遺書
処女作第3話です。
1日1話、全5話の予定です。
島崎くんのかつての恋人、あかりと自分の恋人、悠子は同一人物だった。2人の中年男性がつながることで、謎は少しずつ紐解かれることになる。
第3話 遺書
俄には信じられない。あかりだからというわけではなく、偽名を使って同棲するという行為自体に理解が及ばない。
西野改め北野が何か嘘をついている可能性だってあるが、何のために? とはいえ手紙と火傷痕の話しから、あかりと北野の言う悠子が同一人物であることは確からしいと思えた。
連絡を取るべき人は一人しか思いつかない。彼女なら何かしら力になってくれそうな気がする。
☏プルルルル♪ プルルルル♪
「はい」
「もしもし、夜分遅くにすみません。小林和美さんのお電話でよろしいですか?」
「どちら様でしょうか」
「東西大学で一緒だった島崎です。覚えてますか?」
「ああ、悠くん! 久しぶり! 元気?」
小林和美は東西大学の同期で、チアダンス部ピンクモンスターのキャプテンだった。あかりの憧れの先輩で、彼女もあかりを可愛がっていた。
「よかった。田舎で元気にやってるよ。いきなりごめんね、和美はどう?」
「私も元気にやってる。今は今関になりました。優良物件捕まえた主婦は気楽だよ〜。子供も大っきくなったし。どうしたの?」
「うん。変な風に思わないでほしいんだけど、山本あかり、覚えてるよね。彼女って今どうしてるか知ってる?」
「あら、昔の彼女思い出しちゃった? でも私も20年は会ってないな。たぶんあかりの結婚式が最後」
「そっか、ありがとう。誰か知ってそうな人がいたら教えてもらえないかな」
「わかった。チアの後輩に聞いてみるからちょっと待っててね」
「ありがとう、助かるよ。そうそう、今はどこに住んでるの?」
「杉並だよ。旦那の実家が土地持ちだから」
「そうなんだ、ときどき東京には行くから今度久しぶりに会えたらいいね」
「いつでも大丈夫。んじゃまたね」
相変わらず元気にやってそうでよかった。あっけらかんとしているのに、するっと人の心を掴むのが上手い。軽そうに見えて、飄々としたしっかりものの和美なら信頼できる。
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☏トゥルル♪ トゥル…
「もしもし、おはよう。何かわかった?」
「おはよう。出るの速いね。時間、早すぎなかった?」
時計を見るとちょうど7時だった。
「大丈夫、朝は早起きなんだ。ちょうど携帯持ってたし。で?」
「うん。わかったよ。連絡先繋ごうかと思ったんだけど、かえってややこしくなるからそのまま詳しい話し聞いた。でもあなたには話せなかっただろうからその方がよかったかも」
「ありがとう。助かるよ」
「あのね…………
和美は昨晩のうちに話しを聞いたが、どうにもすぐに連絡を寄越す気にはなれなかったと謝っていた。なかなか寝付けず、朝も早く目覚めてしまったと。こちらこそ申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
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☏ジリリリリ♪ ジリリリリ♪
電話が鳴ってる。何時だ? まだ7時半か、誰だよ。朦朧とした意識のまま電話に出ようとして、画面を見て目が覚めた。非通知。島崎くんだ。
「はい、北野です。おはようございます。どうかしましたか?」
「朝早くに申し訳ありません。あかりのことで大学時代の友人に連絡を取ったんですが」
「大丈夫です。何か?」
嫌な予感がした。
「あかりは7年前に亡くなっていたようです」
的中だ。今日は朝から冴えてる。
「僕の家から消えたのもその頃ですよ」
「そうですよね。何か心当たりはありませんか?」
「いや、何もないですね。事故ですか?」
「……自殺したそうです」
は?
耳を疑うとはこういうことか。
「…自…殺?」
その直前まで僕と普通に暮らしていたのに?
「ええ。あかりは26歳で結婚したらしいんですが、DVにあって1年あまりで離婚したそうです。しかし離婚後に妊娠が発覚したらしくて、産むか産まないか悩んだ末に流産してしまって鬱になっていたと。あかりから聞いていましたか?」
「……いえ、そんなことは何も。初耳です」
「そうですか。その頃からあかりは30歳になったら死ぬんだって言ってたらしいです。母親が29歳で亡くなっているから、母親より早く死ぬのは親不孝なんだと」
「でも40歳手前まで一緒にいました」
「そうですよね。撤回したんでしょうか。それにしても絶望なのか贖罪なのか……はあ。確かめようがないですね」
結婚や出産に興味がなかったのは自殺するつもりだったから? でも40歳まで生きていたよな。混乱と二日酔いで吐き気がする。
「………ちょっと整理がつかないんで、また連絡もらってもいいですか?」
「大丈夫ですよ。私もショックで一人では受け止められなくて連絡してしまったくらいです。落ち着いてください。今度は非通知ではなく連絡しますね」
「ありがとうございます。では…」
テーブルのロックグラスに溶けた氷が溜まっている。ほのかにウイスキーの味がする水をカラカラに乾いた喉に流し込む。ぞわぞわした感覚が肩から肘を抜けて、指先がひどく冷たくなる。
悠子…まさか自殺するなんて。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、熱めのシャワーを浴びる。血の巡りが早くなるのを感じる。少し気分が落ち着いてきた。
悠子は何の前触れもなくどこかへ行ってしまった。彼女と10年暮らしたこの部屋。僕はいつか帰ってくるかもしれないと、すでに死んでしまった彼女を待っていたのか。どうして一言も言ってくれなかったんだ? 僕は君にとって一体何だったんだ。自殺するならここでしたってよかったじゃないか。自殺するなら僕に遺書くらい残しておけよ…。
遺書? ハッとした。もしかして。
『写真や手紙なんかは全部ここに入れてるんだ。ラブレターなんかもね。捨てられないよ』悠子に昔の写真を見せながらそんなことを話していた。
彼女が手紙を残すなら「あの箱」だ。
慌ただしくバスタオルを掴み、体を拭きながらベッドルームへ向かう。
ニューバランスの青い靴箱はベッドルームの床に放置されたままのはず。ドアを開け、立ち竦み、凝視する。唾を飲み込んでから一歩踏み出す。
悠子……そこに?
靴箱の一番下、うっすら埃っぽい写真や年賀状に紛れて、それはあった。7年もの間、誰にも気づかれないまま。
また指先が冷たくなる。
真っ白な封筒に白い和紙の便箋、悠子の好きだったブルーの万年筆。懐かしい色。
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昌ちゃん
いきなり居なくなってしまってごめんね。
どうか探さないでください。
多分、探しても無駄だから。
長いこと一緒に過ごしてくれてありがとうございました。
本当に楽しかったです。
昌ちゃんに会うまでの嫌なこと、忘れさせてくれてありがとう。
何にも話せてなくてごめんなさい。でも聞かないでいてくれてありがとう。
私の本当の名前はあかりです。
ずっと嘘をついてごめんなさい。
私はウツになって生きていくのが辛くて、30歳になったら死のうと決めてた。
でもそろそろ30歳っていうときに昌ちゃんに出会って、もう少し生きたいと思ったの。だから仕方なく名前を殺したのよ。
あかりは死んでいいから、悠子になって生きたいって。
私をあと10年生かしてくださいって神様にお願いしたの。
昌ちゃんのお陰で本当に楽しい10年だったわ。
神様にお願いしてよかった。ありがとう。
お酒、飲み過ぎたらだめだよ。
さよなら
悠子
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涙が頬を伝うのがわかる。
なんだよ。それだけか?
瞼を強く閉じても溢れてくる。
島崎くんのことは?
肩が、体が震える。きっと鼻水でくしゃくしゃだ。
畜生、なんで死なないといけないんだ。てか神様ってなんだよ。流産した子供に待っててもらったのか? なんで俺に一言も話さないんだよ!
僕は素っ裸のまま身動きが取れず、溢れるままに泣き続けた。
本稿にあたってはある方に何度も読んでもらい、アドバイスいただきました。
ありがとうくうちゃん!