火傷
処女作第4話です。
1日1話、21時に投稿します。
悠子の死を伝えられた北野は、「あの箱」に悠子の遺書を見つけ、泣き崩れる。第4話は島崎とあかりの物語。
第4話 火傷
ベッドに横たわったまま何時間経っただろう。なんとか服を着てコーヒーを飲んだこと以外の記憶がない。いつの間にか寝てしまったのかな。外が暗くなってきた気がする。もう夕方なのか。焦点がぼやけて天井が落っこちてきたり浮き上がったりして見える。今日は髪を切りに行こうと思っていたのに何もできなかった。
つい昨日、君が遺したガラクタは捨てちゃったよ。まだまだたくさんあるけど。君が帰って来たときのために残しておいたのに。このベッドも悠子の匂いなんか忘れてるんだろうな。
ジリリリリ♪ ジリリリリ♪
また電話が鳴ってる。島崎くん、うるさいな。あとで折り返すよ。
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馴れ初めは東西大学経営学部の川添ゼミ。あかりは幼く垢抜けないが、チアリーダー部でもひときわ元気で笑顔の可愛い子だった。
私がゼミ長になった3年の夏合宿で、転機が訪れた。恒例のキャンプファイヤーでちょっとした喧嘩が起きた。酔っぱらい同士の他愛もないいざこざだったが、運の悪いことにたまたま脇を通っていた女子学生にぶつかり、手に持っていた鍋の熱い湯があかりの背中にかかってしまう。
すぐに服を脱ぐように言ったが、18歳の少女には無理なことだった。急いで冷たい水をかけ、救急車を呼んだが、手のひらほどの火傷痕が残ってしまった。
合宿を中断して、女子のリーダーとともにあかりを家に送り届け、父親に土下座して謝った。そのとき知ったが、彼女は幼い頃に母親を亡くしていた。
その後も何度か見舞いに通い詰めるうちに、お互いに好意を持っていることに気がついた。
私は一人彼女の家に出向き、父親に交際の許可を申し入れた。いつの時代の話しだと思うかもしれないが、彼女に痕をつけた以上、筋を通さなければいけないと思った。あかり本人に交際を申し込んだのはそれからだった。
私は塞ぎがちになってしまったあかりになんとか笑顔を取り戻させようとあちこち連れ回した。彼女の笑顔にはそれだけの価値があったから。
でもそれも、私の就職活動がはじまるまでのこと。バブルが弾けたあとの就職戦線は戦死者続出のひどい有様だった。地方から出てきて一人暮らしの私に、アルバイトをしながら、あかりのことを気にかけつつの就職活動は不可能だった。そうするうちに、あかりは夜遊びの楽しさを知った。
変化はありありとわかった。髪の色が変わり、化粧が濃くなり、着る服さえも。ヴェルサーチのスーツやヴィトンのバッグが、あかりのアルバイト代や小遣いで買える訳がない。気がつけば私はあかりに会うたびにいらつき、問い詰め、叱責していた。呆れ果て何度も別れようと言ったが、あかりはその度に嫌だと懇願する。
何度かそんなことを繰り返したある日、あかりは会話の途中で寝てしまった。まだ話しは終わっていないと揺さぶっても起きる気配がない。死んでしまったのかと思うくらい反応がなかった。
息はしてる。よかった。
30分ほどして目覚めたあかりに、私の記憶はなかった。正確に言うと、恋人としての私の記憶だけが。
目覚めたあかりを抱き寄せようとするが、何かおかしい。体が強張ってる。
「え、島崎さん、今何してたんですか?」
「あかり?」
「何ですか、急に呼び捨てとかやめてください」
悠くんじゃない。彼女の時間が退行している?
怖がって震えてる。手を差し伸べようとすると逃げる。
わかったよ。離れるよ。
「大丈夫。部屋の外に出て話すから安心して」
ガラス戸を出て、台所に移る。
「あかりちゃん、とりあえず怖がらなくていいから。テレビの脇のアルバムを開いてみてよ」
「……わかりました」
こちらから目を離さないままアルバムを手に取り、開く。
「覚えてない?」
そこにはどこからどう見ても恋人同士の2人がいる。
「なんですかこれ……」
動揺するあかりにこれまでの1年ほどの出来事を説明する。火傷のこと、一緒に出掛けた水族館。地平線まで広がるネモフィラ。訥々と話しているうちにあかりはまた寝てしまった。
夜が明けて起きたときにはいつものあかりに戻っていた。
何らかの人格障害が出てしまったらしい。私のせいだ。私があかりを追い詰めた。
そんなことが3度もあった。もうだめだ。このままでは私があかりを壊してしまう。
私はあかりと別れることを決め、実家へ戻って就職することにした。最前線からの撤退でもある。私は十分疲弊していた。
無事に地元では誰でも知っている企業に内定をもらい、私はさほど多くもない荷物をまとめていた。大家さんに直接後輩を紹介したので、大きな家財道具はすべて譲ることになったからさらに身軽だ。
そこにあかりが乗り込んで来た。
「どうして帰っちゃうの!? 嫌だよ、どうしても行くなら私も一緒に行くから」
「もういいって! ほんとはずっと和歌山に帰りたかったんだ」
「嘘! 私のことが嫌いになったの? 絶対に着いて行く」
「向こうには俺のこと待っててくれてる人がいるから、そんなことされても迷惑だ」
もちろん嘘だ。
あかりとの別れ話は何度同じことを話しても埒が明かない。こうして部屋に上げてしまう私も悪いのだが。でももう時間がない。
大粒の涙を流して縋り付くあかりを振り払って、アパートを出た。3日ほど友達の家を転々として、真っ暗な部屋に戻る。あかりはいなかった。卒業式の早朝だった。
その2日後にはアパートを引き払い、携帯も買い替えた。
それきり、あかりに会うことはなかった。
本稿にあたってはある方に何度も読んでもらい、アドバイスいただきました。
ありがとうくうちゃん!