みんちゅへの誕生日プレゼント「愛欲の渦」~内容は青春スペクタクル小説となっております~
年末、それは日本ではほぼどの企業も仕事納めというものがある。
同時に俺には自分の誕生日というものも存在する。社会人になってから毎年、幼馴染みのNANAが飲みに誘ってくれるていたのだが、去年NANAに彼氏ができて初めてぼっち誕生日を迎えることとなった。今年もボッチ誕生日になるなら実家にいっそ甘えるか、同僚と飲みに出るかしようかと思っていたら、去年ボッチ誕生日にした反省からかNANAが直前になって飲みに誘ってきた。彼氏のことはいいのか、と尋ねたらその彼氏に、幼馴染みは自分でも特別な存在だから大事にしろ、とたしなめられたらしい。いい奴すぎるだろうが。
かくして今年もいつもの年末を迎え仕事納めだ、という日になった。
「取引先の口座を間違えた?」
いつもは静かな笑顔が絶えない秋平課長もこの報告を聞いて、さすがに眉をひそめた。
時刻現在18時前。本来なら就業時間手前である。
「すみません…いつもは注意してるのですが…」
「みんちゅのこの手のミスは初めてじゃないか。逆に今までよくミスしなかったな」
「はぁ…取り柄が真面目くらいだからでしょうかね…でもしちゃったものは1回でもミスですから…すみません」
他の社員の「仕事納めにミスしやがって」の視線を痛いほど感じながら、平謝りするしかない。
「よし、銀行への手配と取引先への謝罪電話は俺が一旦するから、みんちゅは代わりに納会の買い出し手伝いに行ってこい」
「それ俺のミスなのに何もしないんじゃ…」
「今の時間なら謝罪に行くにも年明けにするしかないだろうが、こういうのは上司がまずした方が上手いこと行くんだよ」
「すみません、年明けには必ず謝罪に向かいます」
こういうところが秋平課長だな、と思う。さすが社内OL憧れの上司No.1。
顔は爽やかな王子様風。嫌味な所は何ひとつなく、仕事も出来ておまけに優しい。
それに比べてこちらは男らしい事は何もできず、おまけに女顔のヒョロヒョロで初恋の女の子はちゃっかり今では素敵な彼氏がおり、言われたことをミスしないだけが取り柄で、のほほんと生きてきたのが丸わかりの人間である。
頭を下げると、その頭に優しく手が乗せられた。
「あんまり難しい顔するなよ。かわいいのが台無しだ」
男でかわいいとはいかに。ただ課長に言われると素直に嬉しくて、顔が赤くなるのが分かった。
納会も終わり、次の日。無事今年も何事もなく生きて誕生日を迎え、NANAとのつつましやかな誕生日を祝ってもらう日になった。
「仕事納めにミスとは何事も無かったみんちゅの人生も来年は何かあるかな?」
NANAはビールよりハイボールを好む。最初の一杯はいつもハイボールだ。その後はひっちゃかめっちゃかのちゃんぽんである。なのでちゃんと付き合ってるとこちらが潰れる。
「何もなかったから、ミスでもしたかな?」
正直初恋の女の子に彼氏ができた事が既に何かあった事なのだが、しょせん思春期にありがちな初恋なのでそのうち忘れるのかな、とも思う。
「その上司もひとっっっことも怒らないなんて、もう上司としてより人間としてできてるよねぇ。うちの上司なら雷飛んでくるわ。くわばらくわばら」
NANAは時代劇が好きなのだ。
「よくそんなとこで仕事が続くね、NANAは」
「んー…できた時のやりがいがあるからねぇ」
初恋の少女も今や立派な大人の女性という事だ。
「あ、これ誕生日プレゼント」
そう言って渡してくれた袋はなんだかデパートの化粧品メーカーの袋みたいな、小ぶりでおしゃれな袋だ。
「何これ?」
一見想像が全くつかない。NANAはだいたいセンスのない物をくれる。去年はなんだか小さ入れ物をくれたので、これはなんだと尋ねたらピアスを忘れないように入れておくもの(名前は忘れた)だった。ちなみに生まれてこの方ピアスの穴あけなんぞしたことがない。
「ショコラ」
「ショコラ?え?チョコレート?」
「チョコレートじゃない!!ショコラ!!」
正直同じじゃないかと思うが、女性にはこの意味の違いが日本海溝より深いのだろう。
「なんか数年前に日本にお店を出したすっごく話題の日本人イケメンショコラティエのショコラですっごく美味しいの!」
すっごくをすっごく強調するNANA。「美味しいの」という事は少なくともすでに何度か食べたんだろうな。袋を開けてみると中に折れた切り抜きの雑誌の記事が入っていた。
『今をときめくショコラティエ、女性の奇跡の結晶リエルグ氏にインタビュー』
雑誌はほとんど見ないが、上手い言い方だなぁと思う。切り抜きの男性は雑誌のインタビュー記事だというのに不機嫌な表情だが、確かに女性の奇跡の結晶という雰囲気のイケメンだ。少し外国人っぽい彫りの深い顔立ちだが、ひげが全くないので全体的に爽やかさがある。いわゆるワイルド系ってやつだろう。なんだかボクシングをしている方が似合ってそうだが、現実には殴る仕事とは全く別の仕事をしているのも女性にとってはいいのだろう。
記事には、イタリアで13年も修行を積んだこと、イタリアのショコラティエの店長に何度もショコラを試食もされず捨てられた事、日本でお店を出す時にショコラの店は流行らないと何度も融資を断られた事など、主に苦労した話ばかり書かれていた。
ある一文が目を引いた。
『私はここまでやってやれると思って、お店を出して今があります。今の私は奇跡の結晶ではありません。努力の結晶です』
自分は努力とは無縁に生きてきたという自負すらある人間である。奇跡と言われれば、それはうれしいと思ってしまうだろう。
NANAと別れた後、気付けば電車の中でずっと記事を繰り返し読んでいた。
ミスをしたとは言え、仕事納めも誕生日も過ぎてみれば実際は実家でダラダラするだけの日々である。特に普段から実家の近くに住んでいることもあって、ダラダラ度は倍増する。ダラダラ大掃除も自分の部屋だけやり、ダラダラスマホをいじり、ダラダラ年越しそばを食べて、家族でガキ使を見て年を越した。と言いたいが、実際はジャニーズファンの母に年越しジャニーズライブにチャンネルを変えられて、ジャニーズを見て年を越した。そして何かあるかも?という期待も何もなく正月になっておせちを食べて、仕事始めを迎えようとした。
「映画ですか?」
「そう、予約してたんだけど急に彼女が熱が出てキャンセルしたいって」
電話がかかってきたのだ。秋平課長から。
というか、彼女いたんだ…そりゃ、モテる要素しかないような人だもんな。
「行かなきゃいいんだろうけど…俺が見たい映画だったんだよね…」
「何の映画ですか?」
「忠臣蔵」
ずいぶん渋い趣味だ。ただ忠臣蔵なら俺も興味がある。幼馴染みで初恋相手であるNANAの趣味がすっかり移ってしまっている。
「いいですよ、行きますよ」
「いいの?ありがとう。じゃあ17時に日比谷の映画館で」
電話が切れて何となく浮足立つような気分もつかの間、洗面化粧台に行くとどうしようもない現実が押し寄せた。
着る服が無いのである。
あの課長のことだ。絶対お洒落な、なんか何がお洒落か分からない、恰好をしてくるに違いない。こちとら家ではジャージである。
母の悲鳴を後で聞くことを覚悟してタンスを漁る。
無難なとっくりの白いセーターと濃い灰色のチノパンが出てきた。お洒落は分からないがとりあえずお洒落っぽい雰囲気ではある。上着は無いので会社に行くのと同じ黒のトレンチを着るしかない。
ひっちゃかめっちゃかのタンスを後にして荷物をリュックに入れて駆け足で出る。
お洒落は分からないがとりあえずそれらしい恰好が出来れば、気分は良かった。早めに家を出たので、待つかと思えば映画館には課長が先に来ていた。紺色のダブルのコートに、黒のつやのあるズボン。靴は綺麗な革靴。鞄などは見当たらない。
いつもより大人な雰囲気の課長に少し胸が高鳴った。
「早かったですね」
「うちは近いからね」
「じゃあポップコーン何味にします?飲み物はコーラでいいですかね?」
「そんなに食べて夕飯入らないだろ?」
「え?」
「ディナーも予約してたんだよ。今日一日丸々キャンセルでね」
「俺でいいんですか?」
「他に誰も呼んでないじゃないか」
そりゃそうだ。元々(多分)きれいな彼女との一日映画デートだったのだ。
「ありがとうございます。ご一緒させてください」
「こちらこそ悪かったね」
「でもポップコーンは譲りませんよ!」
映画は面白かった。ディナーも恐れ入るくらい高級なフレンチのフルコース料理だったで、値段を聞くのが恐ろしかったが、課長が先に何も言わずに払ってくれたので、素直に甘えることにした。
駅に向かいながらひたすら映画の話をしていた。
「討ち入りの晩に赤穂浪士四十七士が雪の中を歩くシーンはやっぱり壮観でしたね」
「いつの時代も見せ場のシーンは作りこむね」
寒さでコートの中に顔をうずめてはいたものの興奮は収まらなかった。
「吉良上野介覚悟ー」
大石内蔵助が吉良を刀で斬る真似をして課長の前に両手を振りかざすと、両手を左手で止められた。
何かと思う間に課長の顔が迫ってきて唇に柔らかい物が触れる。
これが世間一般に言われるキスだと分かる前には課長の顔は離れていた。
「じゃあ!また仕事始めに!」
大きな戸惑いを残して秋平課長は走って行ってしまった。
残された俺はというと…
NANAがくれたショコラのお店に来ていた。
顔の火照りが一向に収まらないからだ。
今日どうしても行きたかったわけではないが、行きたい場所も他になかった結果である。
店はもうすぐ閉店時間というぎりぎりの時間だった。
ただ、ショコラを正直なめていた。
(1個500円!!ケーキ食べれるじゃん!!)
特に買う相手もいない。ただ閉店間際に駆け込んだためにも、何か買わないと悪い気がする。そして何を買えばいいかもわからない。
「彼女のプレゼントなら、ボンボンは必須だからこの二つ。あとはベリー系。これだけだと味がややこしくなるから、ピスタチオとアーモンドのガナッシュひとつづつってとこか」
後ろから少しかすれた不機嫌そうな低い声が話しかけてきた。びっくりして振り向くと思わず「あ!」と言ってしまった。
女性の奇跡の結晶、リエルグ氏である。
「えっと…」
「以上5点、合計2750円」
「あ、はひ」
変な声が出た。
財布からお金を出して渡すと「包むから店内見てて」と言われたが、宝石の様なショコラを前には目のやり場に正直困ってしまった。
「あの…雑誌の記事読みました」
「…俺女性誌の取材しか受けた事ないけど」
「あ、誕生日にこちらのショコラをくれた女性の紙袋に入ってた記事なんです」
「ふーん」
…会話が続かない…
「僕平凡な人生で努力とかしたことなくて」
「だから?」
「13年イタリアにショコラ作るためにもし僕が行ったら、奇跡でやっぱり終わらせたくないです」
「何が言いたいの?」
「やっぱり頑張ったことを認めて欲しいです」
「…」
「えっと…すみません」
ショコラを包み終わった紙袋を差し出された。
「もし本当に奇跡があるなら」
「え、はい」
「俺の作るショコラがたった一人の為に作れる瞬間かな」
「えっと…」
「閉店だ」
「あ、はいありがとうございます」
店を出た後、心臓が音を立てて鳴り出した。店を振り向くとまだ明かりがついていた。
正月休み明けて仕事始めはまぁまぁ忙しい。その後少し期待していたが、課長から何か来る事も無い。相変わらず優しくてかっこよくて憧れの上司である。
明け始めは多少忙しかったので気にしなかったが、1週間2週間と時間が過ぎると段々不安にすらなってくる。NANAのデートが無い日を見計らって、思い切って相談することにした。
「ふーん」
「ふーん、てことないだろ」
「いや、だってさ。実際どうして欲しいのよ。好きだって言って欲しいの?」
「…うーん…」
「ああああああ!もうややこしいな!!でかけろ!!一緒に!!そのイケメン上司と!!今すぐ電話!!」
「は!はい!!」
かくして電話することになったのだが
「どうしたのこんな遅くに」
「えっと…」
NANAがジト目で睨む。
「お世話になってる女性にプレゼントを渡したいんですけど」
「プレゼント?もうすぐバレンタインだけど逆なの?」
「あ、はいショコラを選んでいただきたくて」
「俺店は分からないんだけど」
「あ、こないだ気に入ったお店あったって言ってたんで一緒に来てください」
「そういうのはその女の子が一緒に行った方が喜ぶと思うけど」
「あ、えっと…とにかく今度の日曜日14時に白金台で!」
無理矢理電話を切った。
「これでいい!?」
NANAはいびきをかいて眠ってしまっていた。
一言で言うと店の前は女の子の群れ群れ群れ。
「すごいな…」
さすが課長もあっけにとられていた。店に入るのに30分かかった。ディズニーランドよりはだいぶマシか。
店内もぎっちり女の子でいっぱいかと思いきや、少しばかり余裕があった。ちゃんと店内を回って見れるくらいに人数制限をしているからこそ外が逆にあふれていたのだろう。
「あ…」
リエルグ氏が取材を受けていた。女性はいかにも女性誌の記者という雰囲気の綺麗で大人っぽい人だった。
なぜか目線がそこから離せない。
女性が鞄を落とした。リエルグ氏が鞄を自然な動作で拾い、埃を払う。お礼を言って受け取ろうとした女性が今度はよろけた。とっさにリエルグ氏がかばう。
女性の顔が赤くなったのを見た瞬間、反射的に店を飛び出してしまった。
そのままどこに向かって歩いているか分からないまま歩いてきてしまった。
腕を掴まれて気をが付く。
秋平課長だった。
「どうしたんだいきなり」
見慣れない公園に出ていた。子供や母親が幸せそうに遊んでいる。
何も言えずにいると、そのまま腕を掴まれたまま少し離れたベンチに連れていかれた。
ベンチに座り、ようやく息をついた。近くに自動販売機があったらしく課長が缶コーヒーを買って渡してくれた。お互いに何も言わずに缶コーヒーを飲む。遠くで子供の声が響く。
突然、女性の歓声が聞こえてきた。と同時に息を切らしたリエルグ氏が目の前に現れる。
「リエルグさん…!」
啞然とする課長と俺を無視し、リエルグさんはポケットの中から紙に包まれたショコラを出した。
そのショコラをあろうことか俺の口につっこむと、そのまま唇でふさがれる。
口の中を存分に味見するように舌が動き、息が出来ない。
肩を何度か勢いよく叩くとようやく放してもらえた。
「お前へのショコラ、味見完了。逆バレンタインに下手なモノ渡すなよ。フラれるぞ」
そう言うと大股に去ってしまった。
息が整うの待ったタイミングで課長が優しい声で聞いてきた。
「嫌だった?」
しばらく考えると、頭を静かに横に振った。逆だ。うれしかった。
「そうか」
「…すみません…」
「彼女な、いないんだ」
「えっと…」
「あの日本当は告白しようと思ってたんだ。ずっと好きだったんだと。でもよかった。本当の気持ちを聞けて」
そのままの黙って残りの缶コーヒーを飲む。日が完全に落ち、黙って課長は手を引いてくれた。
バレンタインが過ぎてしばらく、俺はNANAをダシに使った挙句ショコラを渡さなかった事を酷く怒られた。バレンタインを貰っていないのにホワイトデーにはAmazonギフト券を要求された。
課長は異動が決まった。新しくできた部署への上司になるらしい。また忙しい日になるだろう。本人が異動をずっと断っていたが、ようやく引き受けたと噂で聞いたがあくまでも噂だ。
秋平課長の後の課長には俺がなった。正直驚いた。ただ周りは「みんちゅなら」と言ってくれる人ばかりだったので案外今まで頑張っていたのかもしれない。
桜前線が天気予報で流れ始め、ようやくリエルグ氏の店に行く事にした。
春の陽気はまだ遠いが、寒さは確実に和らいでいる。
店は少し人がいる位で、バレンタイン前の混雑が嘘の様だった。店内で販売の女の子と話をしていると、すぐにリエルグ氏が出てきた。
「あ…れ…」
リエルグ氏の姿を見た途端涙が止まない。泣き続けているとそのまま優しく抱きしめられた。
「優しかったんです。誰よりも優しくてかっこよくて俺はあんな人になりたいとずっと思ってました。でも俺はリエルグさんが誰かのためにショコラを作ることが許せなかった。嫉妬する自分が初めて醜く思えました。そんな普通の俺ですけど、何の努力もしてこなかった俺ですけど、リエルグさんに好きになってもらうように頑張るから、だから…」
言葉途中に優しくキスされ抱きしめられる。幸せを感じている最中にすぐ顔を離された。
「俺お前の名前知らないんだけど」
ピタッと涙が止まる。
「すみません!!名前も知らない奴に何がってことですよね!?」
「名前」
「はい」
「教えて」
「…みんちゅです」
「みんちゅ」
「はい」
「俺はお前に褒められた時、お前だけにショコラを作りたいって思った。だからあの晩本当に奇跡が起きたんだ」
そう言うとまた優しくキスをされた。今度は長かった。
コートのポケットに何かを入れられた。確認しようと手を伸ばすと、手首を掴まれて、同時に唇も離れた。
「待ってるから」
そう言うと店の奥に姿を消した。ポケットの中身を確認するとチョコレートの包み紙に電話番号が書かれている。そっとまたポケットに包み紙を戻す。
一部始終を啞然と見ていた販売の女の子に5つショコラを包んでもらうと。店の外に出た。包み紙を再び開いて書いてある電話番号に電話をする。少しかすれた不機嫌そうな低い声の主が出た。ああ、あの人じゃないか。今一番聞きたい声の。心からホッとする自分に自覚して言う。
「バレンタインにフラれないようなショコラを渡したいので今夜どこかで会えませんか」