とにかく待てない鳴早さん
「先輩、先程メールした仕様書、ご確認いただけましたでしょうか?」
「いや鳴早さん、『先程』ってメール来たの三分前だよ? 三分じゃ流石に無理だよ」
「なるべく早くお願いします」
「……善処するよ」
『なるべく早くお願いします』が口癖の鳴早さんは、俺の二つ下の後輩だが、俺よりも仕事が出来るスーパーウーマンだ。
どんな仕事もテキパキ捌き、納期に遅れたことはただの一度もない。
それどころか、三ヶ月はかかると見積もっていた仕事を、一ヶ月で終わらせてしまったことさえある。
――そんな鳴早さんの唯一の欠点は、病的なほどせっかちなこと。
鳴早さんはとにかく待てない人なのだ。
「あ、そうだ鳴早さん」
「何でしょうか先輩? 仕様書確認していただけました?」
「いやあれからまだ一分も経ってないから。ウサイン・ボルトでも一分じゃ無理でしょ」
「ウサイン・ボルトは陸上選手ですから、仕様書の確認は専門外では?」
「ネタにマジレス」
「要件をなるべく早くお願いします」
「……昨日取引先の赤地商事からクレームがあったんだけどさ。鳴早さん、赤地商事からメールの返事が来ないからって、五分おきに催促のメール出したんだって?」
鳴早さんは最長五分までしか待てないのかな!?
「でも、約束の日時になっても返答がなかったので」
鳴早さんは悪びれもせず、机の上にコンビニで買ってきたと思われる朝ご飯を並べていく。
「それにしたって五分おきはないでしょ……。しかも最後の頃は、『私鳴早さん、今あなたの会社の受付にいるの』って、都市伝説みたいな文言になってたそうじゃないか!?」
「でも実際赤地商事の受付にいましたから」
「アポなしで行っちゃったの!?」
「ええ、アポなしだったので取り次いでもらえませんでしたが」
「だろうねッ! ……ん? 鳴早さん、朝ご飯随分多くない?」
鳴早さんの机の上には、おにぎりに菓子パンに唐揚げ弁当、更にたらこパスタとプリンまで。
とても一人で食べる量とは思えない。
「ああ、これは朝ご飯兼昼ご飯兼夕ご飯です」
「そんなことある!?」
せっかちってレベルじゃないでしょそれ!?
「『なるべく早く』が信条ですので」
「……」
そう言うなり鳴早さんは、パクパクと一心不乱に、朝ご飯兼昼ご飯兼夕ご飯を食べ始めた。
あんなにあった朝ご飯兼昼ご飯兼夕ご飯は、倍速再生の映像でも観ているかの如く、みるみるその姿を消していく。
スレンダーな体型の、どこにこんな量の食物が収まるのか甚だ疑問だが、鳴早さんを常識で語ること自体、詮無き事なのかもしれない。もしかしたら外付け胃袋でも付いているのか?
「ねぇ~、ちょっと今いいかしらぁ~」
「あ、はい、何でしょう主任」
「――!」
その時だった。
俺の直属の上司である、主任に声を掛けられた。
「この資料なんだけどぉ~、悪いけど今日中に纏めておいてもらえないかしらぁ~? 明日の会議で使いたいのよねぇ~」
「えっ!? 今日中ですか!?」
主任は、余裕で人を殴り殺せそうなくらい重量感のある資料の束を、ドサッと俺の机の上に置いた。
その際に、推定Gカップはあると思われるたわわな果実を、何故か資料の上にたゆんと乗せる主任。
オオフ……。
「しゅ、主任! ちょっと今よろしいでしょうか!?」
っ!?
鳴早さん!?
「あらぁ~? 何かしらぁ~?」
「こちらの要件定義書なんですが、なるべく早くご確認いただけますでしょうかッ!?」
デザートのプリンを一瞬でかっこんだ鳴早さんは、分厚いファイルを主任に差し出す。プリンが奏でて良い音ではない事には目をつむろう。
「あららぁ~? 鳴早さん、この案件は再来年キックオフ予定のやつよぉ~? いくら何でも早すぎじゃな~い?」
確かにウサイン・ボルトよりも早いっすね!!
「いいえ、仕事に早すぎるということはないはずです。是非、く・れ・ぐ・れ・も、なるべく早くお願いします」
鳴早さんは鬼気迫る勢いだ。
今日の鳴早さんはいつにも増してせっかちだな!?
いったい何があったってんだ……?
「んふふ~、仕方ないわねぇ~、今回は折れてあげるわぁ~」
「……それはどうも」
……?
何だ今の微妙な遣り取りは?
「あ、あのー、鳴早さん、申し訳ないんだけどさ」
主任が自席に戻ったのを見計らって、コソッと声を掛ける俺。
「この資料の整理、少しばかり手を貸してもらえないかな?」
「貸し一つですよ?」
そう言う鳴早さんの顔は、何故か少し嬉しそうに見えた。
ううむ、貸し一つか。
――あ、そうだ。
「じゃあ、お礼に今度焼肉でもどうかな? 割引チケットを貰ったんだ」
「えっ!?」
「……嫌だったかな?」
「いえ、まさかこんなお礼をして貰えると思ってなかったので……」
そう言えば、いつもこういう時のお礼は缶コーヒーだったな……すまん。
「では、行くなら今夜がいいです!」
「今夜!?」
でももう今夜の夕飯は、つい先程前倒ししたのでは!?
「大丈夫です、今夜の分は明日の夕飯まで胃袋に保管しときますので」
「牛かな?」
「あ?」
「なんでもないです……」
まあ、鳴早さんがいいなら、俺に断る理由はないけどさ。
「よーし、なるべく早く片付けちゃいましょう!」
「う、うん」
またもや倍速再生で資料を捌き始めた鳴早さんは、僅か一時間で資料纏めを終えてしまったのであった……。
「いやあ本当に今日は助かったよ鳴早さん。遠慮せず好きなだけ食べてね」
「はい、いただきます」
そして定時キッカリに会社を出た俺たちは、有名焼肉チェーン店、叙々々々苑へとやって来た。
暑い夏に涼しい店内で熱い肉を食べるのは反則的に贅沢だ。
「鳴早さんは焼き方にこだわりは?」
「いえ、特には」
良かった。仕事キッチリ系だから、焼き方にもうるさいかと実は心配してたんだ。
「焼くぞー」
肉の焼ける音が鳴り始める。何度聞いても良い音だ。
「食べますねー」
「今入れたばっかりだよ!?」
「え? ああ、いつも焼けるの待てなくて生でだろうがなんだろうが食べちゃうんですよね」
なんという野生児……。
鳴早さんの胃袋はオリハルコンで出来てるのかな?
「桃栗三年柿八年だぞ?」
「いつの時代の話です? 今はタイムイズマネーですよ」
「お野菜セットになります」と店員さんが皿いっぱいの野菜を持ってきた。
「食べますねー」
「だから生だってば!?」
玉ねぎやピーマンをお構いなしにバリボリ食べてゆく鳴早さん。
俺は今アマゾネスと叙々々々苑に来ているのだっけか?
「焼いたらもっと美味しくなるんだから、少しくらい待ってみたら? あ、そうだ。ビールでもどうだい?」
「良いんですか?」
「ああ。遠慮なくやりたまえ」
「じゃあ、生二つ」
「あ、俺はいいよ」
「いえ、私の分です。おかわりが来るのが待てないので……」
「あ、そう」
いや、まあ、いいんだけどね。
「プハァー! この一杯のために生きてますねぇ!」
「完全にオッサンの言い方」
とはいえ、アルコールのお陰かいつになく鳴早さんが上機嫌だ。
これで肉を焼く時間が出来たぞ。今のうちだ。
「う、うーん、何だか世界がグルグルしてきました」
「え? だ、大丈夫鳴早さん?」
やっぱいくら何でもハイペースすぎたのかな?
鳴早さんのオリハルコン製の胃袋でも、アルコールには勝てなかったか。
「そう言えば先輩って、結婚してるんですか?」
「……ん?」
不意に声のトーンを低くして、ボソッとそう呟く鳴早さん。
おや?
「まさか。彼女すら居ないよ」
「私で良ければ結婚届に印をしても差し支えないですが、如何でしょう? あ、クッソ恥ずかしいのでなるべく早くお返事お願いしますね」
酒なのか羞恥なのか分からないが、とにかく鳴早さんが赤い。
「生まれて初めて告白しました。取引先からの返事待ちより緊張します」
アポなしで受付に突撃出来る胆力があるんだから、大した緊張ではないのでは?
「で? どうなんです? 大至急ご返答を」
鳴早さんの顔が近い。そんなに身を乗り出したら火傷するぞ?
どうやら今回は、三分すらも待ってはくれないらしい。
……ふぅ。
「すみませーん」
店員さんを呼ぶ。
「ビールを……」
「三つで」
流石にこうなった以上、俺も素面ではいられない。
俺はビールをグビリと流し込んだ。
やはり仕事終わりに飲む酒は最高だ。
「で? どうなんです? 先輩ったらいつも私のことさん付けだし、なーんか他人行儀っていうんですか? 素っ気ないっていうか……」
「鳴早」
ビールが美味い。
「──ふぇっ!?」
グラスが空だ。鳴早の待てない用に手をつける。
「鳴早」
「ふぇふぇっ!?」
呼ぶ度に鳴早がもじもじと恥ずかしそうにしている。
──ピンポーン
「はい。お呼びでしょうか?」
「ビールを四つ」
「かしこまりました」
頼んどいてなんだが、既におかわりも空で待てる気がしない。
「鳴早、これから空いてるか?」
「ふぇっ!? ふぇふぇ~っ!?」
どうやら空いているらしい。
「ホテルを予約する。行こう」
「──ふぉっ!?」
鳴早が跳ねた。
「ビール四つお待ちどうさまです」
「すみません、ホテルを予約お願いします」
「先輩どさくさに紛れて何頼んでるんですか!?」
「夜景が綺麗系のとこですね。かしこまりました」
「1.21ジゴワットの夜景を頼みます」
「ふぇ~~っ!?」
流石有名焼肉店の叙々々々苑、ホテルの予約すらお手の物らしい。
到着したビールを手に鳴早の隣に座る。
「行こう、鳴早」
「こ、心の準備が……!!」
「大丈夫だ!」
「先輩っ! 桃栗三年柿八年はどうしました!?」
「タイムイズマネーっ!!!!」
鳴早の全身が赤くなっている。
「お客様、タクシーが着きました」
「カードで」
店員さんにカードを渡し、鳴早を抱えてタクシーへと乗り込んだ。
「く、クリスマスまで待ってくだ──」
「クリスマスいずナウ!! 運転手さん近くの予約しといた良い感じのホテルまで!!」
「間接照明が映えるあのホテルな。はいよ」
「ふぇ~~~~っっ!?!?!?」
ウサイン・ボルト似の運転手さんは、オリンピックレコード並みのタイムで、近くの良い感じのホテルまで俺たちを運んでくれた。
今日の俺は抜群にツイてる――!
──ただ一つの誤算は、ベッドでも俺のほうが早かったことかな。
「先輩、夜景が綺麗ですよ」
「……zzz」
「……先輩?」
「むやむや……」
酔い潰れてしまい、ホテルに着いた途端に寝てしまった俺は、翌日鳴早さんに滅茶苦茶怒られた。
「ごめん!」
「誘っておいて寝るなんて失礼の極みです」
「スマン!」
「なので……」
「ん?」
「なるべく早く……んーん、一刻も早く責任を取って下さいね。今日は休みなので一日空いてますから」
「お、おお……」
鳴早さんの小悪魔のような笑みが、寝起きの俺の目に突き刺さった。