、細い指がおずおずと俺の頬に触れた。
それをそっと握りこみ、自分の手も微かに震えていることに気づく。
「記憶が・・・あるのか?」
「うん・・・小さい時に高熱で寝込んだ時に。カイは」
「ちょっと死にかけて」
剣で袈裟懸けにばっさりいかれて、とは言いづらくて誤魔化した。
幻じゃないだろうか。
エリはずっと髪は肩辺りまでしかなかったが、今は背を覆うほど長い。だが、前も茶髪だったから今の茶色い髪には全然違和感がない。目の方は前とは違う。俺が赤い目であるように、彼女は緑だ。綺麗な、エメラルドの。
「あ、私、今は、エリーゼっていうの。エリーゼ・アルタウス」
アルタウス、といえば、あまり大きくない男爵家だったはずだ。人は良いがやりてではない。ただ、小さい領地を無難に治めている家だったと思う。
「レイドカイン・リューベックだ」
そう言うと、エリの目が大きく見開かれた。
ああ、評判を知っているのだ。
血に飢えた獣。殺戮の死神。容赦なく剣を振るう化け物。
揺れる瞳が見ていられなくて、俺は手の力を抜く。
「会えて、良かった」
未練がましい自分を叱咤して手を離し、立ち上がる。
ただでさえ、俺の評判は血なまぐさい。その上、日本人の記憶があるなら、余計に剣を振るい、おびただしい血を浴びる男など恐怖でしかないだろう。自分でも、時々恐ろしくなるのだ。必要とあらば相手の首をはねても足を落としても平然としていられる自分が。
「座って」
だから、聞きなれた調子でそう言われた時、俺は反応できなかった。
「座って」
もう一度言われる。逸らしていた目を戻すと、彼女はまっすぐにこちらを見ていた。
それは、前世で俺を叱るときそのままの口調だった。これが始まると、だいたい説教一時間コースだった、と余計なことまで思い出して少し遠い目をしてしまう。
逆らうことはできない。
俺は、エリから体一つ分、離れた隣に座った。
「カイの記憶を持ってるのでしょう?」
「ああ」
「だったら、なぜ私が怖がると思うのよ。カイだって、学生の時は喧嘩無双だったわよ。血だらけでうちに上がり込んでお母さんに悲鳴上げさせたじゃない」
そんな昔のやんちゃは恥ずかしいから思い出さなくてもよかったんだが。
「だから大丈夫よ。座って、話をしましょう」
エリは男爵家の次女だという。
「やっぱり結婚相手を探して?」
「うーん、ちょっと難しいと思うわ。うちは長男と長女でいっぱいいっぱいで、次女の持参金を出す余裕はないの。持参金なしでもいいっていう後妻あたりか、令嬢と顔見知りになって、侍女か家庭教師の職でも狙おうかと思って」
「ちょっと待て。後妻って」
「お金持ちならうちの家も援助してもらえるじゃない?」
「いやいやいや、そういうことじゃなくて」
慌てる俺に不思議そうな顔をするエリは、顔立ちは前世のままではあるが、それよりもずいぶん若く見える。知り合った中学生の時くらいか。その年で、普通、後妻とか嫌がらないか?どれだけ割り切っているんだ。
「お前、まだ若いだろう。年は?」
「十五」
ぐぅ、と唸ってしまった。
十歳差。
同じ年で、おそらく同じ時に死んだのに、なぜずれる。
日本ならそこそこあったが、こっちでは政略結婚だと大声で言っているような年齢差だ。ないわけではないが・・・ないんだが・・・。
正直、迷った。
さすがに既婚歴はないが、十歳差。やもめの後妻とどっちがマシか。初婚の方がましだと思いたいが、令嬢として社交界での扱いは大差ないんじゃないだろうか。
だが。
「その、あのな・・・」
ん?と見上げてくる顔が無邪気で、思わず頭をなでた。少し頬を染めて黙って撫でられている。可愛い。
「お前、今の俺も怖くないんだよな?」
「そうね。剣を突き出された時にはさすがに腰が抜けたけど」
「・・・悪かった」
謝ると、くすくす笑う。
なんだか心が温かくなって、自然と笑みがこぼれた。
やっぱりだめだ。ここで縁を切る?無理だろう。
俺は立ち上がった。
エリの前に、片膝をついて手を差し出す。
「アルタウス男爵令嬢、俺と結婚してもらえないか?」
一緒にいたい。
俺が言うことで断りにくくなる、というのは承知している。遥かに高位で、王太子の幼馴染で、辺境の死神だ。断りづらい条件しかない。それでも、このまま帰したくなかった。
「ここには俺たちしかいないし、誰も聞いてない。断っても不利益になるようなことは一切しないと誓う。だから嫌なら断ってくれてかまわ」
「よろしくお願いします」
馬鹿みたいにしゃべる俺の言葉をぶった切って、小さい手が差し出された。
「・・・いいのか?即決で」
「私でいいの?貧乏貴族の持参金もない末っ子なんだけど」
「お前がいいんだ。わかってるだろう?」
そっと、壊さないように抱きしめる。温かさと柔らかさを堪能していると、エリが顔を上げた。
「お願いがあるの」
「なんだ?」
「今度は年取ってやることが無くなるまで生きるわよ。二人で」
「俺は十歳も年上なんだが」
「大丈夫」
なんの根拠もないその『大丈夫』が、すとんと胸に落ちてきた。自然に、ああ、大丈夫だと思えた。
少なくとも、戦場で死ぬ気はしない。この笑顔が待っているのだから。
「そうだな。じゃあ」
「きゃあああ!」
ふわりと横抱きにして、悲鳴も気にせず俺は広間へ歩き出す。
「善は急げだ」
綺麗な月に手が届いた。
閑話
「うわ、どうしたのさ、レイド。人さらいにしか見えないってわかってる?」
「さらってない。ちゃんと手続きは踏む」
「え、さらってくれてもいいけど?愛の逃避行とか良くない?」
「いや、筋は通す」
「そういうとこ変わらないわね」
「可愛いね。ねえねえ、ほんとにコレでいいの?本人はともかく噂は凶悪なんだけど」
「コレ言うな」
「元から私のものなので」
「・・・」
「うわ、レイドが照れてる!初めて見たよ」
「う、う、うるさい」
「ほら、とりあえず父に紹介するわ。一緒に来てるの」
「今からか?!」
「善は急げなんでしょ?」
「う、あ、ああ」
「・・・意外と尻にしかれるタイプだったんだねえ・・・」
読みに来ていただいてありがとうございます。
個人的には、嫁の家のほのぼのぶりとか、義兄に警戒されちゃう死神とか、死神の弟が超可愛いとか、王太子がにこやかに腹黒いとか書いてみたい気もします。